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« 腹立たしい証拠保全・・・Twitterもどき(5月21日午後10時50分) | トップページ | 読まないけど紹介だけ。・・・「絶望の裁判所」(瀬木比呂志氏著) »

2014年5月24日 (土)

こうなることはちゃんと分かっていた中坊公平氏。・・・司法審議事録より。

 日本の弁護士も、ついに「ハイエナ」などと言われるようになってしまったようだ。

  ハイエナと呼ばれる弁護士 (黒猫のつぶやき

  弁護士「激増」社会を憂う有志弁護士会の挑戦

         (元「法律新聞」編集長の弁護士観察日記)

 でも、こういう事態になるだろうことを、司法制度改革審議会の委員の中にも予見していた人がちゃんといたのです。

 ・・・その人は、なんと、あの中坊公平氏。

  中坊公平氏は、司法試験合格者3000人を提唱しつつも、このような発言もしているのです。

 少々長い引用になりますが。例の「法曹一元」を中坊氏が提唱したときの発言です(一応全部引用しましたが、最初の方は読み飛ばしてもらって結構です)。

 注:青字は私のチャチャです。

 以下、司法制度改革審議会集中審議(第3日)議事録 より

【佐藤会長】1時半にはなっていませんが、石井委員はちょっと遅れるそうですけれども、せっかくこうやってそろっているのですからスタートさせていただいてよろしゅうございますか。

 それでは、午前中に引き続きまして、法曹一元の問題について御議論をいただきたいと思います。

 先ほど最後のところで、少し問題点を整理しましたけれども、どういう順番、どういう点についてお話になっても結構でございますから、どうぞ御自由に御発言いただければと思います。

 それでは中坊委員どうぞ。

【中坊委員】ちょっと長くなるかもしれませんけれども、まず最初に、昨日佐藤会長がおっしゃったことを、わざわざ図表に書いてなぜ示したかということについて申し上げたい。私は非常に残念に思いますのは、佐藤会長が昨日おっしゃったことは、まさに信念に基づいておっしゃったんでしょうし、お言葉だけのことではないはずだと思うんです。なぜこの図表を今日書いたか。何も現在の司法というものが行政と立法との関係においてどうなっておって、それを脚立みたいにして裁判官の中核のものを、誰か支えるものがなければ司法の本来の役割を果たさないでしょうと、まさに昨日おっしゃったことを私はそのように理解して、裁判官というのは今みたいに宙に浮いておって、枝から果物がぶら下がっているような格好ではだめであって、まさに国民の間から脚立のように裁判官というものを本当にしっかりと支えなければ、司法本来の役割というものを果たせないじゃありませんかということを、私は昨日は佐藤会長のお話をそのように聞いておったから、それを図表にして出したのであります。

 今日議論が出ていましたように、先ほど竹下さんがおっしゃったように、なぜ弁護士任官がないんだろうか。そのような現象面だけからいって、それに対する手当てをすればそれで済むのか。「法曹一元」という言葉は、先ほど言ったように確かに色あせておって、これは非常に誤解を招きやすい言葉で、これはちょっと私もいかんかと思いますけれども、一応今日は「法曹一元」という言葉を使わせていただきますけれども、なぜ法曹一元がそれほど必要なのかということです。それは単に弁護士任官の現象とか、そういう問題ではないんだと。まさに司法の中核である裁判官制度というものを、本当に安心して国民が判断を任せる制度にしないといけないという制度論の問題であって、たまたま今まで弁護士任官がなぜ少なかったのかということによって問題が解決するものではない。まさに、それは新憲法ができて、少なくとも佐藤会長の昨日のレジュメによれば、日本は明らかに英米法的な法の支配理論をとってきたというふうにお考えになっているのであれば、そこで、戦後の裁判所法が生まれたときに、なぜ判事補という制度が入ってきたのか。それは竹下さんのおっしゃっているとおりで、司法省から最高裁が初めて生まれてくるときに、今までは確かに司法官で、これが一つの問題だったかもしれないけれども、裁判官は追放になっていない。そういうことから、司法官僚による判事というものとの関係の今までのいきさつがあって、終戦後においても、先ほど言うように法が社会の血肉化せず、そしてまた、国民が基本的に言えば客体意識から主体意識に変わらなかったんでしょうけれども、いずれにしても、そのように130年持ち続けてきたということが、終戦後になって新憲法の下でも、司法においてそれが実現しなかったというところに大変な問題があって、そういう歴史的なものを踏まえて考えるべきで、そこのところの諸悪の根源が、鬼門が、判事補制度にあった。

 判事補というのは、先ほどから言うように、司法試験に受かって、それを裁判所が採用して、そのまま連れてきて、そして判事補を10年やれば、今は特例になってさらに5年と短くなっていますけれども、いずれにしても、本来言えば10年間そういう判事補を、いわゆる子飼いの者でやりますということにした。まさにそこは竹下さんのおっしゃったとおりであって、臨時の制度として存在したものが、裁判所法も幅広いところから裁判官に全部なってほしい、法律の専門家であれば、それは学者であれ、誰であれ、そういう人がなってほしいという制度をやりながら、先ほどのような万一人手不足のときにはどうするんだ、司法官僚が前から残っておったから、たまたま判事補制度というものが残っちゃって、それが戦後の司法というものをまさに根幹において、今のような私の言葉で言えば、二割司法の状態に持ってきたことにあると思うんです。

 先ほどから私も言いましたように、なぜ判事補制度がそれほど悪いのかということです。私は前から言っていますように、まさに裁かれる立場というものを全く経験しない人が、どうして裁かれる立場に立つ国民の権利とかというものに共感を持つんでしょうか。裁く立場と裁かれる立場というのは根本的に違うんです。野球だって守る方と攻める方が、打つ方ばかり9回打ったら、その人が守ることの苦労なんか分かりますか。そこは最初から打つ方だけのもので互換性がなくてもよくて、判事補制度をそのまま残していって、あと弁護士任官を増やせばよいんだという論理には決して私はならないと思うんです。

 先ほど言うように、それでは最初は、判事補制度というのは単に不足を一時補うものとして予定したので、本来は幅広く弁護士も検察官も学者もみんな法律の専門家からなってくれることを予定した。それがなぜならなかったかということです。これもまさに判事補制度そのものと関係があるんです。判事補というのは何を10年間教えるかといったら判決の書き方を教えるんです。藤田さんだってそのとおりです。判決というのはどうして書くんですか、要件のところはこう書いて、理由を書いて、このようにして書くんです。判決書の書き方です。弁護士がすぐなったって、一般の素人ではできないでしょう。判決という特殊の文体をつくって、こういうもので判決するということで。だから、実際上はできないんだ。

