裁判員向けの弁護人パフォーマンス!?
最近、日弁連から送られてくるFAX記事の中に、裁判員裁判の弁護技術についてアメリカの弁護士を講師に招いて研修をしているとの記事がよく見られるようになった。
私は、ちらっと見て直ぐに処分してしまっているのだが、確か講師が「裁判員を眠らせないことが大切」(※)(裁判員の興味を惹くことが大切という趣旨らしい)というようなことを言っていたような。
※ これは、私の記憶違いで、「法廷は劇場です。裁判員の興味を惹き、楽しませなければなりません。」(日弁連速報 裁判員号外No.4 より)というものだったので訂正。
このアメリカ人弁護士による研修については、落合洋司弁護士が
という記事を書いておられる。
これは産経新聞のこの記事についてのもの
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090108-00000593-san-soci
米国人講師が肘を曲げて両手を胸の前で握りあわせると、立ち上がった受講者の日本の弁護士たちは一斉に同じ動作をした。講師はさらに「ここからジェスチャーを始める。声の抑揚や音量、沈黙も使って。最初は違和感があっても慣れれば大丈夫」と強調した。
このくだりでは、ちょっと笑ってしまった。
これからは裁判員裁判の弁護人は、皆、まず両手を胸の前で握りあわせてから、尋問を始めるのかしらん。
私は、アメリカの法廷ドラマや映画が好きで、結構見ている方だと思うが、(ドラマを見る限りでは)確かに日本の弁護士は、刑事、民事に限らず、アメリカの弁護士の尋問技術などに学ぶべき点はたくさんあると思っている。
特に、「裁判員を眠らせない」ということはとても大切だと思う。
もっとも、これは、民事、刑事に限らず、裁判員裁判に限らず、もともと「裁判官を眠らせない」ためにも必要とされてきたことだ。
法廷傍聴をされた方ならご存じだと思うが、裁判官は長時間の証人尋問のときなど時々眠っていることがある(正確には、「眠っているようにしか見えない」ことがある。ー目をつむっているだけと言われるかもしれないから)。ついでに、脇に座っている司法修習生もコックリコックリしていたりする。こういう光景を見るのは、食後の午後の法廷のことが多い。
2,3時間の証人尋問というのは、尋問する方にとっては結構短く感じるのだが、聞いているだけの方にとっては細かな面白くもない事実関係についての尋問などを聞くのは確かに辛いときもあろう。おまけに、法廷はどうも空調がよくないところが多いようで(大きな裁判所の法廷にはたいてい窓がない)、時間が経つにつれ空気が澱んでくる感じがする。それがまた睡魔を誘う。
私は、裁判員裁判の伏兵は意外にもこの「睡魔」ではないかと思っている。
弁護人としては、裁判官も裁判員もコックリコックリという事態だけは絶対に避けなければならない。
だから、アメリカの弁護士の講師から「裁判員の興味を惹きつける」ための尋問技術を学ぶことも、それはそれで意味があることだと思う。
ただし、上記落合弁護士の記事の
この研修を受けたわけではないので、軽々に評価はできかねますが、米国流のパフォーマンスをそのまま日本の法廷でやっても、日本人である裁判員に対しどこまで効果的かということは、よく考えてみる必要があるように思います。内容によっては失笑をかう、という可能性も念頭に置いたほうが良いでしょう。
裁判員に対してアピールしようとする場合、最も大切なのは「わかりやすさ」ということではないかと思います。いかにわかりやすく主張、立証するかということが、裁判員裁判になった場合には大きな課題になるでしょう。
というご意見には賛成。
ここで、ちょっと、たとえ話を・・・。
年末年始に気楽に書いたフィギュアスケートの記事へのアクセスが意外に多かったことに気をよくして、ここは一つフィギュアスケートを例にとってみようと思う。
アメリカのジョニー・ウィアー選手は、演技が終わると、観客に向かってウィンクやら投げキッスやらの大サービスをする。ショーじゃなくて競技なんだから、ちょっとやりすぎだろうと思うのだが、観客の女性ファンは大喜びだし、外人さんで様になっているので、まあいいかとも思う。ところが、これと同じことを日本の織田信成選手がやったら、観客は・・・・となりそうだ。それどころか、「織田信長の子孫というれっきとした日本男児がそんな軟弱なことをするんでない」と言う人も出てきそうだ。
