最近、日弁連から送られてくるFAX記事の中に、裁判員裁判の弁護技術についてアメリカの弁護士を講師に招いて研修をしているとの記事がよく見られるようになった。
私は、ちらっと見て直ぐに処分してしまっているのだが、確か講師が「裁判員を眠らせないことが大切」(※)(裁判員の興味を惹くことが大切という趣旨らしい)というようなことを言っていたような。
※ これは、私の記憶違いで、「法廷は劇場です。裁判員の興味を惹き、楽しませなければなりません。」(日弁連速報 裁判員号外No.4 より)というものだったので訂正。
このアメリカ人弁護士による研修については、落合洋司弁護士が
米国流の弁護技術を身につけよう 大阪弁護士会が研修
という記事を書いておられる。
これは産経新聞のこの記事についてのもの
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090108-00000593-san-soci
米国人講師が肘を曲げて両手を胸の前で握りあわせると、立ち上がった受講者の日本の弁護士たちは一斉に同じ動作をした。講師はさらに「ここからジェスチャーを始める。声の抑揚や音量、沈黙も使って。最初は違和感があっても慣れれば大丈夫」と強調した。
このくだりでは、ちょっと笑ってしまった。
これからは裁判員裁判の弁護人は、皆、まず両手を胸の前で握りあわせてから、尋問を始めるのかしらん。
私は、アメリカの法廷ドラマや映画が好きで、結構見ている方だと思うが、(ドラマを見る限りでは)確かに日本の弁護士は、刑事、民事に限らず、アメリカの弁護士の尋問技術などに学ぶべき点はたくさんあると思っている。
特に、「裁判員を眠らせない」ということはとても大切だと思う。
もっとも、これは、民事、刑事に限らず、裁判員裁判に限らず、もともと「裁判官を眠らせない」ためにも必要とされてきたことだ。
法廷傍聴をされた方ならご存じだと思うが、裁判官は長時間の証人尋問のときなど時々眠っていることがある(正確には、「眠っているようにしか見えない」ことがある。ー目をつむっているだけと言われるかもしれないから)。ついでに、脇に座っている司法修習生もコックリコックリしていたりする。こういう光景を見るのは、食後の午後の法廷のことが多い。
2,3時間の証人尋問というのは、尋問する方にとっては結構短く感じるのだが、聞いているだけの方にとっては細かな面白くもない事実関係についての尋問などを聞くのは確かに辛いときもあろう。おまけに、法廷はどうも空調がよくないところが多いようで(大きな裁判所の法廷にはたいてい窓がない)、時間が経つにつれ空気が澱んでくる感じがする。それがまた睡魔を誘う。
私は、裁判員裁判の伏兵は意外にもこの「睡魔」ではないかと思っている。
弁護人としては、裁判官も裁判員もコックリコックリという事態だけは絶対に避けなければならない。
だから、アメリカの弁護士の講師から「裁判員の興味を惹きつける」ための尋問技術を学ぶことも、それはそれで意味があることだと思う。
ただし、上記落合弁護士の記事の
この研修を受けたわけではないので、軽々に評価はできかねますが、米国流のパフォーマンスをそのまま日本の法廷でやっても、日本人である裁判員に対しどこまで効果的かということは、よく考えてみる必要があるように思います。内容によっては失笑をかう、という可能性も念頭に置いたほうが良いでしょう。
裁判員に対してアピールしようとする場合、最も大切なのは「わかりやすさ」ということではないかと思います。いかにわかりやすく主張、立証するかということが、裁判員裁判になった場合には大きな課題になるでしょう。
というご意見には賛成。
ここで、ちょっと、たとえ話を・・・。
年末年始に気楽に書いたフィギュアスケートの記事へのアクセスが意外に多かったことに気をよくして、ここは一つフィギュアスケートを例にとってみようと思う。
アメリカのジョニー・ウィアー選手は、演技が終わると、観客に向かってウィンクやら投げキッスやらの大サービスをする。ショーじゃなくて競技なんだから、ちょっとやりすぎだろうと思うのだが、観客の女性ファンは大喜びだし、外人さんで様になっているので、まあいいかとも思う。ところが、これと同じことを日本の織田信成選手がやったら、観客は・・・・となりそうだ。それどころか、「織田信長の子孫というれっきとした日本男児がそんな軟弱なことをするんでない」と言う人も出てきそうだ。
さらに、ウィアー選手は胸元のぱっくり開いた衣装を着ていることが多く(特に昨シーズンのフリープログラム「Love is War」のご自分がデザインしたというこちらの衣装ー公式HP写真ーはすごい)、確かに肩や鎖骨のラインがとても美しい(本当に男か?)ので似合っており、ご本人もそれが自慢でしっかりアピールしているのだろうが、着物の文化の人間としては「そういうのはチラリと見せた方が上品で色っぽいんだぞ」と思ってしまう(こちらの衣装の話はかなり私の好みが反映しているかも・・・ジョニーの衣装がお好きという方はお許しを
)。