 私は率直に言って、まさに平成2年、私は自ら弁護士任官をもっとさせるべきだと、一本釣りではおかしいと言って、弁護士会も会議をして、当時の最高裁事務総長と法務事務次官と話をつけて、弁護士任官の制度をつくったのです。そのときにも前最高裁長官の矢口さんが私に、「中坊さん、あんた、なんぼやってもだめだよ。弁護士任官によっては、中坊さん、決して裁判は変わりませんよ。なぜならば、判事補がああいうプロだと思って威張っている世の中に、誰が裁判官に新しくなっていっても、その人が裁判官として生きていけますか。必ず、そのときにおける判事補で子飼いを持ってきて、判決書の書き方に熟達した者だけが裁判官になる。そこを無視して判事補制度を残したままでやるようなことなら、なんぼ弁護士任官をやっても、中坊君、これは成功しませんよ。」ということを、彼はその当時言っていた。私は「それでもいい」と。しかし、どこに欠陥があったのか、弁護士任官といったら、弁護士さんはすぐ行く行くと言っているけれども、実際はなりませんよという実態だけでも、社会でこれが事実であるということを示し、弁護士自身も反省しなければいかん。だから、その制度であっても、弁護士任官という制度を最高裁と法務省と約束して、弁護士任官制度というものをつくって、それをやらせたいということをやってきたんです。

 しかし、最初から判事補制度を残す限り、弁護士任官は成功しないということは私も分かってやっているんです。ところが、先ほどの高木判事は、正確に言いますけれども、あれは私が言った弁護士任官よりも前に、裁判所の一本釣りだったときに行かれた方であって、私の知っている限りでは、高木判事という方は私が弁護士会推薦の任官制度をつくる前の方なんです。だから、そういう方のおっしゃっていることを読んでるけれども、実際、弁護士任官に行った人は、竹下さんどころか、出征兵士を送るみたいにして三十何人の裁判官を本当によく聞いて実態を知っていますよ。彼らが何を言ってきたかというのは、そんなもの、論文で読んでいるだけじゃないですよ。何十人に私は会って話をしてきているんですよ。君らがどうなんだという話は、私自身は、失礼ですけれども、単に言っているだけではない。自分で制度を実行してきた男なんです。

 だから、判事補制度を残すということに基本的に問題があるわけです。キャリアとしてもよいところもある、公正だとおっしゃいます。でも、公正さは、私が昨日も言ったように、多少倫理観がある者であれば、公正さというのは保てるんです。そういえば、弁護士でも、私でもそうでしょう。私は大企業の代理人もしています。あるいは国の代理人もしています。しかし、庶民の代理人もできるじゃないですか。私自身は、自分の体の中が原告になるときもあれば、被告になるときもあり、そういう立場を互換してやってきて、それだったら、もし賃貸人ばかりだったら、賃借人になったら、それができないようになるかといったら、そんなことはできますよ。だから、基本的に態度の互換性があれば公平にできると思うんです。

 私はここで、ぜひ皆さん方に卑近な例で御理解いただきたいと思うんだけれども、相撲を見てくださいよ。相撲の審判は行事がやっていますか。なるほど行事は軍配を上げます。しかし、行事指し違えの場合は、4人立った親方が判断するんです。あれは本当に相撲をとった者でなければ勝ちか負けが分からないんです。私は今の議論に何が抜けているかというと、裁かれる立場というものを全く経験しない判事補制度というのは特殊な暫定的につくった制度で、子飼いの制度をそのまま残していくというところに今回の抜本的な問題点がある。確かに今おっしゃるように給源というものを、その意味ではそのとおりなんです。先ほど皆さんのおっしゃったように幅広く、何も弁護士に限りません。確かに法律の専門家、いろんな方を給源とするのは正しい。そのためには選任方法が非常に難しい。今のように最高裁が1か所においてやってあるといったって、全国の3,000名近い裁判官を全部事務総局でやるといったって、どこかに自分の子分がちゃんと派遣してあって、子分と言ったら失礼だけれども、出先の方からの報告書によってなさることになるわけでしょう。だから、1か所に中央に統一してやれば、中央官僚のもとに、どんな制度であっても、警察でもそのとおり、結局キャリアの制度になってきて、そこに基本的な問題があるんじゃないかということを言っているわけです。

 だから、選任方法の中ではある程度分かる範囲、少なくとも7ブロックとか8ブロックとかそういうブロックになれば、吉岡さんの言う転勤問題もそれなりに片づいてくるんです。裁判官は今のままですとピラミッドでしょう。だから、簡裁よりも地裁が偉い。例えば、地裁と高裁、あるいは最高裁。そうすると地裁よりも高裁の方が偉いみたいな発想になってくる。これはそうじゃなしに、訴訟構造そのものが地裁は事実審だと、高裁は法律審だというふうに変わっていかないと、おっしゃるように、地裁の裁判官で一生、自分はそれでプライドを持って全うされるということにはならない。藤田さんでも最後は広島高裁長官かなんかでしょう。所長になって行かれる。それが立身出世街道で、所長になって高裁判事になったり、こうしてこうなっていくんだという流れがある限り、人事制度というものになるんです。だから、基本的に選任方法においても地方分権を指したような、あるいは吉岡さんのおっしゃるように、民間の意思、例えば、私はそこの県の知事さんがみんな寄られるというのも一つのアイディアだと思います。だから、民間の意思が全く反映する方法がないわけじゃない。山本さんのおっしゃるように、そんなものは無理だとおっしゃるけれども、例えば、東北の知事さんが5人か6人でおって、その方も一緒に参加するとか、あるいは裁判官も参加する。そして弁護士も参加する。その中で選ばれて、その経過がしかも透明で分かるようにしなければならない。そうでないから任官拒否というのを弁護士会が問題にして、いつも問題になっているでしょう。だから、ああいう制度のないように、そこを透明化させて、また市民的な基盤を与えなければ、先ほどから言うように、司法もやはり脚立の上に立たなきゃいかんのやということを、どれほどか我々が努力をしないと、そういうことはできるものではないんじゃないかと私は思うわけです。

 先ほどお昼前に会長がおまとめいただいたように、「法曹一元」という言葉自体も問題がありますけれども、それの問題は、給源の問題と選任方法の問題と人事制度の三つがあるということは、これは私もよく分かるけれども、ただ、すべての前提として、判事補制度を残したまま直すということは全く不可能な話であって、それを残しつつ弁護士任官をよりできるようにという形ではできてこない。今度は判事補を廃止したら、終戦のときも現に人手不足になったときにどうするんだという問題が出てきて、確かにそのときは弁護士の数も少なかった。だからこそ弁護士の層を厚く、しかも多数になってこないと、今のままだったら日本は弁護士が10人以下に裁判官が1人。ところが、御承知のように外国なら弁護士20人に1人ぐらいが大体の数なんです。だから、弁護士がもっと幅広く、もっと重層的に存在して、私の言いたいのは、まさにピンの人が裁判官に選ばれていくという形になってくるということが必要だ。そういう意味における受皿が要る。確かに臨司意見書のときは、おっしゃるように、そういう意味における弁護士さんの基盤もそろっていないじゃないか。そのことから思えば、昭和39年からしたら弁護士の人数だけは3倍近くに膨れ上がっています。しかし、弁護士会はすぐ在野とか、まるで自分たちが占領するみたいに、官の支配を排して民やと、そればかり言っているからこれはやっぱり問題だと思っておって、確かに私も佐藤会長がおっしゃる公共空間という理論は本当に感動を覚えて、今言っているところですから、そういう制度全体を根本的に把握して、どうあるべきかということを考えるのがこの司法制度改革審議会だと思うんです。