さらに、ウィアー選手は胸元のぱっくり開いた衣装を着ていることが多く(特に昨シーズンのフリープログラム「Love is War」のご自分がデザインしたというこちらの衣装ー公式HP写真ーはすごい)、確かに肩や鎖骨のラインがとても美しい(本当に男か?)ので似合っており、ご本人もそれが自慢でしっかりアピールしているのだろうが、着物の文化の人間としては「そういうのはチラリと見せた方が上品で色っぽいんだぞ」と思ってしまう(こちらの衣装の話はかなり私の好みが反映しているかも・・・ジョニーの衣装がお好きという方はお許しを)。
そして、小塚崇彦選手の飾り気のない衣装がさわやかに感じたりもする(もちろん演技がよかったということが大きいが)。小塚選手は大変シャイな人のようで、観客にアピールする表現力は今一つだが、でも日本人としてはそれが自然で好ましかったりもする。
とんでもなく話がそれたようだが(でも、裁判に「ショー」的要素を求め、裁判員を「観客」のように扱うなら、まんざら遠いたとえ話でもないでしょう)、言いたかったのは、日本人とアメリカ人とでは(共通点はあるだろうが)、文化の違いもあって、表現の仕方や受け止め方がかなり違っているんじゃないか、ということ。
もう一つ、話がそれたついでに。
だいぶ前に見たアメリカ映画「ニューオーリンズ・トライアル」(原作はジョン・グリシャムの「陪審評決」)(映画のストーリーはこちら→http://www.eigaseikatu.com/title/s-4496)で、武器製造会社を訴える原告の代理人のダスティン・ホフマン演じる弁護士が、ネクタイについたシミを誰かに指摘されて、「これがいいんだ。シミがついていた方が庶民派弁護士にみえるから。」というようなことを言っていた。
私はこのセリフを聞いてヘェーと思ったのでよく覚えている。アメリカの弁護士ってそんなことにも気を遣っているのか・・・(でも、その程度のことなら、私もよく食後にブラウスにシミを作るので、簡単にマネできますよ)。
ちなみに、この「ニューオーリンズ・トライアル」はダスティン・ホフマンが弁護士、ジーン・ハックマンが陪審コンサルタント(アメリカには実際にこんな職業があるらしい)という役どころで、この名優2人がトイレで対決するシーンなどの見所もあり、ホフマンは尋問(かなり長い)をリアルに見せるために相当頑張ったそうだ。アメリカの陪審制度って本当にこんななの?日本じゃ絶対ありえない!というストーリー展開だが、映画としては意表をつく結末で結構面白かった。
この映画については、以前ご紹介したことのある弁護士兼映画評論家の坂和章平弁護士が裁判員制度にからめて面白い記事を書いておられるのでご紹介→http://www.sakawa-lawoffice.gr.jp/sub5-2-a-226nyuorinzu.html
アメリカ流というなら、弁護人も被告人もどういう服装をするか、どういう仕草をするか、身ぶり手ぶりなどの(尋問内容以外での)裁判員へのアピールというパフォーマンス面での配慮が重要になるのだろう。
でも、こういうのって、先述のフィギュアスケートの例じゃないが、弁護士に限らず、日本人ってへたじゃないの?それに、アメリカ人がやれば説得力があっても、日本人がやれば逆効果という場面もあるだろうし、同じパフォーマンスをやってもアメリカ人陪審員と日本人裁判員とではおそらく反応が違ってくるだろうし。
そんなに無理してアメリカ流をマネしなくちゃいけないんだろうか・・・。
私は、裁判員制度の導入に積極的だった(お堅そうな)あの先生、この先生が、アメリカ流パフォーマンスを裁判員の前で繰り広げている姿を想像して、密かに楽しんでいる(悪趣味でごめんなさい)。
でも、裁判員制度の導入を推進された先生方は、若い弁護士だけにアメリカ流の弁護技術を学ばせるのではなく、自らが率先して実践して頂きたいものだ(私は傍聴に行こうかな)。
