ドラマ「永遠の0」を見てみた。(その6)
ストーリー展開も、人物の描き方も、あまり緻密ではなく雑な感じがする。正直、どうしてこの小説がベストセラーなのか、私にはよく分からなかった。
大石が実は・・・というくだりは、確かに意外性をねらったところはうまいが、「死んでも妻のもとに帰ってくる」という約束が果たされたというのは違うでしょう、と思ってしまう。宮部はただ妻の力になってほしいという手紙を残しただけだし(当時、そういうことはよくあっただろう)、「他人の姿になって(夫として)帰ってきた」なんて、私には気持ちが悪いとしか感じられない。
作者の「よし、ここで感動させてやるぞ」という姿勢がミエミエのように思える。
センチメンタリズムで目くらましして、一番大事な「(現代日本人に近い合理的・個人主義的思考の持ち主である)宮部のような男がなぜ特攻を決意したのか」という答えから読者や視聴者を意図的に遠ざけているのではないか。
原作者の百田尚樹氏の頭の中にも、果たしてこの答えがあったのかさえ疑わしい。
この答えがないので、反戦を訴えかけるわけでも、愛国心を鼓舞するわけでも、どちらでもない中途半端さだけが残り、結局、両方の立場から批判されているんだろう。
このストーリーが、どうして若い人を惹きつけるのだろうか。
孫による謎解き仕立てのところがいいのか、躍動感あふれる零戦の戦闘シーンか、劇画風のところ(宮部の妻が戦後ヤクザの情婦になったのを景浦が助けるくだりなど・・・これはちょっとやりすぎ感大)がうけるのか、クールで凄腕の零戦パイロットである宮部がカッコよく見えるのか、それとも彼の妻子や教え子に対する愛情に感動するのか。
ちなみに、このドラマで私がホロッとなったのは、
・ 大福餅のエピソード
「大福餅が食べられたら死んでもいい」と言って皆を笑わせていた操縦士が大福餅ー料理係が苦心して作ったものーが出たときに既に戦死してしまっていたという悲しいエピソード
・ 景浦(柄本明さん演)が孫たちに宮部のことを話し終わってから思わず孫(青年)を抱きしめるシーン(孫に宮部の面影を見て?なら、孫の俳優さんはもう少し向井さんに似た人の方がよかった。)
・ 鹿屋航空基地・史料館に展示されている実在の特攻隊員の手紙(この手紙が一番泣けた)が紹介されるシーン
でした。
・・・あんまりドラマの本筋とは関係ないシーンばかりですが。
零戦がラジコンっぽい、操縦士らの服がきれいすぎる、現代に残る宮部の妻子の写真がセピア色でない、などなど文句はあるものの、ドラマ自体は老若男女の俳優さんたちが熱演だったし、考えさせられることも多かったので、原作者やストーリーへの反感だけで見ないのはもったいない出来だったと思う。
・・・・・さて、これからちょっと脇道にそれるかもしれませんけど、まだまだ続きます。ちょっと先になりそうですが。
今の日本の政治的・社会的な情勢を見ていると、私のような者でも書かなきゃならないことがあるなぁ、と思いますので。・・・・・
(つづく)
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全ての特攻隊の遺書は検閲を通ったものでしかないです。美濃部氏の方が合理的でしょうし、氏は特攻を否定していませんが、合理的でないという意味です。 それと宮崎氏経営者ですから、借りた金はのしを付け返さなければならない立場にいることです。 自己の好きか嫌いかより、利用出来るものは利用する。ゼロ式は有名である、それを設計した下利用する、だから架空の氏を作り出したのでしょうし。 氏は海軍の要求を満たす内炎機関が無かったこともですが、だから、雷電が飛べるまでに、あれほどの時間がかかったのですが。 私の父親は、工学技術の粋であるB29がもっとも美しいと言っていました。
投稿: omizo | 2015年3月 9日 (月) 21時07分