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ねこちか2

サイバーキャットと遊べます。猫じゃらしで遊んだり、エサを与えることもできます。

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2007年11月

2007年11月19日 (月)

病院内のベーカリー

はや11月も中旬。

 今月は、あまり記事を書いていない。忙しいせいもあるが、年末が近づいてきて気持に余裕がないのが一番の原因だ。

 今年こそ、余裕を持って年末を乗り切りたいと思い、今から年内にやるべき仕事、来年に繰り越してもいい仕事の選別をしている。しかし、何をどうやっても、やはり12月は相当きつそうだ。

                 Tetubou               

 きょうは、木枯らしの吹く寒い一日だった。

 お昼休みに外に出て、コートを着てこなかったことを後悔した。

 私の事務所は、名古屋医療センター(旧 国立名古屋病院)の近くにある。この病院には、定期検査でお世話になっているし、銀行や郵便局のATMを利用させてもらっている。病院内には定食屋さんもあって、ここのかきフライ定食のジューシーな揚げ具合が気に入って時々食べに来ている。美容室や売店もあり、昼休みには盛況だ。

 何しろ大きな病院なので、入院患者やその見舞客ら、そして医療従事者ら、いつも大勢の人々が出入りしており、ちょっしたミニタウンになっている。

 最近はよくテレビでいろいろな病院の紹介をしているが、その中に屋上に露天風呂をつくった病院があった。確かに、入院が長い(入浴のできるだけの体力はある)患者にとって、お風呂は楽しみだろう。露天風呂があれば嬉しかろう。

 病院も最近はいろいろな工夫をしているようだ。 

 私は、弁護士になってから、証拠保全に行ったり、協力医を訪ねたりで、たくさんの病院に行くようになった。昨年は父が入院したので、はじめて入院患者の家族としても病院に頻繁に通った。

 経営方針の違いによるものか、本当にいろいろな病院があるものだ。

 病院は治療行為が第一に重要であるのは当然だが、食事、入浴、リラクゼーションなども重要な要素だと思う。入院が長くなると、食事がまずい、お風呂がきたない、楽しみがない、では精神的に参ってしまう。

 今までに行ったことのある病院の中には、ロビーや談話室でくつろげるように工夫をこらした病院もあった。しかし、ぜんぜんそういった配慮が感じられない病院も多い。

               Pianoman

 さて、下の写真、何に見えますか?                

     Banana

 どうみてもバナナでしょう。

 ところが、これがパンなのである。

 名古屋医療センターの売店内のベーカリーで購入したバナナクリームパン130円。

 茶色に痛んだようにみえる箇所は実はチョコ。芸が細かい。

 甘いもののきらいな人にはお勧めできないけれど、バナナ風味のクリーム入りで軽やかなお味。

 人気なのか1個しか残っていなかった。

 入院が長くなると、入院患者も家族も、売店での買い物さえ楽しみになる。

 こんなパンが置いてあると、それだけでちょとだけ楽しい。

2007年11月14日 (水)

マンパワー不足

 きょうは、久しぶりに医療過誤問題研究会の勉強会に出席した。

 麻酔科医の先生がスライドを使って脊髄麻酔と硬膜外麻酔について分かりやすく説明して下さる。

 麻酔に使う針の実物も見せて頂いた。よくもまあ、こんなに細くて長くて柔らかい針を扱えるものだと感心する。硬膜外麻酔の場合、硬膜に達しないよう硬膜外腔に針を止めなければならない。細心の注意と訓練を要する手作業だ。