さて、本物の裁判は、小説や映画のようにドラマチックで面白いものではない。
裁判官だって、どんな退屈な尋問にも眠らずしっかり聞いている人の方がはるかに多い。それは職業意識のなせる技である。
裁判員制度が実施されれば、弁護人もアメリカ流にとらわれずに、裁判員にも分かりやすい尋問を心がけるべきだが、裁判員も面白くなくてもしっかり目を見開き耳を傾けるという努力と覚悟が必要になると思う。
単なる「観客」ではなく、裁判官と対等の立場で、評議に参加し判決を下すのだから。
法廷は「劇場」ではなく、「楽しむ」ための場所でもない。
いささか話が脱線したけど、休日なのでお許しを・・・。
追記:
過去に紹介したことのある「裁判員制度はいらない」(高山俊吉著 講談社)の中の、女優の渡辺えり子さんの寄稿をもう一度ご紹介。
「裁判をショーにしてはいけない」
・・・・・誰も戦争に賛成なんかしてなかったのに、空気にのまれて知らず知らずのうちに戦争に巻き込まれていった歴史を私たちは知っています。もしかしたら冤罪かもしれないと思っていたのに、なんだか悪人そうに見えるなんていう雰囲気で死刑を言い渡してしまう。人間には恐ろしいところがあります。
・・・・・10年着古した背広で頭ボサボサの弁護士だったらホントかしらと思い、やたら弁の立つ人のほうをカッコいいなんて信用するようになる。人柄より見栄えになってしまう。コツコツと努力する弁護士が忘れられ、気の利いた風のタレント弁護士が羽振りをきかすようになるのも私は心配します。アメリカの真似をすることはありません。
なんか、この渡辺さんがイメージする「10年着古した背広で頭ボサボサの弁護士」と「気の利いた風のタレント弁護士」って具体的で誰かモデルがありそう。でも、前記のダスティン・ホフマンのセリフからすると、意外に前者のタイプの弁護士もいけるかもしれない・・・ナ。
« 裁判員制度の延期法案が国会に提出されるらしい!? | トップページ | 坂野真一弁護士のマニュフェストに感動! »
「刑事弁護」カテゴリの記事
- 橋下懲戒扇動事件の最高裁判決(2011.07.15)
- 映画「BOX 袴田事件 命とは」を見て(2011.03.12)
- 熊本典道元裁判官についての中日新聞の記事(2010.06.17)
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
こんにちは。通りすがりですが、日米比較をするなら
ジョニーウィアーをアメリカ人の代表のように取り上げるのは
間違ってます。彼はアメリカの選手の中では極めて異端なことで
有名です。衣装もロシア製です。ロシアの男子選手には珍しくない衣装です。精神的にもロシアを偏愛しており、そせいでアメリカでは訝った目で見られることも多々ある人物です。
投げキッスだのウィンクだのパフォーマンスはカナダ人や欧州人ロシア人も普通にやってることです。
日本人選手の中でも小塚選手のようなシンプルすぎる衣装は珍しいので小塚選手を日本人の代表のように見るのは違うと思います。私は日本人ですがシンプルな衣装は好みません。
ご自分を中心に日本人の好みを語るのは如何なものでしょう。?
それと、ドラマや映画は現実のものではなくフィクションですよ。
投稿: 柴犬 | 2009年1月12日 (月) 14時43分
柴犬さんへ
私は、ジョニー・ウィアー選手をアメリカ代表、小塚選手を日本代表としているわけではありません。欧米と日本では、パフォーマンスの仕方、受け取り方が違う(どっちが良いか悪いかということではなく)という例にさせて頂いただけです。
確かに例としては、もっといい例があったかもしれませんね。
ウィアー選手は確かにロシア的ですが、アメリカのショーでも人気があり、アメリカでもあの衣装やパフォーマンスは受けいられているのではないでしょうか。ウィアー選手の場合、意識的に「無国籍ないしはロシア風」?を前面に押し出すことで、人気を得ている感じがします。但し、記事中で紹介した「Love is War」の衣装はロシア製かもしれませんがロシア風とは思えません。アメリカの記者にも「Dancing with the Stars 」と言われている位ですし(philadelphia紙http://www.phillymag.com/articles/johnny_drama/page1)。
