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ねこちか2

サイバーキャットと遊べます。猫じゃらしで遊んだり、エサを与えることもできます。

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2015年2月

2015年2月24日 (火)

ドラマ「永遠の0」を見てみた。(その6)

 ストーリー展開も、人物の描き方も、あまり緻密ではなく雑な感じがする。正直、どうしてこの小説がベストセラーなのか、私にはよく分からなかった。

 大石が実は・・・というくだりは、確かに意外性をねらったところはうまいが、「死んでも妻のもとに帰ってくる」という約束が果たされたというのは違うでしょう、と思ってしまう。宮部はただ妻の力になってほしいという手紙を残しただけだし(当時、そういうことはよくあっただろう)、「他人の姿になって(夫として)帰ってきた」なんて、私には気持ちが悪いとしか感じられない。

 作者の「よし、ここで感動させてやるぞ」という姿勢がミエミエのように思える。

 センチメンタリズムで目くらましして、一番大事な「(現代日本人に近い合理的・個人主義的思考の持ち主である)宮部のような男がなぜ特攻を決意したのか」という答えから読者や視聴者を意図的に遠ざけているのではないか。

 原作者の百田尚樹氏の頭の中にも、果たしてこの答えがあったのかさえ疑わしい。

 この答えがないので、反戦を訴えかけるわけでも、愛国心を鼓舞するわけでも、どちらでもない中途半端さだけが残り、結局、両方の立場から批判されているんだろう。

                               thunder

 このストーリーが、どうして若い人を惹きつけるのだろうか。

 孫による謎解き仕立てのところがいいのか、躍動感あふれる零戦の戦闘シーンか、劇画風のところ(宮部の妻が戦後ヤクザの情婦になったのを景浦が助けるくだりなど・・・これはちょっとやりすぎ感大)がうけるのか、クールで凄腕の零戦パイロットである宮部がカッコよく見えるのか、それとも彼の妻子や教え子に対する愛情に感動するのか。

 ちなみに、このドラマで私がホロッとなったのは、

・ 大福餅のエピソード

  「大福餅が食べられたら死んでもいい」と言って皆を笑わせていた操縦士が大福餅ー料理係が苦心して作ったものーが出たときに既に戦死してしまっていたという悲しいエピソード

・ 景浦(柄本明さん演)が孫たちに宮部のことを話し終わってから思わず孫(青年)を抱きしめるシーン(孫に宮部の面影を見て?なら、孫の俳優さんはもう少し向井さんに似た人の方がよかった。

・ 鹿屋航空基地・史料館に展示されている実在の特攻隊員の手紙(この手紙が一番泣けた)が紹介されるシーン

でした。

  ・・・あんまりドラマの本筋とは関係ないシーンばかりですが。 

 零戦がラジコンっぽい、操縦士らの服がきれいすぎる、現代に残る宮部の妻子の写真がセピア色でない、などなど文句はあるものの、ドラマ自体は老若男女の俳優さんたちが熱演だったし、考えさせられることも多かったので、原作者やストーリーへの反感だけで見ないのはもったいない出来だったと思う。  

 ・・・・・さて、これからちょっと脇道にそれるかもしれませんけど、まだまだ続きます。ちょっと先になりそうですが。

 今の日本の政治的・社会的な情勢を見ていると、私のような者でも書かなきゃならないことがあるなぁ、と思いますので。・・・・・

 (つづく)

ドラマ「永遠の0」を見てみた。(その5)

 結局、これは戦友や教え子に目の前で死なれることに耐えきれず、精神を病み、捨て鉢になって自殺のように特攻を選ぶ零戦パイロットの話だったのか?

 これが長時間かけた謎解きの答え?

 理性的で合理的な思考の持ち主である宮部は、たとえ自分が特攻に成功したところで戦局は変わらず、日本が敗戦に向かっていることも分かっていただろうし、いかに直掩の任務が辛かったとしても自分が特攻に志願したところで教え子も日本も救えるわけではないことは十分に分かっていたはず。 

 「自分が特攻をしたところで戦局は変わらないが、妻子の運命は変わる」と言っていたのだし。

 私は、てっきり、宮部には特攻を志願せざるをえない特別な理由があった、あるいは拒否できない特別の事情があった、という結末が用意されているものとばかり思っていたのだが。

