規制改革会議委員の発言にあきれる。
坂野弁護士のブログの記事「法務省も認める質の低下」で引用されている
を読んで唖然とした。あいかわらず、こんなレベルの低い議論をしていたのか・・・・・。
あきれるを通り越して、なんだか笑ってしまった。これは何かのブラックユーモアか。
そうか、司法研修所って海軍兵隊学校と同じなのか。
日本の海軍兵隊学校(※議事録のママ 海軍兵学校の誤記の可能性あり)が少数の粒よりの兵隊をつくろうとしたために、日本は戦争に負けたんだそうだ(海軍兵隊学校の教官が怒るだろうに)。
それと同じで、今の日本の法曹の教育は「質」にこだわっているからダメなんだそうだ。3000人になれば「質が落ちる」に決まっているけど、「質が落ちる」ことを前提にして、割り切ってたくさんの法曹を生み出さなきゃならないんだそうだ(質の悪い弁護士は市場原理によって淘汰されるからそれでもいいんだそうだ)。
(議事録10頁の安念委員の発言参照)
そして、弁護士は専門性の高い難易度の高い事件をやる弁護士と、貸金の取り立てや離婚みたいな定型的な事件しかやらない弁護士というふうに分化させればいいんだそうだ。そして、定型的な事件なら質が悪くても安い弁護士に頼めばいいんだそうだ。
(同議事録8、11頁、15頁等の福井委員の発言参照)。
(ちなみに私は専門性の高いといわれている医療過誤事件も、福井委員が「定型的」といっている離婚事件もやっているが、はっきりいって医療過誤事件だって医療機関側が過失を認めて簡単に示談できる事件はそんなに専門性を要するとは思えない。それに対して離婚事件は全然「定型的」ではない。判例などを分析し検討を要する大変な事件もある。そして、少なくとも事案において全然「定型的」ではない。)
佐々木参事官は
「弁護士がさまざまな専門分野を持って、生き生きと多様に働くと、これは理想としてすばらしいと思いますけれども、弁護士としての汎用的、法的なリーガルマインドとかスキルとかを持っていなくて、特定の分野だけできている人を弁護士と言っていいのかというところに重大な疑問を感じます。
汎用的にできているからこそ、一つの専門分野をいろいろな視点で見られるわけでありまして、そこだけが得意な人というのは弁護士の概念とは多分マッチしていないのではないかと。」
と言っているが(同議事録17,18頁)、ごもっともである。
なお、この福井委員の意見は、(たまたま小倉弁護士のブログla_causette経由で知った)経済アナリスト森永卓郎氏のコラム
で、森永氏が「(中高年やお年寄りに多い慢性疾患のみを対象とする)2級医師という資格をつくれ」(慢性疾患の怖さは無視ですか)とか「(麻酔は歯科医でもできるから)余っている歯科医に麻酔をやらせろ」(麻酔医の先生方に失礼だろうに)などと言っているのと似ている。
どうやら経済アナリストとか経済学者の方々は「市場原理による淘汰」で何でもかんでも事がうまくいくと思っているようだ。実に単純な思考パターンである。その市場原理に任せたあげく生じる消費者被害(弁護過誤、医療過誤も含む)など全て「自己責任だからしょうがないだろう」と言いそうだ。
こういう方々を相手に議論をしなければならない佐々木参事官(法務省参事官、元司法研修所教官、元裁判官)をつくづくお気の毒に感じた。
過去の関連記事:規制改革・民間開放推進会議の中間答申が出る。
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コメント
この記事へのコメントは終了しました。
今枝弁護士の記事以降、しばらく更新が無くて少々寂しい思いを感じておりましたが、新しい記事がアップされており嬉しくなりました。
ところで、記事の本筋とは関係ない話で恐縮ですが、冒頭の「海軍兵隊学校」ですが、これは正しくは「海軍兵学校」で、隊の一文字は余計ですので訂正した方が宜しいかと思います。
またこの海軍兵学校は、兵卒(二等兵とか)を要請する学校ではなく、海軍士官(尉官佐官将官)を養成する学校でとして陸軍の士官学校に対比され、戦前は旧制一高より難関と言われるほど秀才英才奇才が集まった学校として有名でもあります。
戦前の日本は英米に比べて国の経済力や歴史的な人材の厚みに欠ける為、軍艦や飛行機など金の掛かる装備が必要な海軍は少数精鋭がモットーでした。ところが余りにも少数精鋭を意図し過ぎたために、昭和初期の海軍兵学校の定員は一学年が僅かに年50名という時期もあり、結果として太平洋戦争後半には中堅指揮官レベルの海軍士官が極端に不足してしまい、アメリカ海軍に敗れた原因の一つとなりました。
特に昭和19年から最後の海軍兵学校長を勤めた井上成美海軍大将自身が、こうした少数精鋭主義こそが日本海軍の最大の欠陥であったと、戦後痛烈に批判したことは知る人ぞ知る事実です。ですので「海軍兵隊学校の教官が怒るだろうに」というコメントは、元校長という兵学校の教官のトップが自ら少数精鋭教育を批判した経緯を知る者からすると、非常に違和感を覚える文章です。
なお井上大将は、日本海軍随一の理性派とも言われ、昭和19年当時の海軍兵学校では軍事学や皇国史観という戦時軍隊教育よりも、英語数学物理などの教養科目を重視した教育を貫きました。こうした井上校長の教育方針が、戦後に海軍兵学校上がりの青年が民間でもすぐに活躍するという形で現われ、高い評価を受けていることを故人の名誉として付言しておきます。
本論には関係のない長文を投稿し、失礼致しました。