 麻酔科と病理の先生には、医療事故の調査の際にお世話になることが多い。しかし、どちらの分野も医師が不足している。

 患者としては直接接することが少ない分野だが、実際の治療行為にはとても大切な分野だ。

 きょうご説明頂いた先生も、麻酔科医師の不足、マンパワー不足を嘆いておられた。

 今の日本で全ての手術に麻酔科専門医の立会を望むことなど到底不可能だ。

 しかし、私は、自分や自分の家族が手術を受けるなら、麻酔科専門医が立ち会って下さる病院でお願いしたいと思ってしまう。

                  Stethoscope2

 患者が安全な治療を受けられるよう、なぜ国はもっと力を注いでこなかったのか。なぜもっと長期的展望をもって医師の数を増やしてこなかったのか。

 いきなり数を増やしても、オン・ザ・ジョブ・トレーニング(OJT)(仕事の現場で,業務に必要な知識や技術を習得させる研修)が困難であることは、医師も弁護士も同じである。

 それなのに、国は(そんなに必要とされていない)弁護士は急激に増やしてOJTに支障をきたしている。しかし、国民に必要とされている医師は増やしてこなかった。

 舛添厚生労働大臣と鳩山法務大臣は、この問題についていろいろ発言はされているが、本当に期待していいのだろうか。

         Inaka0012

 

2007年11月 9日 (金)

年の瀬前のちょっと一息。

 一週間ほどブログを休んでしまった。

 仕事の方も、ちょっと一息。来月は12月というこの時期に、ちょっと休養を取っておきたかったから。

 私は弁護士になってから、心静かな12月を過ごせたことがない。

 たいていの弁護士にとって「12月」というのは、1年で一番大変な月なのだ。

 なにしろ、相談者の方も依頼者の方も、抱えている問題について、なんとか年内に解決したい、あるいは何らかの見通しを立てたい、と思ってみえる。弁護士もその期待に答えたいと思う。そして、裁判所もその当事者らの思惑を利用(?)して、和解を勧めたりする。

 12月は弁護士にとって委任を受けている事件が終結することが多く、売上が上がる月でもある。そのかわり、経営者弁護士にとってはボーナスの支払いなど人件費がかかる月でもあるわけだが。

 加えて、年賀状の宛先の確認・整理、年末調整などの経理、大掃除などの仕事が加わる。

 なかでも、私がゆううつなのは、大掃除。今年は、忙しくて書類の整理が十分にできなかった。机の上や周辺には書類の山を築いてしまっている。

 事件記録は事務員にファイリングをしてもらっているので困ることはないが、年末には各事件の進行状況について見直しをすることにしている。

 また、毎日のように送られてくるおびただしい量の司法改革問題関連の書類も整理できていない。これがなかなか処分できない。

 ・・・・・とまあ、年末にはやらなければならないことが山ほどあるのだ。

                Buranko

 ブログを休んでいるうちに、世の中ではいろいろな事件が起こっている。

 小沢代表の辞任&辞任の撤回、マスコミ批判(なんか最近同じようなことをされた弁護士もいたなあ)、混合診療全額負担は違法判決、血液サラサラブレスレット詐欺事件などなど・・・。

 毎年毎年、年末になるとどうしてこうも事件が多発するのか。

 それぞれに感想はあるが、記事を書いている時間がない。これらについては、他にも多くのブロガーの方々が記事を書いておられることでもあるし。

 私は、今週は帰宅時間を少し早めて、NHKのハイビジョン特集「天才画家の肖像」を見ていた。喜多川歌麿、歌川国芳、狩野永徳・・・。俵屋宗達を見逃したのは残念。

 やっぱりこういうのはハイビジョン画像で見ると素晴らしい。

 歌川国芳のときは国芳の飼い猫に主人のことをしゃべらせたり、狩野永徳のときは新進画家に洛中洛外図屏風の中を歩かせたり、というCGを駆使した趣向も楽しかった。

 最近のNHKのハイビジョン特集はなかなかハイレベルだと思う。

 しばし世の中の喧噪を忘れ、芸術の秋を楽しめたひとときだった。

      Neko

 近所の駐車場で見つけた眠り猫3匹(もうちょっと近づいて撮影したかったのだが、近づいたら起きてしまった)。

 この気ままさがうらやましい。

2007年11月 2日 (金)

