医療過誤

ヤブでもいないよりマシ?!

 時々拝見している「新小児科医のつぶやき」さんに 

  ブ排除論に産科医が悲鳴

という記事があった。

 どういう意味?と思って見たら、要するに、「産科の場合、ヤブ医者の産科医を排除してしまうと、周囲の産科医の分娩数の負担が過大になって共倒れになる。産科の場合、ヤブ医者でも不可欠の戦力である。」ということらしい。

 産婦人科医の人材不足はそこまでいっているのか、と唖然とした。

  【風】医師 警察官より多いのに…

  (産経新聞 2008年3月4日(火)18:00 )

  表題はともかく(なんで警察官との比較なの?)、

 日本の医師数は平成18年の厚生労働省の調べで約26万3000人。全体の医師数は増加傾向にはあるが、先進国で比較すると圧倒的に少ない。OECD(経済協力開発機構)に加盟している国の人口1000人あたりの医師の数は平均3・1人。日本は2人だ。平均に達するまで、10年かかるとされている。

 大阪府内の40代の医師は《今の医療界では、若い医師ほど絶望しています。新人はつらい科は避けて楽な仕事を目指します。卒業して産科・小児科・外科・内科を目指す人は激減しています》とし、《業界内では、今のペースでは10年以内には外科を目指す研修医は日本全国でゼロになるといわれています》。

 この医師の言うとおり、厚生労働省の調べでも外科の勤務医は平成10年あたりから連続して減少傾向にある。医師はメールをこう続ける。

 《現状が続けば本当に医師のなり手はなくなります。僕も仕事への熱意は下がるばかりで、できれば早く引退したいと思っているくらいです》

 《将来、日本の医師は眼科医や皮膚科ばかりになり、日本では救急医療が受けられなくなります》

 という深刻な事態だ。

追記:この記事については、「新小児科医のつぶやき」さんが更に産経基準という記事を書いて酷評されている。コメント欄を読んでも、医師の方々のマスコミ不信がよく分かる。最近の各新聞の社説の論調に怒っている弁護士と全く同じだなあ、と思った。

 マスコミは、医師や弁護士をたたいても偏在は解決できない、ということがどうして分からないのだろう(それとも、分かっていて書いているのか)!?

 日本は、自由主義国家であり、医師であろうと弁護士であろうと、何を専門に選ぶか、どこに住むか、は自由なのである。医師や弁護士が自らの意思でその専門や地域を選択するようにするには、行政の力が必要だろう。地域の人だって医師や弁護士にイヤイヤ(あるいはシブシブ)その地域に来てもらいたくなんてないだろう。

 (思うに、偏在をなくすためには、今の日本では、医師の場合は数、弁護士の場合は資金、がまず必要だと思う。)

 でも、私の感想では、この記事自体は医師のメールをたくさん紹介しており、医師に同情的なもので悪意は感じられなかった。「警察官」の数と比較することには何の合理性もないが。

 現場の記者の書いた記事は、社説に比べればはるかに良質である。

 国が財政負担の増大を怖れて今まで医師の増員を抑制してきたツケがこれだ。

 国民は弁護士なんかより医師の方を必要としているだろう。弁護士を増やすよりも医師を増やす方が先だろう。

 しかし、国に対して財政負担のかからない(なりたい人に自己負担でロースクールに行ってもらえばいいのだし、司法研修所の研修期間も1年に短縮されたし、おまけに間もなく司法修習生の給与も貸与制になるのだし)弁護士は急激に増やされた。弁護士が激増して弁護士自治が崩壊することは、市場原理主義者、新自由主義者の利益に合致していたからということもある。 

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 医師の方々を怖がらせてはなんだが、弁護士はこれから急激に増える。

 加えて国民の医療不信はすさまじいものがある。

 最近は医療過誤を取扱分野と広告を出している弁護士が急激に増えている(本当にやっているのかどうかは知らないが)。また、弁護士会などが主催する医療過誤事件の研修会にも多数の若い弁護士が参加しているという(私が弁護士になった当時はこの分野の研修会に来る弁護士はまだ少なかったが)。

 私は最近「負けてもいいから引き受けてくれ。費用ならしっかり払うから。」と言われる方のご依頼をお断りした。どう考えても勝訴の見込みがなかったからである。私が「いくらお金をもらってもお引き受けすることのできないものはお引き受けできない。」と言ったら、その方から「そんなことを言うのは先生だけですよ。」などと言われた(本当かどうかは不明)。

 しかし、これからはそういう事件を引き受ける弁護士も増えるだろう(もう増えているのかも)。

 弁護士は負ける事件を引き受けても着手金をしっかりもらっていれば損はしない。弁護士費用はかつては弁護士会が一定の基準を設けていたが、規制緩和により今は自由化されている。もちろん、あまりに高額な場合は問題になるが。しかし、医療過誤事件は実際に他の一般民事事件よりも時間と労力がかかることが多いから、他の民事事件に比べて高額の着手金をもらっても問題にはならないだろう。そこで、事件を引き受けるときに高額の着手金をもらっておけば、あとは負けると予想される事件を引き受けて適当に事件処理をしていて負けても損はしないというわけだ。しかも、負けても「医療の不確実性ゆえに立証が難しい」などを口実に依頼者になんとでも言い訳は立つ。

 あまりこんなことを書きたくはないけれども、昔からそういうことをする弁護士はいた。しかし、これからはますます増えるだろうというのは私の悲観的観測だろうか。

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 私の所属している医療過誤問題研究会では、先輩方の指導により、所属弁護士は訴訟を受任する場合、原則として着手金を分割払いで頂いている。

 私の場合は、大体月4万円程度(たいてい訴訟には2人の弁護士がつくが2人であってもこの金額)を着手金の内金として頂いている。勝訴して実際に賠償金を得た段階で報酬基準により計算した残りの着手金と報酬金を支払って頂く。しかも、1年を経過するとたいていは期日の間があく(鑑定や尋問などが入るため)ので、期日1回ごとに4万円程を頂くようにしている。それでも、依頼者にとっては2年、3年となるとこの分割払いの着手金もばかにならない金額に達するのである。

 しかし、はっきり言って、弁護士からすれば、かかる労力と時間に比し、このような金額の着手金では事務所経営は成り立たない。だから、あまりたくさん医療過誤訴訟を抱えると経営に支障をきたすというのが現実である。それで、受任の際は、やはり勝訴の見込みのある事件に絞り込むという傾向になる(但し、救済されるべき事件はできるだけ受任するようにはしている)。

 が、高額の着手金を最初にもらうのであれば、こういう心配はないわけだ。しかも、「負けてもともと」という気で受任していれば、気楽なものだ。

 本音を言うと、多額の着手金をもらってたいした調査もせずに事件の依頼を受けておられる先生方の風聞を耳にすると、コツコツ仕事をしているのがばかばかしくなることもある。いかんいかんと手綱をしめることもしばしば。

 これが現実である。

 医師の方々にとってはあまりの忙しさに「ヤブでもいないよりまし」というのが現実なのだろうけれども、国民の不信の眼にも耐えることのできるきちんとした医療過誤被害者の救済手段を考えないと、ヤブどころかまともな医師だって大変な目にあうことになるだろう。

 参考ブログ:不適切な医療行為について、医師の方が考えること (白鳥一声さん)

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 もっとも、これは別に医療過誤事件に限ったことではない。

 弁護士は、他の事件だって、勝訴の見込みが乏しい(これについては不確定要素が強いのでどうとでも言える)、あるいは倫理的には許されない(しかし法的には違法ではない)事件を平気で受任し、高額の着手金をもらって適当に事件処理することなどいくらでもできるのだ。頭に血がのぼっている依頼者は、それがおかしいことに気づかないことが多い。また、負けたところで、別に受任の際に「絶対勝てる」と断定的に言ったわけではないから問題になることはない。

 (私の過去の記事: A弁護士とB弁護士 参照。)

 現実にも、私は最近、法律相談などで、「どうして相手の弁護士はこんな事件を引き受けたのだろう。」と首をかしげることが多くなっている。

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 弁護士を過剰に増やすということはこういうことなのだ。

 国民にとって、弁護士の場合は「ヤブでもいいから(多い方が)マシ」なんて言ってはいられないでしょう(もちろん医師もそうなんだけれど)。

 

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医療過誤の被害者が直面する不条理

 「それでもボクはやってない」を見て、日本の刑事裁判の不条理さにやりきれない思いをした方は多いだろう。周防監督も「怒り」をもってこの映画を作ったと語っておられた。

 しかし、弁護士も長くなると、あまりに多いこの世の不条理に慣れてしまうせいか、だんだんそういう「怒り」が枯渇していく気がする。そして、「怒り」が次第に「諦め」にすりかわっていくのだ。

 「怒り」はよい方向のエネルギーになることもあるので、私はそういう「怒り」を失わないようにせねばと思うことがしばしばある。

 「それでもボクはやってない」の主人公のように、司法の世界で刑事事件の冤罪被害者が受ける数々の不条理は、この映画のおかげでクローズアップされたと思う。

 この映画の一般の方々の感想を読むと、「びっくりした」というものが多い。でも、そういうことはずっと昔からあったのであり、ただ周防監督のような方や一般の方が目を向けなかっただけだ。

 弁護士であれば、たいていの者が自ら経験したり聞き知ったりしてきたことである。本当は、弁護士がこういうことをもっと世間に伝えるべきだったのかもしれない。

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 ところで、私が取り扱う医療過誤事件の被害者らが直面する不条理も、冤罪被害者に負けてはいない。

※ ここでは、「それでもボクはやってない」の映画が「主人公は痴漢をやっていない」ことを絶対的真実として前提としていたように、「医療ミスがあったこと」を絶対的真実として前提とする。

 病気になったのは患者のせいではないことが多い。

 その病院、その医師を選んでしまったからといって、患者を責めることはできない。医師の技術や経験はたいていの患者には明らかではないから。

 不幸な結果になったことについて、おかしいと思うだけで医療ミスか医療ミスでないかまでは素人には判断がつかない。

 病院にかけあっても、取り合ってはもらえない。医師会の相談に行っても同じ。

 弁護士に相談すると、証拠保全などでカルテや検査記録を入手し、調査をしないと医療ミスかそうでないか見通しがたたない、それには費用がかかる、と言われる。

 真実が知りたいと思い、費用の負担を覚悟して弁護士に依頼する。

 弁護士はカルテ等を入手して調査をするが、文献など調べても分からないことが多い。専門医に意見を聞きたいと思っても調査に協力してくれる医師がなかなか見つからない。幸いにも医師の意見を聞くことができても、A医師は「絶対におかしい、ミスだ。」と言い、B医師は「これはやむをえない事故だ、ミスではない。」と言う。弁護士は迷うが、A医師の説明の方が合理的で説得力があると判断する。

 弁護士から調査の結果を聞き、患者も迷う。しかし、A医師の説明に納得がいき、弁護士に病院との示談交渉を依頼する。

 何ヶ月も待たされて、病院の代理人の弁護士から「医師には過失がない」というそっけない短い手紙が届く。

 患者は弁護士から「もはや裁判によるしかない。」と言われ、費用や時間がかかることに驚き、迷う。このまま泣き寝入りするのは嫌だから費用や時間がかかっても裁判を決意するか、費用や時間がかかるのはたまらないと思い断念するか。

 裁判を選択してからも、病院側は「過失」や「因果関係」を否定し続ける。A医師に記名の意見書を作成してくれないかと頼むも、A医師からは裁判にかかわりたくないと断られる。他に記名の意見書を作成してくれる専門医がいないか探すも、被告の病院や医師とは知り合いだからとか、裁判にかかわるのは嫌だから、などという理由で断られる。

 病院側からはその分野で有名な医師の記名の(病院側に有利な)意見書が提出されることも。

 裁判所から鑑定の打診がある。患者は鑑定費用を負担することを覚悟の上で、鑑定の申請をする。しかし、裁判所がいろいろな大学や病院に声をかけても鑑定人はなかなか見つからない。鑑定人が決まるまでに半年、鑑定書の作成までに1年かかることも。

 そうこうするうちに1審だけで2年、3年が経過してしまうということも。

 しかし、判決で「訴訟的真実」として「過失」や「因果関係」が認められないこともしばしば。

※ 患者側に原則として過失や因果関係の立証責任があるので、立証が不十分とされれば過失や因果関係は認められない。たとえば手術中のビデオがあれば手技ミスが立証できても、ビデオがなければ立証できない場合などもある。 

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 私は、「それでもボクはやってない」を見て、周防監督には、今度はこういう医療過誤の被害者やその家族の被る数々の不条理をテーマに、「怒り」をもって映画を作って頂けないかと思った。

 男性なら誰でも痴漢冤罪の被害にあう可能性があるように、誰でも病気になる可能性があるのであり、従って誰でも医療過誤の被害にあう可能性があるのだ。

 医師の方々の中には、「医療ミスでないものを医療ミスであると認定している判決」が多いとお怒りになる方は多いけれども、「医療ミスであるものを医療ミスではないと認定した判決」がどの位多いのか、そして立証の困難さや費用がかかることを考えて裁判をあきらめ泣き寝入りをした患者がどの位多いのか、について関心を持つ方は少ないようだ。

 医療過誤「冤罪」に泣く医師の救済を考えるだけでなく、こういう患者の救済も真剣に考えて頂かないと、今の日本の医療が抱えている問題は解決しないと思う。 

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マンパワー不足

 きょうは、久しぶりに医療過誤問題研究会の勉強会に出席した。

 麻酔科医の先生がスライドを使って脊髄麻酔と硬膜外麻酔について分かりやすく説明して下さる。

 麻酔に使う針の実物も見せて頂いた。よくもまあ、こんなに細くて長くて柔らかい針を扱えるものだと感心する。硬膜外麻酔の場合、硬膜に達しないよう硬膜外腔に針を止めなければならない。細心の注意と訓練を要する手作業だ。

 麻酔科と病理の先生には、医療事故の調査の際にお世話になることが多い。しかし、どちらの分野も医師が不足している。

 患者としては直接接することが少ない分野だが、実際の治療行為にはとても大切な分野だ。

 きょうご説明頂いた先生も、麻酔科医師の不足、マンパワー不足を嘆いておられた。

 今の日本で全ての手術に麻酔科専門医の立会を望むことなど到底不可能だ。

 しかし、私は、自分や自分の家族が手術を受けるなら、麻酔科専門医が立ち会って下さる病院でお願いしたいと思ってしまう。

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 患者が安全な治療を受けられるよう、なぜ国はもっと力を注いでこなかったのか。なぜもっと長期的展望をもって医師の数を増やしてこなかったのか。

 いきなり数を増やしても、オン・ザ・ジョブ・トレーニング(OJT)(仕事の現場で,業務に必要な知識や技術を習得させる研修)が困難であることは、医師も弁護士も同じである。

