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« 今枝仁弁護士(光市事件弁護団の一人、橋下弁護士を提訴した原告の一人)の説明 | トップページ | 管理人からのお願い »

2007年9月 7日 (金)

光市事件弁護団への怒りと刑事弁護人の役割の理解の難しさ(人生幸朗さんのコメントと小川弁護士のHPから)

 刑事弁護人の役割について、また真面目な質問を頂いている。

 この質問に分かりやすく答えるのが(去年もそうだったが)一番難しい。

 しかし、この光市母子殺害事件の弁護人の弁護活動にこれだけ多くの方が怒りを抱かれるのは、やはり刑事弁護人の役割について根本的な誤解があるからと感じる。誤解に基づいた怒りが暴発しているのである。

 本当は、テレビに出て弁護士の仕事について説明するのがうまい橋下弁護士らがこういう誤解を解くために説明して下さるといいと思う。橋下弁護士が、弁護人の誠実義務を理解していることは、先日のTV番組の発言ではっきり分かった。醤油のびんを万引きした被告人が「醤油のびんの方が勝手に買い物かごに入ってきたんだ」と言うのをそのまま主張したことがあるが、それも弁護人としては仕方がないことなのだ、などと述べていたから。

 だから、橋下弁護士も例の弁護団の報告集会に出てからは弁護団の主張を攻撃しなくなった。さすがに彼も弁護士だ。弁護団の説明を聞き資料も見て、弁護団の主張が弁護団の捏造や弁護団が被告人に言わせているものではなく、誠実義務に基づくものであることを理解したのだろう。

 だから、今は、懲戒事由として、弁護団の「説明責任」などという珍妙な概念を持ち出しているのである。

 テレビに出る弁護士らは、どうしてこういう刑事弁護人の役割を説明しないのか。それは、被害者やその遺族に反発を受け、ひいては視聴者の反発を受ける可能性があるからだ。被害者であるという「絶対的正義」に寄り添った方が、反発を受けやすい刑事弁護人の役割をくどくどと説明するよりも、はるかに楽だからである。

 おそらく刑事弁護人の役割について理解が得られないと弁護団がいくら本件の主張を説明しても弁護団の弁護活動自体についての理解も得られないだろう。それを全て弁護団に説明せよというのは酷である。ましてや説明しないから懲戒事由になるなんていうのは暴論にすぎる。

 裁判員制度の実施を目前にして、刑事弁護人の役割が理解されないままでは大変なことになってしまうと実感する。本来、弁護士会や弁護士会の刑事弁護委員会などが組織的に説明するべきであると考える。

 さて、私は一ブログの管理人として、自分のできることはしようと思っているが、仕事もありそうそうコメントに回答したり、記事で説明したりすることはできない。

 まずはできることから始めようと思う。

 そこで、以前コメントを下さった「人生幸朗さんのコメント」を紹介する。

 (管理人の説明に)異論を述べる方々のコメントには、そもそも刑事弁護人の役割についての誤解があります。これを解かない限り、いつまで経っても不毛な議論が続き、弁護士のごく当然の議論に対して「一般人を見下している」だの、「理屈で感情を抑え込もうとしている」だのといった筋違いのコメントが戻ってきます。この点について、自由法曹団の松井繁明弁護士が自由法曹団通信1242号(7月11付)に分かりやすい説明を書いておられます。全文引用は長くなりますので、ポイントを紹介します。

①「無罪の推定」・・如何に凶悪な罪を犯した(と報じられている)者も有罪判決が確定するまでは「無罪の推定」を受ける。光市事件の被告人は未だ有罪判決が確定してはいないので、罵倒、侮辱してはならない。

②近代司法における弁護人制度・・いかに全ての国民から非難されるような被疑者・被告人といえども、資格を有する弁護人の弁護を受ける権利が憲法で保障されている。「弁護人を選任した」「弁護人が被告人に有利な主張をした」ことを「卑怯」「無反省」と非難するのは誤りである。

③弁護活動の自由・・弁護人は職業的知識と経験に基づいて自由な弁護活動が保証されなければならない。弁護活動の内容が気にくわないからといって非難するのは弁護活動の自由を侵害しかねない。

④「有罪の弁論」は許されない・・・・この点が一番理解されていない。被疑者、被告人があくまで無罪を主張する場合、弁護人には「有罪の弁論」が禁じられている、「有罪の弁論」こそ弁護士倫理の最大の背反であり、弁護人の無罪主張を非難するのは弁護士倫理への背反を強要するものであること。