 零戦を急上昇したり急降下するときにかかるGに耐えるために日々身体を鍛え、強靱な意志で闘い続けてきた凄腕の零戦パイロットとして描かれてきた宮部だが、そんな彼ですら戦争によってこのような投げやりな精神状態に追い込まれてしまう、というのが作者の言いたいことだったのか。

・・・そういう話なら、謎解き仕立てにして、ここまで長ーく引っ張る必要ないでしょ、と思う。 

                 thunder                

 ところで、このドラマ(たぶん原作の小説も)の一番の泣かせどころは、宮部が特攻に行く直前、乗る予定の零戦の不調に気づき不時着して生還するチャンスを得たのに、零戦を交換して教え子だった大石にそのチャンスを譲る、というところだろう。

(なお、大石を救うために特攻に志願したというストーリーではない。零戦の不調も、大石と一緒になったのも偶然で、宮部は出撃直前に妻子の写真を見ながら迷った末に大石と零戦を交換したという設定になっている。)

 確かに教え子の大石はかわいいだろうし、命の恩人でもあり、こんなけなげな前途有望の青年を特攻で死なせてたまるか、という気持ちになるのはよく分かる(ドラマでは大石を中村蒼さんが演じていたが、笑顔が篠田三郎さんの若い頃に似たさわやか青年でナイスキャスティング)。

 でも、その前に自分が特攻に参加するという決意(まだ覚悟にまでは至っていなかったにせよ)があったからこそ、大石にチャンスを譲ったのだろう。

 大石は生き残るべきだが、自分は特攻で死んでもいいと思ったのはなぜなのか。

  自分は死んでも教え子は生きていてほしい、というのは自己犠牲精神の発露のようで、一見美談のように思えるが、そもそもなぜ彼がそれまで否定していた特攻を受け入れたのかが謎なので、私は素直に感動できなかった。

 演じた向井さんは、このシーンでは一転して大熱演だったのだが(ちょこっとオーバーだったかなぁ)

                                  (つづく)             

2015年2月23日 (月)

ドラマ「永遠の0」を見てみた。(その4)

 ドラマの後半、宮部はいずれ特攻隊員となる学徒出陣の学生たちの教官となるのだが、学生たちから最初はなかなか「可」を付けてくれない教官としてけむたがられる。しかし、やがて宮部の真意を悟った学生たちから慕われるようになる。 

 (特攻を拒否し上官に逆らいまくりなのに、よく教官に任命されたものだという疑問はさておき)宮部は特攻を否定して家族のために命は惜しむべきという信念の持ち主なのだから、特攻隊員を養成するための教官の仕事は辛かっただろう。

 学生の一人の大石は、特に宮部を尊敬し、飛行訓練中に敵機に襲われたとき、命がけで宮部を助けたりもする。

 ここからは師弟愛がメインの話になり、宮部は命を助けてくれた大石にあっさり妻の心のこもった大切な外套(妻との結びつきを象徴する重要なアイテム)をあげてしまう。自分の一番大事にしている物をあげて教え子に感謝の意を表したということなんだろうが、妻の気持を考えたらそんなことするだろうか(ストーリー展開上の必然性はあったわけだが)。

 結局、「可」をつけない教官だったせいか、宮部は鹿屋海軍航空隊に転属させられる。そこで、特攻隊に志願するわけだが、その前に「直掩」という特攻隊を護衛する任務につけられる。しかし、戦局はますます悪化し、熟練したパイロットは激減して、特攻する敵の空母まで特攻隊を無事送り届けることすら困難になり、特攻隊員も未熟な即席のパイロットであるため特攻自体の成功率も極めて低いものになってしまう。

 宮部は、そういう現実を目の当たりにし、自分のかつての教え子も特攻に成功しないままむなしく死んでいくのを目の前で見て焦燥感を抱き、彼らを救えず自分だけが逃げて生き残っていることに罪悪感すら覚えて、別人のように気力を失ってしまう。

・・・というのが、後半のドラマのあらすじ(ちょっと私の主観が入ったまとめですが)。

 しかし、味方もときに見捨て逃走する敵を容赦なく撃退するという冷徹なまでの合理主義者であり、なんとしても妻子のために生きて帰ると誓っていた個人主義者の宮部が、このように突然焦燥感や罪悪感に苛まれる普通の人間に豹変する、というところに私は不自然さを感じてしまう。