(仮にですが)日本人で、彼のような体型の人がいて似合っても、あの衣装はまず着ないと思うし(絶対ないとはいいませんが)、もし着たら観客はひいてしまうんではないでしょうか。解説者の佐野稔さんもちょっと驚いていましたしね。
小塚選手のシンプル衣装は、確かに日本選手の中でも異色ですが、日本人の反応としては「もうちょっと飾ってもいいんじゃない」というのはあっても「悪い」印象まで持った人はほとんどいないのではないでしょうか。
でも、欧米だと、衣装も表現の一部だし、もっと衣装でも自己表現すべきということになって観客の評価が厳しくなるように思います(これも私の推測ですが)。
私は、フィギュアスケートの国際大会で、小塚選手のようなシンプル衣装を着た欧米選手というのは見たことがありません。
>それと、ドラマや映画は現実のものではなくフィクションですよ。
ジョン・グリシャムの「陪審評決」についていえば、私はアメリカの州に登録する弁護士(ただし、日本人)に違和感がないのか聞いたことがあります。
確かにフィクションだから現実どおりではないが、違和感はそんなにないというお答えでした。グリシャム自身も弁護士ですしね。
それから、冒頭の産経新聞にあるアメリカ人弁護士の講師がすすめる「胸の前で両手を組む仕草」というのは、アメリカの法廷ドラマや映画でよく見ますね。私は、欧米人がこれをやると様になっても、日本人がやると(中には似合う人もいるでしょうが)、何かちょっと滑稽な感じがすると思っています(これも私の主観でしょうけど)。
なお、一般にアメリカ人ならこう反応するだろう、日本人ならこう反応するだろうということを推測するのは誰にとっても難しいと思います。個人差がありますからね。
でも、弁護士会の裁判員制度における弁護技術の研修は、ある程度アメリカ人陪審員の一般的反応が日本人裁判員の一般的反応と同じという前提のもとでなされています。しかし、そういう前提が成り立つのか、という疑問を持って書いたのがこの記事です。
アメリカ人なら一般にこう反応するだろうという推測が難しいように、日本人なら一般にこう反応するだろうという推測も難しいと思います。6人なり12人なりの人間が皆同じ反応するとは思えませんし。でも、弁護人は推測してそれをやらざるをえないわけです。
法律家である裁判官の反応であればある程度予測がつきますが、一般人である裁判員の反応というのは、(柴犬さんの指摘されるフィギュアスケートのパフォーマンスに対する反応と同様)一律にこうだと言い切れないものでしょう。
それでも大多数の裁判員ならこう反応するだろうと推測してやらざるをえないわけで、それをちょっとフィギュアスケートのパフォーマンスに置き換えてやってみたのですが、たとえ話としてあまり適切ではなかったかもしれませんね。
投稿: M.T. | 2009年1月12日 (月) 17時48分
どう読んでも日米比較をしてるとしか思えませんがそこで名前を出してる以上、双方の代表として書いていると受け取られるのは当然ではありませんか。
ウィアーはアメリカのショーでは日本ほど人気もなく受け入れられてもいません。叩きや批判に晒されことが多かったのをご存知ないのでしょう。
アメリカではロシア風を前面に押し出して人気を得るのは
逆効果であり不可能です。(それとも他の国で人気を得るために計画的に前面に押し出してるという意味ですか?だとしたら凄い悪意のある見方をする人ですね)
アメリカ的なアメリカ代表の代名詞のようなスコットハミルトンは
ロシア選手を皮肉りロシア的な衣装で笑いを取っていました。
アメリカの記者の例えは社交ダンスような舞踏用の衣装のようだと否定的意味合いで書いたんですね。同じような言い回しをロシア選手に対しても言います。いかにもアメリカ的です。
しかしロシアの衣装には珍しくありません。
ロシアでは衣装センスも含め感性的にロシア人の魂を持っているかのようなスケーターと評されています。
ロシア人記者に何か反論する理由がありますか?