 弁護士任官がもう少しできるように工夫しようじゃないかということによって、しかも、根幹の中核となるべき裁判官の制度が違えば、もう民事手続訴訟法も刑事訴訟法も刑事手続も行政もみんな変わります。ここが変わらない限り、また何をなぶってみても直りません。弁護士会は多くすることに賛同しますよ、変えていきますよということを言いました。しかし、恐らくこの判事補制度をこのまま残して弁護士任官を増やしていけというようなことで、私は弁護士会そのものを説得するだけの自信はありません。それならそれでやむを得ない。日本の司法制度を根幹から変えたことにはならないと思うんです。だから、先ほど竹下さんのおっしゃったようなことは、全然当を得ていない。私はそう判断します。

 判事補制度が、弁護士任官の障害、ひいては法曹一元の障害になっているから、判事補制度を廃止せよと主張する中坊氏。

 【竹下会長代理】私は、決して弁護士任官だけを増やせばいいというようなことを申し上げたつもりはございません。裁判官には多様な人材が必要である。そのためには、いろいろな経験を持った方になっていただきたい。その中で特に熟達した弁護士というものになっていただきたい。しかし、それは現実に実現しないから、どうしたらいいかということを申し上げたのです。現在のキャリアシステムの改革の必要性、その改革の方向についても申し上げたつもりです。私が申し上げたことを、弁護士任官だけを増やせばいいと言っているのだと言われるのは、はなはだ心外です。

【中坊委員】私はまさに竹下さんがおっしゃるように、なぜ弁護士任官がならないのかと言えば、究極に言えば判事補制度があるからなんです。判事補制度を廃止しない限り、9割方の人というか、ほとんど10割に近い人がみんな子飼いの裁判官として採用されて研修を受けてきて、一番若い人で頭の柔軟なときに自分の子飼いをつくって、その者ばかりにするじゃないですか。そんなところに弁護士任官で途中から来いよ、入り口は開けているんだと言っても、それは行かないですよ。今あなたが言われるように僕も知っていますよ。先ほどもおっしゃったように、弁護士が裁判官になるときに、事件先をしまうのが大変だ。そのために弁護士が寄って後の事件先を守ったりとか、そういういろんな制度を私たちとしてもやってきています。また、その後戻ってきたときどうするんだということもやってきました。それこそ数えれば、竹下さんと違って、私は何十人という辞めた裁判官もみんな自分の経験の中で見てきているんです。だから、一人一人がどういう理由でなって、何がなりにくくて、なぜなれたか、あるいはまたなれないのかも見ています。

 例えば、今おっしゃるように法人化すればよいというでしょう。弁護士任官のときに何十人という弁護士の事務所があるんです。そこだけ集めて、君ら誰か1人出せと言っても出さないんです。そうしたら、そこから外国へ留学には行くんです。10人いるところは誰か1人出して、そこが戻ればいいじゃないかと言っても、今の裁判所には行きたくないと言って、外国に行く弁護士はあり得ても、裁判官になるのは嫌だ。間違いだと思ったら、弁護士会へ尋ねてみなさいよ。私はそれを実際やったんだから、集めたんだから。せめて10人おれば、代わりができて、君らの事務所にまた戻してやったらいいじゃないかと私は言いましたよ。それも一回じゃないですよ。東京でも集め、大阪でも集め、私は集めてやりましたよ。しかし、それでもならないんです。なった人は、お分かりになるか知らないけれども、ほとんど一人の事務所でやった人が店を畳んでなっているんです。10人で数が多かったから、そこから弁護士に戻ったということの例はそれこそ一人もないんです。

【竹下会長代理】そうでしょうか。

【中坊委員】三十何年ないですよ。

 今、竹下さんがおっしゃると、そうかなと思われるかもしれないけれども、非常に当事者的かもしれないけれども、それなりに弁護士任官でうまくいくものならいいと思って、それを実際私のときにやった。当番弁護士だってそうやらせた。だから、もっとこういう制度に変われと言って本当に私は実践してきたんです。

【佐藤会長】従来はそうであったとしても、これからは弁護士の。

【中坊委員】だから言うんです。それは判事補制度というものを廃止しない限り、私に言わせたら、これはなりませんよ。

【佐藤会長】いきなりそう断定されても。まさにこれからそうした点について御議論を深めていただきたいのです。

【竹下会長代理】中坊先生がおつくりになったことはよく分かっています。それから事務局の方でつくってくれた「『法曹一元』についてのレポート<参考資料>」という中にも、先生が当時「自由と正義」でインタビューをされているのが出ています。しかし、この中では、判事補制度をなくさなければ、弁護士任官制度をつくっても難しいということは全然出ていませんよ。

【中坊委員】言っていないですよ。だから、私もそのときには、判事補制度を保存しておいたままであっても、今まさに竹下さんがおっしゃるとおりなんです。今、佐藤会長はそうおっしゃるけれども、私はそれで何とか可能にならないかとやってきた。私はある意味で実験しているんです。だから、最初から判事補制度をなくすなんて、それは確かに一部の官から民への裁判官と言っておられる人は、そんなことを言っておられました。しかし、私は会長としては、そんなことを言ってどうするんだと。やはり現行制度のままで何とかなる方法はないのかといって、私はインタビューで答えたとおりです。判事補制度を残したまま弁護士任官を多くしようと思って努力してきたんです。最初から判事補制度はなくさなければいかんなんて言っていません。その結果、私の到達した結論は、結局そこをなくさない限りどうしようもないなということでした。しかし、私が弁護士任官をつくったときから、矢口さんは、「中坊君、これは無理だよと。それはなぜかと言えば、こうだよと。あなたが言っておられる三ヶ月さん自身も、自分はなれないなと。なぜだと言ったら、三ヶ月さんでも、私も判決を書けと言われたら書けへんわ。」と、こう言っていたんです。だから、なんぼ学者が立派になっても今の判事補制度からかかってきた熟練工みたいなものをつくられて、そこへ合わせろと言ったら、「三ヶ月さんでもなれないよと中坊君言っているよ。」と。そうすると、誰もがああいう特殊な仕事みたいなことはできないんだと。さっきから言ったように、私は何も最初から判事補制度を廃止せいなんて言っていないですよ。それで言ったけれども、「中坊君、それでやってごらん。必ず君、失敗するから。」と。私に言わせたら、それがそのとおり失敗しているんです。今、架空の論議をすべきじゃないと、私は実際体験してやったんですから。それをよく理解してほしいと思うんです。