 結局長い引用になりましたが、参考までにご紹介しておきます。

 また、α-staffさんという方が紹介して下さった小川総合法律事務所の小川義龍弁護士のHPの「今、私が考えていること」というページの

  刑事弁護人の役割 からの引用

 法治国家というものは、リンチを否定して、適正手続で刑罰権を行使するという建前です。裁判所が犯人と認定するまでは、犯人ではありません。
 そして、この認定は、人が行うものですから、一つの過ちだってあってはいけないのです。だから、検察官と弁護人が、それぞれの角度から光をあてて裁判所に誤りのない判断をしてもらう。そのために、弁護人は「敢えて」アンチテーゼを唱える役割を法律上担わされているんです。
 弁護人個々人の主観としては「こんなのこいつが犯人に決まってんだろ、やってらんねーよ」と思うものもあるかもしれません。でも、弁護人は、アンチテーゼを建てる役目を法律上決められているんだから、仕方ありません。国民がそう決めたんですから。しかも、弁護士の誰かが必ずこの役割を担わなければならない。
 じゃぁ、100%間違いなく「こいつが犯人」というケース、誤判のありえないケースでも、弁護することは意味があるんでしょうか?
 あります。
 それは、「こいつ」のために弁護をしているんじゃないんです。「皆さんが将来冤罪に泣かないように」、たまたま今、弁護している「こいつ」の事件をきっかけとして、刑事裁判制度全体がちゃんと適正手続で遂行されているかどうかを監督している役目でもあるんです。
 どういうことかわかりますか?
 100%「こいつ」が犯人であることは決まり切っているから弁護人はいらないし、裁判も簡単にさっと済ませてしまったら、今後どうなってしまうでしょうか?
 きっと次第に裁判手続は緩やかなものになっていってしまうでしょう。100%だったのが、99%こいつが犯人ならいいや、ということになり、それが98%ならいいやということになり、そして・・・。
 そもそも100%なんてまずないことなんですよ。だから、どんなに明らかな犯人性を持った事件でも、その事件で刑事訴訟の厳格な手続の建前を崩してしまったら、その後来るべき事件で「先例がある」ということで、いい加減な裁判が起こり得ない。
 そんな世の中になってしまって、たまたま身に覚えのない事件であなたが被告人として立件されてしまったらどうします? マスコミに扇動された国民が、あなたをすぐ極刑にせよ!と騒ぎ立てたらどうします? ぞっとするでしょう。これこそリンチです。魔女裁判じゃないでしょうか。

 小川弁護士の文章は大変分かりやすいと思う。ぜひ、全文をお読み頂きたい。 

 どんなに凶悪性が疑われる犯人であっても、適正手続の保障を与えなければならないのだ。それが、ひいては国民のためにもなるのである。

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刑事弁護」カテゴリの記事

コメント

>テレビに出る弁護士らは、どうしてこういう刑事弁護人の役割を説明しないのか。それは、被害者やその遺族に反発を受け、ひいては視聴者の反発を受ける可能性があるからだ。

そんなことは無いと思います。

今までの事件でも繰り返しアナウンスされてるし、自分のような素人でも子供の頃、故遠藤誠弁護士がTV番組で小学生相手に小川義龍弁護士と同じ内容を子供向けにさらに噛み砕いて説明してるのを見て以来、強く印象に残ってのでそのことは最初っから知ってました。

中には、知らない人もいるでしょうからアナウンスを続けることは大切ですけど、知ったらそれで怒りが収まるのかと言うのは別だと思います。
だから、効率的なのは、ちびっ子向けのアナウンスです。

話し飛びますが、アメリカで発展した社会学(心理学)によると、世論は全員がそう思って出来るわけではなく、オピニオンとなる人がいて成り立ちます。
オピニオンリーダーとなる人はとても能動的な人です。そういう人はとても賢いし知識も豊富です。逆にその他大勢の人達は受動的な人達で、とても素直な心で人の意見を聞く人です。そしてその分無責任です。

自分が対面したヴェルディでの深刻な問題では、オピニオンが誰なのかを探し出して、何人かとちょっとした対決をしました。それが大きな転機となりました。

自分ごときの体験とは違うでしょうけれど、弁護団批判のオピニオンの親分はコメンテーターと言えます。
方針として出来ないのかもしれませんが、自分の経験上、我に正義ありと心底思うのなら、批判を打ち消す効果が最も高いのは、コメンテーターたちとやりあうことです。

結局、真摯に弁護士の責務を考えれば考える
ほど「個の権利の保護」に行き着いていまう
訳ですね。
真摯であればあるほど、どうしようもなく。

「被告人の立場に置かれたら」これが第一義に
語られるますが、同様に「傍聴席の被害側
関係者の立場に置かれたら」と考えるのも
一般人です。特に守るべき家族を抱えた者
なら否応無く。

