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2007年11月 1日 (木)

相棒「複眼の法廷」を見て・・・裁判員制度に反対の裁判官登場

 いよいよ刑事ドラマでも裁判員制度が取り上げられるようになった。

 この「相棒」シリーズは、(おそらくシャーロック・ホームズを意識した)推理ドラマとして結構おもしろいので、時々見ている。日本の刑事ドラマに多い「人情物」ではなく、(ホームズ役の)変わり者杉下右京刑事(水谷豊)が(ワトソン役の)少々粗暴な亀山薫刑事(寺脇康文)とコンビを組んで、ちょっとした事象や会話から論理的に推理をし真相にたどりつくという設定で、地味ながらシリーズ化や映画化もされ、結構人気があるようだ。

 (ちなみに、このドラマ、こんなにヒットするとはだれも思わなかった刑事ドラマ(日刊ゲンダイ)なのだそうだ。ほめているんだか、けなしているんだか。)

 今回はその第6シリーズ開始の2時間ドラマ。

 警察官殺害事件の裁判に裁判員制度が試験的に導入されるという設定。

  ストーリーはこちらで→http://www.tv-asahi.co.jp/aibou/

※ ネタバレがあります。以下は、これから録画や再放送でこの番組を見ようという方は読まないほうがいいでしょう。→の右の青字は私の感想や疑問

※ ちょっと長くなってしまいました。お暇なときにお読み下さい。

★ マスコミは裁判員制度がはじめて試験的に導入される事件として大騒ぎ→実際に裁判員制度導入第1号の事件では、こんなかなあ。これじゃ、裁判員は裁判所に入るのも出るのも大変でしょう。裁判所は誰にも知られない秘密の出入り口を作っておかなければ。地方の小さな裁判所だったらどうするの?

★ そんな中、なんと裁判員の一人が変死をしてしまう。事故か殺人か。裁判員ゆえに殺害されたのではないかと疑われる。他の裁判員は怖がって全員裁判員を辞退してしまう。→そりゃ怖いでしょう。でも、裁判員が一人欠けても、補充裁判員がいるはずでは。他の裁判員は「怖いから」という理由で途中で辞退が許されるの?と思っていたら、こういうニュースが・・・。

<裁判員制度>「思想信条に反してまで」と反発も

  毎日新聞 2007年10月24日 21時40分

 どんな場合に裁判員を辞退できるかを定める政令案が24日公表された。ポイントは「思想信条を理由とする辞退」を明記せず、「自己または第三者に身体上、精神上、経済上の重大な不利益が生じると認められる場合」という抽象的な規定を盛り込んだことだ。裁判員を広く集める立場から政令案を評価する意見が出る一方、裁判員制度反対派は「思想信条に反してまで参加させられるのか」と反発している。

  「精神上、身体上、重大な不利益が生じると認められる場合」ということなので、もしかしたら「一緒に評議していた裁判員が殺されたかもしれないので怖い」というのも「精神的ないしは肉体的に重大な障害が生じる」と認められて気の弱い人の場合辞退の理由になるのかもしれない。しかし、全員辞退させてもらえるのかは疑問。

★ 裁判員の警備のために右京と亀山が選任される。2人は評議室の中にも入って警備する。しかも、評議にまで口を出す。→警備のためとはいえ警察官が評議に立ち会うのって許されるのか?。それにしても評議室が広くて立派すぎ。裁判官だけ別の机で、裁判員らと距離が離れすぎ(ちなみに、日弁連発行のマンガ本では裁判官も裁判員も同じ丸テーブルを囲んでいる)。

★ 「殺された被害者がたとえ一人でも死刑を求めるのが被害者遺族の当然の感情」と主張する倉品裁判員。裁判官は判例を説明し、「たとえ事故で家族が死亡しても遺族の悲しみは同じ。事故を起こした人間にも死刑を求めるのか。裁判は被害者遺族の復讐の場ではない。」とたしなめる。→どこかの事件を題材にしているのかも。しかし、ここまで被害者遺族と同化して感情的な裁判員に対して事前の面接審査の際に弁護人が不選任の請求をしなかったのだろうか。あるいは裁判官が不選任としなかったのだろうか。