 いくら部下や教え子に優しい人間だったとしても、修羅場をかいくぐってきた歴戦の零戦パイロットであるのだし、生と死のジレンマは戦闘機乗りなら常に抱えていたはず。

 こういっては何だが、演じている向井さんもこの宮部の豹変ぶりを理解していないのではないかと思ってしまった。宮部がおかしくなってしまってからの演技は、ただただ力が抜けてしまったという雰囲気だけで、伝わってくるものを感じなかった。

 突然変貌されても、そこに至るまでの経緯があまり描かれていないので、見る方としてはとまどってしまう。原作はどう説明しているのか知らないが。

 少なくともドラマを見ただけの私にはとても不可解な人物像に思える。

              thunder

 そして、突然宮部は特攻に志願するわけだが、最期までその理由は何も説明されないままに終わる。

 エエーッ、これは謎解きドラマではなかったのか!?。これじゃ、長編推理小説を最期まで読ませておいて、犯人は明らかにしたので犯行の動機は読者が勝手に考えておいてよ、というのと同じではないか。

 ここまで引っ張っておいてそりゃないわ、と思った。

 上官に逆らいまくってまで特攻はやらないという信念を貫き、戦友や部下や教え子に、どんなに苦しくても生きる努力をしろ、家族のもとに生きて帰れ、命を粗末にするな、特攻に指名されたら不時着せよ、とさんざん言っていた男が、なんで自分は生きることをあきらめたのか。

 今まで長い時間をかけて語られてきた宮部の妻子への思いや生きることへの執念はどうなってしまったのか?命がけで上司に逆らってまで断固特攻を拒否した男がこんなにあっさり特攻を受け入れてしまっていいの?

 ・・・私は、理性的で合理的思考の持ち主が特攻を受け入れた理由に興味を惹かれて見てきたのに。 

 映画監督の井筒和幸氏が映画を見て「見てきたことを永遠に記憶から消したい」「人物像としてありえない」というようなことを言っていたとネット上で読んだが、それはこういうことだったのか。

 それに「死を覚悟した眼ではなかった」と直前の宮部の様子を見ていた(宮部と因縁のある零戦パイロット)景浦の話はどうなっちゃったのだろう。てっきり、不時着するつもりなのかと思った。

 せめてヒントとなる妻への遺書はないのか。普通はこういう場合遺書を書くと思うのだが、遺書も書けないほどに憔悴していたということか。                                               

(つづく)

2015年2月22日 (日)

ドラマ「永遠の0」を見てみた。(その3)

  ドラマの前半部分では、主人公の宮部は冷徹な合理主義者として描かれている。

 理知的であり、既に戦局が不利なことも認識していて、軍司令部の無謀な作戦に反対する。

 そこは硫黄島の戦いの栗林忠道中将と同じだ。

 零戦の戦法も、あえて乱戦には加わらず上空で攻撃の機会を伺うというもので(これは、実在の零戦パイロット岩本徹三の戦法をモデルにしているらしい)、これが他の操縦士には「卑怯」と思われる理由の一つになっている。

 私は零戦にもその戦法にも詳しくないが、とにかくドラマの中では宮部は零戦の操縦技術にたけ、しかも頭脳的戦法を駆使して味方を援護する(決して卑怯者ではない)優秀なパイロットとして描かれている。

 そして、敵のパイロットがパラシュートで逃走しようとすると、冷酷にも撃ち殺してしまう。その理由は、再び敵機に乗り込んで自分たちを撃ち落とすかもしれないから、というものである。

 そこもまた、冷酷なまでに合理主義を貫いている。

 ドラマでは、現代的風貌の向井理さんがこの宮部をクールに演じている。ちょっと、しゃべり方が淡々としすぎではないかという気もするが、もともと宮部はこういう現代的思考の持ち主なので演技としてそれもありかなと思う。  

               thunder

 一方、宮部は「自分が死ねば日本にいる妻子が路頭に迷う」、だから「絶対死ねない」と言うのが口癖で、そこは徹底した個人主義を貫いているように思える。

 家族のいる戦友や部下たちにも、玉砕するより家族のために最期まで生きる努力をせよ、特攻に指名されたら不時着をせよ、と言い続け、特攻隊員を養成する教官になったら今度は教え子たちが上達しても「不可」として特攻機に乗せないように努力する。