ネパールから届いたうちわ~ブッダ基金の話

 夕方、出張から帰ったら、ネパールからうちわ12本が届いていた。

         Utiwa2

 これは、「ブッダ基金」というNPO法人から送られてきたもの。

 ブッダ基金とは、循環器科のお医者さんが理事長になって設立されたNPO法人で、ネパールの恵まれない人たちを、「医療・教育・産業振興・女性の自立」の4つの側面から支援している。

 このブッダ基金は、寄付金でネパールのポカラ市にブッダ病院という病院も建設している。

  ネパール王国はインド亜大陸の北に位置し、北はヒマラヤ山脈を隔ててチベットに面し、東西南の三面はインドと堺を接している。人口は約2300万人で、多くの人々は山間地で農業を営み、観光と外国の援助で成り立つ美しいアジアの僻地である。産業が育たないため人々の暮らしは楽ではなく、4万に達する村々は無医村となっている。医師の60%以上はカトマンズ等の都市部に集中しており、医療保険はなく、多くの村人は医療の恩恵に浴することができないままの状態が続いている。衛生状態が悪いため今もって伝染病が蔓延し、乳児死亡は高く、また識字率も低いアジアの最貧国となっている。

 この様なネパールに対してはODAやJICA等を通じて日本政府は援助活動を積極的に行っており、また民間人によるボランティア活動も各方面より実施されている。しかし山村に暮らす多くの人々は医療機関が無いため、病人は放置されるか、チベット医学などの伝統的な民間療法に頼っている状態である。

 こうしたネパールの窮状を少しでも改善する援助活動は、世界第2位の経済大国に住み 、アジアの中で豊かな暮らしを享受している我々に求められているのである。

        ~ブッッダ基金の設立趣意書より

 私は、仕事の関係で理事長の山口医師にお世話になったことがあり、山口医師から事務所に送られてきたブッダ基金の活動報告書などを見てこのブッダ基金の存在を知った。山口医師は、今も医療キャンプで医師として診療行為にあたるなど活躍されている。ブッダ病院の運営には苦労もされているようだ。 

 そのようなご縁で、私も僅かながらこのブッダ基金に寄付をさせて頂いている。

 写真のうちわは、ブッダ基金が、ネパールの数少ない産業であるロクタ紙の手漉き紙と、ネパールであればどこにでも自生している竹を原材料とし、日本のうちわの特産地丸亀からうちわ職人を現地に派遣し、11人の研修生に、日本の伝統技術を教え込んで製作されたものだそうだ。

 1本200円である。しかし、ネパールの一人当たりの年間所得が約2万8,000円だそうだから、200円でもネパールの人にとっては大きな収入になるだろう。

 皆様も、ブッダ基金の設立の趣旨にご賛同頂けるなら、ぜひこのうちわを購入してあげてほしい。

 確かに日本製のうちわに比べると、技術的にはちょっと稚拙に思えるが、手作りの温もりが感じられ、手漉きの紙も味わいがある。色彩がきれいでネパールの農村風景を描いたデザインもなかなかおしゃれ。

 ・・・・・そんなわけで、季節はずれのうちわの話でした。

     Utiwa1   

            

2007年11月 1日 (木)

相棒「複眼の法廷」を見て・・・裁判員制度に反対の裁判官登場

 いよいよ刑事ドラマでも裁判員制度が取り上げられるようになった。

 この「相棒」シリーズは、(おそらくシャーロック・ホームズを意識した)推理ドラマとして結構おもしろいので、時々見ている。日本の刑事ドラマに多い「人情物」ではなく、(ホームズ役の)変わり者杉下右京刑事(水谷豊)が(ワトソン役の)少々粗暴な亀山薫刑事(寺脇康文)とコンビを組んで、ちょっとした事象や会話から論理的に推理をし真相にたどりつくという設定で、地味ながらシリーズ化や映画化もされ、結構人気があるようだ。

 (ちなみに、このドラマ、こんなにヒットするとはだれも思わなかった刑事ドラマ(日刊ゲンダイ)なのだそうだ。ほめているんだか、けなしているんだか。)