 それなのに、国は(そんなに必要とされていない)弁護士は急激に増やしてOJTに支障をきたしている。しかし、国民に必要とされている医師は増やしてこなかった。

 舛添厚生労働大臣と鳩山法務大臣は、この問題についていろいろ発言はされているが、本当に期待していいのだろうか。

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医師不足ー苦しむ地方ー医師数は西高東低(中日新聞サンデー版)

 当分まとまった記事は書けそうにないので、写真日記や他の方々のブログの記事の紹介や、新聞などの記事の紹介をさせて頂こうと思う。

 これは、今週日曜日の中日新聞のサンデー版(6月10日 世界と日本 大図解シリーズ NO.789)の記事

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 よれてしまって写真では見にくいが、医師不足についてとても分かりやすく図解した記事だった。

 この記事によれば、医師数は「西高東低」なのだそうだ。

 写真の赤系統の県は赤に近くなるほど人口10万人あたりの医師数が多く、青系統の県は青に近くなるほど人口10万人あたりの医師数が少ない。

 どうして西高東低になるのかまでは分析されていないが・・・。

 しかし、どの県も医師配置基準(原則外来40人に1人、入院16人に1人)を満たす病院の割合は、非常勤医込みでも100%に達していない。

 全国平均だと非常勤医込みで83.5%(常勤医のみだと35.5%)。

 ちなみに、私の住む愛知県は、この医師配置基準を満たす病院の割合は89.1%。常勤医のみだと、たった39%だ。

 人口10万人当たりの医師数が一番少ないのは、なぜか埼玉県。

 北海道と東北地方は、人口10万人当たりの医師数も少ないし、医師配置基準を満たす病院の割合も極めて低い。岩手県などは、医師配置基準を満たす病院の割合は55.1%に過ぎない(常勤医のみだと、21.5%)。

 この記事を見ると、医師の絶対数が少ないことに加えて、医師の偏在によって、地方の医療が崩壊の危機に瀕していることがよく分かる。

 コムスンが事業所の介護士の人数をごまかしていたことが問題になっているが、医師配置基準を満たさぬ病院が多いことももっと問題にすべきではないのか。

                Kusurimidori

 昨日、久しぶりにある総合病院における証拠保全(検証)に立ち会った。

 そのとき病院の外来を通ったが、長時間待たされて待ちくたびれた患者さんが大きな声で「まだでしょうか。」と看護師に尋ねていた。その患者さんは「朝早くから来て待っているのに、ちっとも診てもらえない。病院に来ると1日仕事になる。」などと他の患者さんに愚痴をこぼしていた。

 しかし、まだ診てもらえる医師がいるだけましなのかもしれない。北海道や東北地方では、診療科によっては医師がいない病院もあるだろう。

 この中日新聞の図解は、このほかにも日本の医師数を欧米主要国と比較したり、勤務医の過酷な労働条件についてグラフ化していたり、医師不足解消のための厚労省や自治体のあの手この手を説明していたり、とても興味深い。

 一つ紹介すると、岩手県遠野市では、2007年度から、希望があれば県立遠野病院の常勤医に乗用馬を無償貸与するという特典を設けたそうだ。しかし、今のところ、希望者はいないのだそうだ(馬なんか貸してもらっても、おそらく常勤医は乗ってる暇ないだろうに・・・)。

 この図解は、「学校の教材に役立つ大図解」のシリーズなのだが、学校に限らず、病院や公共施設などの人目につくところに貼って、国民の理解を深めるのに役立てたらどうだろう。 

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平成18年の医事関係訴訟の統計

 最高裁が平成18年の医事関係訴訟の統計(速報値)を発表した。

       医事関係訴訟の現状 (6番のところ)

 これによれば、平成18年の新受件数は912件。平成16年の1110件をピークに減り続けている。

 平成18年の平均審理期間は25.1ケ月。平成12年の35.6ケ月に比べると、10.5ケ月も短縮された。

 平成18年の判決の割合は35.3%、和解の割合は53.3%。ここ10年では最高の和解率である。

 判決の認容率(勝訴率、一部勝訴も含む)は35.1%で、ここ10年では平成11年の30.4%に次いで低い。平成18年の通常訴訟事件の認容率が82.4%(医事関係訴訟事件も含む)(うち人証調べ実施事件の認容率は63.5%)であるのに対し、いかに医事関係訴訟の勝訴率が低いかが分かる。

 勝訴率は平成15年には44.3%であったが、その後低下傾向が続いている。

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 このように統計からみると、医療関係訴訟は増えていないし(むしろ減少傾向)、勝訴率も低下しているのである。

 最近(特に大野病院事件以来)、医師の方々は訴訟リスクを強く訴えられているが、この統計で見る限りではむしろ訴訟リスクは減少しているのではないか。

 患者側弁護士としては、審理期間が短くなり、和解率が増え、敗訴率が高くなっていることが心配だ。

 増加した和解の内容にもよるが(統計からは和解の内容までは不明)、審理の迅速性ばかりが優先され、充実した審理がなされないまま和解が勧告され、和解に応じなければ敗訴、という事件が多くなっているのではないか。

 今後もこの統計は注意して見ていく必要がある。

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医療亡国ニッポンーTVタックル

 昨日のビートたけしのTVタックルで、医療崩壊問題が取り上げられていた。ご覧になった方も多かろう。

 出演者は、TVでおなじみのこの方々。

 三宅久之氏(評論家)、宮崎哲弥氏(評論家)、坂口力氏(元厚生労働大臣)、武見敬三氏(厚生労働副大臣)、鈴木寛氏(民主党衆議院議員)、小池晃氏(共産党衆議院議員)、南淵明宏氏(医師・大和成和病院心臓センター長)、浅野史郎氏(元宮城県知事)。

 私は知らなかったのだが、メタボ対策で有名なこの武見敬三氏って、あの有名な元日本医師会会長の武見太郎氏の息子さんなのだそうだ。

 この方のプロフィールはこちら

 この方のHPでのTVタックルへの出演予告には、こう記載されている(青字はHPからの引用)。

  過酷な労働を強いられる医師、
  そしていわばサービス残業の上に成り立っている勤務医の実態、
  産科・小児科だけでない医師不足問題。
  相互扶助で成り立つ国民健康保険制度での保険料の滞納、
  国民皆保険制度を如何に保持するか。
  日本の医療の現状と課題を武見が議論します

 しかし、番組では、医師不足について宮崎氏から「医師偏在か医師不在か、どちらか厚生省の立場をはっきりさせよ」と詰め寄られ、三宅氏からは「(今日の医師不足は)厚生省の無策によるものだ」と叱られ、「武見が議論します」どころではなく、「武見が責められます」状態で、ちょっとお気の毒だった。

 武見氏は、厚生労働省が医師の数を制限してきた理由として「医師の数が増えると医療費の支出が増加するという考え方、即ちコスト管理という考え方で医師数の適正化をはかってきた。しかし、もはやそれは限界にきている。」と述べられていた。

 そこを今度は小池議員から「武見さんは医師会の仲間だからいい顔してるけど、厚生労働省はまだ方針を変えていないでしょう。まだ医師偏在と言って医師不足とは認めてないでしょう。」などと責められる。

 これに対して武見氏は「私は厚生労働省の中でもきちんと今みたいに意見を言ってますよ。」と答えていたが、そこへすかさず、三宅氏が「あなたが言ってても(厚生労働省が)動かないっていうことは、あなたが無力だっていうことでしょ。」と皮肉を言われる。

 武見氏に言われなくても厚生労働省ははっきり医師不足であるという紛れもない事実を認め、医師を増やす対策を取るべきだ。

 この問題については過去の私の記事とそれに対する医師の方々のコメントもご参照下さい。

 医師の卵も弁護士の卵も同じなのか・・・。:

 この記事の頃には、厚生労働省は「医師は足りているが、(若手医師の気質などによって)偏在が生じているだけだ」と主張していたのか。

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 さて、TVタックルには小泉政権下で厚生労働大臣をされていた坂口氏も出演されていた。

 私は知らなかったけれど、坂口氏は小児科医だったんですね。

 坂口氏も前厚生労働省大臣として三宅氏に「(医師不足を生じさせたことなどについて)厚生労働省は全く無能だね。」と責められ、「厚生労働省としてもやりたいことは山ほどあるけれども、そこは財務省からピシッと抑えられるわけですよ。」と言い訳をされていた。しかし、三宅氏は「それは厚生労働省が自らの手腕がないっていうことを言っているようなものでしょ。それは財務省の横っ面をはり倒してでも俺ら人の命を預かっているんだからヤレって言えばいいじゃないですか。」と追求の手をゆるめない。これに対して、坂口氏は「そこは政治の出番だと思う。与野党問わずバックアップをして頂いて・・・」とお茶をにごしていた。

 そして、最後に、宮崎氏が「そこは選挙のときに国民に負担は増えるだろうけど命は守られるというのをとるか、命はあんまり守られないかもしれないけれども財政は良くなるということを選ぶのか、選択をしてもらわなければいけないと思う。」などとしめていた。

 ・・・それって、参院選で「医師増員」と「保険料増額ないしは自己負担割合アップ」あるいは「消費税アップ」がセットで問われるということ?

 家計の負担を増やさずに医師の増員は望めないのだろうか。

 これについては、「家計の負担を増やさずに医師を増やす方法がある」という山家悠紀夫氏(元神戸大学教授、元第一勧銀総合研究所専務理事)の講演をご参考にして下さい。

 この講演は、全国保険医団体連合会(開業医の過半数ー約10万人ーの医師が加入されているという)発行の冊子に記載されているもの。

 下記で同連合会のHPから読むことができます。

    「医療も命を削られる 医師不足、医療難民はなぜ生まれたか?」

 このパンフは、看護師と患者が一緒に穏やかにほほえんでいたり、医師の方々が並んで穏やかな笑顔を見せている写真などが掲載されていて、一見普通の医療関係のパンフのようである。

 ところが、実は厚生労働省や政府やあの有名な規制改革推進派の方(私たち弁護士にも超有名なあのお方)に対する大変辛辣な批判を加えている(よくここまで書いたなと思った)、相当過激な内容のパンフなのである。

 しかし、医師不足の現状やその原因について多角的に分析し分かりやすく説明されており、大変格調の高いパンフでもある(弁護士会の通称「ノキ弁のすすめ」パンフとは大違い!!)。

 医師不足のため、「外科医の7割が当直明けで手術、病院勤務医は週70時間労働」なのだそうだ。それじゃミスも起こるはずだ。

 あまりの激務のため、地方でいくら医師の年俸を高くしても(北海道など年2000万円以上)、勤務医が集まらない。

 勤務医の先生方が「もはや逃散しかない」と次々と病院をやめていき、休診となってしまった診療科や病院が続出している。

 こんな状態では、安心して病院に行けやしない。

 国は「弁護士はフランス並みの人口にするために司法試験合格者を3000人に増員せよ」と言う。しかし、上記パンフによればフランスでは医師は国民1000人当たり3.4人であるのに対し、日本は2.0人であるにすぎない。どうして、「医師もフランス並みの人口にするために増員せよ」と言わないのか。弁護士よりも命を預かる医師の方が、より国民にとって必要ではないのか。

  同じ規制緩和路線にありながら、どうして医師と弁護士でこうも違うのか。ここにアメリカ政府、日本の財界、新自由主義者らの意図するところが露骨にあらわれている(上記パンフ参照)。

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 病気や怪我はいつ降ってくるか分からない。若い人であってもいつお医者さんのお世話になるか分からないのである。

 私もここ1年近く、父が入退院を繰り返していたので、病院がいかに人手不足かを実感している。土日、祝日などは病棟は閑散としているのだ。実際、医療ミスは休日に起こることが多い。

 しかし、医師不足について、TVタックルを見る限りでは、政治家も厚生労働省もあてにはならないようだ。

 参院選で医師増員が主要な争点になるとも思えない。

 一体どうしたらいいのだろう。

 今できることは、上記連合会のHPの医療危機打開の署名活動に参加すること位だろうか。

 この記事をお読みの方は、ぜひ上記署名にご協力下さい。

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茨城の「医療問題中立処理委員会」その後

 ブログを再開してから、医療問題関係の記事を書くのに気が進まない。

 他の弁護士の方のブログの様子を教えてもらったせいである。

 私は今あんなに医師の方々からのコメントにお返事できる状況ではないし、あちらのブログのコメント欄をちょっと拝見したところ「議論のための議論」の様相を帯びている気がしているからである。

 だから、議論の好きな方はあちらのブログの方へコメントをお願いします。

 以下は、あくまでも私の「ため息」です。

                Oobagibousic

  連休が終わって、協力医の方々から意見書を3通(別々の事件で、科も異なる)ご送付頂いた。おそらく時間のできる連休中に書き上げて下さったものだろう。

 私の方も連休中に準備書面を書こうと思っていたので、医師も弁護士も考えることは同じだなあと思った。

 意見書が届いたことで、それを分かりやすく依頼者に伝えたり、裁判官に分かりやすくするために鑑定意見書に出てくる医学用語についての文献や図を書証として提出したり、更に意見書にかかわる部分の主張をするための準備書面を作成しなければならない。

 それで、連休明けに一挙に忙しくなってしまった。

 しかし、もっとも悩ましいのは協力医(事案に応じた科の臨床医)の方々の意見が割れること。同じ事件で同じ資料を見て頂いていても、意見が異なることが多いのである。それもかなり重要な点で180度意見が違うときはどうしたらいいのか。

                Miyamaodamakic            

 今、医療事故について中立的な「第三者機関」の設置が問題となっている。

 以前、茨城県医師会が「医療問題中立処理委員会」という記事を書いたが、その後はこういう状況だそうだ。

  東京新聞 医療トラブルへの対応<3> 患者と医者の不信 解く 第三者機関

 この記事では、「委員は、弁護士、学識経験者、市民代表、医師の十人で構成。中立性を保つため、医師の人数は三分の一に抑え、市民代表には医療被害者の支援団体の代表も加わっている。」ということである。

 ということは、医師は委員10人中3人以下ということになる。しかし、その医師はたぶん専門が異なるのだろう。ということは、案件について一番意見が尊重されるのは、その専門の科の医師の意見ということにならないか。例えば心臓手術のケースでは内科、外科、循環器外科の医師3人であれば循環器外科の医師の意見というように。

 とすれば、3人の医師の意見はその専門の医師1人の意見で決まってしまう可能性が高いのではないか。そして、他の7人の委員は、医師3人の意見にひきづられはしないか(これは、裁判員制度における「法律を知らない裁判員は、結局裁判官の意見にひきづられるのではないか」という危惧と似ている)。

