裁判員制度は「平成デモクラシー」の産物なのか?ーその1
保坂展人議員のブログで知った早川忠孝議員(自民党衆議院議員、法務大臣政務官、弁護士)のブログ衆議院議員早川忠孝の一年発起・日々新たなりの記事「66年ぶり司法へ民意反映」という見出しがいい/裁判員制度」を読んで、絶句してしまった。
早川議員は、戦前の陪審制を「大正デモクラシー」によるものとして礼賛し、
私たちは、常に歴史に学ぶ必要があります。
裁判員制度のスタートの背景には、「平成デモクラシー」といったものがあるのかも知れない。
裁判員制度が万一瓦解するような時代がくるとすれば、その時は、再び日本が戦争の時代に突入し、あらゆる民主的な制度が改廃される時代なのかも知れない。
私はそう思っております。
と述べられている。
早川議員は、本気で裁判員制度が「平成デモクラシー」の産物だと思っておられるのだろうか。
なら、どうしてこうも裁判員制度に反対する国民が多いのだろう?
戦前の陪審制についていえば、
確かに大逆事件や日糖事件を嘆いた原敬首相の理想としたところは「国民による司法の監視」だったのかもしれない。
しかし、実際に出来た日本の陪審制は、
陪審法における陪審員は、直接国税3円以上を納める日本国民の男子から無作為抽出で選ばれた12人で構成されました。 対象事件は、被告人が否認している重罪事件。陪審員は、有罪・無罪の結論を出し、裁判官に対し「答申」しますが、裁判官は法律上これに拘束されず、「答申」を採用せず審理のやり直しを命じることができました。また、被告人は、陪審員による裁判か、裁判官による裁判かを選択することができました。
日弁連の裁判員制度HP 日本でも陪審制度が行われていた! より
という制度だったことを忘れてはいけない。
戦前の陪審制の場合、裁判官は評議には加わらなかったし、被告人には陪審員による裁判か、裁判官による裁判か選択権も与えられていた(その点では今の裁判員制度よりまし)。そのかわり、陪審員になれる国民は限られていたし、裁判官はいつでも陪審員の評議の結果をくつがえすことができたのである。
もともと欧米の陪審制とは似て否なるものだった。
この日本の陪審制の導入の意義については、陪審制発足3年後の1931年に陪審員候補者の全国団体「大日本陪審協会」が刊行した「陪審手引」が次のように説明している。
陪審制度を採用することになりました理由は、(王権乱用の抑止から出発した欧州各国の陪審制度とは)根本から相異っているのであります。決して民衆から要求されたものでもなく、また従来の裁判に弊害があった訳でもありません。従来行われて来た日本の裁判は、その厳正公平なることに於いては、全く世界にその比をみない程、立派なものでありまして、国民もまた絶対にこれを信頼していたのであります。しからばいかなる理由で、これを採用致しましたかと申しまするに、それは立憲制度の大精神に基づいているのであります。
国民をして国政の一部に参与せしめられましたのは、全く天皇の大御心の発露にほかならないのであります。素人である一般国民にも、裁判手続の一部に参与せしめたならば、いっそう裁判に対する国民の信頼も高まり、同時に法律知識の涵養や、裁判に対する理解を増し、裁判制度の運用を一層円滑ならしめようとする精神から、採用されることになったのであります。
(陪審員の意見に裁判官が拘束されると)その結果感情に動かされて、立派な犯罪事実を「否」と否定し、裁判官はよんどころなく無罪を宣告する、・・・こうした欠点や非難に鑑みまして、わが陪審では、裁判官が陪審の評決意見には、拘束されないことになっております。わが陪審法独特のものであると同時に、大なる誇りであります。
評決は過半数の意見によって、決定するのであります。即ち陪審長共に7名以上の同意を必要とする訳であります。万一陪審の答申を裁判所が不当と認めた場合は、裁判所はこれを採択しないのであります。新たに陪審を構成して、その事件に対する裁判のやり直しをなし、裁判所の意見と一致するまで、何度でもこれを行うことができるのであります。
※ 読みやすくするため一部の旧仮名遣いは現仮名遣いに変更した。( )内は要約。太字と下線は私が付したもの。(高山俊吉著「裁判員制度はいらない」118頁~ より抜粋)。
戦前の陪審制の問題点はこれを読むとよくお分かりだろう。
裁判所の意見と一致するまで何度でもやり直しが命じられる陪審員の評議に何の意味があるのか。ただ、裁判所の判断に国民を従わせ国民が参加したというアリバイづくりのために利用されただけではなかったのか。
(つづく)
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コメント
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>私たちは、常に歴史に学ぶ必要があります。
人間は歴史から何も学ばないということを、歴史から学んだ。
by ヘーゲル
投稿: YO!! | 2009年5月25日 (月) 12時12分