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2009年5月24日 (日)

裁判員制度は「平成デモクラシー」の産物なのか?ーその2

 明治憲法下の天皇制国家における陪審制は「天皇の大御心の発露」によるものと位置づけられてたので、前記のような名ばかりの制度であったのはやむをえないことだったかもしれない。

 結局、戦前の陪審制は15年で停止されてしまった。その原因については諸説あるようだ。

 日弁連のHP 日本でも陪審制度が行われていた! の説明はこう。

 1943年、陪審法は停止されるに至りました。その理由については、「陪審事件数が減る一方、戦争が激化する中で、陪審制度維持のための労力(市町村による陪審員資格者名簿・候補者名簿作成の事務負担など) を削減する必要があるため」と説明されています(岡原昌男「『陪審法ノ停止ニ関スル法律』に就て」(法曹会雑誌21巻4号 1943年)参照)。

そして、陪審事件数が減少した理由については、さまざまな分析が行われています。そもそも、日本国民は裁判官による裁判を志向したとの見解もある一方、制度上の問題点を指摘する見解もあります。例えば、陪審法の下では、被告人は、有罪判決を受けてもこれに対し控訴することができませんでした。また、事件によっては、有罪判決の場合、訴訟費用や高額に上る陪審費用(陪審呼出の費用や日当、宿泊料など)を負担するリスクもありました。さらに、陪審裁判の選択は、審理前に、担当裁判官への不信を表明することを意味します。陪審法では、陪審の判断は裁判官にとって「参考意見」にすぎず、最終決定は担当裁判官が行いましたので、被告人側にとっては、裁判官の悪印象を避けたいとの心理的抵抗があったともいわれています。こうした理由から、被告人が陪審裁判を選択しづらかったと指摘されています。

  当時の法律新聞(1930年6月28日付法律新聞3135号)には、次のような記載がある(高山俊吉著「裁判員制度はいらない」135頁)。

 司法裁判史上画期的な試みとして各方面から非常に期待された陪審法は実施以来1年8ケ月になるが期待に反して実際陪審裁判の開かれる数が非常に少なく、当局も奇異な現象として調査している。(略)このごろでは、この撤退組がますます殖えて来ているし、青森、大津、富山、松江あたりはまだ1回も陪審裁判を開かないという閑散振りである。従って、その後司法省の予算もぐっと減らされている。

※ 読みやすくするため一部の旧仮名遣いは現仮名遣いに変更した。 

 結局、国家の財政面においても、被告人の防御権の面でも、支持されない制度であったわけだ。

 早川議員は、「私たちは、常に歴史に学ぶ必要があります。」と言われるのであれば、こういう歴史的事実も学ぶ必要があるでしょう。

                                      (つづく)

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