 つまり、案件について専門とする医師一人の意見で、委員会の意見が決まってしまう可能性が高いのではないかということだ。

 しかし、前記のとおり、専門の医師であっても実は意見が割れることが多いのである(これを医師の方々は医療の不確実性といわれる)。

 それを、たった一人の医師の意見だけで決めてしまってもよいものか。

 もっとも、専門の医師を複数にしてカンファレンス方式で意見を述べてもらうという手段はあるだろう。最近は裁判所もこういう鑑定を取り入れているところもある。私もこの鑑定方式には大賛成である。

 しかし、一番の問題は、裁判であろうと第三者機関であろうと、そんなに多くの専門医が集まるのかということ。医師の方々は多忙であるし、責任の重い鑑定人や第三者機関の委員にふさわしい方には限りがあろう。

 それに、専門の鑑定人や委員がカンファレンスをしても、意見が割れたらどうするのか。第三者機関の場合は裁判員制度のように多数決で決めるのか(裁判の場合は、裁判官が最終的に評価して決めることになるだろうが)。

 ・・・などなど、2人の協力医の意見の割れたケースについて、もう一人協力医の意見を聞いた方がいいかどうか悩みつつ考えた。

              Buranko_6  

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小説「破裂」の感想ーその1

 週末の半分は仕事にあてる予定だったのだが、風邪をひいたらしく、頭痛と吐き気がひどく、やむなく自宅で休養することにした。

 横になって小説「破裂」を半分ほど読んだ。

 この小説はいろいろな意味で本当に面白い。

 医療従事者の方々にも医療事故を扱う法曹関係者にもぜひ読んでもらいたい本だ。

 主人公は大学病院の青年麻酔科医。ジャーナリストの求めに応じて「痛恨の症例」(いわゆる「苦いカルテ」)を同僚らから聞き取っている。その最中に勤務先の大学病院で、助教授(次期教授候補)が手術ミスを疑われる。それは患者の娘に内部告発の匿名の手紙が届いたことがきっかけだった。

 主人公はその手術ミスを調査することになり、死亡した患者の娘に恋愛感情を抱くようにもなって、医療過誤訴訟にも協力する。裁判の行方は・・・。

 というようなストーリーである。

 この主人公のような医師が本当にいるんか?というのが正直な感想だが、医師や看護師のなにげない会話等は著者が現役の医師であるだけに現実味を帯びている。

 この小説の中には弁護士も何人か登場する。

 こちらも本当にそんな弁護士いるんか?という場面もあり、ちょっとちょっと違うんじゃない、という部分もあって、それはそれで面白い(後日、時間のあるときにツボをまとめてみようと思っている)。

 それも小説だと思えば結構楽しめる。

 真面目なところでは、主人公が助教授の医療ミスを追求したために左遷され、麻酔科で送別会をしてもらったときの二次会(ゲイバー)での同僚と(時々ゲイバーのママも加わった)会話(232頁から236頁)が印象的。

 著作権に触れるといけないし面倒なので引用はしないけれど、このブログや私が休んでいる間にあちこちのブログで医師の方々がコメントされている内容を彷彿とさせる内容だ。

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 正義感の強い青年医師を主人公にして、日本の大学病院(あいかわらず「白い巨頭」的に表現されている)や医療体制の問題点を浮き彫りにし、それに立ち向かっていく主人公が挫折し、また立ち上がるというストーリー展開は、舞台は違うものの「司法占領」(鈴木仁志著、講談社発行)にどこか似ている。

 この小説のもう一つのテーマは、超高齢化社会に突入した日本の老人医療のあり方(「ピンピンポックリ」という言葉が頻繁に出てくる)。こちらはかなり衝撃的な内容だが、非現実的と言い切れないところが怖い。

 今抱えている医療過誤訴訟の準備書面の作成や、証拠保全・調査が一段落したら、もっと感想を書きたいと思う。

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小説「破裂」

 ゴールデンウィークは中間の平日も含めて半分は仕事をしていた。

 しかし、机の上に山積みになっていた書類をなんとか整理できたので、少し満足。

 休みの間に、読み始めた本に、「破裂」(久坂部羊著 幻冬舎発行)という小説がある。

         

 この本は、循環器科の医師の方のブログhttp://tomochans.exblog.jp/3940759

を見て、読む気になったもの。

 ちょうど循環器科の事件や相談が続いたため、参考になればと読み始めたのだが、これがなかなか大変な内容。作者は医師だから、医学用語も頻繁に出てくるし(但し、カッコ書の説明がついている。ちょっと不十分な気がするが・・・。)、理解しづらい箇所もあるものの、結構勉強にはなる。

 小説だから誇張もあるだろうが、それにしても衝撃的な内容だ。

 まだ読み始めたばかりなので、読み終わったら感想を書こうと思う。

                 Book_1 

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医学部の定員増大へ

.大学医学部の定員増容認へ(共同通信)

 「厚生労働、文部科学、総務の3省は19日までに、医師不足が深刻な都道府県の大学医学部の定員を暫定的に増やすことを認める「新医師確保総合対策」の原案をまとめた。一定期間地域にとどまることを条件とする奨学金の拡充など、実効性のある地域定着策の実施が条件で、離島・へき地の医師を養成する自治医大の定員(現行100人)も合わせて暫定的な増員を認める。」

 「一定期間地域にとどまることを条件とする奨学金の拡充」とあるが、奨学金はどこが負担するのであろうか。

 「実効性のある地域定着策の実施が条件」とは、具体的にはどのような策なのだろうか。

 このニュースだけではよく分からない点もあるが、医師不足はその地域の住民にとって大変不安なものである。医師が不足すれば医療過誤も生じやすくなる。

 医師不足解消のために医学部の定員を増やすことに誰も異議はあるまい。現場の医師も増員を望んでいるし、患者も増員を望んでいるのだから。本当は今のような事態になる前にもっと早く定員を増やせばよかったのに・・・。

 弁護士の養成にはまもなく国費がかからなくなるが(司法修習生の給与は貸与制になる)、医師の養成には国費がかかるから増やさなかったのだろうか。

 国のやることには不可解なことが多い。

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アンケート方式の鑑定もあるようです。

 現役裁判官のかけ出し裁判官Nonの裁判取説さんのブログの記事「鑑定をアンケートで」ではじめて知ったのだが、大阪地方裁判所ではアンケート方式による鑑定というのを実施しているようだ(初めての試み?)。

 定期健康診断の胸部レントゲン写真について精密検査の指示を要すべき異常陰影があるか否かについて、5名の鑑定人(医師)によるいわゆるアンケート方式による鑑定を実施したという。

最高裁HP:http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20060328134050.pdf

 カンファレンス方式と違ってアンケート方式だと忙しい医師に一堂に会して頂く必要はないわけだ。

 結果は、

 平成11年健診の胸部レントゲン写真については、5名の鑑定人(放射線科医)のうち、異常陰影の所見なしとしたものが3名、右肺尖部胸膜肥厚所見があり精査の指示を要すとしたものが1名、右肺尖部胸膜肥厚所見があり1年に1度経過観察をするよう指示すべきとしたものが1名だったという。

 これを、裁判所は、「少なくとも、肺がんを疑わせる異常陰影は認められない趣旨の鑑定結果と見ることができる」と認定している。

 平成12年健診の胸部レントゲン写真についての、5名の鑑定人(放射線科医)のアンケート結果は判決文でははっきりしないが、裁判所は本件アンケート鑑定の結果によれば「右肺尖部に異常陰影があるものと認めてこれに対する精密検査の指示をする必要があったと認めるのが相当である。」と認定している。

 この判決の当否は検討していないが、定期健康診断のレントゲン写真の読影について、このように医師の見解が分かれることに、ある意味怖ろしさを感じた。

 このようなアンケート鑑定については、今後どのように運用されるのか、また医師の見解が分かれるときに医療水準を考える上で裁判所がどのような評価をするのか、注目される。

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医療事故の公表

 群馬大学医学部付属病院のカテーテル事故についての続報

 群大病院医療ミス:過失や違法性の有無、焦点 手術ミス認め陳謝 /群馬

 病院側は、大野病院事件の影響からか、遺族、警察、マスコミなどに対して非常に慎重な対応をされているようだ。

 この事故は、医師が開胸手術の決断(苦しい決断だったと思うが)をしていれば避けられただろう。遺族にとっても医師にとっても非常に残念な事故だ。

 このニュースで気になったのは、

「■視点
 ◇遺族意向尊重し、公開の原則を
 群馬大学付属病院が医療ミスを公表したのは手術から約3週間、患者の死亡から約2週間後だった。公表の遅れについて、同病院は「遺族から承諾が得られなかった」ことを理由に挙げた。「遺族の承諾」というあいまいな規定が公表時期を左右するというわけだ。今回のケースは医療ミスの公表時期や方法のあり方に一石を投じたとも言えそうだ。
 同病院から各機関への連絡は適切に行われた。手術でミスが発覚した数日後、男性の死亡前に前橋署に経緯を細かく説明している。発覚後に設置した調査委員会は「社会的責務があると判断した」として、素早い連絡を促したという。
 同病院によると、全国の国立大学付属病院が医療ミスを起こした場合、統一の指針に従うという。手術に過失があれば、死亡に至らなくても公表の対象になるが「原則、家族から同意を得る」との規定があり、公表の際にも「内容について十分な説明をする」という。
 医療ミスは、その病院だけの問題ではない。他の病院への警鐘であり、国民に対しては当然の情報開示とも言える。公表の承諾が得られない医療ミスが永遠に埋もれ続ける事態は避けなければならない。公表の指針にあいまいな部分を残す限り、懸念はつきまとう。遺族の意向を最大限に尊重しつつも「原則公表」が望まれる。【伊澤拓也】7月1日朝刊 (毎日新聞) - 7月1日11時1分更新」

 というくだり。

 「遺族の承諾がなくても」、他の病院への警鐘や国民に対する情報開示のために、医療ミスは公表されなければならない、のか?

 患者によっては、病名を世間に知られたくない、という方もみえる。医療ミスがマスコミで公表されると、たとえ患者の実名が伏せられていても、病院名や病名、医療ミスの経緯が明らかにされれば、知り合いには分かってしまうということがある。

 今までに私が担当した事件では、患者や患者の遺族がマスコミへの公表を望まれたという事件は一件もなかった。むしろ、公表されたくない、という方がほとんどだった。

 弁護士が担当する医療過誤事件のうち、公表されるのはごく一部だと思う。

 ただ、公立病院の事故の場合、一定額以上の損害賠償が支払われるときには自治体の議会の承認が必要となることがあり、そこからマスコミに医療ミスの情報が知られるということはあった。

 以前、どこから情報が漏れたのか知らないが、ある医療過誤訴訟事件で訴訟上の和解をしたことがマスコミに知られ、新聞社などから頻繁に電話がかかってきたことがある。患者が公表は絶対いやだというので(無理からぬ事情があった)、全社に患者の気持ちを説明して記事にしないでほしいと頼んだ。ほとんどの記者が納得してくれ、記事にしないでくれた。

 ところが、1社だけ記事にした。私は、腹が立ってその記者に抗議をしたが、すでに公表された後であった。患者もそれ以上のことは望まなかったので、そのままで終わったが、今でも納得がいかない気持ちが残っている。

 「遺族の意向を最大限に尊重しつつも「原則公表」が望まれる」というが、遺族が絶対にマスコミには公表されたくない、とはっきり言ったとき、病院とマスコミはどうするのか。

 私は、一番の被害者である患者や患者の遺族の意向が優先されるべきだと思うのだが。

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どうして?群大病院のカテーテル事故

 ヤフーの医療過誤ニュースを見ていたら、こんな記事が。

  医療ミス:心臓手術ミス、男性死亡 大量出血で9日後--群大病院 /群馬
 

 この群大病院とは、先日、

 群大病院:「象牙の塔ではない」 報道関係者に院内見学会 /群馬(毎日新聞

 という新聞記事で院長が「日本の医療現場は欧米に比べ15~20%の人員で担われている。これでは医療事故はなくならない」と述べていた病院ではないか。 日本の医療現場は欧米に比べ15~20%の人員で担われている!!(私の記事参照)。 

 事故の詳細は分からないが、少なくともこれは人手不足のせいではないだろう。

 藤田弁護士のいう医療過誤の類型のA群なのか、B群なのか(医療事故学(2))。

 いずれにせよ、原因をよく分析して厳重な再発防止策を取ってもらいたいものだ。

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医師の方々のコメントについて

 このブログにたくさんの医療従事者の方々からコメントが寄せられている。

 しかし、私もかなり忙しくなってきている。全てのコメントを読み、全てのコメントにお答えするということは不可能だ。

 この問題に関しては、まずは

 医療事故学 (1) (2) (3) 藤田康幸弁護士 の論考

をぜひお読み頂きたい。

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日本の医療現場は欧米に比べ15~20%の人員で担われている!!