 今回はその第6シリーズ開始の2時間ドラマ。

 警察官殺害事件の裁判に裁判員制度が試験的に導入されるという設定。

  ストーリーはこちらで→http://www.tv-asahi.co.jp/aibou/

※ ネタバレがあります。以下は、これから録画や再放送でこの番組を見ようという方は読まないほうがいいでしょう。→の右の青字は私の感想や疑問

※ ちょっと長くなってしまいました。お暇なときにお読み下さい。

★ マスコミは裁判員制度がはじめて試験的に導入される事件として大騒ぎ→実際に裁判員制度導入第1号の事件では、こんなかなあ。これじゃ、裁判員は裁判所に入るのも出るのも大変でしょう。裁判所は誰にも知られない秘密の出入り口を作っておかなければ。地方の小さな裁判所だったらどうするの?

★ そんな中、なんと裁判員の一人が変死をしてしまう。事故か殺人か。裁判員ゆえに殺害されたのではないかと疑われる。他の裁判員は怖がって全員裁判員を辞退してしまう。→そりゃ怖いでしょう。でも、裁判員が一人欠けても、補充裁判員がいるはずでは。他の裁判員は「怖いから」という理由で途中で辞退が許されるの?と思っていたら、こういうニュースが・・・。

<裁判員制度>「思想信条に反してまで」と反発も

  毎日新聞 2007年10月24日 21時40分

 どんな場合に裁判員を辞退できるかを定める政令案が24日公表された。ポイントは「思想信条を理由とする辞退」を明記せず、「自己または第三者に身体上、精神上、経済上の重大な不利益が生じると認められる場合」という抽象的な規定を盛り込んだことだ。裁判員を広く集める立場から政令案を評価する意見が出る一方、裁判員制度反対派は「思想信条に反してまで参加させられるのか」と反発している。

  「精神上、身体上、重大な不利益が生じると認められる場合」ということなので、もしかしたら「一緒に評議していた裁判員が殺されたかもしれないので怖い」というのも「精神的ないしは肉体的に重大な障害が生じる」と認められて気の弱い人の場合辞退の理由になるのかもしれない。しかし、全員辞退させてもらえるのかは疑問。

★ 裁判員の警備のために右京と亀山が選任される。2人は評議室の中にも入って警備する。しかも、評議にまで口を出す。→警備のためとはいえ警察官が評議に立ち会うのって許されるのか?。それにしても評議室が広くて立派すぎ。裁判官だけ別の机で、裁判員らと距離が離れすぎ(ちなみに、日弁連発行のマンガ本では裁判官も裁判員も同じ丸テーブルを囲んでいる)。

★ 「殺された被害者がたとえ一人でも死刑を求めるのが被害者遺族の当然の感情」と主張する倉品裁判員。裁判官は判例を説明し、「たとえ事故で家族が死亡しても遺族の悲しみは同じ。事故を起こした人間にも死刑を求めるのか。裁判は被害者遺族の復讐の場ではない。」とたしなめる。→どこかの事件を題材にしているのかも。しかし、ここまで被害者遺族と同化して感情的な裁判員に対して事前の面接審査の際に弁護人が不選任の請求をしなかったのだろうか。あるいは裁判官が不選任としなかったのだろうか。

★ 否認事件で「必要なら評議時間を延ばすことも可能」という裁判官に「これ以上拘束されるのは困る」と有罪を前提に量刑の評議を進めようとする裁判員→いきなり殺人の否認事件の評議をせよと言われて困るのは当然だろう。仕事や家事で忙しい裁判員が評議をあせるのも分かる。しかし、有罪、無罪の評議がまだなのに、いきなり有罪前提で量刑を考えようというのはいけません。