 宮部は志願兵だったという設定だが、早くに父が借金苦で自殺したため一高への進学をあきらめたと言っているので、もともと軍人になるのは本意ではなかったらしい。結婚も、真珠湾攻撃の直前に見合いをしてのことで、戦争になるなら結婚はしなかったと言う(でも、真珠湾攻撃の前から既に不穏な国際情勢だったのでは)。

 経済的理由により軍人になって、なんとなく(相手と一度も言葉をかわさぬまま)結婚して、という印象を受け、理知的な合理主義者という人物像とは矛盾している気がする。

 ただ、宮部の身の上は、父が自殺してしまいその後母は苦労のあまり早死にしてしまって身寄りがないという設定だから、自分は父のように妻子を路頭に迷わせたくない、人一倍妻子を大事に思う、というのには納得がいく。

 しかし、当時の軍人で、ここまで「妻子のために生きて帰る」と(内心では思っていても)口に出す人はいたのだろうか。

 しかも、宮部は、いくら腕がいいといっても、常に死と隣り合わせの零戦パイロット(これは志願したのだろう)なのである。妻子のために死ねない、生きて妻子のもとに帰ると思いながら、空中で命がけの戦闘ができるものなのか。

 徹底した合理主義者であれば、当時の戦局からして、家族のために生きて帰ることと零戦パイロットとして命がけで戦うことが二律背反することは分かっていたはずだ。

 「生きて帰る」という信念を貫くなら、個人主義を貫いて本当の卑怯者になり早々と戦線離脱するしかないだろう。

 栗林中将のように、日本にいる家族を守るため「死を覚悟して」戦う、というのなら理解できるのだが、ドラマでは宮部からはそのような言葉はない。

 宮部は一体どういう信念を持って零戦パイロットとして戦っていたのか?彼は自分の参加している戦争をどう考えていたのか?

 この合理主義者で個人主義者の(現代人に近い)彼が、特攻隊に志願したというのも大きな謎だが、それ以前に、零戦パイロットとしての宮部の人物像が私には謎だ。 

 証言する元兵士らのそれぞれの眼を通しての断片的な宮部像を描いているので、読者や視聴者に分からなくても仕方がないというのだろうか。でも、それは作者の都合のいい言い訳のように思う。

              thunder

 そう言えば、宮崎駿監督が、映画版の「永遠の0」を零戦賛美の映画だと批判していたらしいが、ドラマでは零戦賛美などとは全く感じなかった。ドラマは映画よりも原作に忠実らしいから、原作も零戦賛美などしていないのではないか。

 むしろ、宮部に零戦の防御の脆弱性を厳しく指摘させていた。

 特攻隊ではなくても、こんな操縦士の命を守ることを軽視した飛行機に乗って戦わなければならなかった若い人たちが本当に気の毒でならない。

 ・・・余談だが、私は宮崎駿監督のアニメ映画「風立ちぬ」を見ていない。

 なぜ零戦という「戦闘」機の設計者の堀越二郎を主人公にして、堀辰雄の恋愛談(文学小説「風立ちぬ」のモデル)をストーリーに合体させて、「美しい日本」として抒情的に描かなきゃならないのか理解できず、見る気になれないからだ。

 「美しい飛行機」と賞賛したところで、戦闘機は戦闘機。いくら見た目が美しくても戦争のための道具にすぎないだろう。

                          (つづく)

2015年2月21日 (土)

ドラマ「永遠の0」を見てみた。(その2)

 (以下はネタバレもありますので、これから「永遠の0」を読んだり見たりしたいという方は読まれない方がいいかも。)

 「永遠の0」は、簡単に言うと、ある零戦の操縦士が特攻隊員として死亡するまでの軌跡を、彼の孫たちが彼を知る元兵士らの証言からたどっていく、という内容である。

 操縦の腕は抜群だが「日本に残した妻子のために絶対に死ねない」と言って「卑怯者」とののしられても命を惜しんでいたのに、なぜか最期は特攻隊員に志願して亡くなった宮部久蔵(ドラマでは向井理さんが演じている)が主人公。

 孫たちは、「生き抜く」と誓っていた宮部がどうして特攻隊員としての死を選んだのか疑問を持ち、宮部を知る生き残った兵士らに会って話を聞いていく。

 このように自分の祖先の生き様を祖先と同時代を生きてきた人たちの話を聞いて実感する、というストーリー展開はそれほど珍しくないように思う。

 「壬生義士伝」との類似性も指摘されているようだが、それを言うなら「ドクトル・ジバゴ」もそうだし、パクリとかとは全然思わない。

 生き残った零戦の特攻隊員や操縦士、整備兵、通信兵らの話を聞いていると、NHKの「証言記録 兵士たちの戦争」で元兵士の老人たちの話を聞いているのと同じような感覚に陥る。

