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医療過誤の被害者が直面する不条理

 「それでもボクはやってない」を見て、日本の刑事裁判の不条理さにやりきれない思いをした方は多いだろう。周防監督も「怒り」をもってこの映画を作ったと語っておられた。

 しかし、弁護士も長くなると、あまりに多いこの世の不条理に慣れてしまうせいか、だんだんそういう「怒り」が枯渇していく気がする。そして、「怒り」が次第に「諦め」にすりかわっていくのだ。

 「怒り」はよい方向のエネルギーになることもあるので、私はそういう「怒り」を失わないようにせねばと思うことがしばしばある。

 「それでもボクはやってない」の主人公のように、司法の世界で刑事事件の冤罪被害者が受ける数々の不条理は、この映画のおかげでクローズアップされたと思う。

 この映画の一般の方々の感想を読むと、「びっくりした」というものが多い。でも、そういうことはずっと昔からあったのであり、ただ周防監督のような方や一般の方が目を向けなかっただけだ。

 弁護士であれば、たいていの者が自ら経験したり聞き知ったりしてきたことである。本当は、弁護士がこういうことをもっと世間に伝えるべきだったのかもしれない。

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 ところで、私が取り扱う医療過誤事件の被害者らが直面する不条理も、冤罪被害者に負けてはいない。

※ ここでは、「それでもボクはやってない」の映画が「主人公は痴漢をやっていない」ことを絶対的真実として前提としていたように、「医療ミスがあったこと」を絶対的真実として前提とする。

 病気になったのは患者のせいではないことが多い。

 その病院、その医師を選んでしまったからといって、患者を責めることはできない。医師の技術や経験はたいていの患者には明らかではないから。

 不幸な結果になったことについて、おかしいと思うだけで医療ミスか医療ミスでないかまでは素人には判断がつかない。

 病院にかけあっても、取り合ってはもらえない。医師会の相談に行っても同じ。

 弁護士に相談すると、証拠保全などでカルテや検査記録を入手し、調査をしないと医療ミスかそうでないか見通しがたたない、それには費用がかかる、と言われる。

 真実が知りたいと思い、費用の負担を覚悟して弁護士に依頼する。

 弁護士はカルテ等を入手して調査をするが、文献など調べても分からないことが多い。専門医に意見を聞きたいと思っても調査に協力してくれる医師がなかなか見つからない。幸いにも医師の意見を聞くことができても、A医師は「絶対におかしい、ミスだ。」と言い、B医師は「これはやむをえない事故だ、ミスではない。」と言う。弁護士は迷うが、A医師の説明の方が合理的で説得力があると判断する。

 弁護士から調査の結果を聞き、患者も迷う。しかし、A医師の説明に納得がいき、弁護士に病院との示談交渉を依頼する。

 何ヶ月も待たされて、病院の代理人の弁護士から「医師には過失がない」というそっけない短い手紙が届く。

 患者は弁護士から「もはや裁判によるしかない。」と言われ、費用や時間がかかることに驚き、迷う。このまま泣き寝入りするのは嫌だから費用や時間がかかっても裁判を決意するか、費用や時間がかかるのはたまらないと思い断念するか。

 裁判を選択してからも、病院側は「過失」や「因果関係」を否定し続ける。A医師に記名の意見書を作成してくれないかと頼むも、A医師からは裁判にかかわりたくないと断られる。他に記名の意見書を作成してくれる専門医がいないか探すも、被告の病院や医師とは知り合いだからとか、裁判にかかわるのは嫌だから、などという理由で断られる。

 病院側からはその分野で有名な医師の記名の(病院側に有利な)意見書が提出されることも。

 裁判所から鑑定の打診がある。患者は鑑定費用を負担することを覚悟の上で、鑑定の申請をする。しかし、裁判所がいろいろな大学や病院に声をかけても鑑定人はなかなか見つからない。鑑定人が決まるまでに半年、鑑定書の作成までに1年かかることも。

 そうこうするうちに1審だけで2年、3年が経過してしまうということも。

 しかし、判決で「訴訟的真実」として「過失」や「因果関係」が認められないこともしばしば。

※ 患者側に原則として過失や因果関係の立証責任があるので、立証が不十分とされれば過失や因果関係は認められない。たとえば手術中のビデオがあれば手技ミスが立証できても、ビデオがなければ立証できない場合などもある。 