★ 否認事件で「必要なら評議時間を延ばすことも可能」という裁判官に「これ以上拘束されるのは困る」と有罪を前提に量刑の評議を進めようとする裁判員→いきなり殺人の否認事件の評議をせよと言われて困るのは当然だろう。仕事や家事で忙しい裁判員が評議をあせるのも分かる。しかし、有罪、無罪の評議がまだなのに、いきなり有罪前提で量刑を考えようというのはいけません。

★ 「被告人の報復が怖い」という裁判員、警備がついているという裁判官に「裁判が終わっても護ってくれるのか」と詰め寄る裁判員ごもっとも

★ 評議の内容が裁判員から漏れる。情報を漏らした裁判員の目的は「世論の喚起による判決の操作」?登場人物が「裁判員は所詮素人、マスコミ報道に左右されるなという方が土台無理かもしれません。」と述べる。→マスコミ報道の影響について、よく分かっておられますね。ドラマの中の架空の人物の発言とはいえ、TVでこういう発言を聞くと思いませんでした。ワイドショーの実在の有識者のコメンテーターからは絶対に聞けない発言でしょうね。

★ 三雲裁判官、群がるマスコミ関係者に怒り「テレビの向こうから事件をながめて懲役何年だ、死刑だというのと、法廷で生身の被告人を見て法的拘束力のある刑を言い渡すのでは雲泥の差があります。テレビをご覧の方はどうぞそれを想像して下さい。そして、自分が裁判員になった場合の責任を感じて下さい。」→実際に事件を担当する裁判官がこのようなことをマスコミに言うとは思えない。この発言、なんか脚本家の念頭には光市母子殺害事件があるように思えるのは私だけ?

★ ホテルに缶詰にされている裁判員らは、TVのニュースやワイドショーを熱心に見ている。それを「皆さん、このような番組はできるだけ見ないように言われているはずじゃありませんか。」とたしなめる右京に、「気になるのよ、当然でしょ。」「こういう報道ってプレッシャー。」「(厳しい量刑を求めるマスコミ報道に)このまま懲役18年にしたら袋だたきにあいそう。」と心配する裁判員ら。亀山は「皆さんが裁判員だったことは秘密にされるはずですから。」と諭すが、「そんなこと言ったって、法廷で顔を見られているしね。」「こん中の誰かが裏切らないとも限らないしね。」と心配する裁判員。→裁判員の方々のご心配はごもっとも。それに、ホテルに何日も軟禁されていたら、TV位見たいでしょ。自分たちが裁判員をしている事件についてのマスコミ報道が気になるのも分かるし。

★ 被告人を挑発するような詰問調の質問をする倉品裁判員。感情を爆発させる被告人。被告人を責める発言をひかえるようたしなめる裁判官。→裁判員が検察官になっている。このように感情的になって被告人を責め立てる質問をする裁判員も出てくるかもしれない。

★ 量刑の評議になっても、マスコミが懲役18年では軽いと騒ぎ立てていることから、「それが世間一般の感情なのかなと思うから、懲役20年」と主張する裁判員も出てくる。→これもあり得ることではないか。

★ 量刑について裁判官の意見を聞こうとする裁判員に対して、裁判官が「われわれは皆さんの後に。」と答える。→裁判官が先に意見を述べなかったのは立派。先日の中部弁護士連合会のシンポでは、裁判官役の弁護士が裁判員役の一般の方々と一緒に模擬裁判を実施し、裁判官が積極的に意見を述べて誘導したところ、一般の方々の裁判員はその誘導どおりの評決をしたという。この結果を受けて、この大会では裁判官は裁判員より先に意見を述べてはならず、裁判長は最後に意見を述べることや、裁判官は議論の初めに各裁判員が意見を述べる段階で、それに反論してはならない。」などの評議のルール作りを訴える宣言が可決されている。しかし、そんなルール作りをしなければ真っ当な評議が期待できないのなら、裁判員制度自体を諦めるべきだろうに。