 同世代の孫たちが話を聞くというのは、それほど斬新だとは思わないが、若い読者や視聴者の共感を得やすくするという意味ではよい構成だと思う。

 ベストセラーにもなり、映画でも若い人たちが感涙を流したそうだから、原作者の百田尚樹氏の狙いどおりになったわけだ。

                 thunder

 兵士の中でも零戦の操縦士という最も死と隣り合わせの危険な任務につきながら生きることにあれほど執着していた宮部が、どうして特攻隊員を志願したのか、というのがこのドラマ(小説もだろう)の最大のテーマであり、孫たちが次々と元兵士らの証言を聞いていくことで、その謎を解明していく、という謎解き仕立てになっていて、そこもまた視聴者や読者を惹きつける。

 次々と現れる宮部を知る元兵士らの証言から、宮部の人間像が浮かび上がってくるのだが、そのエピソードはいささか劇画調だったりするものの、とても興味深い。

 元兵士を演じるベテラン俳優の皆さんも、いぶし銀の演技だったと思う(ちょっと若いときを演じる俳優さんとギャップありすぎの方もおられましたけど)。

 私は、これは推理小説やミステリー小説みたいに、最期の最期に作者がこの謎を解き明かしてくれるのだろうと期待して、このながーいドラマを見ていた。

 ところが・・・・・である。

                         (つづく)                      

ドラマ「永遠の0」を見てみた。(その1)

 私は、あまり戦争物の映画やドラマが好きではなく、ほとんど見ていない。

 ドキュメンタリーは見るのだが。

 映画やドラマは、どうしても虚構が入るのと、残虐シーンがあるのがイヤでついつい敬遠してしまう。

 数年前に話題となった映画「硫黄島からの手紙」もまだ見ていない。でも、原作となった本や関連本は2冊ほど読んだ。 

 栗林忠道中将が残された手紙は、その人となりや家族への思いをよく伝えるもので、また、どうしてこのような優しい人があのような過酷な作戦を指揮したのかを考えさせられる内容だった。

 栗林中将が多くの兵士の命を犠牲にしても「硫黄島の飛行場から日本へ向かって爆撃機が飛び立つのを防ぎたい、1日でも長く持ちこたえて日本を守りたい、その間に終戦交渉が進んでほしい」と思ったのは理解できる(肯定するわけではないが)。

 栗林中将は、アメリカに駐在していた時期もあり、日米の国力の違いを十分に知っていたため、対米開戦にも批判的であった。そして、極めて理性的で合理的な思考の持ち主であった。

 そのため、水際防衛作戦を排斥し、地下にトンネルを張り巡らせ地下陣地にもぐって徹底抗戦することを選択する。そして、兵士に無駄死にを戒め、バンザイ攻撃は禁止した。

 隠れるところの少ない火山島で長期間戦うには、確かにそんな戦い方しかなかっただろう。

 精神論に頼らず合理的な思考に基づいて戦ったところは、あのインパール作戦の牟田口廉也中将とは対局の指揮官だ。

 日本にも、こんな軍人がいたのだなあと思った。

 (クリント・イーストウッド監督は、この栗林中将に目をつけるとはすごい。しかも、アメリカ人側から見た硫黄島の戦いを「父親たちの星条旗」という映画にしようと考えたのも、さすがである。)

 ・・・きょうは、硫黄島の戦い70年追悼式典が行われたそうだ。

 米 硫黄島の戦い70年追悼式典(NHKニュース)

 硫黄島で亡くなられた日米の兵士の魂の安らかならんことを願います。

                thunder

 さて、ようやく「永遠の0」の話に戻ると、私は原作も読んでいないし、映画も見ていない。

 でも、ネット上で物議を醸していることは知っていた。しかも、原作者までいろいろと批判を浴びているようだ。

 私はあまり関心はなかったのだが、テレビ東京が開局50周年の特別ドラマを放映するというので、録画して少しずつ見てみた(ちょっと、怖いもの見たさかな)。

 ようやく見終わったので、これから少しずつ感想を書こうと思っている。

 あくまでもドラマに対する感想なのだが、なかなかの力作だったのではないか。

 視聴率はあまり良くなかったようだが、少なくともあの和製「オリエント急行殺人事件」よりも見る価値はあったと思う。

 原作はベストセラーだそうだが、確かにツボをついた展開で惹きつけられるものがあり、原作者がテレビ番組の構成作家だったというのに納得だ。

 私のは(例のごとく)あんまり感動的な感想ではないのだけれど、まあ、興味のある方はお読み下さい。

2015年2月14日 (土)