【佐藤会長】それでは髙木委員どうぞ。

【髙木委員】論点整理に関する論議をしていました時期に、私、お願いをして、「裁判官の独立」という言葉を入れていただきました。そのときもいろんな御意見があったやに、うろ覚えですが記憶しております。今日の「法曹一元化」という言葉はともかくとしまして、この議論について、背景に日本のキャリアシステムが現在のような運営になっているがゆえの問題点というのも大きくかかわっているなという認識もあり、特に評価の問題等について、2度にわたって最高裁の方からお教えをいただきました。ある部分は分かりましたが、まだまだ分からないところもあるというのが私の実態でございますが、いずれにしても、任用・人事、これは転勤等も含めて、加えてそのベースになります評価あるいは給与の体系等々、極めて日本的なキャリアシステムという中で形づくられている実態が、率直に申し上げて非常に閉鎖的で国民にもオープンになっていない。そんな意味で、このキャリアシステムが持っている、そういった面での問題点にある種の危機感といいますか、問題だというふうに感じている人はどんどん増えつつあるのではないかと思います。

 そういう意味で、裁判官というお一人お一人という世界をできるだけ封じ込めて、裁判所といいますか、組織とか機構という感覚や論理で日本の裁判官の皆さんの世界を、よく言えば、統一体制を維持していく、悪く言えば、管理コントールして封じ込めていくということになるのではないか。その辺のことについて、より透明性の高い、あるいは、もう少し裁判官の独立ということとの兼ね合いも十分配慮した上での国民の参加といいますか、そういう仕組みも要るのだろうと思います。そういう意味で「法曹一元」ととりあえず言わせていただきますが、このような仕組みを求めている背景には、中坊さんも同質論とおっしゃいましたが、そちらの方からくる要請も強いんではないかなと思います。

 今朝ほど来、法曹三者はできるだけ一体にというお話があり、さっきの休憩時間のときに二、三の方にお聞きしたら、三者の関係は大分昔よりよくなったよというお話をお聞きしましたが、根っこのところで、例えば、こういうことがあるから、そういうことが現に行われている条理と、我々が同じ価値観を共有して一体化、一体化というのは傷のなめ合いでないはずで、切磋琢磨なり、お互いにしんどいところは、しんどいことを承知しながら意見を言って直し合っていく。そういうものだろうと私は思いますが、例えば、去年の3月の毎日新聞に、アソシエーション・オブ・ジャパニーズ・ジャッジズという日本の団体がありまして、これは1957年の設立ということでございますから、もう四十何年前のことです。ただ、これは組織的な実態はない、国際裁判官連盟に参加する受皿が要る、多くの裁判官の人たちは、自分たちがこういう組織に連なっているということを、ほとんどの方が御存じないというふうにこの新聞記事には書かれていました。これは大分前のことなので、今は大分変わっているのではないかというふうに思っていたのですが、たまたま「法の支配」という雑誌に裁判官団体に関する記事が出ておりました。これは1998年の2月号に当時の最高裁長官の三好さんが、第7回アジア太平洋長官会議というのに御出席になったお話が書かれております。このお話は、「ローエイシア地域における司法部の独立原則に関する北京声明」というのが、その前の前の長官会議、北京で行われたときに議論になり、日本の最高裁は署名をしていないということで、この長官会議の事務局を御担当の方から、日本もぜひ署名して参加してくださいという要請が来て、三好さんが行ってその話をつけてこられました。署名は実際にお帰りになってからされて送られたようなことが書いてございます。その中で日本の最高裁は、北京声明の第9条、ちょっと読ませていただきますと、「裁判官は、適用可能なすべての法律に従い、その利益を代表し、職業訓練を促進し、その他独立を守るために適切とみられる行動をとるための裁判官の団体を結成し又は参加する自由を有するべきである」というのが9条です。これを日本の最高裁は留保をして署名するという形にされました。それは歴史的にいろんな経過もあったのかもしれませんが、留保するに際して、最高裁はこういう見解ですという、「ローエイシア地域における司法部の独立原則に関する北京声明」についての日本国最高裁判所長官の見解というのを発しておられまして、それも読んでみたら「政治的中立性に関する疑念を生じさせる危険を引き起こすおそれがある」というのが、その論旨の中心でございます。

 裁判官会議のお話とかいろいろ聞きますが、実質的に裁判官会議が本当に機能する形で裁判所の中にあるのかといったことも、いろんな方々からそれとなく漏れ聞くわけでございまして、そういうことに象徴されるようなことが一方であって、一方で、こちら側はこういうことでお互いに信頼し合おうということに、私は法曹三者の中の人間ではありませんのでよく分かりませんけれども、本当の意味での信頼感というのが形成されるんでしょうか。もちろん最近、日本裁判官ネットワークという団体等も任意でつくられておりますように、それぞれいろんなお考えの人がおられるので、一概にいいの悪いのというコメントはできない面もあろうかと思いますけれども、現にこういう北京声明に対する署名に対しても留保をされるような感覚の中に、裁判官ネットワークの運動等につながっていく、もちろん、そんなに嫌ならおやめになったらどうですかという世界も、そういうおっしゃりようの方ももちろんおられますので、それはどういうふうにそれぞれの運動を評価するかということだと思います。そういう実情の中で弁護士任官のお話がありましたけれども、これは中坊さんいろいろ言われましたから重複しますが、現行の任用なり、評価の仕組みを続けていて、弁護士任官はなぜ増えないのだというのは、どうも片手落ちのおっしゃり方ではないかと思います。

 それから判事補の問題ですが、確かに一遍にはいかんということで、現に今年の10月に出られる方々の中からも判事補はとられるんだろうと思います。今年の秋でやめたとしても、まだ50年はそういう方々が、あるいは、そういうキャリアをとってこられた方は、まだ40年以上にわたっておられるということで、弁護士さんなり、検事さんなり、あるいは大学の先生なりが裁判官になっていかれるとしても、かなりの期間、いわゆる併存という状態が続くんだろうと思います。そういう意味で、冒頭に竹下さんから御紹介もありました兼子先生のお話等も関連して、戦後の過渡的な制度、あるいは緊急避難的な措置ということでセットされたものが、言葉は適当かどうか知りませんが、その後、制度として居直っちゃって、あたかもそれが主流であるかのごとくなってしまった。