★ 「被告人の報復が怖い」という裁判員、警備がついているという裁判官に「裁判が終わっても護ってくれるのか」と詰め寄る裁判員ごもっとも

★ 評議の内容が裁判員から漏れる。情報を漏らした裁判員の目的は「世論の喚起による判決の操作」?登場人物が「裁判員は所詮素人、マスコミ報道に左右されるなという方が土台無理かもしれません。」と述べる。→マスコミ報道の影響について、よく分かっておられますね。ドラマの中の架空の人物の発言とはいえ、TVでこういう発言を聞くと思いませんでした。ワイドショーの実在の有識者のコメンテーターからは絶対に聞けない発言でしょうね。

★ 三雲裁判官、群がるマスコミ関係者に怒り「テレビの向こうから事件をながめて懲役何年だ、死刑だというのと、法廷で生身の被告人を見て法的拘束力のある刑を言い渡すのでは雲泥の差があります。テレビをご覧の方はどうぞそれを想像して下さい。そして、自分が裁判員になった場合の責任を感じて下さい。」→実際に事件を担当する裁判官がこのようなことをマスコミに言うとは思えない。この発言、なんか脚本家の念頭には光市母子殺害事件があるように思えるのは私だけ?

★ ホテルに缶詰にされている裁判員らは、TVのニュースやワイドショーを熱心に見ている。それを「皆さん、このような番組はできるだけ見ないように言われているはずじゃありませんか。」とたしなめる右京に、「気になるのよ、当然でしょ。」「こういう報道ってプレッシャー。」「(厳しい量刑を求めるマスコミ報道に)このまま懲役18年にしたら袋だたきにあいそう。」と心配する裁判員ら。亀山は「皆さんが裁判員だったことは秘密にされるはずですから。」と諭すが、「そんなこと言ったって、法廷で顔を見られているしね。」「こん中の誰かが裏切らないとも限らないしね。」と心配する裁判員。→裁判員の方々のご心配はごもっとも。それに、ホテルに何日も軟禁されていたら、TV位見たいでしょ。自分たちが裁判員をしている事件についてのマスコミ報道が気になるのも分かるし。

★ 被告人を挑発するような詰問調の質問をする倉品裁判員。感情を爆発させる被告人。被告人を責める発言をひかえるようたしなめる裁判官。→裁判員が検察官になっている。このように感情的になって被告人を責め立てる質問をする裁判員も出てくるかもしれない。

★ 量刑の評議になっても、マスコミが懲役18年では軽いと騒ぎ立てていることから、「それが世間一般の感情なのかなと思うから、懲役20年」と主張する裁判員も出てくる。→これもあり得ることではないか。

★ 量刑について裁判官の意見を聞こうとする裁判員に対して、裁判官が「われわれは皆さんの後に。」と答える。→裁判官が先に意見を述べなかったのは立派。先日の中部弁護士連合会のシンポでは、裁判官役の弁護士が裁判員役の一般の方々と一緒に模擬裁判を実施し、裁判官が積極的に意見を述べて誘導したところ、一般の方々の裁判員はその誘導どおりの評決をしたという。この結果を受けて、この大会では裁判官は裁判員より先に意見を述べてはならず、裁判長は最後に意見を述べることや、裁判官は議論の初めに各裁判員が意見を述べる段階で、それに反論してはならない。」などの評議のルール作りを訴える宣言が可決されている。しかし、そんなルール作りをしなければ真っ当な評議が期待できないのなら、裁判員制度自体を諦めるべきだろうに。

★ 「死刑、死刑」と繰り返す倉品裁判員に「あなたは簡単に死刑という言葉を口にします。しかし、あなたは被告人に死刑を言い渡す裁判官の苦さを知らない。裁判官はその苦さを一生背負い生きていかなければなりません。それが裁判官の責任だからです。その覚悟があって死刑と言っていたのですか。」という三雲裁判官。右京は三雲裁判官に「死刑を言い渡す苦さとおっしゃいましたが、裁判員もそれを一生背負うべきでしょうか。」と尋ねると、三雲裁判官は「それが人が人を裁くということです。」と答える。亀山が「それだと死刑を下す裁判員がいなくなるんじゃないですかね。」と言うと、「それなら裁判員などすべきではない。」「人を裁くなら覚悟すべきです。事件関係者からどれほど恨まれようと、たとえ悪夢にうなされようとも。裁判官はそんな夜との闘いです。」と述べる三雲裁判官。→三雲裁判官は「死刑を言い渡す苦さを一生背負う覚悟がないなら裁判員になるべきではない」とおっしゃるが、裁判員は「死刑を下すだけの覚悟がない、人を裁くということをしたくはない」という理由で裁判員を辞退できない。前記のように「思想・信条に反する」というだけでは辞退理由にはならない。裁判官に事前の面接審査の際に不選任としてもらうしかない。