大須観音。

 先日、近くで仕事があったので、帰りにお参りしてきた。

P1040016

 東京の浅草観音ほどの規模はないが、独特の風情がある。

P1040019

 通りに入ると、こんなお店も。どうしてエンジェル?どうしてホース?

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 大きなセリアがあったり、オシャレな喫茶店があったりで、全体に若者向け。

 実際、平日の午後だったが、若い人が多かった。

 ちょっと脇に入ると、こんな妖しげな雰囲気のお稲荷さんもあるのだが。

P1040025

P1040024

・・・直ぐ近くに仕事場があるのに、あまり関心がなく、来たことがなかった。

 外人客もチラホラいたし、名古屋では結構人気のスポットらしい。

 でも、若者向けのこじゃれた感じのお店が多くて特徴がなく、今ひとつインパクトに欠けている感じ。

 あの「お千代保稲荷」の猥雑な魔空間ぶりには負けるような。

・・・そういえば、今年はまだお千代保稲荷にお参りに行っていない。

 休日も書面書きに時間を取られていて、ゆっくりしている暇がないうちに、あっという間に2月も中旬。

 確定申告もしなきゃならないし、提出期限のある書面を次々と書き上げなきゃならないしで、気持ちはあせるばかり。

 観音様、お稲荷様、どうぞお助け下さい。

2015年2月 5日 (木)

「ぷえるとりこ日記」(有吉佐和子著)を思い出す。

 若いときに、友人に「面白いよ」と勧められて読んだ本。

 有吉さんのアメリカ留学中の実体験がベースにあるらしいのだが、プエルトリコに研修旅行にやってきたアメリカ人エリートの女子大生ジュリアの日記と、日本人留学生(有吉さんがモデル?)崎子の日記が交互に紹介されるというスタイルの小説。

 貧しいプエルトリコ人たちとの生活の中でジュリアと崎子が感じることを対比させ、ジュリアに代表されるアメリカ人エリートの偏見や傲慢さを浮き彫りにしており、かなりステレオタイプに描かれてはいるものの、実際のところアメリカの保守系白人エリート(最近ではWASPというらしい)には内心こういう貧しい他人種の人たちを見下している人も多いのではないか。       

 研修旅行中、崎子は、当時のプエルトリコ人がアメリカ資本に搾取されているために貧しい生活を送らざるをえないことに気づき、かつての貧しい日本を思って陰鬱な気持ちになるのであるが、ジュリアはプエルトリコ人のそんな苦境には全く無関心で貧しいのもプエルトリコ人が悪いせいと決めつけ、自分の享楽と輝かしい将来のことばかり考えている。

 そして、ジュリアは露骨に態度で示さないものの、容姿が優れず内省的な崎子を内心馬鹿にしている。

 そんなとき、イケメン・モテモテの名門プエルトリコ人の男子学生ホセが現れて、なぜか日本人の崎子に好意を持つ・・・という、ちょっと少女マンガ風要素も加わる。

 (最後はちょっと有吉さんの願望が加わりすぎのような気もするが・・・。)

 読みやすい文章だし、短いので一挙に読める。そして、なんといっても面白い。

 ほろ苦い結末ではあるものの、ユーモアあり皮肉ありで、さすが有吉佐和子である。

 50年も前の本ではあるが、今読んでも新鮮だと思う。プエルトリコを舞台にしているものの、中東問題にも通じるところがあるように思える。

 私自身も、今のアメリカ人エリートも内心こんなこと考えているんじゃないのかなどと、テレビに登場するアメリカ人エリートの発言や態度などを見て思ったこともある。また、アメリカに観光旅行に行ったときに、白人アメリカ人にそういうところを感じたこともある。黒人の方が親切で優しかったり・・・。もちろん、人によるのだが。