 それからもう一つは特例判事補の制度、先ほど井上さんからございましたけれども、これも人の充足が十分でないという一方での理由で、こういうことになっているわけです。人の充足がまず最優先だろうと思いますが、やはりこれは早く廃止すべきだと私は思うわけでございます。給源の多様化で多様な裁判官をということで法曹人口増の議論もしてきたはずですし、そのための一つの方途としてロースクールの話もしてきたわけですし、それから弁護士が増えても本当に裁判官に任官する人が出てくるのか。変われば変わると中坊さんはおっしゃるけれども、本当にそうなっていきますか。その辺も私どももう一つ分からない世界ですが、ただ、官から公へという発想に変えられたという、その辺はすばらしい発想転換じゃないかと思います。

 それから最後に、今朝ほど竹下先生が言われましたが、私もどこで議論していただくのか分からないのですが、例えば、最高裁判所の判事の皆さんの構成の問題、あるいは裁判所の運営の問題、先ほどちょっと申し上げました裁判官会議の形骸化を初め、あるいは最高裁事務総局というところの持っている機構の中での権能の問題等々、どこで議論するのかということなのですが、またどこかでそういうものを議論する機会をぜひつくっていただきたいと思います。

【竹下会長代理】補足させていただきます。先ほど兼子一教授のあれを申しましたのは、決して臨時だということを言っているわけではなくて、新しい制度でスタートしたときに、裁判官になってくれる人が十分とれるかどうか分からないので、子飼いの制度をつくるという趣旨で設けられたということで、そこから、だから臨時なんだというニュアンスをくみ取ることもお考えによってはできないことはないかとも思いますけれども、直接的には臨時の制度だというふうに言っているわけではありませんので、それは事実なものですから、それだけちょっと申し上げます。

【髙木委員】もう一つ。現に判事補でおられる人もおり、そういう人たちは今一生懸命きちんとした判事さんになられるべく研さんを積んでおられる最中だろうと思います。現に判事に任用されている人たちの中にも、一番最初の10年の任期を務められている人も多くおられます。こういう制度というのは、ヨーイ、ドンである日突然様変わりに変えてしまうわけにいかんわけですから、ただ、そういう併存状態が続いても、なおかつ直していただく部分はいっぱいあるのではないかと思います。

 竹下会長代理も高木委員も、判事補制度自体には懐疑的。但し、直ちに廃止が必要とまでは言わない。 

 ここで、井上正仁氏が判事補制度を擁護。そして、司法試験合格者数に切り込む。

【井上委員】私は判事補制度自体について、中坊先生のお考えとはかなり違う評価をしているということは最初に申し上げたとおりです。私は、裁かれる立場に立ったことも、裁く側に立ったこともないので、おまえの評価は甘いと言われれば、それまでなのですけれども、私の教え子は随分弁護士にもなっていますし、検事にもなっていますし、裁判官にもなっているのですが、そういう人達を見ていて、特に判事補の道を歩んだから痛みが分からないような類の人間になっているというふうには、思えないのです。もちろん育ち方が期待したほどではないという人も中にはいますけれども、非常に立派な裁判官になっていっている人を何人も知っています。弁護士として立派になっている人と同じようにですね。それは教師をやっていて本当にうれしいことで、その意味でちょっと思い入れがあるので評価し過ぎなのかもしれないのですけれども、それ自体として私はおかしな制度だというふうには思えないのです。しかし、それが予期に反して事実上一本化してしまったことに問題があるので、本来の考え方といいますか、アイディアに沿った形にしていくように、いろんなところを直していく。中坊先生が弁護士任官の実現に努力されたのは、非常に大変なことだったというふうに私も思うのです。それを更に制度的に強めていくということをやらないといけない。弁護士任官というのも、制度とか運用とかが恐らく従来のままだったと思うのですが、そこを改める余地はないのか。それが私が申し上げたかったことです。

 それと、中坊先生はそういう御趣旨ではないと思うのですが、弁護士会の人口増についての話とこれとを絡めて、判事補制度をなくす方向でいかないと1,000人という上限を取っ払うということもどうなるか分からんぞというふうにも受け取れることをおっしゃったものですから、もしそういうことだと、昨日の話もちょっと違ってくるのではないかと思います。我々としては、大幅に増員するという、そのこと自体が非常に大事なことだということで議論してきた。そして、弁護士会が従来の枠を取っ払おうとしているというのは大変なことで、すごくいいことだというふうに思ったのです。そういうことから、昨日の方向の話となったのであって、それをいま判事補制度の廃止ということがくっついているんだ、それが絶対的な条件だと言われますと、待てよ、それでは話が違うのではないかと思うのです。そういう御趣旨ではないとは思うのですが。

【中坊委員】井上さんのおっしゃっているとおり、二つは極めて有機的に結合しているのです。それは今おっしゃるように、今、弁護士の中で、私もいろいろ話をしておっても、個々の裁判官が人格的にどうだとか、いい人間だとかいう人はもちろんおられます。しかし、制度としてどうなんだというところを見たときに、やはり今の裁判制度のままで、法曹人口を仮に増やしても、市民とつなぐだけの弁護士に自信はないですよ。だから、今おっしゃるように、それなら官の補完物として前と同じような弁護士にしなければ、本当に弁護士というものが幅広く市民の中にいくためには、やはり最初言ったように有機的にみんな結合しておって、しかも、その一番の中核にあるのは、まさに今日のこの図面にもかいてあるように、行政の全体があれば、上に内閣があると同じように、その意味において一番重要なのは裁判官なんです。その裁判官が変わらないというのであれば、下もまたイコール、全体の層も今の裁判制度のままで、一般の市民でも変わらないし、裁判制度はこのまま変わらない、弁護士だけ数を増やしますといって社会的な需要が生まれてくるとは現実には思えないですよ。だから、今の裁判制度が、判決が変わってくるというような期待があってこそ積極的になりますけれども、もし判決が今のままの状態でいくということになってきたら、多くの庶民は結局裁判ざたとか、裁判に起こすということは嫌悪したままいくだろうと私は思いますね。だから、少なくとも私はそう思っている以上、弁護士会に対して、裁判官制度は変わらないんだ。そうだけれども、法曹人口だけどっと増やせよということを、私は勧める気にはなれないということを言っているんです。

 下線、太字は私が付したもの。

 井上氏は、中坊氏に「判事補制度の廃止」と「司法試験合格者数を1000人以上にすること」はセットなのか、と迫っているのに対し、中坊氏は、「二つは極めて有機的に結合している」と述べ、「裁判制度が変わらない限り、弁護士の数だけ増やしても、社会的な需要は生まれない」と述べているんですね。

 この中坊氏の発言は、弁護士を数年やれば嫌でも実感することであり、弁護士の発言としては当然のことながら、私は中坊氏をちょっと見直しました。

 しかし、井上氏はくい下がります。

【井上委員】中坊先生のお気持ちは分かるのです。しかし、ちょっとあるふうにお決めつけになり過ぎるのではないでしょうか。私は、弁護士の人数が増えていくというのは、それ自体として、利用者にとり非常に大きな意味のあることだと思うのです。私自身はまだ利用したことはないのですけれども、もっと身近に気楽に相談したいということはあると思います。それ自体大きな意義があることだということは、先生も恐らく否定されないのではないか。また裁判官制度が変わらないという点も、お決めつけになり過ぎているのではないか。多様性をできるだけ確保することによって、裁判官の間でもインターアクションがあり、いろんなバックグラウンドを持った人が一緒に仕事をすることによって全体が変わっていくという、そういう期待がなぜ持てないのかということです。