そして、小塚崇彦選手の飾り気のない衣装がさわやかに感じたりもする(もちろん演技がよかったということが大きいが)。小塚選手は大変シャイな人のようで、観客にアピールする表現力は今一つだが、でも日本人としてはそれが自然で好ましかったりもする。
とんでもなく話がそれたようだが(でも、裁判に「ショー」的要素を求め、裁判員を「観客」のように扱うなら、まんざら遠いたとえ話でもないでしょう)、言いたかったのは、日本人とアメリカ人とでは(共通点はあるだろうが)、文化の違いもあって、表現の仕方や受け止め方がかなり違っているんじゃないか、ということ。
もう一つ、話がそれたついでに。
だいぶ前に見たアメリカ映画「ニューオーリンズ・トライアル」(原作はジョン・グリシャムの「陪審評決」)(映画のストーリーはこちら→http://www.eigaseikatu.com/title/s-4496)で、武器製造会社を訴える原告の代理人のダスティン・ホフマン演じる弁護士が、ネクタイについたシミを誰かに指摘されて、「これがいいんだ。シミがついていた方が庶民派弁護士にみえるから。」というようなことを言っていた。
私はこのセリフを聞いてヘェーと思ったのでよく覚えている。アメリカの弁護士ってそんなことにも気を遣っているのか・・・(でも、その程度のことなら、私もよく食後にブラウスにシミを作るので、簡単にマネできますよ)。
ちなみに、この「ニューオーリンズ・トライアル」はダスティン・ホフマンが弁護士、ジーン・ハックマンが陪審コンサルタント(アメリカには実際にこんな職業があるらしい)という役どころで、この名優2人がトイレで対決するシーンなどの見所もあり、ホフマンは尋問(かなり長い)をリアルに見せるために相当頑張ったそうだ。アメリカの陪審制度って本当にこんななの?日本じゃ絶対ありえない!というストーリー展開だが、映画としては意表をつく結末で結構面白かった。
この映画については、以前ご紹介したことのある弁護士兼映画評論家の坂和章平弁護士が裁判員制度にからめて面白い記事を書いておられるのでご紹介→http://www.sakawa-lawoffice.gr.jp/sub5-2-a-226nyuorinzu.html
アメリカ流というなら、弁護人も被告人もどういう服装をするか、どういう仕草をするか、身ぶり手ぶりなどの(尋問内容以外での)裁判員へのアピールというパフォーマンス面での配慮が重要になるのだろう。
でも、こういうのって、先述のフィギュアスケートの例じゃないが、弁護士に限らず、日本人ってへたじゃないの?それに、アメリカ人がやれば説得力があっても、日本人がやれば逆効果という場面もあるだろうし、同じパフォーマンスをやってもアメリカ人陪審員と日本人裁判員とではおそらく反応が違ってくるだろうし。
そんなに無理してアメリカ流をマネしなくちゃいけないんだろうか・・・。
私は、裁判員制度の導入に積極的だった(お堅そうな)あの先生、この先生が、アメリカ流パフォーマンスを裁判員の前で繰り広げている姿を想像して、密かに楽しんでいる(悪趣味でごめんなさい)。
でも、裁判員制度の導入を推進された先生方は、若い弁護士だけにアメリカ流の弁護技術を学ばせるのではなく、自らが率先して実践して頂きたいものだ(私は傍聴に行こうかな)。

さて、本物の裁判は、小説や映画のようにドラマチックで面白いものではない。
裁判官だって、どんな退屈な尋問にも眠らずしっかり聞いている人の方がはるかに多い。それは職業意識のなせる技である。
裁判員制度が実施されれば、弁護人もアメリカ流にとらわれずに、裁判員にも分かりやすい尋問を心がけるべきだが、裁判員も面白くなくてもしっかり目を見開き耳を傾けるという努力と覚悟が必要になると思う。
単なる「観客」ではなく、裁判官と対等の立場で、評議に参加し判決を下すのだから。
法廷は「劇場」ではなく、「楽しむ」ための場所でもない。
いささか話が脱線したけど、休日なのでお許しを・・・。
追記:
過去に紹介したことのある「裁判員制度はいらない」(高山俊吉著 講談社)の中の、女優の渡辺えり子さんの寄稿をもう一度ご紹介。
「裁判をショーにしてはいけない」
・・・・・誰も戦争に賛成なんかしてなかったのに、空気にのまれて知らず知らずのうちに戦争に巻き込まれていった歴史を私たちは知っています。もしかしたら冤罪かもしれないと思っていたのに、なんだか悪人そうに見えるなんていう雰囲気で死刑を言い渡してしまう。人間には恐ろしいところがあります。
・・・・・10年着古した背広で頭ボサボサの弁護士だったらホントかしらと思い、やたら弁の立つ人のほうをカッコいいなんて信用するようになる。人柄より見栄えになってしまう。コツコツと努力する弁護士が忘れられ、気の利いた風のタレント弁護士が羽振りをきかすようになるのも私は心配します。アメリカの真似をすることはありません。
なんか、この渡辺さんがイメージする「10年着古した背広で頭ボサボサの弁護士」と「気の利いた風のタレント弁護士」って具体的で誰かモデルがありそう。でも、前記のダスティン・ホフマンのセリフからすると、意外に前者のタイプの弁護士もいけるかもしれない・・・ナ。
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