 留学経験のある方なら、この崎子のような体験をされた方は結構おられるのではないか。

               cloud

  アメリカの保守系エリートや軍人には、イスラムの人々を自分と同じ人間と見ていない人もいるのではないかと思う。自分たちと同じ人間が地上にいると思うと、なかなか空爆ということはできないはずだ。

 自分たちは安全なところにいて裕福な暮らしをし、地上の貧しい不遇な他国の人たち(無辜の民を含む)には平気で爆弾を落として残酷な死をもたらす。それも、他国の人たちの平和な暮らしのためというより、自分たちの利権を守るため。

 人質に取られた自国民1人の命は必死で守ったり助けようとするのに、他国の民間人が(罪のない子供もふくめて)何百、何千、何万人と死のうとも平気。

 自爆テロをしたりイスラム国に参加してしまう人たちには、宗教の違いだけではなく、アメリカに対してそういう憎しみや反感があるのではないか。

 テロリストはもちろん殺人犯として処罰されるべきだが、イスラム国はこういう人々の憎しみや反感をブラックホールのように吸い込んで膨張しているように思う。

               typhoon

 日本も原爆や大空襲で同じ体験をしている。日本人はかつて空爆される側の国民だった。

 日本は、アメリカに原爆を落とされた有色人種の敗戦国でありながら、戦後経済成長を遂げ、国際的地位も高くなったこと、宗教にこだわりを持たないこと、侵略戦争をした過去の教訓をもとに平和憲法のもとで戦争に参加しないことなどから、イスラム諸国の人たちも安心感や信頼感を抱いてくれていたのだろう。

 「ぷえるとりこ日記」のプエルトリコ人ホセが、アメリカ人のジュリアらではなく、日本人の崎子に好感を抱いたように。

 日本国民も日本の企業も、そういう財産をもっと大切にするべきだろう。

2015年2月 3日 (火)

これからはテロ対策のためのコストが嵩むことだろう。(追記あり)

テロ標的で空港に緊張感 (共同通信)

首相、テロ対策強化へ決意示す (共同通信)

 今、例の首相の演説について、このような議論になっているようだ。

「安倍首相のせいで日本人がテロの標的に」 ジャーナリストの指摘に疑問、反論が噴出

(JーCASTニュース)

 首相の責任を強く追求する記事はこちらなど。

首相のうっかり発言が致命傷に 安倍外交慢心と誤算 (週刊朝日記事)

接触も交渉も「なかった」…安倍政権が踏み入れた泥沼報復戦 (日刊ゲンダイ)

 対して、首相の演説内容には問題はなかったとする方のブログ記事はこちら。

「イスラーム国」は日本の支援が「非軍事的」であることを明確に認識している中東・イスラーム学の風姿花伝

 日本語の強すぎる「戦う」という首相の表現を、外務省が英語の翻訳で和らげたというのは、なるほどと思った。そういう配慮をしてくれる外務省の人がいてよかった。

 しかし・・・である。

 安倍首相が集団的自衛権行使を閣議決定していることだって、イスラム国は十分知っているだろう。そして、アメリカの要請で、自衛隊がシリアにやって来るかもしれないことも予想しているだろう。

 この演説の後、首相は、しきりに人道支援を強調していた。しかし、あのような場でのあの演説のあとでは、本当にそれだけかと疑いを持つ人たちも多いことだろう。「非軍事的」といっても、有志連合の軍隊への「後方支援」も含まれると受け取られるかもしれない。

 イスラム国の中心メンバーたちは今の日本が軍事的支援などできないことは十分承知のことだろうが、イスラム国に参加したりシンパシーを感じている人たちがどう思うかは別。

 英語のニュアンスを理解できるほどの教育を受けていない人、そもそもアラビア語だって読み書きできない人が多いだろう。

 イスラエルと日本の国旗がずらりと並んだ前に、両国の首相が立って「イスラム国」と闘う決意を述べるなんて画像を見せられたら、彼らはどう思うのか。

 イスラム国というテロリスト集団が実際にどう思うかではなく、狡猾な彼らにどう利用されるリスクがあるかを考えるべきだった。 

 日曜日のNHKスペシャル(元イスラム国兵士らや被害にあったシリアの人たちのインタビューで「イスラム国」の実態にせまる力作だった)を見たが、イスラム国はシリアの少年たちをさらうだけでなく、世界各地で戦闘員をリクルートしているらしい。