★ 「死刑、死刑」と繰り返す倉品裁判員に「あなたは簡単に死刑という言葉を口にします。しかし、あなたは被告人に死刑を言い渡す裁判官の苦さを知らない。裁判官はその苦さを一生背負い生きていかなければなりません。それが裁判官の責任だからです。その覚悟があって死刑と言っていたのですか。」という三雲裁判官。右京は三雲裁判官に「死刑を言い渡す苦さとおっしゃいましたが、裁判員もそれを一生背負うべきでしょうか。」と尋ねると、三雲裁判官は「それが人が人を裁くということです。」と答える。亀山が「それだと死刑を下す裁判員がいなくなるんじゃないですかね。」と言うと、「それなら裁判員などすべきではない。」「人を裁くなら覚悟すべきです。事件関係者からどれほど恨まれようと、たとえ悪夢にうなされようとも。裁判官はそんな夜との闘いです。」と述べる三雲裁判官。→三雲裁判官は「死刑を言い渡す苦さを一生背負う覚悟がないなら裁判員になるべきではない」とおっしゃるが、裁判員は「死刑を下すだけの覚悟がない、人を裁くということをしたくはない」という理由で裁判員を辞退できない。前記のように「思想・信条に反する」というだけでは辞退理由にはならない。裁判官に事前の面接審査の際に不選任としてもらうしかない。

 このくだりで、袴田事件の熊本典道裁判官を思い出した。熊本裁判官は袴田氏に死刑判決を書いた後、裁判官を辞職したが、自責の念から酒に溺れ家庭も失ったそうだ。

関連記事:裁判官の良心、裁判員の良心刑事裁判官の苦悩

★ 警察官による自白の強要、証拠の捏造を裁判官も裁判員も見抜くことができず、あわや冤罪の判決が下される直前、右京と亀山の活躍で警察官殺害事件も裁判員変死事件も真犯人が見つかる。警察官殺害事件の方は刑事ドラマによくある展開だが、裁判員変死事件の方はなんと新聞記者が裁判員にしつこい取材をしてもみ合っているうちに裁判員が転倒して死亡してしまったという展開。→この展開はドラマだから極端だが、注目の刑事裁判の場合、マスコミ関係者が裁判員に対する取材を本当に自粛できるだろうか。

★ 最悪の結末を迎えた裁判員制度の試験導入。三雲裁判官は「裁判員を裁判に参加させるには準備不足だと私は考えますが。」と述べると、法務省関係者は「法務省に一歩踏み出した足を止めろと。」と色めき立つが、三雲裁判官は「それが今後の司法のためだと私は考えます。」と言い放つ。→こういうことを法務省に言える「一裁判官」って本当にいるのだろうか。最高裁は、いまや各種メディアを使い、膨大な国費を使って、裁判員制度の広報に血道を上げている(仲間由紀恵の特大ポスターに続いて、先頃上戸彩を使った新聞広告まで出した)。裁判員制度に批判的な裁判官はたくさんいるだろうが、表だっては発言しにくい状況だろう。脚本家はそのことを承知の上でドラマの中に「三雲裁判官」のような裁判官を登場させたのかもしれない。 

★ ところが、その三雲裁判官にも裏が・・・。このドラマ、警察官、裁判官、裁判員、新聞記者、それぞれがスネに傷を持っていたという展開→弁護人が出てこなくてよかった・・・。

 最後の右京と三雲裁判官の対決。

三雲裁判官「今回の裁判も警察が捏造した証拠のせいで私は冤罪を作りそうになった。そんな冤罪が今後はきっと増えますよ。」「今まではプロの裁判官が長時間かけて膨大な資料を読み解き、判決を下していた。」