【中坊委員】私もたまたま弁護士ですから申し上げたいと思うんですけれども、確かに裁判所が、こういう事務総局を中心とした一種のキャリアシステムだと仮に称したとしたら、それをお守りになりたい。それをおっしゃっているというのは、それなりに理解もできる。しかし、それは決してよくないと思います。昨日も言ったように、弁護士の数がどんどん増えてくるんだから、おまえら飯が食いにくくなるぞと言って、ああそうでか、中坊さん、ええことしてくれましたなとは絶対言わないですよ。先ほどから言っているように、弁護士という職業は一番の基本は自立営業者なんです。まさに私的空間として生きているんです。私的空間として生きられるというためには、昨日も出てきたように需要がないとどうしようもないんです。同じパイにしておいて、それを大勢の人数を人工的に増やしたんだということになってきて、そんなことになってしまったら弁護士が生きていけないです。それこそ質は低下するだろうし、ますますもって悪化してきます。

 だから、そういう意味においては裁判制度そのもの、司法制度そのもの全部が変わっていきますよと。それこそ新しい日本の、21世紀の社会を迎えての司法制度になってくる中において、君、そうなんだから、君たちも、みんなそういうふうに幅広げていけよと言える。これからはこうなるよという希望を持たないでは言えない。私個人は確かに元日弁連会長ですから、若い弁護士に対しても責任もあります。その人たちに私が今、取っ払ったから、3,000人にするから、おい、君らみんななれなれと、こうなるよということは言えない。私は法曹人口の問題が裾野で、さっき言ったように弁護士の方が登山口ではありますよ。しかし、裁判制度との関係でどっちが先かと言われたら、弁護士会の方が先に直っていかなければいけないよということは、登山口ですからそれは思っています。しかし、いずれにしても、展望があってこそ初めて私もみんなに勧められるので、展望も何もないようなところへ、弁護士の数だけ増やしたら、それこそ大問題になってきますよ。むしろ社会の中では、昨日も現に水原さんが言われたように、金もうけのために働き、息子は弁護士にさせないと言っていると同じような弁護士がいっぱい生まれてきて、処置ない社会になってきますよ。 

【水原委員】僕は言っていませんよ。

【中坊委員】そうやったかいな、誰だったかな。

 最後の水原委員とのやりとりには笑えるが、その前の発言(特に太字、赤字、下線部分)は、中坊氏が「需要のないまま弁護士だけを増やせばどういうことになるか」を十分に予見していたことの証左である。

 さすが中坊氏、司法試験合格者数が3000人になっても弁護士の需要はウジャウジャあると豪語していたお方とは大違い。

 (第28回司法制度改革審議会議事録 (平成12年8月29日(火) 13:30 ~16:55)参照

 さて、この中坊氏の判事補制度廃止論に対して、裁判官出身の藤田耕三委員は猛反発します。

【藤田委員】現場の裁判官たちは、この審議会について極めて深い関心を持っているのです。当然といえば当然なのですが、議事録が回覧されると、みんなむさぼるように読んでいます。アメリカに留学している若い人からインターネットで見たという便りをもらいました。自分たちの気持ちを審議会に伝えたいという思いが非常に強いのです。東京地裁の裁判長たちに呼ばれていって話をしましたし、それから先週、八王子支部の判事補会に呼ばれていって、司法改革の話をしました。

 若い裁判官たちが申しますのに、特に判事補に対する批判が強いわけですが、国民の信頼を得ていないとか、世間知らずの非常識とか、こういう批判を受けているわけですけれども、どうしてそういうような批判を受けなければならないのか。国民の信頼を失っているとおっしゃいますけれども、先ほど申し上げた、裁判所がやったのではなくて、新聞社や日弁連がおやりになった調査で、公平性や信頼性についてかなり高い評価をいただいているということがあるわけです。それと、判事補はエリートで育ってきて、世間知らずの非常識と言われるのですが、どこが非常識で、どこが世間知らずなのか、具体的な指摘をしていただければ、それは反論もできるし、反省もしなきゃならん点は反省もします、だけれども、ただ、エリートとして育てられてきたから世間のことを知らないとかいうようなことを言われたのでは、反論のしようもないということを訴えられました。

 それから、裁かれる立場に立たなければ裁くことができないというような御意見でありますけれども、裁かれる立場に立てば、必ず裁かれる者の心情が理解できるかというと、それは人によると思うのです。裁かれる立場に立たなくても、人の心の痛みを我が心の痛みと感ずることのできる人ならば裁かれる者の心情を理解できる。これはやはりその人その人の人間性ではないかと思います。

 世間のことを知らないという批判がありますけれども、世の中の生の事実を経験していないじゃないか。そういう面も否定できないと思いますけれども、しかし、シンポジウムなどでも取り上げられていることですが、裁判官と弁護士とのいろんな経験の内容や密度というのは、同じではないでしょう。弁護士は、生の事実について直接触れるわけですから、そういう点での違いはあるかもしれません。しかし担当する事件数から見てみますと、私はかつて東京地裁の通常部の裁判長をしていたときには、大体3人で構成する部で処理する事件は600件くらいありました。そうすると裁判長と右陪席が単独で250件ずつ、任官したばかりの左陪席が残りの80件から100件ぐらいの事件を持ってやっていくことになります。1月の間に50件から60件の新しい事件が回ってくるというようなことです。経験する件数から言うと、弁護士だと、70件持っているというような人もいますけれども、普通は担当事件数は30件ないし40件ということだろうと思います。数だけ数えてもしょうがないかもしれませんけれども、裁判官は、10年間の間にいろんな種類の事件を経験します。私も民事事件、刑事事件、家庭裁判所の家事事件、少年事件。民事事件の中でも倒産、牛丼のチェーン店の再建もやりましたし、それから執行、調停、あるいは非行少年の事件もやりました。和解では本人が出てきますから、そういう市井の人たちと直接接して話を聞きます。倒産事件の場合には、倒産会社に対して保全命令を出して、その結果、本日落とすべき手形が落ちないことになったときに、じゃ、その手形を引き合いに、私が出している手形をどうやって落とせばいいのですかという中小企業の経営者の男泣きに泣きながらの訴えに答えるということも経験しました。そういうようなことを経験して、裁判官というのは成長していくんだろうと思うのです。

