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ねこちか2

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2015年2月22日 (日)

ドラマ「永遠の0」を見てみた。(その3)

  ドラマの前半部分では、主人公の宮部は冷徹な合理主義者として描かれている。

 理知的であり、既に戦局が不利なことも認識していて、軍司令部の無謀な作戦に反対する。

 そこは硫黄島の戦いの栗林忠道中将と同じだ。

 零戦の戦法も、あえて乱戦には加わらず上空で攻撃の機会を伺うというもので(これは、実在の零戦パイロット岩本徹三の戦法をモデルにしているらしい)、これが他の操縦士には「卑怯」と思われる理由の一つになっている。

 私は零戦にもその戦法にも詳しくないが、とにかくドラマの中では宮部は零戦の操縦技術にたけ、しかも頭脳的戦法を駆使して味方を援護する(決して卑怯者ではない)優秀なパイロットとして描かれている。

 そして、敵のパイロットがパラシュートで逃走しようとすると、冷酷にも撃ち殺してしまう。その理由は、再び敵機に乗り込んで自分たちを撃ち落とすかもしれないから、というものである。

 そこもまた、冷酷なまでに合理主義を貫いている。

 ドラマでは、現代的風貌の向井理さんがこの宮部をクールに演じている。ちょっと、しゃべり方が淡々としすぎではないかという気もするが、もともと宮部はこういう現代的思考の持ち主なので演技としてそれもありかなと思う。  

               thunder

 一方、宮部は「自分が死ねば日本にいる妻子が路頭に迷う」、だから「絶対死ねない」と言うのが口癖で、そこは徹底した個人主義を貫いているように思える。

 家族のいる戦友や部下たちにも、玉砕するより家族のために最期まで生きる努力をせよ、特攻に指名されたら不時着をせよ、と言い続け、特攻隊員を養成する教官になったら今度は教え子たちが上達しても「不可」として特攻機に乗せないように努力する。

 宮部は志願兵だったという設定だが、早くに父が借金苦で自殺したため一高への進学をあきらめたと言っているので、もともと軍人になるのは本意ではなかったらしい。結婚も、真珠湾攻撃の直前に見合いをしてのことで、戦争になるなら結婚はしなかったと言う(でも、真珠湾攻撃の前から既に不穏な国際情勢だったのでは)。

 経済的理由により軍人になって、なんとなく(相手と一度も言葉をかわさぬまま)結婚して、という印象を受け、理知的な合理主義者という人物像とは矛盾している気がする。

 ただ、宮部の身の上は、父が自殺してしまいその後母は苦労のあまり早死にしてしまって身寄りがないという設定だから、自分は父のように妻子を路頭に迷わせたくない、人一倍妻子を大事に思う、というのには納得がいく。

 しかし、当時の軍人で、ここまで「妻子のために生きて帰る」と(内心では思っていても)口に出す人はいたのだろうか。

 しかも、宮部は、いくら腕がいいといっても、常に死と隣り合わせの零戦パイロット(これは志願したのだろう)なのである。妻子のために死ねない、生きて妻子のもとに帰ると思いながら、空中で命がけの戦闘ができるものなのか。

 徹底した合理主義者であれば、当時の戦局からして、家族のために生きて帰ることと零戦パイロットとして命がけで戦うことが二律背反することは分かっていたはずだ。

 「生きて帰る」という信念を貫くなら、個人主義を貫いて本当の卑怯者になり早々と戦線離脱するしかないだろう。

 栗林中将のように、日本にいる家族を守るため「死を覚悟して」戦う、というのなら理解できるのだが、ドラマでは宮部からはそのような言葉はない。

 宮部は一体どういう信念を持って零戦パイロットとして戦っていたのか?彼は自分の参加している戦争をどう考えていたのか?

 この合理主義者で個人主義者の(現代人に近い)彼が、特攻隊に志願したというのも大きな謎だが、それ以前に、零戦パイロットとしての宮部の人物像が私には謎だ。 

 証言する元兵士らのそれぞれの眼を通しての断片的な宮部像を描いているので、読者や視聴者に分からなくても仕方がないというのだろうか。でも、それは作者の都合のいい言い訳のように思う。

              thunder

 そう言えば、宮崎駿監督が、映画版の「永遠の0」を零戦賛美の映画だと批判していたらしいが、ドラマでは零戦賛美などとは全く感じなかった。ドラマは映画よりも原作に忠実らしいから、原作も零戦賛美などしていないのではないか。

 むしろ、宮部に零戦の防御の脆弱性を厳しく指摘させていた。

 特攻隊ではなくても、こんな操縦士の命を守ることを軽視した飛行機に乗って戦わなければならなかった若い人たちが本当に気の毒でならない。

 ・・・余談だが、私は宮崎駿監督のアニメ映画「風立ちぬ」を見ていない。

 なぜ零戦という「戦闘」機の設計者の堀越二郎を主人公にして、堀辰雄の恋愛談(文学小説「風立ちぬ」のモデル)をストーリーに合体させて、「美しい日本」として抒情的に描かなきゃならないのか理解できず、見る気になれないからだ。

 「美しい飛行機」と賞賛したところで、戦闘機は戦闘機。いくら見た目が美しくても戦争のための道具にすぎないだろう。

                          (つづく)

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コメント

「風立ちぬ」は純粋に「職人の物語」として見る価値はあると思います(絶対見たくないと言われてしまうと仕方ないですが…)。
いろいろ制約があるうえで、自分の信念と両立させることができるのか-といった部分は、弁護士の仕事にも通じるものがあるのではないか?と思いました(零戦と一緒にするなと言われてしまえば仕方ないですが…私はあれは零戦賛美ではないと思ってます。結局はあの時代は誰かが二郎の立場にならなければならないのは同じと思うので…)。

ものづくる人さんへ
 私は、予告編を見ただけですけど、確かに美しい映像だと思いました。
 堀越二郎が実在の人物ではなく、宮崎監督の夢の中の人物であったのなら、私も理解できる気がします。

 でも、堀越二郎は実在の人物であるし、彼の設計した零戦が多くの人の命を奪ったというのは現実です。
 それを捨象してひたすら美しく飛行機設計者のものづくりにかける夢を描くというのに、私は非常に違和感を覚えます。

 描いていないけど悟れ、分からない人には分からなくていい、美しければなんでも許される、というところに私は傲慢さを感じます。

 私は、実在の堀越二郎さんがどんな人で、どんな葛藤があったのか、そして彼が零戦を設計しなかったらどうなっていたかには興味を覚えます。

 それは、私は実務家であって芸術家ではないからかもしれませんがね。

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