右京「それでも冤罪は起きていましたが。」

三雲裁判官「にもかかわらず、それをこれからは素人が短期間でやろうとしている。」

右京「裁判の長期化を避けるために、裁判員制度が導入されたはずではないでしょうか。」

三雲裁判官「そうして、裁判を短くして素人を参加させた結果、死刑を言い渡した人が冤罪だったらどうします。」

右京「現実に死刑被告人の再審無罪は何度かありますね。」

三雲裁判官「それが何十年も刑務所に入れた後に、いや、刑を執行した後に分かったら、あなたは責任が取れますか。あなたも。」

右京「僕は警察の人間として冤罪を作った場合の責任は背負っていく覚悟はできているつもりです。」

三雲裁判官「なるほど、あなたならそうかもしれない。しかし、そこまでの覚悟ができる裁判員は果たしているでしょうか。」

 →冤罪で処罰されないのは被告人の権利である。もし、冤罪を避けるために裁判員制度を導入するのであれば、被告人に(アメリカの陪審制のように)裁判官による裁判と裁判員による裁判を選択する権利を与えるべきだろう。

  裁判の長期化を避けるために裁判員制度が導入されたわけではない。裁判官による裁判でも長期化を回避するための方策を取り入れるのは可能であったはずだ。むしろ、裁判員制度を実施するために(裁判員を長期にわたって拘束しないために)裁判をとにかく短かくしてしまおうというのが実体である。

 右京「では、倉品裁判員のことはどう思われますか。」

 三雲裁判官「どうとは。」

 右京「彼女の言葉はそのまま被害者遺族の言葉でした。」

 三雲裁判官「被害者感情に偏れば、裁判は復讐の場になってしまいます。」

 右京「一方そのように一般の方の感情を無視してきたからこそ、裁判員制度が導入されることになったのだと思いますが。」

 三雲裁判官「どうやら、あなたとは永久に分かりあえそうもないですね。あなたとも。」

 →裁判官による裁判が「被害者遺族や一般の方の感情を無視してきた」から、被害者遺族や一般の方からの声を受けて、裁判員制度が導入されることになったのではない。

 裁判員制度の導入が国民の声によるものではないことは、各種アンケートで明らかになっている。タウンミーティングでヤラセがあったことも発覚している。

 裁判員制度ができた経緯については、ぜひ「裁判員制度の正体」(西野喜一著、講談社現代新書発行)の「第2章 裁判員制度はどのようにしてできたのか」をお読み頂きたい。

 内閣直属の審議会である司法制度改革審議会という組織の中で、「司法への国民参加」というテーマのもと、何ら現行の刑事裁判の問題点とその対策を議論することなく、陪審制を導入すればわが国の刑事裁判はよくなるはずだという強い思い込みのある陪審制導入論者と、英米の陪審制には誤判が多いから危険だと主張する反対論者との妥協の産物として生まれたのが裁判員制度である。

 国民のあいだから、「刑事裁判に国民を参加させるべきだ」という声が挙がったために、裁判員制度が議論され、採用されたのではないのである。

 どうやら右京には、この点における決定的な誤解があるようだ。

★ 事件を振り返る右京と亀山。「これも産みの苦しみなんですかね。」という亀山。「人が人を裁く。これまで限られた人間に委ねられていたことを普通の人々が参加するようになるのですからね。しかし、その可能性を信じてもいいと思いますよ。」と右京。・・・「裁判員制度は2009年5月までに実施予定です。」という字幕→なんだ、結局、裁判員制度の広報?。残念。

 右京と亀山にはぜひ前記「裁判員制度の正体」の「第3章 無用な制度ー誰も求めていないのに」「第5章 粗雑な制度ー粗雑司法の発想」を読んで頂きたい。

 ちょっとだけ引用させて頂く。

 「信念の危うさ」  同書71頁~ より、

  そのうえ、世論調査によれば、裁判員をやりたくないという人の割合が過半数を大きく超えています。このことは国民のあいだから抽選で無理やり裁判員をかき集めても、やりたくなくて、しぶしぶ出て来る人が大部分だということを意味しています。