 愛媛県で看護師の点滴ミスがあったというニュースを見ていたら、

群大病院:「象牙の塔ではない」 報道関係者に院内見学会 /群馬(毎日新聞)

 というニュースが目についた。

※ 「象牙の塔」とは、学者などが研究熱心なあまり現実社会と疎遠となったときに使われる言葉。

ー群馬大医学部付属病院(前橋市)の森下院長は「日本の医療現場は欧米に比べ15~20%の人員で担われている。これでは医療事故はなくならない」と、実情を説明。「この厳しい状態を少しでも理解してもらいたい」と訴えた。ー

 このような訴えはもっと必要だ。それにしても、15~20%という数字はすごい。そんなに人手不足なのか。厚生労働省は、どうしてもっと医師の数を増やさないのか、外部の人間には理解しがたい。

 ただ、この群馬大医学部付属病院にはPETなどの最新鋭の医療機器が揃っているそうだ。ますます患者が殺到するだろうなと思った。

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クローズアップ現代を見た。

 きょうは仕事を早めに切り上げて耳鼻科の医院に行った。風邪を引いてからずっと鼻づまりが続いていたから、「もしや副鼻腔炎では?」と心配になったからだ。

 この医院には10年近くお世話になっている。私はのどや鼻が弱いので、たびたび診て頂いている。女性の先生だけあって待合いや診察室もこぎれいにされており、説明も丁寧だ。看護師さんたちの手際もよく、よく訓練されている感じである。

 予想どおり直ぐに顔のレントゲン撮影をされて「異常なし」と言われ、ほっとした。

 点鼻薬などをもらうために医院の直ぐ近くにある薬局に行った。薬局に入って驚いたのは、目の前に貼ってあった特大ポスターを見て。そのポスターは、インターネットによる患者の投稿で病院の評価付けをするというサイトを紹介するものだった(残念ながらサイトの名前までは控えなかったが)。

 こういうサイトの紹介を医院の直ぐ横にある薬局がしているというのには驚いた。開業医の方々は、患者の医療不信にとても敏感なのだと感じた。

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 帰ってからNHKのニュースを見ていたら、クローズアップ現代で医療事故の特集をやっていた。

 私は3月に放映された司法改革や法曹人口問題を取り上げたクローズアップ現代を見てから、この番組に対して不信感を抱いている。30分という短さから仕方がないかもしれないが、かなり一面的にしかテーマを取り上げていない気がする。もう少し掘り下げてほしいと感じた。

 司法改革を取り上げたときは日弁連の会長が出演していたのだが、今回は医師会の関係者ではなく女性のジャーナリスト?(記者?)の出演だった。この女性の解説は、ほとんどこのブログのコメントに投稿されている医師の方々の意見と同じであった。こういうことを、(一応第三者的な)女性ジャーナリストに話させるというのは非常にうまい戦略だ(司法改革の特集のときも、弁護士会の会長ではなく、こういう方に現場の弁護士が抱えている深刻な問題や訴えを解説して頂きたかったものだ)。

 番組の中では、患者側として、医師の逃散によって転院せざるをえなかった妊婦の患者、かつて医療過誤によって子供を失い今は病院内に勤務して患者側の立場に立ったアドバイスをするという仕事についている女性、が意見を述べられていた。お二人とも多少苦言は呈していたが、どちらも病院内におられるせいか、それほど厳しい意見ではなかった。

 しかし、普段、医療事故相談で、医療被害にあった(あるいはあったと思いこんでいる)患者側の相談をしている私からみれば、患者側の怒りはそんなもんじゃない。つい最近も、いきなり「刑事告訴したい」という相談者を、「よく調査してからにした方がいい」と諭したばかりだ。ただ、(具体的事例を出すことは守秘義務に反するので言えないが)、医療側にも、その方が刑事告訴したいと思うのも無理からぬほどの問題があった。

 司法改革のときは、クローアズアップ現代は弁護過疎を取り上げて、過疎地で自己破産などを弁護士に頼めない、あるいは都市部で着手金を払えないので弁護士を雇えず訴訟ができない、などと訴える一般市民のインタビューを放映した。

 しかし、都市部で余っている弁護士がインターネット上で「多重債務者の無料相談」「日本全国で自己破産を引き受けます」(自己破産の場合、弁護士が裁判所に出向かなければならないのは通常1、2回程度)などというホームページを公開していることについては全く触れられなかった。また、「弁護士は金がない者の弁護はしてくれないのか」などと厳しい口調で訴えられた方についても、弁護士仲間では「えっ。言われていることが本当なら弁護士にとっても十分報酬がもらえる事件じゃない。どうして引き受け手がないの。法律扶助だってあるじゃない。」と話し合っていた。しかし、出演されている日弁連会長も法律扶助制度について触れられた程度で、このような事実に対する言及はなかった。

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 患者側が(弁護士には怒りをぶちまけるのに)、実名でなかなか医療側に対し面と向かって批判的な意見を言えない理由の一つには、「恐怖」があるからだと思う。

 医療事故相談では、医師に対して怒りをぶちまける相談者であっても、「証拠保全をしたら、自分や家族が病気になったとき、その病院やその病院の関連病院では診てもらえないのじゃないか。あるいは変な扱いを受けないか。」などと真剣に心配される。私は、「病院や医師にも職業人としての良識があるのだから、まさかそんなことはされないでしょう。」とは答えるが、相談者の不安はなかなか消えるものではない。そこまで患者の「医療不信」は進んでいるのである。

 そして、患者が自ら身を守るために、冒頭で紹介したようなインターネット上の口コミによる病院評価のサイトが生まれ、安心できる病院OO選、日本の名医紹介などという本が売れるのである。

 医師も弁護士も、その仕事の公益性からすれば「自由競争」ばかりでは必ずひずみが出てくる職業だと思う。私には、今の司法改革も医療改革も、間違った方向に進んでいるようにしか思えない。その被害を受けるのは、一般市民である患者や依頼者である。

 医師も弁護士もプロフェッションとして市民に対する責任があることは同じだ。しかし、個人でできる努力には限界がある。被害が拡大しない前に、なんとか食い止めることはできないものだろうか。

               Cuaisai

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コメントについて

 2日ばかりパソコンと無縁な生活をしていたので、ブログも管理できなかった。

 2日ぶりにブログを開いてみてびっくり。

 やはり、他のブログのようにコメントやトラックバックには一定のルールを設けさせて頂くしかないかと思い始めた。今までは、ポルノ関係のトラックバックや記事の内容と関係のないコメントのみを削除していたのだが、私の記事を一部引用して誤解のあるままコメントされているもの(コメント作成者の方の医療被害者や患者側弁護士に対する偏見に基づくものが多い)が多いのに驚く。これをいちいち指摘して再コメントするのは本当に疲れる作業だ。

 私は、常々、人の意見を批判するのであれば、きちんと「記名」すべきだと思っている。これからは、あまりひどい(誹謗中傷的な)コメントと判断させて頂いたものについては、「記名」を求め、「記名」されないときは削除させて頂くことにする

 私がテーマ記事のコメントをまとめたことに医療関係者の方々が大変ご立腹されている。しかし、コメントを記事の方にまとめたのは、私の記事をリスト化してもコメントまでリスト化することができず、実際には読者は記事の方は読んでもコメントを一つ一つ開いて読まないだろうと思ったので、医療関係者の方々のご主張も記事の方にまとめたのである。

 今は、「コメントなどまとめなければよかった」と思っている。6番の内容に不服があるという方は、どういうふうにまとめればいいのか、具体的な提案をして頂きたい(あまり長くならずに分かりやすいようにー予防接種禍について書かれたコメントをまとめたものなので、できればそのコメントを書かれた方まとめて頂けないでしょうか)。もうそれができないなら、1~6全部のコメントのまとめを削除するつもりだ。

 本当はコメントの多くに大いに反論があり、また時間があれば反論も可能なのだが、当分忙しいのでそれは出来そうにもない。

 ただ、これだけは少し。

※ 医師会の委員会が提唱されている無過失補償制度の問題点については、いずれ記事にさせて頂くつもりであるが、前にも述べたようにしばらく時間を頂きたい。

 また、前提として上記委員会の提唱する無過失補償制度の具体的な内容を分かりやすく説明すべきだと思う(具体的な内容を特定しないまま議論していても仕方がない)。医療関係者の方々のコメントの中にはその具体的な説明をされたものは見当たらなかった。

 できれば、このブログにコメントを寄せられている医師の方で無過失補償制度の必要性を主張されている方に一般人にも分かりやすく医師会の提唱されている制度を具体的に説明して頂きたい。

 (私がそれをするとしたら、まだ相当先のことになりそうだ。)

※ 脳性麻痺の100%が医師の過失によるものではない、とまでは上記委員会も断定されていない(今、手元に原本はないのだが以前コメントで原文を引用させて頂いた)。即ち、上記委員会もたとえ僅かな%であっても脳性麻痺の児が生まれることに医師の過失が関与していることを認めているのである。

※ 私が、医師も弁護士も、患者や相談者、依頼者について文句を言ったりーたとえば、「自分たちはこんなにいろいろなものを犠牲にして働いているのだから、もっと感謝してもらってもいいはずだ」等

 自分たちの待遇問題などについて文句を言ってもーたとえば、「忙しすぎるからミスが出ても仕方がない」「こんなに忙しくて責任ばかり問われるなら、もうこんな仕事なんてやめる」等

 他の世界の方々には(特に医療過誤や弁護過誤の被害にあった方々には)「愚痴」としか聞こえないだろう、と言ったことが、そんなに怒られなければならないことだろうか。

 日本の医療の問題点にせよ、司法の問題点にせよ、きちんと現場から具体的な指摘がなされるべきであり、かつその改善の方策も指摘されるべきである。これは、単なる「愚痴」や「ぼやき」とは違う。

 私は、個人としては勤務医の方々の今の待遇には同情を感じるが、かといって被害者となった患者に「だから仕方がないと思って諦めなさい」などとは、患者側弁護士としてとても言うことはできないし、言うべきではないと思っている。本当の被害者なら救済すべきであることは、多くの医師の方々も認められるところであろう。「被害者」でない患者を救済すべきではないことは当然であり、結局は医師の「過失の有無」をどう公正に判断するかが問題だ。それにはご指摘のあったように鑑定の問題が大きい。

 「ひどい鑑定が多い」と言われるが、今は鑑定医として裁判所の名簿に掲載をして下さる医師はごく僅かである。結局、「ひどい」と言われる鑑定をされる医師のところに鑑定が集中することについて、それを非難されるのであれば、「しかるべき」鑑定(公正かつ中立で、医学的知見においても優れた鑑定)をなされるような鑑定医をもっと増やすことに努力されるべきではないのか。

 更に言うなら、そもそも訴訟をすべきでないような事案については、きちんと(公正、公平、中立の立場で)それを指摘する協力医も不足している。クレイマーによる濫訴を問題にされるのなら、患者側の事前の調査にも専門家の立場としてもっと協力すべきではないのだろうか。

 医療の現場におられる方々には、ご自身のためにも、患者のためにも、頑張って頂きたいと思う。ただ、私には、患者側弁護士としての仕事もあるし(金儲けのためにやっていると非難されたコメントがあったが、大半の事件で採算が取れていない。日本で患者側弁護士を専門でやっている弁護士が極めて少数なのはそのせいである。)、司法の現場から前記のような仕事(多くは無償の委員会活動)が山のようにあるので(このブログでも「愚痴」や「ぼやき」に留まらないように、問題点を指摘しできる限り改善策を提唱してしていきたいとは思っている)、このブログで医療問題についてまでいろいろな記事を書くことはできないと思う。

 (3時間待ち3分間診療の記事についても、病院側、厚生労働省側等の問題点について書くつもりだったのだが、ちょっと無理そうだ。)

 

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医療過誤のはなしーその5 証拠保全

 証拠保全とは、医療過誤の疑いがある場合に、患者側が証拠となるカルテなどの廃棄、紛失、隠匿、改ざんを予防するために、カルテなどを確保しておくための裁判上の手続である。 

 証拠保全の期日(検証期日)には、通常は病院でカルテなどのコピーを取らせてもらうのだが、この期日に裁判所が病院からカルテなどの原本を借りて、裁判所でコピーを取ることもある。これは、カルテなどがあまりに膨大で、とても数時間ではコピーを取りきれないという場合であることが多い。そういう場合は、病院も長々と裁判官や弁護士に居座られるよりも、カルテを貸すからそちらでコピーをしてちょうだい、ということもあって、裁判所が預かり証を出せば快く貸してくれることが多い。

 昨日は、そういう証拠保全で裁判所が借りた膨大なカルテや画像を、裁判所の準備手続室でチェックし、そのうちどれだけ謄写にまわすか、どの画像をデュープ(原本の画像と同じように専用の機械でコピーすること)するかを決める作業をした。

 患者の方の中には、証拠保全でカルテのコピーを直接入手できると誤解されている方もおられるようだが、そうではなくコピーは裁判所がするものであり、そのコピーを弁護士会の謄写室というところで再コピーしてもらって、ようやく患者側は再コピーを入手できるのである。

 実は、弁護士会の謄写室で再コピーしてもらうと、愛知県弁護士会の場合コピー代が1枚45円程度かかってしまうのである。これは謄写室の事務員の給与、コピー機などの経費がかかるので仕方がないのだが、患者側には相当の負担となる。

 また、画像のコピーも、デュープだと大きさにもよるが1,000円位かかることが多い。これをシャーカステンにのせて写真で撮るだけなら、3分の1以下の金額ですむ。

 それで、なるべく謄写やデュープにまわすカルテや画像を必要なものだけに抑えようと、昨日はその選択に3時間もかかってしまった。

 膨大なカルテや画像を全部謄写やデュープにまわしてしまえば代理人の弁護士としては楽なのだが、それでは患者の経済的な負担が大変なものになってしまう。必要最小限のものに限るというのは、結構苦労が多いのだ。

 昨日は、梅雨入り後のせいか、大変蒸し暑かった。裁判所は、冷房は28度が限度。これは暑がりの私にとって、相当きつかった。

 依頼者の希望で実費は20万円以内に抑えてほしいということなので、頑張ってみたのだが、どうだろうか。 

 弁護士は、結構こういうお金のことで気を遣わなければならない職業なのである。

               Calcu

 個人情報保護法の施行以来、証拠保全の依頼は減っている。個人情報保護法の適用を受けない医療機関でも、任意にカルテを開示してくれることが多くなった。

 個人情報保護法による開示は、患者にとって証拠保全よりも費用がかからない。弁護士としても、正直証拠保全は前記のような苦労もあり必ずしも採算のあう仕事とはいえない。コピーをしなければならない裁判所の書記官や事務官も大変である(カルテにはたくさんの検査票がぺたぺたと貼り付けてあり、これを1枚ずつめくってコピーする苦労は並大抵のものではない)。

 しかし、それでも証拠保全をしてほしいという方はみえる。やはり、個人情報保護法による開示では、カルテの隠匿、改ざんの可能性があると心配されるからである。

 また、個人情報保護法による開示では、必ずしも全てのカルテなどのコピーがきちんと交付されるとは限らない。故意ではないとは思うが、患者がコピーをもらってきたカルテ、検査記録、画像などの一部が抜けていることが少なからずある。

 証拠保全の場合であっても、検証期日に弁護士がカルテをチェックすると、あるべき検査記録や画像が抜けていて、その場で病院側に尋ねると、「探したらありました。」ということがあるのである。私が、実際に経験した例では、大病院で産科の証拠保全をしたところ、検証期日にカルテはきちんと用意されていたが、あるべきNST(分娩監視記録)が全くないということがあった。NSTは産科事案では最重要ともいえる証拠である。これが出していなかったのが故意であったか否かは不明だが、私が言わなければそのままだったろう。

 だから、素人の患者が、病院に個人情報保護法に基づきカルテなどのコピーを求めても、重要な一部が抜けているということもあり得るのである。

 個人情報保護法施行後も、やはりきちんと証拠保全をしておいた方がよい事案はあると思う。

               Birthflo06

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茨城県医師会が「医療問題中立処理委員会」

 「ブログ最先端医療」さんの記事(http://blogs.yahoo.co.jp/beretta_dt10trap

 「茨城県医師会」の記事

http://www.ibaraki.med.or.jp/?act=Movement&mode=Details&movement_no=102

いよいよ第三者機関なるものが出来たようだ。医師会は「金は出すけど口は出さない」そうだ。

 記事だけでは詳細はよく分からないが、ADRなので斡旋(?)には法的拘束力はないだろう。単なる苦情処理に終わらないようにして頂きたい。

 また、斡旋の過程や結果についてはきちんと公表して頂きたいものだ。

 ※ (医師と患者間の)「コミュニケーションの問題が根底にありそうな場合」に有効だと期待されているようだ。

 私は、今まさにそういう事件を、弁護士会のADRである「あっせん・仲裁センター」であっせんしてもらっている。しかし、医師は全く出頭しないし、代理人の弁護士は「謝る必要などない」の一点張り。コミュニケーションの事実関係についても双方の言い分が違っている。