最早弁護士に、それに感情移入せよとは
言うな、という結論に達してしまいそうです。

それならば、弁護士法の条文から「社会正義の
実現」の文字を消し去って下さい。
「個人の基本的人権の擁護のみ追及する」と

それでなんの矛盾もありません。非難する
筋合いなど無くなります。

ごんたさんへ
>同様に「傍聴席の被害側
関係者の立場に置かれたら」と考えるのも
一般人です。

 被害者側に立つのは検察官です。弁護人にその役割を求めるから、誤解が生じるのです。
 検察官と弁護人が主張を闘わせることによって、(裁判上の)真実に近づくのです。
 小川弁護士の言われるように適正手続が保障されることによって社会正義も実現できるのです。

正直、このような悲惨な事件については、私はあまり知りたくも考えたくもないほうです。でも、最近のあまりの過熱報道に、ネットで調べてみて、一番気になったのは、現在の弁護団がなぜ、裁判をボイコットしたり、弁護方針を変えたりしたのか、その理由は何か?という基本のところが、マスコミではほとんどまともに報道されて来なかったらしいということです。先日も友人と話していてあの事件の話になり、「あんな被告はさっさと死刑にするべきで、それをかばっている弁護団はとんでもなく酷い!」と言うので、私がネットで調べただけの経緯を大雑把に教えたら、始めて知ったと驚いていました。だからと言って、急に考えを変えるところまでは行かなかったかもしれませんが、一方的な情報ばかりでなく、肝心なところをきっちり報道した上で、議論をしてほしいと思いました。

ファブヨンさんへ
>今までの事件でも繰り返しアナウンスされてるし、自分のような素人でも子供の頃、故遠藤誠弁護士がTV番組で小学生相手に小川義龍弁護士と同じ内容を子供向けにさらに噛み砕いて説明してるのを見て以来、強く印象に残ってのでそのことは最初っから知ってました。

 そういうご体験があるから、あなたは刑事弁護人の役割が理解できるのだと思います。
 しかし、今は遠藤弁護士のような方はいないのではないでしょうか。私はあまりTVを見ないので分からないのですが、そういう番組はあるのでしょうか。
 確かに、小学生、中学生の時代から、刑事裁判のしくみ、特に弁護人の役割について、しっかり教育する必要があると思います。
 そういう教育システムができるまでは、裁判員制度は延期した方がよさそうです。

みなさんがまじめなコメントをなさっているところに大変入りづらいのですが、勉強に関しての質問などをしてもよろしいですか?

M.T.さんへ

私は「社会正義の実現」に「個人の人権の
尊重」は含まれるとは思いますが、その逆は
無いと思ってます。

それと、被害者側の気持ちを斟酌するのに
検察を絡める思考は一般人はしませんよ。
彼らは所詮行政の人間です。

法廷の枠組みに仮託して、そこから
はみ出る視点を持たない感覚に、どうにも
違和感が拭えません。

「主観から抜け出せない関係者」もいることを
忘れないで下さい。司法理論のエキスパート
ばかりが関わっているのではありません。

迎合はしなくていいです、ただ忘れなければ

M.T.様

『刑事弁護人の役割が理解されれば、こういう問題は発生しない』と考えていらっしゃるようですが、はっきり言ってその認識が根本的に間違っているのです。
また、「小川弁護士の言われるように適正手続が保障されることによって社会正義も実現できるのです。」と述べてらっしゃいますが、本当にそうですか?
現実にまだまだ冤罪は起こっていますよ。
つまり、適正手続きがなされている現代の法体系においても、目的は達成されていないではないですか。
故にあなたのおっしゃっていることは今現在は机上の空論なのです。

この机上の空論が真であると証明されない現段階において、刑事弁護人の適正手続きを保証することによって、社会正義が実現されるなどと仰らない方がよろしい。
ごんたさんの仰るとおり「個人の基本的人権の擁護のみ追及する」それだけの存在なのです。
つまり、刑事弁護人とは株主に利益のみを追求する会社の経営を負託された経営者と同じであり、社会からは蔑まれる存在であると考えるべきなのです。