 それでもこの裁判員制度を実施しなければならない必要性、仕方なくしぶしぶ出てきた人たちに被告人の運命を決めさせなければならないという必然性はどこにあるのでしょうか。そしてそれを強行した場合、いったいどんな裁判になるのでしょうか。

 「被告人の運命はくじで決まる」 同書97頁~ より、

  裁判員制度により刑事裁判が今よりも粗雑なものになりそうだ、との文章に続いて

  その理由はいくつも考えられますが、まず裁判員を抽選で選ぶことが挙げられるでしょう。抽選ではいったいどんな人が選ばれることになるのでしょうか。一方では、並みの裁判官ではかなわないほどの立派で有能な人がいる可能性もありますが、他方では、こんな人に裁判をやらせて大丈夫だろうかと思われるような人も必ず出てきます。

 抽選である以上、いちじるしく能力の劣る人や、ひどくマナーの悪い人が混じってくる可能性は避けられません。外国で現実にあったように、朝から酒の臭いをさせて来るような人は絶対にいないと断言できるでしょうか。まして裁判員の資格要件は義務教育終了ということだけなのです。

 およそ世のなかでくじで決めてよいのは、結果がどちらに転んでもかまわないというものだけです。たとえば会社でも役所でも個人の営業でも、人を雇用するのに応募者のなかからくじで決めようなどということは、いったいどんな人が選ばれることになるのか、恐ろしくて誰もできないでしょう。しかし、そうやって被告人の運命を決めようというのがこの裁判員制度なのです。審議会も裁判員法も、所詮被告人の運命などはどう転んでもよいのだと思っているのかもしれません。

 裁判官にもいろいろな人がいる。裁判官による裁判にも誤判はあり、完璧な制度というわけではない。

 しかし、裁判員による裁判なら、裁判官による裁判よりも信用できるのか。

 くじ引きで選ばれる裁判員が皆「健全な社会常識」の持ち主であるとは限らない。しかも、裁判員は、アメリカの陪審員のように12人ではなく、たった6人なのである。人数が少ないだけ1人1人の票の重みも増す。しかも、アンケートの結果からすると、裁判員の多くがおそらくしぶしぶ裁判員になっているのである。そんな裁判員が、膨大な記録(目を背けたくなる写真や難しい言葉が羅列されている書類もあろう)を読み、被告人や証人の尋問(時には退屈で眠気を誘うものもあろう)に真摯に耳を傾け、緻密に検討することができるのか。

 「産みの苦しみはあるが、可能性を信じてみる」というのは聞こえはいいが要は「その苦しみの根源を探ることなく実施して、バクチをする」ということだ。

 しかし、このドラマ、令状なしに証拠物件を押収したり、被告人の取り調べにあたって証人にもなっている警察官が裁判員の警備を担当して裁判員に情報をもらす、などの破天荒な場面もあったが、なかなか真面目に裁判員制度の問題を提起していた。特に、「裁判員制度に反対する裁判官」を主要人物にしたのは面白かった。

 少なくとも、最高裁、法務省、日弁連が製作した裁判員制度宣伝ドラマやマンガ本よりも、はるかに面白かった(相棒シリーズの推理物としての出来は今ひとつだったとは思うけど)。

                 Yajirobei_mini

 最近では、社説で裁判員制度に対する疑念を表明する新聞社まで出てきた。

裁判員制度 この仕組みで大丈夫か(10月29日)