 患者側(遺族)の感情はこじれるばかり。

 医師会のADRでなら、こういう事件の解決が本当に可能なのだろうか。

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気管内挿管の危険

 「医療って」さんから、とても貴重なコメントを頂いたので、記事の方でも少しずつ紹介させて頂きたい。

「挿管チューブの挿入時の誤挿入」と「挿入して病棟などで管理しているときに少しぬけてしまったので再挿入したときの誤挿入」は分けて考えたほうがいいと思います。

 挿管チューブ挿入時の誤挿入はそれほどめずらしいことだと思いません。それは気管と食道は隣り合わせにあり、チューブは気管のある声門を確認して挿入するわけですが、体型や疾患により声門が見えにくいことがあります。そうするとやはり誤挿入しやすくなりますし、特殊な器具を必要としたりします。管理人さんも機会があったら、挿管練習用の人形ののどをのぞいてみてください。」

 「挿管練習用の人形」というのがあるんですね。

 設例の食道挿管(または疑い)の事件では研修生が4回も気管内挿入を試みている。4回目の挿入が食道ではなく気管であったとしても、患者の立場としては、4回も入れ直されるのは嫌だ(麻酔で痛くはないにしろ食道に点状出血があった位だから)。

・・・・・実際の人間を使っての技能研修が必要だと叱られるかもしれないけれども・・・・・

 せめて2回までとして、3回目以降は指導医にやってもらうわけにはいかないのだろうか。

 挿管困難症用の「挿管練習用の人形」というものはないのか。

                Stethoscope2

 私が、とある大学病院の救急外来で注射をしてもらったときのこと。

 その後の処置自体は適切でとても感謝しているのだが、注射のとき、注射針が全然刺さらないのだ。左手は傷だらけ。痛いのなんの。

 そのうちに「右手ではダメですか?」と聞かれた。私は、とっさに注射針による神経損傷とかRSDとかが頭に浮かんできて(私は右手が利き腕)、「なんとか左手でお願いします。」と頼んでいた。

 私の血管が特殊だとは思えない。今行っている病院では、いつも左腕の血管に一発で刺さるし、痛くもないから。

 「注射練習用の人形」というものはないのか。

              Tyuusya

 患者としてこういう希望を持ってはダメですか?

 これは弁護士としてではなく、一患者としての希望なので、読みとばして下さい。

※ 医師の方々のコメントによれば、やっぱり人形じゃダメだそうです。患者も日本で治療を受ける以上は「ボランティア」と覚悟を決めなければならないようです。

 しかし、練習台はやっぱり怖い。

 動物で練習するのもダメなのかなぁ。動物愛護団体の方々にも怒られないでしょう。人間だってやっていることだから。・・・やっぱり人間でないとダメだということです。

 あるいは、嫌な人は治療費を余分に払うとかでは?その分、病院経営も助かるわけだし。・・・患者の平等を害するからダメだということです。

 やはり覚悟を決めて練習台になるしかなさそうです。

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事故は避けられなかったのか?

 しばらく記事を書くのは休もうと思っていたのだが、これだけはチョッと。

 食道挿管(あるいは疑い)の設例を思いついたのは、実はこんな記事を読んで、以前の事件を思い出したからだ。

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060524-00000072-mai-soci

 整形Aさんのお話では、「食道挿管」はしょっちゅうある、ということ。

 でも、当時の私には、医師の方が気管内チューブを気管ではなく食道の方に入れてしまう、ということは大変なショックだった。

  こういう事故は避けられないのだろうか?

  たとえば、私の設例(具体的なデータに不備はあるだろうが)では、どうしたら患者さんは低酸素脳症になったり死亡しないですんだのか?

 これは、ずっと気になっていたことだ。

 本来、医療過誤事件の結果は、医療過誤の再発予防のために使われるべきだと、医師の方々も言われる。

 データ不足はあるだろうが(ヤフーのニュースの方でもよろしいので)、ご意見を伺いたいと思う。 

 

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医師の方々への質問ー具体例

 私のコメントM.T. の質問を、より具体的に次のような設例に変更する。

 あなたは地方のA病院の勤務医です。

 あなたは、最近、B病院から転院してきた(3ケ月を経過したために、ほぼ強制的に転院させられた)脳梗塞で寝たきりの患者Xの担当医になりました。

 Xは、B病院で大腸癌の手術を受けた後(注 執刀には至っていない)に脳梗塞に陥ったということで(注 訂正)、ほとんど意識もありません。B病院の担当医は、Xの家族に「麻酔薬のアナフラキシーショックで急性肺水腫になったためであり、避けられなかった事故である」と説明していました。

 あなたは不審に思い、B病院からXの転院のときに一緒に持ち込まれた画像を見ました。その中に、手術中に撮影された胸部のレントゲン写真を発見しました。その画像の胃は不自然に膨らんでいました。

 直ぐに手術中の「食道挿管」に思い当たりました(注 訂正)。

 あなたはB病院でXの手術中のカルテも見せてもらいました(注 カルテ上からも食道挿管による低酸素性脳症であることは間違いないと判断できました)。担当した麻酔医はあなたの大学の先輩でした。挿管は研修医にやらせたところ手こずって3度目に成功したものでした。

 パルスオキシメーターは装着されていましたがカプノグラフィーは装着されていませんでした。

 低酸素状態が心拍数、血圧の低下に先行しており、レントゲンで食道挿管に気づいた後に麻酔医が再挿管してからは自発呼吸も出現し一旦は酸素飽和度も回復していました。

 あなたは、Xの家族に真実を話しますか?

 以上の設例について、お答え下さい。

※ 私が実際に担当した事件を参考にしました。示談交渉の際に病院側の代理人となった弁護士があくまでアナフラキシィーショックを主張したため訴訟を準備していたところ、直前に相手方代理人から示談の申し入れがあり終了した事件です。実際の事件では患者は死亡しています。

※ 整形A さん、ご配慮ありがとうございます。しかし、私は怒るとエネルギーが出るタイプです。ブログをちょっと休ませてもらおうと思っているのは、本当に作成しなければならない書面が溜まっているからです。

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勤務医の忙しい理由ー3時間待ち3分診療の原因<患者側の要素>

中野氏が掲げる「3時間待ち3分診療」の原因は、

「・社会的要素

 ・文部科学省・厚生労働省の要素

 ・病院・医師・看護婦(現在は看護師)の要素

 ・患者の要素 」

 に分けられる(「誤診列島」集英社文庫 114,115頁)。

 今日は、このうち、「患者の要素」から紹介する。

中野氏は、

「1 低診療費または無料であることから、薬剤乱用が多い

2 ビタミン剤、睡眠剤、精神安定剤、抗生物質、点滴などの薬依存の患者数の増加

3 コンプライアンス(※)の欠如。医師不信による病院のかけもち

4 医師の診察結果の無視。薬を欲しがりすぎる

5 自己健康管理の欠如。医学知識の欠如。既往症や家族歴、薬歴などの無知。

6 病気の予防に対する心がまえの欠如。喫煙者が多い、暴飲暴食をする、運動不足 」

※ 医師による服薬指示に関して、それをよく守ること(服薬遵守)

を掲げる(同書114頁)。

 私も一患者として、非常に耳の痛いご指摘である。私の場合、特に2のビタミン剤などを欲しがる、3の服薬遵守、6の暴飲暴食、運動不足、が痛い。

 こういうことが、お医者さんたちを忙しくさせているわけだ。

 開業医や病院経営者にとっては患者が多いことは喜ばしいことなのだろうが、勤務医の方々には大変な負担となる。

 中野氏は、「難病をはじめ、特別な手術や検査を必要とする患者さんだけを治療する」特殊機能病院に、「風邪をひいた、あるいは単に頭痛がする、この頃食欲がない、腰が痛いといった人たちまでがやってくる。」「そのうえ、一度診察してもらえば、診察券をもらえますから、患者さんたちは何の病気でもやって来る。特にお年寄りが多くなれば、当然、病院に行く回数も増えますから、待合室は次第にサロン化してきます。」(同書113頁)

 「ニッポンのお年寄りの患者さんの診察料は、比較的低額ですみます。薬も少しお金を出せばもらえますから、病気の待合室を、社交クラブのようにして集まっている人がいることも、事実ではないでしょうか。」「・・・・そうした患者さんたちは、結果としては、本当に悪い病気で訪れている患者さんを3時間も待たせることになっていることを、自覚すべきだと思います。」(同書119頁) と述べられる。

 これは、患者には大変耳の痛い話である。

 私が行く病院でも、待合室には高齢者の方々がたくさんみえて仲良さそうに談笑されている。それはそれでほほえましい光景なのだが、その反面重症な患者さんを泣かせているかもしれないのである。

 アメリカではホームドクター(開業医)制度がしっかりしていて、地方の開業医に対する研修制度も充実しており、開業医は大病院の臨床医に負けない知識や能力を持っているそうである。このため、開業医は非常に尊敬され信頼されており、患者はまず開業医のところに行くので、日本のように大病院が混雑することはないそうである(同書102頁~、151頁~参照)。

 確かにアメリカの診察料や薬代は高い。「アメリカ人は金銭感覚も優れていますから、これだけ払うのだから、その分だけのことはしてもらう権利があるということもあって、患者さんから医師への質問もよく飛び出すわけです。そこで、インフォームド・コンセントがしやすい状況になっているのです。」(同書118頁)ということだ。

 (これは、アメリカ人と日本人の国民性の違いとしてよく理解できる。アメリカ人の法律相談などではまさにこういう感じだから。)

 診察料が安くて気軽に病院に行って3時間待ち3分診療を受ける方がいいのか、診察料は高いけれどもじっくり問診やインフォームド・コンセントを受けられる方がいいのか。

 患者の立場としても、考えてみる必要があるだろう。

※ befu さんのコメントに

ー 確かにそういう面があるでしょうね...ただ、別の角度からこの事象をみると「それだけ患者さんを診ないと開業医の先生は食いつないでいけない」ような制度でもあるかも知れませんね...ー

 とあるが、開業医の先生方がそうなるのは分かる(私も個人経営者なので)。

 しかし、勤務医の先生方は、大病院に来る必要のないごく軽症の患者さんに近所の開業医へ行くように勧めることはできないのだろうか。それとも、いくら勧めても患者はやってくるのだろうか。

 難しい治療の必要がなく、経過観察程度のことですむのなら、患者も近くの開業医でじっくり話を聞いてもらった方が(時には世間話などもして)いいように思うのだが。

 やはり、病院経営の問題は、勤務医の先生方の肩にものしかかっているのだろうか。

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勤務医が多忙になる理由

 勤務医の方々から「忙しすぎる」「限界だ」というコメント(卒後12年勤務医さんら) をたくさん頂いた。

 大病院の勤務医がどうしてそんなに忙しいのか。これは外来患者が多すぎるということの裏返しでもある。「3時間待ち3分診療」の原因でもある。

 この問題については、右の「本の紹介」欄で紹介している「誤診列島」(中野次郎著 集英社文庫)で中野氏が明解に分析されている(同書111頁以下)。

 この本は日本の医療の現実にメスを入れるものであり相当辛辣である。医師の方が読むと腹立たしいかもしれない。しかし、日本の医療の問題点を鋭く分析し、かつ一般人にも非常に読みやすい本なので、多くの方にお読み頂きたいと思う。

 この中野氏は、アメリカのオクラホマ大学で医学部教授をされ、その後ハワイで循環器内科の開業医をされていたという経験を持つ方である。

 しかし、中野氏はアメリカの医療をパーフェクトとするアメリカ至上主義者ではない。アメリカの医療の良い点も悪い点も知りつつ、アメリカで長年臨床医として活躍されてきた経験をもとに、日本の医療を批判されている。

 これから少しずつこの本の内容を紹介するつもりだ。

 ただ、今日は、ちょっと難しい内容の医療過誤事件の報告書を作成したり、月曜日で電話の対応に追われたりして、かなり疲れた。

 中野氏が分析する、日本の大病院の「3時間待ち3分診療」の原因については、明日から少しずつ紹介しようと思う。

              Xxx_2

 

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患者と医療の深い溝

 週末にかけて、私の医療過誤に関する記事について、医師の方々から、いくつかコメントを頂いた。

 医師の方々(特に勤務医の先生方)のおかれている厳しい状況には、考えさせられるものがある。

 私自身も実は「患者」である。たいした病気ではなく、体質のようなものだが、偶然他の症状で病院で診てもらったときに検査を受けて発見された。それ以降、定期的に血液検査などを受け、薬も飲んでいる(治療を受ける前と後とあまり変化がなく、実のところ「発見されなければ、かえって気が楽だったか」などと不埒なことを考えている位なのだが)。

 2ケ月に1度とか、半年に1度とか、検査に通っていて(大病院)いつも思うのは、待合が非常に混んでいて大変ということだ。科によっては「3時間待ち3分診療」どころではない。患者も大変だが、勤務医の先生方も、午前の外来が長引いて、昼食も満足に取れないだろう。

 本当に、こんなことは、早く改善されなければならない。

 環境が整備されないと、通常起こりえないような医療ミスも起こってしまう。

 ただ、不幸にして医療ミスが起きたとき、医師が環境のせいにしても患者は絶対に納得しない(これは弁護士も同じことで、忙しかったからでは理由にならない)。

 個々の医師が匿名で訴えるのではなく、もっと連携して組織的に訴えられないのだろうか。

 こういうことは、どうやら医師も弁護士も同じように困難なようだ。しかし、医師の世界の方が、封建的なところで、より困難なようだ。

 弁護士が困難なのは「忙しい。金にならないことをやっていては食べていけない。」という困難さなのだが、医師の場合「忙しい。」だけではなく「逆らっては医師を続けていけない。」という困難さのようだ。

 こういうところは、本当にお気の毒だ(医師のブログは、弁護士のものよりはるかに多く、最近では医師のブログだけを集めたサイトもある。しかし、そのブログのほとんどが「匿名」だ。これに対して、弁護士のブログは営業をかねたものも多く、記名の方が多い。こんなところからも、医師の方々のおかれた状況が垣間見られる)。