 このくだりで、袴田事件の熊本典道裁判官を思い出した。熊本裁判官は袴田氏に死刑判決を書いた後、裁判官を辞職したが、自責の念から酒に溺れ家庭も失ったそうだ。

関連記事:裁判官の良心、裁判員の良心刑事裁判官の苦悩

★ 警察官による自白の強要、証拠の捏造を裁判官も裁判員も見抜くことができず、あわや冤罪の判決が下される直前、右京と亀山の活躍で警察官殺害事件も裁判員変死事件も真犯人が見つかる。警察官殺害事件の方は刑事ドラマによくある展開だが、裁判員変死事件の方はなんと新聞記者が裁判員にしつこい取材をしてもみ合っているうちに裁判員が転倒して死亡してしまったという展開。→この展開はドラマだから極端だが、注目の刑事裁判の場合、マスコミ関係者が裁判員に対する取材を本当に自粛できるだろうか。

★ 最悪の結末を迎えた裁判員制度の試験導入。三雲裁判官は「裁判員を裁判に参加させるには準備不足だと私は考えますが。」と述べると、法務省関係者は「法務省に一歩踏み出した足を止めろと。」と色めき立つが、三雲裁判官は「それが今後の司法のためだと私は考えます。」と言い放つ。→こういうことを法務省に言える「一裁判官」って本当にいるのだろうか。最高裁は、いまや各種メディアを使い、膨大な国費を使って、裁判員制度の広報に血道を上げている(仲間由紀恵の特大ポスターに続いて、先頃上戸彩を使った新聞広告まで出した)。裁判員制度に批判的な裁判官はたくさんいるだろうが、表だっては発言しにくい状況だろう。脚本家はそのことを承知の上でドラマの中に「三雲裁判官」のような裁判官を登場させたのかもしれない。 

★ ところが、その三雲裁判官にも裏が・・・。このドラマ、警察官、裁判官、裁判員、新聞記者、それぞれがスネに傷を持っていたという展開→弁護人が出てこなくてよかった・・・。

 最後の右京と三雲裁判官の対決。

三雲裁判官「今回の裁判も警察が捏造した証拠のせいで私は冤罪を作りそうになった。そんな冤罪が今後はきっと増えますよ。」「今まではプロの裁判官が長時間かけて膨大な資料を読み解き、判決を下していた。」

右京「それでも冤罪は起きていましたが。」

三雲裁判官「にもかかわらず、それをこれからは素人が短期間でやろうとしている。」

右京「裁判の長期化を避けるために、裁判員制度が導入されたはずではないでしょうか。」

三雲裁判官「そうして、裁判を短くして素人を参加させた結果、死刑を言い渡した人が冤罪だったらどうします。」

右京「現実に死刑被告人の再審無罪は何度かありますね。」

三雲裁判官「それが何十年も刑務所に入れた後に、いや、刑を執行した後に分かったら、あなたは責任が取れますか。あなたも。」

右京「僕は警察の人間として冤罪を作った場合の責任は背負っていく覚悟はできているつもりです。」

三雲裁判官「なるほど、あなたならそうかもしれない。しかし、そこまでの覚悟ができる裁判員は果たしているでしょうか。」

 →冤罪で処罰されないのは被告人の権利である。もし、冤罪を避けるために裁判員制度を導入するのであれば、被告人に(アメリカの陪審制のように)裁判官による裁判と裁判員による裁判を選択する権利を与えるべきだろう。