 それともう一つ、弁護士と違うのは、10年間の間に地方勤務を何遍も経験します。現在の最高裁長官の山口繁君も岡山とか大分とか函館の勤務を経験しています。私は今まで任地に赴任したことは10回、引っ越しは16回やっています。職務上やむを得ない引っ越しがほとんどです。その地方地方で3年なり4年なり生活して、その人たちの間で事件をやっている。これは出張して事件を処理することはあっても、一生一つのテリトリーから動かない弁護士とは、経験の内容の質的な差だと思います。そういうことを考えれば、エリート意識で、実際の社会経験なしに裁いているんだということは、果たして実態に合っているのかどうかと、現場の若い裁判官たちは訴えているわけであります。

 それから、判事補の10年間は判決書きの書き方を学ぶんだというお話でしたけれども、書き方を学ばないとは申しませんが、事件をどういうふうに処理していくか、内容をつかんで被告人なり当事者の心情を理解して、どういう事実があったのかという真実に迫るというのが、これは一番大事な仕事であります。

 戦前からの判決では、職人的な独特のスタイルがあって、これを習得するのは非常に大変だという批判があったのですけれども、昭和六十二、三年ごろから、当事者本人に理解してもらえるような判決を書こうじゃないかということで、新様式判決運動というのが、大阪、東京の両地裁で始まったのですが、それが全国に波及して、今判決のスタイルはがらりと変わっているのです。ですから、そういうような努力もしている。

 それから、司法行政、裁判官会議の形骸化というお話もありましたが、私も所長や長官をしましたけれども、重要なことはすべて裁判官会議で決める。ルーティンワークについては、常置委員会というものをどこの裁判所でも設けている。東京地裁では選挙です。私は所長代行を東京地裁で7年間やりましたが、毎年年末に選挙の洗礼を受けて7選でございました。そういう形で選出された者が司法行政にタッチしているわけです。人事について、各地に派遣した人から情報をとっているというような話がありましたが、必要があれば、実際に評定をしてきた経験からお話しいたしますけれども、裁判官の働きぶりの評定をするのは部総括です。一緒に仕事をしている部総括です。

 そういうことから言うと、判事補制度があるから裁判所が国民の信頼を失っている、あるいは判事補は世間知らずの非常識だとか、エリート教育で固まっていて、庶民の心情を理解できないとおっしゃるけれども、もうちょっと実態をよく見ていただきたいと現場の若い連中が申しておりますので、この連中の気持ちは、ぜひ私としてはお伝えしなきゃならんと思いまして、少ししゃべり過ぎたかもしれませんけれども申し上げました。

【中坊委員】確かに、藤田さんもそういうふうに裁判官から聞いておられるかもしれないけれども、私は恐らくおたくの倍というよりも、桁が違うぐらい裁かれる立場をずっと今まで経験してきました。本当に裁判官というのは、どうしようもないなと思っています。我々の意思を理解する力も、能力もないと、私はそう思っています。

 裁判官というのは、まず第一に、和解で弁護士が行くでしょう。仮に裁判官が和解として100万円が妥当だという案を出すでしょう。こっちはどうしても10万円しか出さないと言っているとするでしょう。そうすると裁判官は100万円は出しなさいよと。そうすると、弁護士はほとんど全部、私は裁判官のおっしゃるように100万円が妥当だと思うんですよ。ところが本人がきかんのですと言う。そうしたら裁判所は、「中坊さん、相手方の代理人は分かっているんだけれども、本人が承知しないんだよ」と必ずそう言うんです。10人が10人ともそう言います。今、藤田さんでも恐らくその辺にしますよ。しかし、実際は全然うそなんです。本当に代理人の委任を受けた弁護士が言って、言うことを聞かなければ、代理人は本来なら辞任すべきものなんです。そういうことはいい加減な弁護士が言うことはあり得たとしても、本気で本人を代理している代理人が言って聞かないというものは本来いないんです。僕は裁判官に聞いていますよ。10人が10人とも、それこそ何十件、何百件とみんなそのとおりです。本人と依頼者との関係がどうなっておって、どうだということは、やはり裁く立場ばかり経験している方には全く理解できない。

 おっしゃるように、その人は単純にそう思われるのでしょう。だけれども、そこに間違いがあるということは、ほとんどお気づきじゃない。つい最近のを例に出したら、あなたは怒るかもしれないけれども、山本さんもお気づきになるように、ある銀行に対し裁判をやりました。確かに30億のお金を銀行が、いわゆる紹介責任を認めてお金を払いました。そのときでもどうなったと思います。裁判長に、話がつくまで発言はやめてくださいと言わざるを得ない。だから、銀行との話がつくときも、何一つ東京地裁の裁判長は発言していないんです。裁判官はすぐに、この種の事件だったらこれぐらいですと、何の確信もなく、自分で和解案を言うんです。そんなものでつくわけないでしょうと僕らが言ったって、全然裁判官は分かろうとしない。今の裁判官が、わざわざ不公平な、あるいは不公正な裁判をやってやろうなんて思っていないと思います。しかし結果的に世の中で見れば、全く的外れの事件の重なりみたいなものです。そんなものは、私に言わせたら、そうかなんて思う方が少ないぐらいです。中にはありますよ。おっしゃるように人によって違うんだから。しかしまさに制度上どうあるかということが問題で、裁判官はみんな悪い人でもないですよ。ところが、裁判官でもピンとキリがある。私はピンになってもらわないとあかんと言ったでしょう。僕も何人か裁判官の依頼者もいます。私に言わせたら、それが本当によき依頼者なのかというわけです。「おまえ、そんなわけの分からんことを言ったらあかんで」と言わなければならん人がいっぱいおるんです。事ほどさように、裁判官の悪口を言うわけではないけれども、あなたが言うから言っているんだよ。

【藤田委員】私は自分が優れた裁判官であるとはつゆ思っていませんから、私がどうこうと言われるのは我慢しますけれども、具体的な事件を挙げて裁判長を非難されるのであれば。

【中坊委員】だから、あなたは具体的な例を挙げろと言ったじゃないか。

【藤田委員】それは中坊さんの見方で、それは当たっているか当たっていないか私は分かりませんけれども、担当裁判長がどれだけ努力して銀行を説得したかということは誰でも知っていることです。ですから、そういう具体的な事件を挙げて。

【中坊委員】あなたが具体的な例を挙げろと言うから言ったんです。

【藤田委員】そういう個人的な非難をされるのはやめていただきたい。

【中坊委員】違いますよ。そんなものは全く何の役もしていませんよ。私は自分で経験しているんだから。あんたが経験したことで言うならばいいけれども、一般的にそういうことを言うから、けしからんと言うから、私は自分が体験した例を言っているんです。何を言っているんだよ。

