羽生結弦選手の顔(その1)
久しぶりにフィギュアスケートの記事を書く気になった。
私は羽生結弦選手のファンでもなんでもないのだが、NHK杯とグランプリファイナルの演技は本当に素晴らしかった。なんだか、彼にフィギュアスケートの神様が乗り移ったかのようだった。
得点もすごかったが、一番驚いたのは、音にピッタリあわせてジャンプやスピンやステップが出来ているところ。
ジャンプの前のステップや踏みきりまで、ピアノや和楽器の音にピタッ!
どうしてそんなことができるのか?神業か?
選曲や振り付けもいいのだけれど、やっぱり羽生選手ならではのすごい能力だと思う。そして、才能だけでなく、曲がけして実際に何度も跳んだり、曲を聴きながら何度もイメージトレーニングするなどの努力もしたんだろうなぁ。
「0.8秒違う」羽生結弦がライバルより優れているもう1つの才能とは?(Asagei plus)
「昔は音楽と演技の一体化は二の次。音と演技がずれたり、まったく合わなかったりすることも少なくありませんでした。しかし近年の選手は、曲の盛り上がりと演技のメリハリやジャンプのタイミング、細かな演技の切り替えも合わせられる人が多いんです。中でも0.8秒にこだわる羽生選手は、特に音感が優れています。対してライバルのパトリック・チャン選手はその感覚がイマイチ。シーズン後半には調整してくるでしょうが、微妙なずれやメリハリの違いは隠せません」(前出・スポーツ紙記者)
確かに「0.8秒」よりも短いタイミングで曲を編集したり演技を調整することも必要だっただろう。
ショートもフリーも演技が音楽にピッタリ同調していた。
ジャンプ、スピン、ステップそれぞれ別個にみれば、もっとうまい選手はいるだろうが、羽生選手は珍しいオールラウンドプレーヤー。しかも、近年表現力も増している。以前は少し前屈み気味だと思った姿勢も改善され、腕も上半身も柔らかく使えるようになっている。
ここまで音楽表現が出来る選手だとは思っていなかった。
フィギュアスケートはスポーツか芸術かよく議論になるけれども、羽生選手はその疑問を吹き飛ばし、スポーツと芸術を見事に融合させて見せてくれた。
海外の実況もネット上で見たが、解説者は皆さん絶賛の嵐である。
ロシアの重鎮タラソワさんは、ソチオリンピックのときは「2度転倒した選手は金メダルに値しない」などと怒っていたのに、今や「彼は天才!」「シャーマン!」などと言っちゃっているし。ありきたりのことしか言わない日本の解説よりも、海外の実況解説は皆さん好き勝手なことを言っていて面白い。海外実況解説、恐るべし!
中国の実況解説も初めて見たが、女性解説者が文学的表現を駆使して羽生選手の容姿を褒めたたえ会場のお客さんが彼の一挙手一投足にいかに惹きつけられるか等をとうとうと述べ、その語彙の豊富さには驚かされた。
羽生選手には、ぜひ中国で演技をして頂きたい!中国にもファンが一杯いるようだし。昨年の中国杯は悪夢だったが(私はあんな状態で演技を続けたことには大反対)、でもあれで中国のファンも増えたようだし。
安倍首相が安保法制のときにさんざんなことを言ってぶち壊した中国との関係を、言葉を介さないフィギュアスケート による文化交流によってぜひとも修復してほしい・・・などと大それたことを期待してしまった。
そして、中国といえば、ボーヤンジン選手にはビックリ!男子の4回転はとうとうここまで来たのか!ショートのタンゴアモーレはプルシェンコ選手が滑っていた曲だし、振付も衣装もプルシェンコ風。
確かに表現力では羽生選手とは比べようもないが、今これだけ安定した4回転ジャンプが跳べるということは、他の要素を磨くのに力をまわす余裕があるということで、平昌オリンピックまでに大躍進するかもしれない。かつての羽生選手のように・・・。
これは平昌オリンピックで連続金メダルをねらう羽生選手にとっては大きな脅威だろう。
ボーヤンジン選手、これからの男子フィギュアの台風の目になりそう。
でも、私が久しぶりにフィギュアスケートのブログ記事を書く気になったのは、羽生選手の素晴らしい演技に感動したからではなく、彼のNHK杯のショートの最後のポーズでの「お顔」に衝撃を受けたからです(ファンの方、ごめんなさいね)。
今季の羽生選手のショートプログラムの曲は、昨シーズンと同じショパンのバラード第1番。
私はクラシックはヒーリング目的で時々モーツァルトを聞いている程度でショパンのピアノ曲にはあまり詳しくないが(大昔は一応ピアノを習っていたこともあるのですけど)、映画「戦場のピアニスト」でとても重要な場面で使われている曲なので知っていた。
「戦場のピアニスト」でどうしてこの曲が選ばれたかを考えると、泣ける曲でもある。
若いピアニストが好んで弾く曲でもあるらしい。
羽生選手は、このショパンのバラードをとても美しく演じ切ったので、NHK杯の会場では涙する女性の観客も多数映されていた。私も、最後から2つ目のスピンの手の使い方とか、最後のステップには、オオッと思った。振り付けはジェフリー・バトルさんだそうだが、確かにバトルさんのかつての演技の雰囲気に似ている。
羽生選手の衣装も今季はシンプルでいい(正直言うと、私はジョニー・ウィアー元選手のフリルたっぷりのデザインのものはあまり好きではない)。長いお首にロールカラーというのもよく似合っている。こういう繊細なピアノ曲は、若くてほっそりしている羽生選手の儚げな雰囲気にもあっていて、とてもよい選曲。
ウットリと最後まで見入っていたのだが・・・。
最後の最後のポーズで、羽生選手。ものすごいお顔!
テレビのニュースでもネット上でも何度もこのお顔が紹介されているので(他の顔にすればいいのに)、皆様ご存じのはず。
私は、長年フィギュアスケートを見ているが、最後のポーズでこんな顔をした選手を見たのは初めて。
これは演技ではなく、羽生選手の地の感情が顔に出たものだろう。
この表情を鬼神とか阿修羅とか言っている人が多いが、私が最初に浮かんだのは歌舞伎の荒事の隈取り。隈取りというのは、人間の顔に浮かぶ激しい感情を様式化したものとどこかで読んだことがあるが、これは本当だったのだ、と妙なところに感心してしまった。
演技も「すごいものを見せてもらった」と思ったのだが、この表情には「すごいものを見てしまった」という気持ちになった。
一体どうしてこういうお顔になってしまったのか・・・。
やっぱり彼は「シャーマン」なのか?!でも、タラソワさんはフリーの陰陽師の方の演技のときにそう言っていたのだが。ショパンの繊細なピアノ曲でシャーマンはないよなあ・・・。
羽生選手といえば、目を細めた笑顔は雅な日本人形の童児のようなイメージである。こういう柔和な感じの和顔なのも、アジア圏で人気の理由の一つなのだと思っていた。
演技を終えた後のキスクラでは、例のプーサンを膝に置いて、両頬に手を当てて得点に驚いている様など、まるで女の子のよう。
どう見ても、さっきの荒事の隈取りの人物と同一人物とは思えない!
それ位インパクトのあるお顔だった。 (つづく)
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