  裁判の長期化を避けるために裁判員制度が導入されたわけではない。裁判官による裁判でも長期化を回避するための方策を取り入れるのは可能であったはずだ。むしろ、裁判員制度を実施するために(裁判員を長期にわたって拘束しないために)裁判をとにかく短かくしてしまおうというのが実体である。

 右京「では、倉品裁判員のことはどう思われますか。」

 三雲裁判官「どうとは。」

 右京「彼女の言葉はそのまま被害者遺族の言葉でした。」

 三雲裁判官「被害者感情に偏れば、裁判は復讐の場になってしまいます。」

 右京「一方そのように一般の方の感情を無視してきたからこそ、裁判員制度が導入されることになったのだと思いますが。」

 三雲裁判官「どうやら、あなたとは永久に分かりあえそうもないですね。あなたとも。」

 →裁判官による裁判が「被害者遺族や一般の方の感情を無視してきた」から、被害者遺族や一般の方からの声を受けて、裁判員制度が導入されることになったのではない。

 裁判員制度の導入が国民の声によるものではないことは、各種アンケートで明らかになっている。タウンミーティングでヤラセがあったことも発覚している。

 裁判員制度ができた経緯については、ぜひ「裁判員制度の正体」(西野喜一著、講談社現代新書発行)の「第2章 裁判員制度はどのようにしてできたのか」をお読み頂きたい。

 内閣直属の審議会である司法制度改革審議会という組織の中で、「司法への国民参加」というテーマのもと、何ら現行の刑事裁判の問題点とその対策を議論することなく、陪審制を導入すればわが国の刑事裁判はよくなるはずだという強い思い込みのある陪審制導入論者と、英米の陪審制には誤判が多いから危険だと主張する反対論者との妥協の産物として生まれたのが裁判員制度である。

 国民のあいだから、「刑事裁判に国民を参加させるべきだ」という声が挙がったために、裁判員制度が議論され、採用されたのではないのである。

 どうやら右京には、この点における決定的な誤解があるようだ。

★ 事件を振り返る右京と亀山。「これも産みの苦しみなんですかね。」という亀山。「人が人を裁く。これまで限られた人間に委ねられていたことを普通の人々が参加するようになるのですからね。しかし、その可能性を信じてもいいと思いますよ。」と右京。・・・「裁判員制度は2009年5月までに実施予定です。」という字幕→なんだ、結局、裁判員制度の広報?。残念。

 右京と亀山にはぜひ前記「裁判員制度の正体」の「第3章 無用な制度ー誰も求めていないのに」「第5章 粗雑な制度ー粗雑司法の発想」を読んで頂きたい。

 ちょっとだけ引用させて頂く。

 「信念の危うさ」  同書71頁~ より、

  そのうえ、世論調査によれば、裁判員をやりたくないという人の割合が過半数を大きく超えています。このことは国民のあいだから抽選で無理やり裁判員をかき集めても、やりたくなくて、しぶしぶ出て来る人が大部分だということを意味しています。

 それでもこの裁判員制度を実施しなければならない必要性、仕方なくしぶしぶ出てきた人たちに被告人の運命を決めさせなければならないという必然性はどこにあるのでしょうか。そしてそれを強行した場合、いったいどんな裁判になるのでしょうか。

 「被告人の運命はくじで決まる」 同書97頁~ より、

  裁判員制度により刑事裁判が今よりも粗雑なものになりそうだ、との文章に続いて

  その理由はいくつも考えられますが、まず裁判員を抽選で選ぶことが挙げられるでしょう。抽選ではいったいどんな人が選ばれることになるのでしょうか。一方では、並みの裁判官ではかなわないほどの立派で有能な人がいる可能性もありますが、他方では、こんな人に裁判をやらせて大丈夫だろうかと思われるような人も必ず出てきます。