【佐藤会長】今の個別具体的なことについてはその辺で。

【中坊委員】この人が言ったからです。具体的な例を挙げて言ってもらわないと、それだけでは分からないと言われるから言ってあげているんです。

【佐藤会長】じゃ、そこまでにしてください。そういうことも踏まえて、将来の制度をどうするかという観点から御議論をいただきたいと思います。

 最初に、自由かつ率直な各委員のお考えを聞きたいと申しております。そういう観点からお話しいただきたいと思います。

 有名な中坊委員と藤田委員の論争(というよりケンカ)ですね。

 司会の佐藤会長も困っています。

 中坊氏の言いたいことは何となく分かりますが、取り上げられている具体例の内容はよく分かりません。これでは、藤田委員でなくても怒るでしょう。

 中坊氏の言いたいことは、最近話題の「絶望の裁判所」(瀬木比呂志氏著 講談社現代新書)などを読んで頂くと理解できることでしょう。

【水原委員】私は昨日の議論というのは、私も申しましたけれども、法曹人口を増やさなければいけないことについては、私は全く異存がございませんということを何度も申しました。しかしながら、質と需要、マーケット、これを考えながらやらなければいけないというふうに申しました。ところが、先ほど中坊先生のおっしゃるところでは、増やしただけではマーケットが確保できるかどうか分からないので、それだけで議論したつもりはないんだと、こういうふうにおっしゃっておりますけれども、マーケットが開発されるかどうかというものを、マーケットの状況を調べながらやっていかなければいけないのではないですかということを、私は何度も申し上げておきました。したがって、昨日のこととはちょっと違ったような御理解をいただいているなということが一つ。

 それからもう一つは、裁かれる立場の経験のない者が国民の納得のいく裁判ができるかという問題でございます。もしそういうことだとするならば、今いろいろな議論が判事補についても言われております。委員の中から御提言があったと思いますけれども、民間や企業法務に何年間か勤務させる。それからあるいは弁護士事務所に弁護士として、その10年間の間で何年か経験させる。裁かれる立場の経験もいろいろやらせることができるのではなかろうか。それをどういうふうに設計するかというのは、ここでいろいろ議論をしていかなければならないのであって、今までの判事補は裁判所にずっといて、10年間裁判のことだけが、原則としてそういうことしかやっておりませんでしたけれども、これからは、例えば、3年間は弁護士として仕事をさせる。あるいは企業法務に勤務させる。それから先ほど竹下代理がおっしゃったように、ロークラークのようなものも勤めさせる。その間に痛みも分かった、そして事実の洞察力にも優れた立派な裁判官になっていくのではなかろうか。だから、そういう方法も加味していく議論も、当然やっていただかなければいけないなという気はいたします。

 水原委員は冷静です。 そこで、中坊氏が説得にかかります。

【中坊委員】水原さんね、後の方から言うと、裁かれる立場というのは、今も既に裁判官も随分とかつてと比べると、具体的な企業へ実際出ていったりして研修もされています。そういうことを実際見習わなければいかんと、新聞社へ行ったり、あるいは民間企業へ行ったり、裁判官を出しています。だから、裁判官として、そういう意味での実務体験をやらせようじゃないかという経験をされておるんです。しかし、あなたも、どこが一番違うのか、一番何が要かというのが分かっていない。それはなぜかというと、私が言ったでしょう。弁護士の一番の本質は自立営業者、事業者性にあるんです。弁護士も自分の飯を食う。依頼者がなければ飯は食えない。そこの中において、どうして公益を守るか。本当に自分の生活をかけているから裁かれる立場なんです。自分の地位が保障されておって、見習いに行って仕事の外見だけ見たらいいのと違うんです。確かに今言うように、弁護士というものが事業者性を用いて、だから私も弁護士も私的空間ですと言ったように、まさに私的空間でありながら公益の仕事をするというのは、それはおっしゃるほど簡単ではない。私だって、今裁判官にこんなに悪口ばかり言うでしょう。一番恐れていますよ。現に、裁判官が私個人に対してどういうしっぺ返しをするのかなとか、冗談じゃないです。余り言えないけれども、私だってあるんですから。繰り返しその経験を経てきて、本当にクソーと思うことがあっても、僕らでも裁判官におべんちゃら言っているときの方が圧倒的に多いんだから。なぜ言わなきゃいかんかといったら、僕は構わないんです。しかし、依頼者が困る。そうしたら生活ができなくなるから、その相克というのは、そこが裁かれる立場の一番苦しいところなんです。だから、基本的に自立営業者であって、私的空間であって、公益的な立場に立って、それを言うということがどれほど難しいから裁かれる立場というのが成り立っているということが一つ。

 もう一つ、水原さんが昨日おっしゃった需要がないとあかんやないかという点。中坊さんは人数だけで割っているじゃないかとおっしゃった。しかし、私が言っているのは、まさにあるべき姿というのは人数で割ったら、一つの目安が出るでしょうし、そこで司法制度改革審議会としては動かなければ、人口というような問題は裁けないでしょうということを言っているんです。しかし、今度はそこはその通りであったとしても、裁判そのものがあるべき姿だと思っているものと違えば、結果的に裁判が非常に歪んだ二割司法にならざるを得ないような構造に組み込まれてきたら、弁護士だけ増やしたら、今度弁護士の方にものすごい無茶苦茶な人が出てきますよだから、最初から言っているように、今度の司法制度改革は担い手問題で裾野があり、登山口があって、その上に裁判制度があるけれども、しかし、同時に担い手問題として、一体として、総合的に司法制度改革が行われなければ、局部的にいじくったりしたら、それはそれで大変な問題が起きますよということを私は言っているわけです。

 中坊氏は、言葉不足の部分があると思いますが、弁護士の本質について本当のことを言っていると思います。

 私が先輩から聞いた「弁護士は片手に正義、片手にお財布」という名言に通じることを言っていると思います。これは、法律事務所にちょっと出向した経験がある程度の裁判官には絶対に分かりません。

 そして、確かに、裁判所が変わらなければ、裁判官(キャリアシステム等)が変わらなければ、弁護士ばかり増やしても、裁判を利用する市民は救済されません。これは、弁護士であれば実感するところです。

・・・・・しかし、中坊氏は、裁判制度改革のための「登山口」として司法試験合格者数3000人を先に差し出してしまった。仮に裁判制度改革のための法曹一元が中坊氏の最終目的であったとしても、井上委員、藤田委員、佐藤会長など手強い委員がいる司法審の議論の場で、実に稚拙な交渉手段だったと思います。

 そして、中坊氏が予見していたように、何ら裁判制度の改革はなされないまま、需要のないところに弁護士だけが激増し、

「弁護士だけ増やしたら、今度弁護士の方にものすごい無茶苦茶な人が出てきますよ。」

「一体として、総合的に司法制度改革が行われなければ、局部的にいじくったりしたら、それはそれで大変な問題が起きますよ」

となってしまっているわけです。

 今の弁護士業界のあり様を、中坊氏はあの世でどのように見ておられるのか、聞いてみたい気がします。

(過去の私の参考記事):

これが法曹人口5万人の出発点か。

司法試験合格者数3000人の出発点はここ。

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