 しかし、そのために切り捨てられる患者はもっと気の毒だ。

 これについては、卒後12年勤務医 さんのコメントと私M.T. のコメントも、それに弁護士が暗い気持になる日のbefuさんと私のコメントも読んで頂きたい。

 こういう問題を一番考えて頂きたいのは、政治家の方たちだ。

 しかし、司法改革も医療改革も、現場からの意見を聞くことなく、全く方向違いのところに進んでいる。

 本当におかしくないですか?日本の司法と医療の改革の方向性は。

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「医療って」さんのコメントに対する回答ー続・続

医療って 」さんのコメントに対する回答の続き

<③ 妥当な指摘をしやすくするシステムを作ればよいのではないでしょうか。
  患者さん側に立ってくれる鑑定医・医師側の鑑定医、弁護士のディベートの結果裁判官の判定でなく、双方の鑑定医を複数の現役の医師がすることで一本化することがどうして問題なのでしょうか。結果は公表することで不当な判定がでないようにすればいいと思います。医療に素人の弁護士のディベートで決まってしまうことのほうが矛盾が多いと思います。>

  「双方の鑑定医を複数の現役の医師がすることで一本化する」と言われますが、その人選は誰がどのような基準で行うのでしょうか。また複数の医師で意見が分かれたときには、多数決で決めるのでしょうか。

 現在も、画像診断などでは複数の放射線科医師が集まって比較的短期間に画像の鑑定をする鑑定システムを取り入れている裁判所もあります。もちろん、鑑定ですので、複数の鑑定医の意見を聞いた上で、最終的には裁判官が判断することになります。

 私は、今の現状では、医師だけで(あるいは医師が中心になって)結論を出すということには大反対です。医師は法的思考に対しては素人です。不法行為における「過失」「因果関係」の判断を医師がするのは無理だと思います。裁判員制度で市民が参加するときに法的判断が難しい(模擬裁判で裁判員の体験をした新聞記者の記事裁判員制度:市民と裁判官が審議/上 証拠「だけ」で事実判断 /青森裁判員制度:市民と裁判官が審議/下 事実認定、戸惑いと悩み /青森参照)のと同じです。
 たとえば、医療水準の判断を具体的にどうするかになったときに、今の医療界の現状では、レベルの低い「医療慣行」が基準になりかねない危険があると思います。「赤信号皆で渡れば怖くない」というような悪しき慣行が医療水準とみなされ過失の認定基準とされてしまったら、患者側としてはたまったものではありません。
 
 「結果は公表することで不当な判定がでないようにすればいいと思います」これはそのとおりです。しかし、鑑定が公表されることになっても、「鑑定医となってもいい」という現役の医師が本当にたくさんおられるのでしょうか。
 医療事故情報センターでは医療過誤裁判の鑑定書を集めた鑑定書集を発行してます。今も、鑑定人の承諾があればこのように鑑定書も公表されています。しかし、鑑定人になる医師が少ない上に、必ずしも全ての鑑定人が公表に同意しているわけではありません。

 現実の医療過誤の裁判は「医療に素人の弁護士のディベートで決まってしまう」ようなものではありません。日本の裁判官は、証拠主義であり、弁護士のディベートなどで判定してはいません(私などは、被告側代理人のやる気のない対応を見ていると、ディベートの要素を取り入れてもらってもいいかと思う位です)。アメリカの映画やドラマとは違います。

< 読売新聞の最近の記事にもありましたが、患者さん全体の最大限の利益を考えると、現行の司法システムが妥当だとは思えません。>

 私も現在の医療過誤の示談、裁判のシステムを全てよしとするものではなく、改善されるべきことがたくさんあると思っています。
 しかし、医療界の閉鎖性、密室性、封建制が変わらない限りは、そして市民がもっと医療界を信頼できるようにならない限りは(これはマスコミ報道のせいばかりではありません。)、医師主導型の公平、公正なシステムは期待できないと思っています。

<医療側がもっと厳しい内部浄化システムと生涯教育の場を作るべきだと思います。ただ医師免許、専門医更新システムにしても現在の勤務システムのように勤務医が寝る暇もないほど働いている現状では難しいと思います。やはり現状の医療従事者の異常な勤務形態を当然とする社会の意識も変えなくては医療水準は上がりません。一筋縄にいく問題ではないのです。>

 これは大賛成です。私は、医師にはもっと良い環境で働いてもらいたいと思っています。何しろ自分たちの命がかかっているのですから。社会も「現状の医療従事者の異常な勤務形態を当然」となど思っていません。むしろ、一般市民は、医師の過酷な状況をあまり知らないのではないでしょうか。

 これは弁護士も同じで、「弁護士は儲かっている、弁護士のところに行くと大金を取られる、弁護士を増やせば社会がよくなる」等と単純に思い込んでいる人が少なくないのと同じです。

 私は、医師の方々は、司法システム問題を訴える前に、まず研修医や勤務医の待遇改善、医師の養成システム、封建的な医局制度の改革などに取り組まれるべきだと考えています。

(余談ですが、知人の弁護士は、とあるクラブのママから「弁護士会の会長選は、お医者さんの選挙に比べると、本当に大人しいものだわ。」と聞いたそうです。)

 司法システムに対する抗議行動は、皆の目を外に向けるものだから、医師も組織的に動きやすいのでしょう。しかし、上記のような改革に組織的に取り組むことが難しいことはよく理解できます(弁護士会も同様の問題があるので)。これらの改革は、司法改革よりもはるかに難しそうです。

 しかし、これらの改革をして頂かないことには、患者側が鑑定人となる医師を無条件に信頼するということは期待できず、医師主導型の第三者機関による判定を受け入れることはまず無理だと思います。

 私は、今の状態で、医師会側の提唱している第三者機関の制度を導入することは非常に危険があると考えています。特に最近「医療に伴い発生する障害補償制度検討委員会」というところから発表された答申書「医療に伴い発生する障害補償制度の創設」は、一旦患者側に給付された補償金を患者側が医療側に裁判を起こすと取り上げるなど、事実上患者側の「裁判を受ける権利」を奪いかねない危険もあり、大反対です。これについては東京の患者側弁護士の研究会が検討中だそうですので、その結果を待ちたいと思います。
 
 <多分、私が目にする医療過誤・事故記事は医師側にとって疑問の多いもの(全く至極当然な記事はあまり目に触れないと思います)で、管理人さんの扱われるものとは母集団が異なると思います。
 もしかしたら、管理人さんの提案のように体験してみるのがいいのかもしれません。また管理人さんも医師体験(あるブログで知りましたが衆議院議員の方されていました。)されてみるといいかもしれません。>

 
 新聞記事などは、事実関係をかなり簡略化(時には歪曲化)して書いていますので、記事だけをもとに何らかの判断をすることは無理だと思います。それに、記事になっている医療過誤事件は本当に氷山の一角です。大体、どういう選択基準で記事にしているのかさえよく分かりません。私も新聞などの報道機関から事件についての取材を受けたことがありますが、まず依頼者は「報道してもらいたくない」と言われますので、取材に応じたことはありません。
 
 なお、私は医師の体験をすることはできませんが、研究会の症例検討会(医師も参加)にはできる限り参加しています。また、協力医の方々から、現場のいろいろな話をお聞きしています。研究会では、(協力して下さる)病院見学なども企画されています(こちらは遠方なのでなかなか参加できませんが)。
 
 まず、現在、医療事故の示談や裁判が実際にどう行われているかを知ってからでないと、その問題点を明らかにすることはできないと思います。
 「改革」を考えるのなら、今の制度をまず理解されることから始めてもらいたいと思います。

 「医療って」さんには、失礼ながら多くの誤解があるように感じます。

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「医療って」さんのコメントに対する回答ー続き

医療って 」さんからのコメントに対する回答の続きです。

<今の裁判ではたまたま当たってしまった運の悪い医師が刑事告訴されたり、民事で多額の賠償金を払わされていることが少なくありません。そのような目にあわないために今「逃散」と呼ばれる、訴訟リスクの高い科からの医師がいなくなっています。>
 
 医師の「刑事告訴」については私は経験したことがありません。大野病院事件の医師よりもはるかに悪質と思われる医療ミス(たとえば美容外科分野ではひどいケースがあります)をした医師であっても告訴されないことの方が多いと思います。大野病院のケースは極めて特殊なものであり、この事件をすべて前提にして医療過誤問題を考えるべきではありません。

 そして、「民事で多額の賠償金を払わされる」といっても、それは大抵の場合保険会社が払っています。そして、保険会社における審査(医師も参加している)は極めて不透明です。患者側には「無責」という結果しか知らされないことが多く、その結果に至った理由について教えてもらえないことが多いのです。

 訴訟リスクの高い科(おそらく麻酔科、産婦人科などでしょう)から医師が「逃散」している、という現実は非常に嘆かわしいことです。

 麻酔科についていえば、もともと人数が少ないことが医療ミスを誘発しているということもあります。麻酔科医が多くの手術をかけもちしなければならなかったり、麻酔科医の立会いのないまま手術が行われることが、医療ミスの間接的な要因となっていることも少なくありません。

 産婦人科については、今「集約化」が言われていますが、地方は別として、都会ではもっと集約化が進んでもいいと思います。産婦人科医が一人しかいない個人の開業医が無理をして事故が起こることが多いと感じます。高齢初産などのハイリスク妊娠が増え、また、少子化などにより、個人の産婦人科医院の開業はますます困難になり、かつ危険が伴うものとなるでしょう。

 地方の産婦人科医師が少ないことについては、難しい問題だと思います。里帰り出産などで事故にあわれた被害者の相談も多いのです。今の現状では、私は妊婦の方には産婦人科医の少ない(いない)場所でのお産は勧められません。特に何らかのリスクのあるお産の場合は、都会でなさった方が無難でしょう。
 この分野では、もっと行政、病院、大学が連携して改善がはかられるべきと思っています。

 地方の自治体が多額の報酬(5千万だったか6千万だったか)を出すと言っているのに産婦人科医が来ないというニュースがありましたが、これは弁護士からみれば羨ましい限りです。なにしろ、弁護士が過疎地に行っても自治体はそんな多額の援助はしてくれません。事務所の開業資金などの大半を弁護士会が自前で(弁護士が収める会費から)負担しているのです。それでも日弁連は、過疎地に弁護士を派遣しています。

 「訴訟リスクの高い科」からの医師の逃散といわれますが、もともとこれらの科は「3K」と言われて希望する医師が少なかったと思います。

 しかるべき環境のもとで医師が誠実に医療行為にあたっていれば、重大な医療ミスというのはそれほど多発するものではないと思います。それでも人間ですから「ミス」があるのは仕方がないことです。これはどんな職業でも同じです。私もミスをしない自信はありませんので、弁護士賠償責任保険に入っています。ミスをしたときはこの保険を直ちに使うつもりです。
 
 <医療従事者の関係者が医療事故・過誤にあったとき厳しい、とのことですがそれは当然だと思います。私は福島の件でも患者さんの家族の怒りは当然だと思うし、その行動は批判できないと思っています。
 感情的であっても、患者さん・家族は自分の主張をされるべきだと思います。ただ、司法(特に検察・裁判官)や社会がそれに同調したらどうなるか。今回の福島の件の社会的な影響はご存知でしょう。結局萎縮医療になって患者さん全体の利益にならないと思います。>

 これは言葉が足りませんでした。
 医療従事者の方が被害者側に立ったとき、もちろん感情は入るでしょう。ただ、私たち患者側弁護士もそれを鵜呑みにしているわけではありません。専門的なアドバイスを受けたときでも、無条件に受け入れているわけではありません。
 言いたかったのは、被害者側に立ったときは、ご自身の専門的知識を率直に開示し、治療行為の問題点を鋭く指摘されるということです。
 つまり、協力医と同様のことをして下さるということです。
 他人が被害者になった場合はできないことでも、ご自身の身内が被害者になった場合はできるということです。
 福島の件や萎縮医療については、前記のとおりです。

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医療水準論-その2

医療って 」さんから、またコメントを頂いた。コメントにコメントで回答すると、非常に分かりにくいので、記事の方で回答させて頂く。
 まず、医療水準に関するコメントについて、

① 診療当時の臨床医学の実践における医療水準は何をもって妥当な医療水準とするのでしょうか。
 あからさまに言えば、都会の大病院と僻地で医師一人で行う医療は当然違います。それは医師個人の資質よりも設備・マンパワーの違いが大きいと思います。

 
 これは当然です。裁判所も開業医と大学病院の医療水準を同一としていません。これは「医療って」さんからのコメントに対して(1)ー医療水準論           の記事の医療水準の2で明らかです。

 また例えば海外では標準的で有効とわかっていても保険適応が通っていないものはどうするべきだとお考えでしょうか。現実的には病院の持ち出しで行っていることも多いですがそれも限界があります。そして最先端の花形医療(以外地味なだけど大切なことはなかなか変えてもらえません。

 海外の標準的な医療行為が、日本では「臨床医学の実践」となっていない場合、それは日本の医療水準とはなりません。
 海外で多くの実践の結果有効と判明しているのに日本では保険適応とされていない治療行為や認可の通っていない薬があることは存じていますが、それは行政の問題です。これは、医師と患者側が本来一体となって行政に訴えていかなければならない問題だと思います。、

 結局は妥当な医療水準とは、標準的な医師が行っている医療なのではないのでしょうか。
アフリカの医療とアメリカの最先端医療は違います。その国・地域がどのくらい医療にお金をかけているかで変わるし、それが一般的に慣行されている医療だと思います。だから私は一介の医師であり最高裁の判断にけちをつけることはできませんが、3はあまり納得できません。

 アフリカやアメリカの医療が「日本の臨床医学の実践」の参考にならないことは前記のとおりです。
 「標準的な医師が行っている医療」が、医療水準の2の「当該医師の専門分野、所属医療機関の性格、地域の医療環境等の諸般の事情を考慮」した上での標準的な医療行為であれば、それはまさに最高裁のいう医療水準です。
 「医療慣行」というのは、これとは違います。レベルの低い医療行為であっても「医療慣行」となりかねません。「金がないから、人が足りないから、設備がないから」というのは理由にならないと思います。他に患者の引き受け手のない僻地医療や救急医療は別として(「僻地」や「救急」であることは医療水準で考慮されます)、自分の病院で上記理由のために適切な医療行為ができないのであれば、他の病院に直ちに転院させるべきです。
 もっとも、物的人的設備が不十分で医療ミスが起きた場合、病院の経営問題が絡んできますので、個々の医師(勤務医師)の方を責めても仕方がないことがあります。民事訴訟では、被告を病院の経営主体に限ることが通常です。

 医療水準を決めるためには学会も日本としてのガイドラインを決めなくてはいけません。ただ大事なことは患者さんへの不要な侵襲、医療経済を考えれば100%問題ないガイドラインなんて作れないし、それを批判していたら医療は成り立ちません。そして医療の中にはガイドラインで規定できないこともたくさんあります。
  