          北海道新聞 社説

 裁判員制度については、先に最高裁側が、容疑者の自白内容や生い立ちなどを伝える事件報道に対し「裁判員に予断、偏見を与える」と、報道側に配慮を求めた。

 しかし、報道を自粛すると、事件の背景を明かして、社会に警鐘を鳴らす役割を果たせなくなりかねない。報道が偏見を取り除くこともあるだろう。

 裁判員制度を円滑にスタートさせるために、報道の自由や国民の知る権利に制限をかけようとするのなら健全な発想とはとても思えない。

 裁判員制度の実施日は「円滑かつ適正に実施できるかどうかについての状況に配慮」して決定される。二○○九年五月までの予定を遅らせてでも制度を再検討してはどうか。

  関連記事:ついに・・・マスコミの事件報道のあり方に最高裁参事官もクレーム

 裁判ついての報道には、この社説のいうような「事件の背景を明かして、社会に警鐘を鳴らす役割」「偏見を取り除くこと」だけでなく、裁判が適正な手続で実施されているかを監視する役割もある。警察の捜査や検察の立証を監視し、冤罪が作られないよう監視するという役割も重要だ。

 しかし、裁判員制度を本気で実施するなら、必ず事件報道の自主規制や法的規制が問題となってくる。

 メディア側も、このまま裁判員制度の実施を許してしまっていいのか、本気で考えるべきときだろう。

               Csreng

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コメント

こちらにお邪魔するようになって、今更ですが、裁判員制度について最近少しずつ見聞きするようになり、自分でも考えてみましたが、考えれば考えるほど、「ワタシはやりたくない!」という思いでいっぱいです。

はじめは、「12人の怒れる男」みたいに、無罪か有罪かだけを判定するのかと思ってました。「有罪でなければ無罪」という原則に沿って考えればいいんだな、だったら自分にもできるかな、なんて思っていました。

ところが、よく見てみると、量刑まで決めるというではないですか。「法律の専門家ではない国民の皆さんが裁判に参加し,国民の皆さんの感覚が裁判の内容に反映されるようになります」ってったって、ラーメンの値段を決めるんじゃないんです。ラーメンなら、「自分で作れば○円でできるから、この材料なら○円かな」「このくらいの味と分量ならアソコの店と同じくらいだから○円だな」って、専門家じゃなくても自分の経験に基づく「感覚」で決められますよ。

でも、量刑なんて、刑罰の実態を知らない者の「感覚」で決めていいんですか?懲役○年っていっても、刑務所の生活1年分がどのくらいの苦痛、どのくらいの不利益になるのかさっぱり分からない。あるいは、刑務所1年分でどのくらい受刑者の更生につながるのかもさっぱり分からない。つまり、それがその犯罪の罰として適当な重さなのかさっぱり分からないわけです。

じゃあ、実際どうやって決めるんだろうって想像してみると、やっぱり今までの判例を参考にするしかないんじゃないでしょうか。似たような事件の判例の量刑を提示され、「じゃ、それでお願いします」とか「それよりちょっとヒドそうなのでプラス1年」とかいうことになってしまいそうな気がします。素人は、似たような事件といってもその詳細まで知ってるわけじゃない。外形が似ているということでしか判断できないものを基準にして決めることになってしまうでしょう。

裁判官の人たちは、いっしょうけんめい勉強して、覚悟を決めてその職に就かれるわけです。万一誤判してしまったとしても、あるいは判決内容に対して批判を受けたとしても、「自分の能力の限りを尽くしても分からなかった」と考えることもできるでしょう。でも、ワタシは、そんな自信も覚悟もないです。もちろん裁判員の席に座ってしまったら全力を尽くしますが、あとで間違っていたことが分かったり、判決を批判されたりしたときも、自分の判断に間違いはなかったって胸を張れる自信はもてないと思います。自分が下した判決に対する悔悟の念を抱いて、誰にも言えずに死ぬまで数十年、てなことにもなりかねない。とても日当1万円で釣り合うリスクとは思えません。

それに、「裁判員の個人を特定する情報は公にしてはならないとされています」といっても、会社を休むときは「裁判員になりますので」って申し出なくちゃならないんでしょ?どうしたって会社の一部の人には知られてしまうわけですよね。「へー、あの人はこんな裁判のこんな判決に関わったんだー」てのがイヤでも知れてしまう(それがイヤなら理由を言わずに有給?欠勤?)。そんな環境で、たとえば衆人の耳目を集めるような事件に対して、ほんとうに法律と自分の良心にのみ基づいて判断することができるんだろうか?ぜったいにそうしますって言えるだけの自信がもてないです。