 そのリクルートのやり方は、まるで日本のオウム真理教を思い出させるものだった。

 そして、さらってきた少年たちやリクルートしてきた各国の人々を、徹底した洗脳教育と戦闘訓練によって、優秀なテロリストとして育て上げるのだそうだ。

 中東を歴訪するなら、有志連合の首相との対談や演説の映像ではなく、首相自ら難民キャンプや学校に脚を運び、子どもたちに医薬品や食料品や文具等を手渡す映像でも流した方がよかったと思う。

 安倍首相はイスラム諸国の人々ではなくアメリカの方にばかり眼を向けていたから、こんなことになったのではないか。

                    thunder

 これからは、日本はテロ対策のために多くの国費を費やさなければならなくなったし、国民も海外だろうと国内だろうとテロの標的となる可能性があるという覚悟を持たなければならなくなった。

 NHKスペシャルによれば、ISISは世界各地に組織や支援者を作っているようだ。

 安倍首相は、何の反省もなく、「イスラム国に罪を償わせる」(一体どうやって?!)「邦人救出のために自衛隊を派遣することも認められるべき」(アメリカの特殊部隊にもできないことが日本の自衛隊にできるの?!)などと豪語しており、後藤さんの殺害を好機にイスラム国に対する日本国民の怒りを煽っているかのようだ。

 しかし、後藤さんも、そんなこと望んでいないだろう。

 極悪非道なテロリスト集団が許せないのは当然のことであるが、どうしてそのようなテロリスト集団が生まれたか、日本としては彼らにどう対応していけばいいのか、を深く考察することもなく、ただ感情的に怒りを煽るような発言はいかがなものか。

 日本国民も中東問題やアメリカとのスタンスの取り方について日本の選択を考えるべきときだと思うが、今回の首相の軽率な言動は許されるべきではないし、このような軽はずみで好戦的な人が将来も首相として外交交渉を担っていくことを認めるにはあまりに恐ろしい世界情勢だと思う。

                    typhoon

 この対談記事はちょっと古いものだが、今まさにこの最悪のシナリオに向かっているようで怖ろしい。

 イスラム国での戦争でアメリカのポチ日本が敵視されテロの対象となる最悪のシナリオ

 (週プレニュース)

 海外に行くにせよ、日本国内の人の集まる場所に行くにせよ、これからは不安がつきまとう。

 安倍首相をはじめとする要人の警護はこれからは更に厳重になされるだろうが、一般庶民の日本人には(国は身代金の支払いを断固拒否するのだし)命の保証は何もないと思っておいた方がいいだろう。

 これからは、テロ対策のための負担が、企業にも国民にもずしりと重くのしかかってくるのである。

(追記)

 安倍首相は対テロ発言を慎重に! (ダイヤモンドオンライン)

 この田中秀征氏の記事に同感!

 首相である以上、このような配慮は当然だろう。

田原総一朗「イスラム国に『絶好の機会』を与えてしまった安倍外交」 (週刊朝日記事)

 ようやく田原氏もこういう記事を。

 ・・・あのイスラエル国旗と日本国旗を前にした会見に反応しないジャーナリストはないだろう、と思う。

 外務省の人たちも、せめて場所を変えて安倍首相に発言させるとか、もうちょっと考えなかったのかと思う。いくらなんでも、配慮なさすぎだろう。

2015年2月 1日 (日)

最悪の結末。

 詳細はまだ不明だが、とうとうこういう事態になってしまった。

 イスラム国武装勢力、後藤さん殺害の卑劣<動画>日本に「宣戦」するメッセージ (東洋経済オンライン)

 安倍首相は、あいかわらず「テロと断固闘う」と気炎を上げているが、テロと闘う方法にはアメリカやイギリスと同列の方法以外にもあるだろう。

 アメリカの正義=日本の正義とは限らない。

 私は、この元イラン大使がおっしゃることがもっともだと思う。

 安倍外交が「イスラム国」のテロを誘発した 孫崎享・元駐イラン大使に聞く(東洋経済オンライン)

 日本国民は、日本がアメリカとイギリスと同じ闘い方を選択することに納得しているとは思えない。

 そもそも日本はアメリカやイギリスのようなテロ対策など全くやっていない。

 日本国内も、生活保護受給者が激増している状況だし、原発問題や予想される大地震対策などで手一杯だろう。

 マスコミは、詳細が判明した後、安倍首相の責任もきっちり追求して、日本国民に選択のための情報をしっかり提供してもらいたい。 

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