 確かに、日本の医療行為のスタンダードが何なのか、標準的な医学書や教科書でも書いてあることが違いますし、医師ごとに主張が違っていて、私たちも困ることが多いのです。アメリカの学会ではいろいろなガイドラインを定めていて、これが訴訟の場で出てくることも多くなりました。日本でガイドラインを策定することが難しいのはよく理解できます。
 「医療の中にはガイドラインで規定できないこともたくさんあります。」は確かにそのとおりです。どこまでが医師の裁量で許される行為なのかが問題となりますが、この裁量行為も無制限ではないはずです。

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「医療って」さんからのコメントに対して(1)ー医療水準論

 「医療って 」さん(医師の方)から頂いたコメントについて、私の意見を少しずつ書かせて頂こうと思う。

ー後医は名医という、言い方があります。つまり後で診た医師のほうが的確な判断ができるのは当たり前なのです。ー

 これは「レトロスペクティブ」と「プロスペクティブ」のことを指しておられるのだと思う。

 「レトロスペクティブ」(事後的、回顧的)な判断と、「プロスペクティブ」(前向き、将来的)な判断とは異なる、診療の現場ではレトロスペクティブに可能であることと、プロスペクティブに可能なこととは異なる、というふうに医療従事者の方々は言われる。

 医療ってさんの掲げる、風邪と肺炎の例などは、このことを言われるのだと思う。

 この点に関して、医師の注意義務違反を最高裁判所がどのように判断しているかを、少し説明する。

1 医師の注意義務の基準となるべきものは一般的には診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である。

2 臨床医学の実践における医療水準は、全国一律に絶対的な基準として考えるべきものではなく、診療に当たった当該医師の専門分野、所属医療機関の性格、地域の医療環境等の諸般の事情を考慮して決せられるべきものである

3 医療水準は、医師の注意義務の基準(規範)となるものであるから、平均的医師が現に行っている医療慣行とは必ずしも一致するものではなく、医師が医療慣行に従った医療行為を行ったからといって、医療水準に従った注意義務を尽くしたと直ちにいうことはできない。

(最高裁昭和57年3月30日、昭和63年1月19日、平成7年6月9日、平成8年1月23日判決等)。

 私は、この最高裁判所の基準は、世間の常識からも納得できるものだと思う。

 注意義務違反の有無の判断自体は医療過誤が生じてからになるのでレトロスペクティブにならざるをえないが、「診療当時の臨床医学の実践における医療水準」に従って何をすべきだったかを問題とするのであるからプロスペクティブな視点も取り入れていると思う。

 この医療水準論は、具体的な事件に対する適用の場面では争われることもあるが、総論として実務においては既に定着している。

 医師の方々は、この最高裁の医療水準論に不服なのだろうか。

 「専門知識を持った正しい判断を持った複数の医師が判定する第三者機関」は、この医療水準論を採用せず、独自の基準を使われるのだろうか。注意義務違反の判断が医療慣行重視に流れないだろうか。

 医師の方々は、しきりに「第三者機関が必要」と主張されているが、私は裁判所も第三者機関としてそれほど馬鹿にしたものではないと信頼している(たとえ今、患者側の勝訴率が4割にみたなくても)。

 問題は、公平な裁判に協力しようとしない(公正な判断をする鑑定人になりたがらない、患者側から客観的な意見を求められても応じない、後医となったときに前医の治療行為に問題を感じていてもそれを指摘しない等)医療側にあると思う。

 「医療って」さんも、一度、医療過誤裁判に実際に関わってみられたらどうだろうか。名前を出さない協力医でもいい(裁判になった場合、通常、患者側弁護士はその結果についても協力医に報告している)。紛争になるような医療過誤事件とはどういうものか(単にグレーゾーンについての医師と患者側の見解の相違や誤解等によるだけのものなのか)、被害にあった患者がいかに困難な立場に置かれるか、等がよく分かるだろう。

 (私は、被害者の親族に医療従事者がいる事件を何件か経験している。被害者側に立ったときの医療従事者の方々の医療に対する厳しさには驚かされたものだ。)

 そして、医師の方々も、私たち患者側弁護士が行っている医療事故相談に、一度立ち会ってみられるといい。患者の医療不信の生の声を聞くことができるから。そして、「グレーゾーン」どころではない医療ミスとはどういうものかが分かると思うから。

 できないという医師の方々には、せめて「誤診列島」(中野次郎著)(右の本の紹介にある)を読んで頂きたい。

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 今週は、医療過誤事件の仕事が立て込んで、ちょっとストレスが溜まっている。文章が厳しくなったかもしれないが、お許し頂きたい。

 なお、あまり抽象論ばかり書いても実感されないと思うので、これからは私が担当した事件についても(守秘義務に反しない程度で)少しずつ書いていくつもりである。         

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医療過誤のはなしーその4 後医の重要性

 「後医」(こうい)とは、医療過誤にあった患者に対してその後に治療行為を行う医師のことである。

 医療過誤の被害者の多くが、被害を受けた後に他の病院で治療を受けている。被害者には治療を受け続ける必要性があるからだ。

 医療過誤を受けた先の病院で次の医師を紹介してもらうということは期待できないから、患者が自分で次の医師を捜さなければならないことが多い。

 現実にはこの後医になることをあからさまに嫌がる医師が多い。他人の後始末は嫌というのが本音だろう。前の医師の治療が不適切だったため、その後の治療が難しくなっているということもある。また、患者も医療不信に陥っており、信頼を得るのが難しいということもあるのだろう。

 しかし、患者にとって、「後医」はその後の治療にどうしても必要な存在なのだ。

 医療過誤の相談では、医療過誤の被害にあった患者が次の医師に診て欲しいと頼むと「前の医師にやってもらえ」と断られた、という相談が多い。これは医師としてあまりに不誠実である。患者は前の医師が信頼できないからこそ、新たに治療を依頼しているのに。

 また、後医は、医療過誤の立証においても、非常に重要な立場に立つ。後医は、患者の治療にあたることで、前医の行った治療行為を直接知ることになることが多い(例えば再手術をすれば前の手術の内容を直接知ることになる)。このため、医療過誤の立証において重要な証人となる。患者にとって一番ありがたいのは、後医が前医の治療行為の問題点をはっきりと指摘した書面を作成してくれることだ。

 しかし、これをやってくれる後医はごく僅かである。「かかわりたくない」「前医に恨まれたくない」あるいは「医局と敵対することは避けたい」等というのが本音だろう。

 私は、こういうことが、医療界の閉鎖性を端的に示すものとして社会に不信感を与えているのだと思う。

 私の経験では、一番事情を知る後医が非常に明解な意見書を作成して下さったことで早期に示談による解決ができたケース、訴訟提起後に後医が当方の質問に対して詳細な回答書を作成して下さったことで早期に和解による解決ができたケースもあった。但し、このようなケースはごく少数である。こういう後医には本当に尊敬の念を感じる。

 しかし、明らかに前医にミスがあると思っていても、それを患者には黙っているという医師が多すぎる。

 これは、医師の職業倫理や人間としての良心の問題でもあると思う。

 こういうことが改められない限り、今の医療不信の風潮は改善されないだろう。医療界の方々には考えて頂きたいものである。

                Kyuukyuusya          

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医療過誤のはなしーその3 裁判は早ければいいのか?

 刑事弁護の記事の合間に最高裁が医療裁判の統計データを発表という記事を書いたのだが、ご覧頂けただろうか。 結構重要なデータなのだが。

 医療裁判の審理期間が過去最高に短かったこと(26.8ケ月)について、最高裁は「医療訴訟に精通した弁護士が増えているうえ、鑑定人を選ぶ際に医師らの協力を得られやすくなった結果ではないか」と分析している、とのことであるが、本当だろうか。

 審理期間が短くなったのに比例して、認容率(原告ー患者側ーの勝訴率)の方が低下しているのが気になる。迅速化を優先することが、ただでさえ立証が難しい患者側に厳しい結果を招いているのではないだろうか。

 医療裁判の審理期間が短くなっている理由は、前記最高裁の分析とは異なり、私は「裁判官の訴訟指揮」によると思っている。とにかく、裁判官は急いでいる。双方の弁護士に対する「締め付け」は大変なものである。

 たとえば、名古屋地方裁判所では、民事4部というところが医療裁判を集中的に担当している。ここでは、最初の期日に「医療訴訟審理モデル」という紙が双方の代理人に渡される。そこには、争点整理、証拠調べ、判決の言い渡しの予定日まで書き込めるようになっている。

 このモデルでは、争点整理は10か月以内、証拠調べは1年以内、判決は鑑定がない場合は1年8か月以内(鑑定のある場合は2年以内)、と記載されている。

 そして、裁判が始まって直ぐに、裁判所から「何時ころ争点整理が終わりそうですか、何時ころ証拠調べは終わりそうですか。」などと聞かれるのである。

 そして、裁判所は争点をできるだけ絞り込もうとする。

 しかし、医療過誤の場合、いくら訴訟を提起する前に原告側の弁護士が調査をしても、被告側が訴訟になってからカルテに記載のない(あるいはカルテからは読みとれない)事実を主張してくることもあるし、被告の思わぬ反論によって争点を増やしたり変更したりしなければならないこともある。また、被告が明らかにした事実について協力医に相談したところ、新たな争点が出てくることもある。

 裁判所は、争点が少ない方が審理は楽だろうが、あるいは争点が少ない方が判決を書くのも楽だろうが、原告にとって早い段階から争点が絞り込まれることには危険が伴うのである。

 裁判は早ければいいというものではない!

 一般の方々はよく裁判が長すぎると言われる。しかし、弁護士が努力しても、どうしても時間がかかることもある。

 「早ければ負けてもいい」というわけにはいかないのだから。

 最高裁は、医療訴訟に精通した弁護士が増えていること、鑑定人を選ぶ際に医師らの協力を得られやすくなったこと、を審理期間が短縮した原因と分析しているそうだが、この分析には何か根拠でもあるのだろうか。

 私の実感とはほど遠いのだが。

 医療過誤事件を扱っていると自称する弁護士は確かに増えたが、「精通した」弁護士というのはそんなに多いのだろうか(私自身、10年以上医療過誤事件を扱っているが、全然「精通した」などとは思っていない)。そして、鑑定人がそんなに簡単に見つかるようになったという話も聞かない。

 ひたすら待って頂くことになる依頼者の方々にはお気の毒ではあるのだが、医療過誤裁判は一般の裁判に比べどうしても時間が必要となることをご理解頂きたいと思う。

                Atokei  

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最高裁が医療裁判の統計データを発表

最高裁が平成17年医事関係民事訴訟事件統計のデータを発表した。

http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20060509AT1G0803008052006.html

 具体的なデータに興味のある方は、下のファイルをご参照下さい。

  「_180508_.xls」をダウンロード

 医療関係訴訟事件の一審の平均審理期間は2年2ヶ月台となり過去最短である。
 一審の通常訴訟事件の認容率は83.4%(人証調べ実施事件は65.4%)なのに対し、医療関係訴訟事件の認容率は37.8%にすぎない(3年連続低下)。

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医療過誤のはなしーその2 診療経過一覧表

 今週、私の担当する医療過誤裁判の期日があった。

 名古屋地方裁判所は民事4部というところが、医療事故関連の事件を集中的に審理している(もっとも、この部の裁判官は医療事故だけを担当しているわけではなく、わずかだが他の事件も担当しているのだが)。今年はこの4部の裁判官の殆どが交替となった。

 4月は、裁判官の交替の時期。新しい裁判官がどういう人なのか、皆興味津々。医療過誤事件に限らず、裁判官が交替すると心証や裁判の進行の仕方ががらりと変わることがあるからだ。裁判官についての情報は研究会のメーリングリストで直ちに報告される。

 私の担当する事件(事件の内容は守秘義務により言えないが)では、今、診療経過一覧表の作成中である。診療経過一覧表というのは、患者の診療の経過(入通院状況、主訴、医師の所見、診断など)、検査や処置、該当するカルテの書証番号や頁数などをA3用紙に時系列順に並べたものである(たいていエクセルが使われる)。

 この診療経過一覧表があると、いちいちカルテの頁などを探さなくてもよくなるので、裁判所、原告代理人、被告代理人、そして原告、被告側の依頼を受けて意見書(私的鑑定書)を作成する医師、裁判所から依頼を受けて鑑定書を作成する医師にとっても、非常に便利になる。作成するのは面倒だが、全体としては時間の節約になるように思う。

 この診療経過一覧表は、事実経過を示すものとして最終的に判決に添付されることもある。

 診療経過一覧表は、まず、患者の診療の経過(入通院状況、主訴、医師の所見、診断など)、検査や処置、該当するカルテの書証番号や頁数などの項目を、被告代理人が作成する。これを原告代理人がチェックして、訂正、補充する。また、経過などについて、原告代理人側がその認否や主張を記載することもある。

 今回、この診療経過一覧表を作成するのに困ったのは、手術中の看護記録の血圧や心拍数の数字(手書き)が読みにくいこと(たとえば、くせ字のため4と9の判別がつかない)(これについては、私の前の記事読めないカルテもお読み下さい)。

 それに血液検査の採血時刻の記載がなく検査結果が出た時刻も不明なこと(被告側は検査機器の時刻あわせをしていなかったので手書きで記載されている時刻は間違いだと主張している)などである。医療過誤事件では検査機器の時刻あわせをしていないケースに遭遇することが多い。私だけかと思って研究会のメンバーにも聞いてみたが、やはり多いという。産婦人科の分娩監視装置などに多い。

 今回の被告代理人の作成してきた診療経過一覧表にはたくさんの間違いや記載漏れがあり、そのチェックには神経を使った。本当に細かい作業なのである。

 しかし、とにかく宿題だった診療経過一覧表を提出できたので、この日の新任裁判官の機嫌はよかった(と私には思えた)。

 刑事裁判と同様、医療過誤裁判でも裁判所は執拗に迅速を求めてくる。しかし、いくら患者側の原告代理人が努力しても、病院側の被告代理人が協力しないこともある。また、医師の都合で鑑定書の作成に時間がかかることもあるのである。

 難しい審理の場合、拙速となることを避けなければならないのは、医療過誤裁判も刑事裁判も同じである。

 「迅速」な審理も重要だが、「充実」した審理も重要である。今度の裁判官も前任の裁判官と同様、「迅速」を非常に重視する方のようなので、ちょっと心配である。

                   Pencil1            

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医療過誤のはなしーその1

 刑事裁判のことを書いたら思わぬ展開となってしまい、なかなか医療過誤に関する記事を書く時間がなくなってしまった。

 しかし、医療過誤についても少しずつ書いていきたいと思う。

 先週の土曜日は、名古屋の医療事故情報センターと医療過誤問題研究会(私はどちらも会員になっている)「弁護士のための医療過誤訴訟法講座」に出席した。協力医の一人である内科医師S先生を講師にお招きして、血液生化学検査についてご講義頂いた。