導入が決まってしまった今頃になってこんな心配を始めるとは・・・。気づくのが遅すぎたと凹んでます。もし裁判員に選ばれてしまったら醤油でも飲もうかと真剣に考えています。

ちなみに、裁判員制度については、あえて法律の条文は読んでいません。広報パンフレットと広報用のホームページの内容だけで判断しています。だって、「裁判員は法律の条文を知らなくても大丈夫」って言われてるんだし。

長くなってすみませんでした。。。

@niftyトップページ「旬の話題ブログ」コーナーにて、
本ページの記事を紹介させて頂きました。
紹介記事については、「旬の話題ブログ」バックナンバーで
半年間、ご覧いただけます。
「相棒」のご紹介、ありがとうございます。
この記事を読んで、次回は見てみよう!と思われた方は沢山いらっしゃるのではないかと思います!
今後も旬な話題の記事を楽しみにしておりますので、
引き続き@niftyをご愛顧の程、よろしくお願い致します。
ありがとうございました。

        @nifty「旬の話題ブログ」スタッフ

M.T.様が平穏な生活を送られているごようす。
とても、安心しています。

本当にお疲れ様でした。

初めて投稿します。
私は光市事件をきっかけに裁判について裁判員制度について考える機会が多くなりました。裁判員制度であったなら光市事件の裁判がどのように推移し、自分がもし裁判員になったらどのような激しい世間の風を受けて、どのような判断をするのだろうと考えます。そのように考えている自分が裁判員制度導入の目的かも知れませが・・・
しかしプロの裁判官でも世間の意見の影響を受けると言われているのに素人の私たち裁判員がしっかりした判断が出来るのか自信がありませんし不安です。
しかし裁判員制度は一審だけですし、ぶれた判断をした場合は控訴審以降で回復できるのではと考えたりしますが、被告人の負担を考えるとやはり問題は多いに有りそうです。
裁判官は世間に身を置く必要は無いような意見を聞くことがありますが、世間にどっぷり浸かった裁判員と意見を交わして裁判官がどのように変化をしていくのでしょうか。裁判員制度による裁判を経験した裁判官が控訴審を担当した時に、どのような判断を下すか興味深いものもあります。
最近、アメリカの陪審制度に興味をもっています。10年以上前にO・J・シンプソンの裁判が多いに話題になりました。それと光市事件を重ねて考えてしまいます。O・J・シンプソン裁判の陪審員はどのように対応したのか。マスコミや世間からどのような影響を受けたのか。あるいはどのようにして陪審員を守ったのか。プロの裁判官よりも陪審員に受けの良い弁護士が出現するようになるのか。多いにアメリカの陪審制度から学ぶことが多いようです。
昨年アメリカに出張したおり、コートTVという番組を見ました。実際の裁判がTVで放送されていることに驚きました。そのTVを見たアメリカ社会がどのような反応し、裁判に影響するのかご存知の方がおられたら是非ご教授いただけたらと思います。
最後に、裁判員制度について自由活発に議論されているサイトをご紹介していただけたら嬉しく存じます。

初めまして。刑事司法制度について最近、関心を持つようになりまして、こちらのブログに辿り着きました。とても興味深く読ませて頂いております。

TVドラマの「相棒6」で裁判員制度を題材にした初回放送分は、検察出身の方が監修として関わっていらしたようです。
それがためでしょうか、被告弁護人の姿が全くない裁判ドラマになっていました。
裁判員制度が実施導入された後、弁護士の方たちは今までと違った対応をなさらなくて大丈夫なのかなと思っています。

たとえば公判が連日開かれるような事態となれば、被告人と協議する時間がなくなりませんか?
テレビドラマ「相棒」で弁護人の存在の欠片もなかったのは象徴的とも云えます。
性質の悪い冗談だと思いたいです。

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