アメリカ選手には珍しく日本で人気があるのも非アメリカ的な選手だからだと思います。日本人は優美で繊細なものを好み歌舞伎の女形や宝塚の男役を残し中性的な人にも独特の魅力があることを理解できる文化的土壌があります。
シンプルな衣装ならば黒尽くめのライザチェク、スコットハミルトンなど伝統的にアメリカ選手に多いです。スコットハミルトンならシンプルな衣装に拘りがあったので絶賛することでしょう。
日本人で似合う選手がいても着ないというのはただの誤解ですね。柴田選手は昨年ショーでジョニーっぽい衣装だから選んだと言ってました。彼の衣装には確かに似た物がありますが日本の観客はべつにひいていません。他にも華美な衣装を着る日本選手は存在しますがファンにも観客にも受け入れられてます。
ご自分でも言ってらっしゃいますが例え話として不適切ですね。
たとえ個人ブログでもよく知らない人のことを国籍だけで判断し、解ったようなことを書くのは控えてほしいです。
投稿: 柴犬 | 2009年1月14日 (水) 11時56分
柴犬さんへ
>ウィアーはアメリカのショーでは日本ほど人気もなく受け入れられてもいません。叩きや批判に晒されことが多かったのをご存知ないのでしょう。
ウィアー選手は、今アメリカでそんなに人気ないのでしょうか?オリンピック後にバッシングがあったことは知っていますが。今でも、ショーでそんなに人気がないとは知りませんでした(アメリカのジョニー・エンジェルに聞いてみたいところです)。
>アメリカ選手には珍しく日本で人気があるのも非アメリカ的な選手だからだと思います。
私はこの「アメリカ的」「非アメリカ的」という区別がよく分かりません。
「ロシア風」の衣装をつけバレエ的要素を取り入れた演技をするということで「非アメリカ的」だということでしょうか。
ジョニー・ウィアー選手を例に掲げたのは次のような理由です。
独特の個性を大事にして、その個性や自分の魅力を観客に100%も200%も強烈にアピールする(たとえその個性を受け入れてくれない人がいても)というところは、なかなか日本人には真似られないところだと思ったからです。
アメリカのショーでは、まず自分を印象づける、個性を出すことが大事だと聞いています。
そこは「アメリカ的」だと思います。
それがロシア「風」とか、アメリカ「風」とか、フランス「風」とか、にかかわらずです。
>柴田選手は昨年ショーでジョニーっぽい衣装だから選んだと言ってました。
柴田選手というのは柴田嶺選手のことでしょうか。「Love is War」のような胸、背中、肩から腕にかけても開けた衣装を競技会で着たのですか。観客(ファンでない人も含めて)の反応を見てみたかったです。
でも、「ジョニーっぽい」ではなく、「柴田っぽい」でないと、個性を出すということにはならないと思います。
※ 某所で柴田選手の演技を見ました(そっくりの衣装ではなかったけれども)。体型も雰囲気も違う。でも、演技だけはまねをしているのは分かりました。やっぱり、日本人はウィアー選手(に限らず外国人選手)のまねはしない方がいいというのが私の感想です(あくまでも私の個人的感想ですので、柴田選手のファンの方は怒らないで下さいね)。ビールマンスピンはよかったです。
>ご自分でも言ってらっしゃいますが例え話として不適切ですね。
たとえ個人ブログでもよく知らない人のことを国籍だけで判断し、解ったようなことを書くのは控えてほしいです。
私が「国籍」だけで言っているのではないことは、前記のとおりです。ウィアー選手の国籍がフランスでもロシアでもよかったのですが(日本人でなければ)。
柴犬さんは私よりもフィギュアスケートのことをよくご存じで「よく知らない者が書くな」ということのようですので、これ以上私もフィギュアスケートのことを題材にして書くのはやめることにします。時間もありませんので。
なお、衣装について述べたことは、私の好みも入っていることは本文中にもお断りしておりますので、これ以上議論はしたくありません。
追記1:
>日本人は優美で繊細なものを好み歌舞伎の女形や宝塚の男役を残し中性的な人にも独特の魅力があることを理解できる文化的土壌があります。
ということですが、そうすると、ウィアー選手は歌舞伎の女形や宝塚の男役のような魅力があるために日本で人気があるというのでしょうか。
歌舞伎の女形は男が女を演じ、宝塚の男役は女が男を演じるところに、妖しい魅力があると思いますが、これは「中性的」というのとは違うと思います。ウィアー選手は、女性を演じているから人気があるとも思えません。あくまでも、ウィアー的な独特の個性(「中性的」という表現がマッチしているかどうかも分かりません)があるから人気があるのだと思います。
また、日本人は中性的な人に独特の魅力を感じる人が多いので、ウィアー選手も人気があるということのようですが、以前、柴犬さんは「私は日本人ですがシンプルな衣装は好みません。」と言われたのにならって言わせて頂くと、「私は日本人ですが中性的な男は好みません」。