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 私は、「それでもボクはやってない」を見て、周防監督には、今度はこういう医療過誤の被害者やその家族の被る数々の不条理をテーマに、「怒り」をもって映画を作って頂けないかと思った。

 男性なら誰でも痴漢冤罪の被害にあう可能性があるように、誰でも病気になる可能性があるのであり、従って誰でも医療過誤の被害にあう可能性があるのだ。

 医師の方々の中には、「医療ミスでないものを医療ミスであると認定している判決」が多いとお怒りになる方は多いけれども、「医療ミスであるものを医療ミスではないと認定した判決」がどの位多いのか、そして立証の困難さや費用がかかることを考えて裁判をあきらめ泣き寝入りをした患者がどの位多いのか、について関心を持つ方は少ないようだ。

 医療過誤「冤罪」に泣く医師の救済を考えるだけでなく、こういう患者の救済も真剣に考えて頂かないと、今の日本の医療が抱えている問題は解決しないと思う。 

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コメント

生業からこの不条理が起こりえることは認識しています。
また、その不条理を引き起こすほとんどの人たちもまじめに職務を全うしているのだろうと思います。
しかしながら、この裁判制度が円滑な市民生活のために存在しているはずなのであるから、やはり、不条理を引き起こす当事者の行動を規律する第三者的なシステムが必要なのではないでしょうか?
特に、市民生活のために存在している、公的な立場、少なくとも、公的試験が必要な職業、例えば、裁判官しかり、検察しかり、弁護士しかり、行政官しかり、政治家しかり、など、弁理士も含めて、何とかして欲しい人が存在するように思えてなりません。
マスコミも!
と、感じることが多いこのごろです。

ところで、薬害訴訟で戦っている人がいます。
http://www.geocities.jp/fukuda_minoru_1963/index.html
言動はさておいて、真実&心情を主張していると思います。

投稿 通りすーがり | 2008年3月 6日 (木) 09時54分

>医師の方々の中には、「医療ミスでないものを医
>療ミスであると認定している判決」が多いとお怒
>りになる方は多いけれども、「医療ミスであるも
>のを医療ミスではないと認定した判決」がどの位
>多いのか、そして立証の困難さや費用がかかるこ
>とを考えて裁判をあきらめ泣き寝入りをした患者
>がどの位多いのか、について関心を持つ方は少な
>いようだ。

おっしゃることは理解できますが,今の医療システムについてももう少し考察する必要があると思っています.
すべての物事に「ミス」のない状況というのはあり得ません.工場で製品を作る場合には欠陥製品の頻度を調査して,その分の余分なコストetc.を込みで価格設定ができます.(ここで言う「医療ミス」は大多数の医師が「これはミスだ」と言えるようなもの限定しておきます.)しかし医療ではコストは政府,厚労省が一方的に決めますから,そのような「リスク」に対するコストは全く見込まれていません.その分だけ安い医療費で済んでいるのです.
医療者としては「ミス」はしたくないですし「ミス」は無くしたいですが,しかしある一定の確率でそのような「ミス」は生じます.それに対してきちんと補償するには,それなりのコストが必要です.それがない以上「申し訳ありませんが,そのリスクも医療を受ける方々に負って頂かざるを得ない」のではないでしょうか?
こういった物の言い方は本意ではありませんが,今の構造上仕方がないことと思っています.それが嫌だというのであれば国民がそのシステムを変えるように動くべきなんでしょう.
検診での癌の見落としに対する訴訟なんかみていると,このように思えてしまいます.低価格で提供される検診に,一定以上の成果を期待することが間違っているのではないでしょうか?医師が「割に合わない」と考えるのはおかしいでしょうか?
医療ミスに対して補償が欲しいなら,医療コストの単価を今の何倍(場合によっては何十倍以上)に上げる必要があるでしょう.アメリカのようになれば補償することも可能でしょうけど,それも無しに低価格のままで補償しろというのは間違っていると思いませんか?

投稿 Level3 | 2008年3月17日 (月) 15時28分

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