 抽選である以上、いちじるしく能力の劣る人や、ひどくマナーの悪い人が混じってくる可能性は避けられません。外国で現実にあったように、朝から酒の臭いをさせて来るような人は絶対にいないと断言できるでしょうか。まして裁判員の資格要件は義務教育終了ということだけなのです。

 およそ世のなかでくじで決めてよいのは、結果がどちらに転んでもかまわないというものだけです。たとえば会社でも役所でも個人の営業でも、人を雇用するのに応募者のなかからくじで決めようなどということは、いったいどんな人が選ばれることになるのか、恐ろしくて誰もできないでしょう。しかし、そうやって被告人の運命を決めようというのがこの裁判員制度なのです。審議会も裁判員法も、所詮被告人の運命などはどう転んでもよいのだと思っているのかもしれません。

 裁判官にもいろいろな人がいる。裁判官による裁判にも誤判はあり、完璧な制度というわけではない。

 しかし、裁判員による裁判なら、裁判官による裁判よりも信用できるのか。

 くじ引きで選ばれる裁判員が皆「健全な社会常識」の持ち主であるとは限らない。しかも、裁判員は、アメリカの陪審員のように12人ではなく、たった6人なのである。人数が少ないだけ1人1人の票の重みも増す。しかも、アンケートの結果からすると、裁判員の多くがおそらくしぶしぶ裁判員になっているのである。そんな裁判員が、膨大な記録(目を背けたくなる写真や難しい言葉が羅列されている書類もあろう)を読み、被告人や証人の尋問(時には退屈で眠気を誘うものもあろう)に真摯に耳を傾け、緻密に検討することができるのか。

 「産みの苦しみはあるが、可能性を信じてみる」というのは聞こえはいいが要は「その苦しみの根源を探ることなく実施して、バクチをする」ということだ。

 しかし、このドラマ、令状なしに証拠物件を押収したり、被告人の取り調べにあたって証人にもなっている警察官が裁判員の警備を担当して裁判員に情報をもらす、などの破天荒な場面もあったが、なかなか真面目に裁判員制度の問題を提起していた。特に、「裁判員制度に反対する裁判官」を主要人物にしたのは面白かった。

 少なくとも、最高裁、法務省、日弁連が製作した裁判員制度宣伝ドラマやマンガ本よりも、はるかに面白かった(相棒シリーズの推理物としての出来は今ひとつだったとは思うけど)。

                 Yajirobei_mini

 最近では、社説で裁判員制度に対する疑念を表明する新聞社まで出てきた。

裁判員制度 この仕組みで大丈夫か(10月29日)

          北海道新聞 社説

 裁判員制度については、先に最高裁側が、容疑者の自白内容や生い立ちなどを伝える事件報道に対し「裁判員に予断、偏見を与える」と、報道側に配慮を求めた。

 しかし、報道を自粛すると、事件の背景を明かして、社会に警鐘を鳴らす役割を果たせなくなりかねない。報道が偏見を取り除くこともあるだろう。

 裁判員制度を円滑にスタートさせるために、報道の自由や国民の知る権利に制限をかけようとするのなら健全な発想とはとても思えない。

 裁判員制度の実施日は「円滑かつ適正に実施できるかどうかについての状況に配慮」して決定される。二○○九年五月までの予定を遅らせてでも制度を再検討してはどうか。

  関連記事:ついに・・・マスコミの事件報道のあり方に最高裁参事官もクレーム

 裁判ついての報道には、この社説のいうような「事件の背景を明かして、社会に警鐘を鳴らす役割」「偏見を取り除くこと」だけでなく、裁判が適正な手続で実施されているかを監視する役割もある。警察の捜査や検察の立証を監視し、冤罪が作られないよう監視するという役割も重要だ。

 しかし、裁判員制度を本気で実施するなら、必ず事件報道の自主規制や法的規制が問題となってくる。

 メディア側も、このまま裁判員制度の実施を許してしまっていいのか、本気で考えるべきときだろう。

               Csreng

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