私がウィアー選手の演技がいいと思うのは、音楽と調和した表現力に感動するからであり、演技を離れた日常生活で中性的なのかどうかは知りませんが、そうであればあんまりそういうお姿は見たくないですね。
追記2:
>シンプルな衣装ならば黒尽くめのライザチェク、スコットハミルトンなど伝統的にアメリカ選手に多いです。スコットハミルトンならシンプルな衣装に拘りがあったので絶賛することでしょう。
これはアメリカでは伝統的にシンプル衣装が好まれるということでしょうか。それで選手もシンプル衣装を着ていると。
それなら、アメリカのショーでは、皆シンプル衣装ですね。
ライザチェック選手についていえば、一時期黒ずくめでしたが(でもワンポイントを入れるなどの工夫はしていた)それも彼の個性をアピールするためでしょう。しかし、最近のタラソワ演出による衣装の劇的変化についてはご存じのことと思います(「ラプソディ・イン・ブルー」の蝶ネクタイの衣装は私には衝撃的だった)。シンプル衣装がそんなに受けるなら、あえてそんな変化に挑戦する必要もなかったと思います。
投稿: M.T. | 2009年1月14日 (水) 13時11分
議論になればブログ主さんが決着をつけますよね。
最初から書き込みを載せず無視してほしかったです。
疲れます・・・・
私の書き方が気を悪くさせる書き方に見えたのかもしれません
売り言葉に買い言葉・・・・・
ブログ主さんは本当は知ってるように思います。
日本で人気が出たころアメリカの選手だと知って驚いたファンが多かったですよね。そうは見えないと思った日本のファンが多かったですよね。アメリカのジョニーエンジェルを知ってるならこんなことは当然知ってますよね。歴代アメリカの男子選手は欧州ロシアに比べシンプルな衣装が多いという特徴があることも本当は解ってるんだと思います。
私と友人達は柴田選手のファンではないのでファンではない観客の感想なんだけれどブログ主さんも見たのですね。引いたり嫌悪感を持ったりそこまではしてないと思うんですよね。
中性的な日本の文化的土壌というものは風俗の歴史に知識がなければ理解できないものなんだということは解りました。
簡単に説明をしすぎましたね。白鳥の演技を見た知人に
白塗りをしてないすっぴんの女形みたいだねとか
べつの友人は宝塚の男役みたいと言ったりしてたので解りやすい説明かと思ったんですが
でもブログ主さんは本当は中性的な容姿が受けていることは解ってるんだと思います。
国籍で言ってるのではないのですか・・・脱力します・・・
日本人とアメリカ人の文化の違いを書いたブログだから書き込みをしたんです。
違うなら最初から書き込みなどしませんでした。
今まで長々と失礼しました。
投稿: 柴犬 | 2009年1月15日 (木) 12時19分
柴犬さんへ
>日本人とアメリカ人の文化の違いを書いたブログだから書き込みをしたんです。
ただ日本人がアメリカ人(欧米人、西洋人でもいいです)と同じことをしても(パフォーマンス、ジェスチャー、衣装など)、似合わなかったり、時に滑稽にみえることを言いたかっただけです。
また、日本人は徹底的に自分の個性・魅力や能力をアピールするということが苦手(どうしてもテレが出てしまう)なところがあり、また徹底的にアピールすることに対して高く評価しないところもあると思います(本文中のチラリズムとか「能ある鷹は爪を隠す」などの言葉があるように)。例えば、欧米では、就職活動のときに皆同じように見えるリクルートスーツを着るのでしょうか。
やっぱり何でも単純に欧米の真似をすることには反対です。
>私と友人達は柴田選手のファンではないのでファンではない観客の感想なんだけれどブログ主さんも見たのですね。引いたり嫌悪感を持ったりそこまではしてないと思うんですよね。
うーん。この質問に対する答えは微妙ですね。やっぱり、柴田選手には独自色を出して頑張ってもらいたいと思います。
>白塗りをしてないすっぴんの女形みたいだねとか
べつの友人は宝塚の男役みたいと言ったりしてたので解りやすい説明かと思ったんですが
でもブログ主さんは本当は中性的な容姿が受けていることは解ってるんだと思います。
受け取り方は人それぞれだから、いいのではないですか。
ウィアー選手が中性的(私には男に見えたり女に見えたりする)というのは別に否定していませんよ。中性的だからこそいいという人もいるでしょうし。でも、私のブログで紹介したサイトのファンの方などはそればっかりではないと思います。
私は、ウィアー選手が女性でああいう優美な演技ができる人だとしても、やっぱりいいなと思っていると思います(女性だとあのジャンプなら金メダル間違いないし)。でも、男性だからあのジャンプができるのであって、一人で男性のいいところも女性のいいところも見られる(それも両方が下品にならずにうまく融合している)というお得感があるのが好きです(これはあくまでも私の個人的感想であることをお断りしておきます)。
投稿: M.T. | 2009年1月15日 (木) 12時44分