投稿: 法務業の末席 | 2008年5月31日 (土) 00時27分
法務業の末席さんへ
お久しぶりです。
「海軍兵隊学校」の記述については、私も変だと思っていたのですが、引用の議事録がそうなっているので、そのままにしました。あるいは誤記なのかもしれません。
なお、
>昭和19年から最後の海軍兵学校長を勤めた井上成美海軍大将自身が、こうした少数精鋭主義こそが日本海軍の最大の欠陥であったと、戦後痛烈に批判したことは知る人ぞ知る事実です。
不勉強にて知りませんでした。
しかし、私は海軍兵学校が「少数精鋭主義」を廃していたとしても、日本は戦争に負けたと思います。
また、「少数」はいけないとしても「精鋭」は必要でしょう。
「精鋭」でない中堅指揮官がたくさん輩出されていたら、もっと悲惨なことになっていたかもしれません。
また、海軍兵学校長の井上成美海軍大将の反省が、海軍兵学校の教官全ての反省でしょうか。
現実に学生の教育にあたっていた教官は、「精鋭」を育てることに尽力していたはずです。
それを、「精鋭」にこだわりすぎて(質より量を重視しなかったために)日本は負けたんだと言われたら、腹は立たないでしょうか。
まあ、そもそも法曹教育の質の議論に、海軍兵学校を持ち出すこと自体がナンセンスと思いますが。
投稿: M.T. | 2008年5月31日 (土) 09時14分
M.T. さま、お久しぶりとの思いは私も同様です。
>そもそも法曹教育の質の議論に、海軍兵学校を持ち出すこと自体がナンセンスと思いますが。
その通りですね。私も先の投稿では本筋から外れた事を長々と申上げ、お詫びいたします。
閑話休題。森永卓郎氏の「2級医師」については、医師ブログの世界でも話題沸騰のようですね。一度合格した国家試験で取得した医師免許で全ての傷病を診れる医師と、司法試験合格で全ての法律業務を行える法曹は、ある種の似た側面があると思います。
ただ医師の世界には外科や内科という診療科の標榜とか、○○専門医とか××認定医など、患者の側から見てある程度の専門性を認識できる情報提供が広汎に行なわれています。ところが法曹(弁護士)の場合、離婚専門とか会社法特化弁護士事務所などと看板やHPにて積極的に表示している例はまだまだ少なく、多くの弁護士事務所の看板表記からは刑事民事何でもやりますという印象を受けます。
例えは悪いですが、ラーメンギョーザから本格フレンチやイタリアン料理、さらには寿司や懐石料理でも何でも出来ますと看板にある飲食店を連想させます。こうした「よろず屋」的な業界慣例は、依頼主から信頼と共感を得られにくいのではないかと思います。弁護士も職業として依頼主から報酬を頂いて成り立つ「業・なりわい」の一つですので、これからは得意分野のアピールとか分野を絞って特化した事務所経営など、「依頼主から見た選びやすさ」に配慮せざるを得ないのではないでしょうか。
18歳の大学入試から法科大学院を経て司法試験と研修生、合計すればほぼ10年に近い歳月、それも青春時代という人生で一番輝く時期を勉学に捧げなければ、容易に取得できないのが法曹資格であるとは思います。ですが10年の歳月と膨大な金学資を注ぎ込んで得られる資格だから、生活出来るだけの収入保障を社会は考慮すべきだ。弁護士界で主張される「法曹人口拡大見直し論」に、このような本音が透けて見えるように感じ取れる部分があります。
法曹人口拡大再検討論について世間の共感を得やすくするには、こうした誤解をされないような論点の整理が急務ではないでしょうか。
投稿: 法務業の末席 | 2008年5月31日 (土) 13時51分
法務業の末席様へ
>これからは得意分野のアピールとか分野を絞って特化した事務所経営など、「依頼主から見た選びやすさ」に配慮せざるを得ないのではないでしょうか。
それが理想でしょうが、医師の場合と違って、弁護士は「専門分野」に特化して食べていける人はごく僅かの分野のごく僅かの人でしょう。というのは、専門分野に属する事件自体、数に限りがあったり(誰もが一生のうち医師の世話になるのとは違う)、採算ベースにのらない事件が多かったりするからです。
たとえば、医療事故専門だけで食べている弁護士というのは、日本中探しても10人いるでしょうか?
他に収入や資産があるなどして、採算度外視でやってみえる方はもっとみえるでしょうが。
刑事専門という弁護士(民事は一切やらない)はいるのか、という疑問もあります。
企業法務しかやらないという弁護士は一杯いますがね。
>ですが10年の歳月と膨大な金学資を注ぎ込んで得られる資格だから、生活出来るだけの収入保障を社会は考慮すべきだ。弁護士界で主張される「法曹人口拡大見直し論」に、このような本音が透けて見えるように感じ取れる部分があります。
時間と金というコストをかけた以上、少なくとも金のコストを取り戻したいと考えるのは普通の人間のすることではありませんか(弁護士は普通の人間ではいけないというのなら別ですが)。
ロースクールによって多額の借金を背負って弁護士生活をはじめる人たちが、「生活できるだけの収入保障」どころか、「借金を返済でき、かつ生活できるだけの収入保障」を求めるのは当然の成り行きでしょう。
投稿: M.T. | 2008年6月13日 (金) 12時15分
独占禁止法専門の弁護士でも10人以上いるのに、なんで医療過誤専門が10人に満たないんだよ。
投稿: あ | 2009年11月13日 (金) 01時01分