 血液生化学検査はなかなか弁護士には理解しにくい分野である。特に電解質のバランスは難しい。S先生は非常に丁寧に分かりやすくご説明下さったのだが、私の理解度は50%に及んでいるかどうか。しかし、こういう講義をお聞きしておくと、少なくとも問題意識を持つことになり、その後の調査の突破口となるので、できる限り出席するようにしている。

 この講座には、名古屋地区だけでなく遠方から来る弁護士も大く、大変盛況だ。医療過誤を担当する弁護士は、やはり知識欲のある人が多いと思う。私などは、事務所から歩いて5分のところが会場だったので、今回は大変助かった。医療過誤事件を扱う弁護士にとって、名古屋は医療事故情報センターもあり、研究会も充実していて、本当にありがたい場所なのだ。

 講義の後、S先生との懇親会に旧知の研究会のメンバー10人ばかりと参加した。

 そこでも話題になったのが、福島県の産婦人科医師の逮捕の件。どうして突然逮捕になったのか、情報不足で皆よく分からない。刑事裁判における検事の冒頭陳述である程度事情が明らかになるまで、静観するしかないだろうという意見も出た。そして、この事件のせいで、ますます産婦人科の協力医の先生を見つけることが難しくなるだろうというのが皆の感想だった。

  患者側の協力医になるというと尻込みをされる医師の方が多いようだが、前にも書いたように誤った情報による無益な裁判を防ぐためにも協力医は必要だと思う。また本当に医療ミスであるなら、きちんとその責任を明らかにし、再発防止をするためにも、協力医の存在は必要であると思う。

 私はS先生には何度も症例をご相談しているが、いずれも的確なご意見を頂いた。ご意見を頂いた結果を依頼者に説明して納得してもらい、損害賠償請求には至らなかったケースもある。

 医師の方々には、こういう協力医の必要性について、もう一度考えて頂きたいと思う。

 

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患者側弁護士の仕事

 私の「協力医がいない。」の記事に対してたくさんのコメントを頂いた。一つ一つお返事することはできないが、日本の医療や医療裁判について本当に真面目に考えておられる方々の貴重なコメントだと思うので、少しずつこのブログで取り上げさせて頂こうと思っている。

 ブログを書き始めてから実感したのは、一般の方々に分かりやすい文章を書くのがいかに難しいかということ。医療関係にしろ法律関係にせよインターネット関係にせよ、独特の専門用語がある。それを一つ一つ誰にでも分かりやすく説明しながら書くのは実に難しい。

 私たち弁護士は普段裁判所向けの文章を作成しているので(ただ、私は裁判所向けの書面もできるだけ分かりやすく書くように努力はしているのだが)、一般の方々に直ぐに理解して頂けるように書くのには相当努力が必要なことが分かった。

 今回の福島県の産婦人科医師逮捕の件については、私もどうしてこんなことになったのか、と疑問は感じている。医師の方々がこの事件に憤慨しておられる気持はよく分かる。ただ、この件に患者側弁護士はどの程度関与したのであろうか。少ないマスコミの情報からだけではとても意見を述べる気持にはなれないが、むしろ、この件は医療事故調査会の院外の3人の医師の見解と検察官の判断によって起訴されたのであって、患者側弁護士が関与してはいないように思うのだが。

 どうも患者側弁護士というと、患者側に立って白も黒と言い含めているようなイメージをお持ちの方が多いようだ。しかし、実際にはそうではない(少なくとも私の場合はそう言わせて頂いてもいいと思う)。

 患者さんやご家族の相談を受けると、誤解に基づく場合も多い。多くの患者さんが医療に対して素人なのだから、誤解しても仕方がないところもある。相談を受けて、それを一つ一つ説明していく苦労というのは、誤解を招いた医師の方々にも知って頂きたいところである(弁護士には守秘義務があるので、具体例を掲げられないのが残念だが)。もう少し言葉を多くして説明してほしい、もう少し患者さんの気持を考えた態度を取ってほしいと思うことが多い。

 医師の方々も多くの患者を抱え時間に追われていること、難しい専門用語の多い医療行為について一つ一つ分かりやすく説明するのは大変なことなどが原因だと思うのだが、患者やその家族はすがるような気持で医師の言葉を待っているのである。

 多くの患者側弁護士は、患者さんの誤解ではないか、本当に医療ミスなのか、ということを常に考えながら行動している。直ちに刑事告訴したり、民事裁判を起こしたりはしない。誤解に基づいて裁判を起こすことは、病院や医師だけでなく、患者さんやそのご家族にとっても不幸なことだからである。

 誤解なら誤解、医療ミスなら医療ミスとはっきりと(もちろん結果のみでなくそう判断する理由についても明確に)意見を言って頂ける医師が必要だと思うのである。もちろん、医師の中でも意見が分かれることはある(それは、弁護士も同じことであるー「行列のできる・・・・」という番組はこの点について一般の方々に知って頂けたという功績はあったと思う)。だから、私たちは難しい事案については複数の医師の意見を聞いてから行動するようにしている。

 こういう調査は本当に大変である。近くに協力医がいないために、遠方にまで出向かなければならないことも多い。そして、この調査の結果、医療ミスではなかったり、医療ミスであったとしても立証が難しいという場合、これを患者さんらに伝えて理解してもらうのもまた難しい。

 医療事故の調査のために第三者機関を設置するということには賛成であるが、その機関のメンバーには誰がなるのだろう、誰がメンバーを選任するのだろう。公正、中立といっても、患者側の医療側に対する不信感が強い場合、医療従事者が主たるメンバーとなれば、患者側がその判断に納得するのは難しいと思う。かといって、一般市民がメンバーになると、裁判員制度のような問題が生じてくるだろう(裁判員制度の問題点については後日機会をみて書きたいと思う)。 第三者機関の制度設計は極めて困難だと思う。 

 患者側弁護士は、患者側と医療側の間に立って、四苦八苦することも多いのである。このことは医療従事者の方々にも知ってもらいたいと思う(今後、できるだけ具体例をまじえながら書きたいと思っている)。

 

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協力医がいない。

 私の「医療のソフトとハード」の記事に対して、貴重なコメントを頂いた。

 福島県立病院の産婦人科医師の逮捕については、新聞でも大きく取り上げられている。本当にこの医師に過失があったのかどうかは分からない。これからの刑事、民事両方の訴訟による解明を待つほかない。

 この医師の逮捕のきっかけは、院外の医師3人からなる医療事故調査委員会がまとめた報告書の公表によるものだったという。

 医療事故調査を公表すれば直ちに医師の刑事責任に結びつくとなれば、病院も公表を控えることになりかねない。そうなれば、患者やその家族が真実を知る機会も奪われることになる。

 そして、刑事責任が問われるとなれば被疑者として医師には黙秘権が保障されなければならない。しかし、それでは患者やその家族は真実を知ることが出来ない。これは大変なジレンマだと思う。

 私は患者側の一弁護士にすぎないので、医療被害者救済の制度設計などについて、とても意見を述べることはできない。

 ただ、今のままでは被害者救済が困難だということだけは分かる。

 本来示談で解決されるべき事案であっても、病院側の保険会社は容易に過失を認めない。訴訟になれば費用も時間もかかる。

 そして、何よりも患者が医療事故ではないかと疑っているときに、患者側の弁護士の調査に協力してくれる医師があまりに少ない。裁判になっても、中立の立場で客観的な意見を述べてくれる鑑定医が見つからない。

 数少ない協力医や鑑定医のところに事件が殺到し、これらの医師の方々は本当に大変な思いをされている。そして、患者側は長い間待たされる。

 私が担当している事件にもそういう事件が数多くある。依頼者にはひたすら待ってもらうしかない。

 これが普通のことだろうか。おかしくないですか?日本の医療。

 

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医療のソフトとハード

 今週は、癌の見落としを争点とする裁判の書面の作成や証拠として提出する文献などの整理に追われていた。

 そういうときは、私の机の上はメチャクチャである。そういう細かい仕事をしている最中にも電話がかかってくると、別の記録を出して対応しなければならない。机の上は、記録と書類の山になる。電話で思考もストップする。

 私は、だいぶ前から医療過誤事件の大事な書面を作成しなければならないときは、半日なり1日なり自宅にこもることにしている。その方が能率がいいのだ。もちろん、他の仕事はその前後にきちんと段取りをつけて事務員に指示を出すようにし、携帯電話で連絡が取れるようにしている。弁護士は、事務所に座っていればよい仕事ができるというものではないと思う。

 今週その仕事もようやく一段落がついたので、来週からは机の上を整理するつもり。机の上に限らず、事務所内には(新年度がもう始まっているというのに)整理しなければならない記録が貯まっている。

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 この仕事で癌の見落としについていろいろな文献を読んでいる中に、ある大学病院の内科医師(当時)の興味深い報告があった。

 肝臓の癌は、B型、C型などの肝炎や肝硬変の患者さんから発症することが圧倒的に多い。それで、これらの患者さんには定期的な腹部超音波検査が必要となる。

 腹部超音波検査というのは、人間ドックなどで受けた方も多数おられると思うが、冷たいゼリー状の液体をお腹に塗られて検査されるあの検査のことだ。お医者さんは、画面を見ながらお腹の上でプローブという超音波を発生させる装置を動かす。ときおりその手が止まって医師が画面をのぞき込むと、私などはよく不安におそわれる。

 超音波検査は、副作用もなくCTやMRI検査に比べると費用も安くすみ患者の負担も少ないので、比較的よく利用される検査である。

 ある大きな病院(A病院としよう)は肝臓疾患の患者を多く抱えていた。A病院は超音波検査装置を筆者の大学病院の3倍の台数保有し、超音波検査の件数も5倍以上だった。しかし、筆者の大学病院よりも肝臓癌を小さいうちに発見できた確率がはるかに低かった。このA病院の医師らが、筆者の医師のいる大学病院に研修にやって来た。

 筆者の医師からみると、A病院でなぜ小さい肝臓癌が発見されないのかは明らかだったという。

 A病院では、肝臓疾患の患者に対する超音波検査を人間ドック的な検査としてしか実施していなかったのである。つまり、平均的な異常の発見を怠らない程度の検査レベルでしかなく、肝臓疾患の患者に対する肝臓癌の発見という専門的な目的意識を持った検査をしていなかったのである。

 筆者の医師はA病院にいくつかのアドバイスをしたところ、A病院でも小さい肝臓癌が次々と発見されるようになったという。

 そのアドバイスにはかなり専門的なものも含まれているが、医学知識のない私たちであっても当然だろうと理解できるものがある。簡単にまとめると、

1 A病院では人間ドックの超音波検査も肝臓疾患の患者に対する超音波検査も、一般外来で多くの医師、検査技師にランダムに割り振られていた。これを慢性肝炎、肝硬変の患者の肝臓癌の発見に熱心な一人の検査技師または医師に超音波検査を集中させた。

2 超音波検査の際には、小さい肝臓癌を発見するという目的意識を持つようにした。

3 外来に来る慢性肝炎、肝硬変の患者に、定期的な超音波検査が肝臓癌を見つけるのにいかに大切かをプリントなどにして説明した。

4 超音波検査の画面を大きめのものにし、分割画面でモニターせず、一画面をたっぷり使うようにした。また、モニター画面の明るさを調整した。

というものであった。

 その他にも超音波検査装置のうちの1台を肝臓癌発見専用機種とする、プローブを一定の型のものとする等のハード面でのアドバイスもし、このハード面と前記のソフト面の両面の改善によってA病院の小肝癌発見率は飛躍的に向上したという。

 これは、10年以上前の医学雑誌(日本内科学会雑誌 第84巻 第12号 平成7年12月10日 著者 真島康雄医師)に掲載されたものである。

 しかし、現在でも、超音波検査というのは、検査者の熟練度や注意力などに左右されるといわれている。画像検査の中でも、極めてソフト面が重要視される検査といえよう。

 いかに医療技術が進歩し、いかに医療機器が精巧なものになっても、人間が行う以上、技術や経験、そして集中力や注意力などという極めて人間的な要素が結果を左右するのである。

 人間が人間である以上、医療ミスはなくならないと思う。どうすればミスを減らせるかは、とても難しい問題だ。しかし、前記のA病院のように、ちょっとした工夫や努力により、回避可能なものも多いと思う。

                                                                               

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読めないカルテ

 医療過誤事件の患者側代理人をするようになって10年以上経った。しかし、この間、病院のカルテはあまり変わっていないように思う。確かに電子カルテ化なども言われるようになっている。しかし、それはほんの一部で、いまだ多くの医師が手書きでカルテを書いているのではないか。

 話は変わるが、10年位前にはカルテと同じくらい読みにくいものに警察官の作成する供述調書というものがあった。これも当時は手書きで、癖のある文字で書かれた長い調書を読むのは本当に疲れた。しかし、供述調書は今ではほぼ100%ワープロ横書きとなり、読みやすくなった。

 しかし、カルテはそうはならなかった。臨床の場、特に緊急処置の必要な時などは、いちいちワープロソフトを立ち上げて入力している余裕がないのはよく分かる。しかし、定期的な検査や診察の結果、投薬などはワープロで入力できないものでもなかろう。

 患者側の弁護士が苦労することの一つに、手書きのカルテの読解がある。手書きでも読みやすい(字のうまいヘタは別として)ものであればよいが、独特の癖があったり極端なくずし文字であったりすると、まるで暗号を解読しているような気分になる。

 カルテは英語と日本語がごっちゃに使用されている。英語の翻訳は専門の方に頼んだり翻訳ソフトを利用したりしているので、アルファベットさえ読み取れれば読解が可能だ。しかし、そのアルファベット文字がくずされていて特定できずに翻訳不能となることがある。ただ、英語の場合は使用される言葉が特定の専門用語や使用頻度の高い省略語のことが多く、意外に解読が容易である。

 これに対して、日本語の癖文字の解読は難しい。特に重要と思われる箇所が読めないと、本当にイライラする。何十分もかけて考えて、思い当たると「なーんだ」という内容だったりするとガッカリもする。

 複数の医師や看護師が一人の患者を診ることも多いのに、他の医師や看護師はこの文字が読めるのかと思う。

 カルテは医師のメモではない。医師や看護師にとって患者の診療を考える上での重要な資料である。患者にとっても自身の病気や診療行為を知る上で重要な資料であり、個人情報保護法により一定の要件のもとで患者らに対する開示も義務づけられた。

 もちろん、手書きでもきちんと書かれて読みやすいカルテもあって感心することもある。しかし、前記のような「人に読ませることを想定していないような」手書きのカルテも多いのである。

 そのようなカルテを目の前にして、弁護士が疲れた目をこする日々はまだ続くのか。

 読めないカルテは、医師にとっても、患者にとっても、弁護士にとっても、困りものである。電子カルテでなくてもいいから、お医者さんには普通に読めるカルテを書いて頂きたいものだ。

 

 

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