初めまして、kumiといいます。橋元弁護士の事件に興味を持ち、ネットサーフィンをしてこちらにたどり着きました。この件については私も思う所があったので書かせて頂きます。
私は被告人弁護については何の問題もかんじません。
ただ、この弁護団は人としてのマナーを欠いてる点が多すぎるし、それを知られすぎたと思う。弁護団のある一人は、死刑廃止の集会の席において、遺族である本村さんを「あんなにTVで話して」やら、「被害者は前向きに生きていけ」やらと侮辱していますし、弁護団の安田弁護士は被告の弁護人を引き受けた時点で、最高裁の弁論期日を知らされているわけですよね。それにも関わらず、口頭弁論欠席。当時の浜田裁判長と本村さんの言う通り、「それなら何故、弁護人を引き受けたのだ?」という話だと思う。こういった裁判遅延行為や、本村さんが抗議文提出してから会いにいくという、被害者への挑発行為は、私からみると、弁護士って一体?????って感じです。今回の「懲戒請求」にしても、今まで国民に浸透してなかったのも問題だと思います。試しに日弁連のHPに行って、懲戒請求について調べようとしましたら、TOPに載っていない。橋下弁護士が扇動したのか、そうでないのかはわかりません。でも、この事件で世間に懲戒請求が広まったのは良い事だと思います。乱文失礼しました。

ごんたさん、並びに通りすがりさんにお伺いします。

弁護士法に記載されている「社会正義の実現」とは、法律が公正かつ適正に運用される社会を指しているのですが、お二人の主張を拝見する限り社会に漠然と存在する「正義」を「社会正義」と考えていらっしゃるように思います。ならば、そのような客観的に判断できない価値観を元に、どうやって裁判を行うべきと考えているのでしょうか?仮にお二人のイメージする「正義」に従って裁判を進めるならば、そもそも裁判など行わず国民へアンケートを採って、その結果に従って被告を裁くと言う方法がもっとも合理的で妥当でしょう。お二人はそのような社会を目指すべきとお考えなのでしょうか?

路傍の法曹人さん

>法律が公正かつ適正に運用される社会
の“適正に運用される”の部分が定かではありません。
この“適正に運用される”が、“犯した罪の軽重に比例して、量刑が下される”のであれば、異論はございません。
しかしながら、弁護人は“犯した罪の軽重によらず、いかに量刑を軽くするか”に全力をつくしておられるのではないですか?
被弁護人の「個人の基本的人権の擁護のみ追及する」が目的なのですから・・・

なお、全ての弁護士がこのような行動を取ることによって、“犯した罪の軽重に比例して、量刑が下される”社会になるのだ、ということに関しては、前段のコメントでそれは机上の空論であると申し上げており、結果を持って証明してください。
先にあげた経営者に例えれば、「各々の会社が利益の最大化を目指すことによって、神の見えざる手によって、均衡が保たれる」とおっしゃっているのと一緒だということです。(だから、私は悪くない)
神の見えざる手など、一つの論に過ぎないし、現実にアクドイ会社も市場から駆逐されておりません。
結果を持って証明されていない論は、あくまでも机上の空論に過ぎないのです。

 何を持って適切な量刑というかの定義もはっきりせず、裁判の後に解答がはっきりするというものでもないのに、結果を持った証明とやらを求めるのはあまりにもむちゃくちゃです。

 患者を救うためにやむを得ず患者の腕を切り落とした医者に「結果として腕を切り落としたことがよかったことを結果として証明せよ」と迫るのはムチャクチャでしょう。

通りすがり 様

私は管理人様と同様,「適正手続が保障されることによって社会正義も実現できる」と考える者です。

通りすがり様は,
>現実にまだまだ冤罪は起こっていますよ。
>つまり、適正手続きがなされている現代の法体系においても、目的は達成されていないではないですか。
>故にあなたのおっしゃっていることは今現在は机上の空論なのです。
とおっしゃっています。

管理人様は,刑事訴訟の理念として「適正手続が保障されることによって社会正義も実現できる」と仰っているのだと思います。現実に「社会正義が実現されている」とは仰っていないことからも明らかでしょう。
したがって,現実に冤罪があることを根拠として管理人様の上記記述を批判することは,読解不足の感を否めません。

むしろ,通りすがり様の立論からすると,「もっと弁護人の地位を強化してさらなる権利保障をすべきだ」との見解につながりますが,そのような趣旨の書き込みとも思えませんでしたので。

素朴な疑問様、くりる様

M.T.様は、「適正手続が保障されることによって社会正義も実現できる」と主張し、それが絶対の論理のように主張されているではありませんか。だからこそ、刑事弁護人の役割を小中学校から教育すべしとの論を主張されているのでしょう。(そういう説もある程度の認識であるならば、の主張は恐くてできません。)

つまり、絶対の論理のように主張されるのであれば、きちんと証明をなさってくださいとのことで、単なる説であるならば、そこまでは申し上げません。
その代わりに現段階では「個人の基本的人権の擁護のみ追及する」程度に刑事弁護人の役割を抑えて置くのが大人の主張と思いますが、いかがですか?
であれば、くりる様と反対の意見を持つ私のような人間からも反駁を受けません。

各々の刑事弁護人が「個人の基本的人権の擁護のみ追及し」、「適正手続を保障し続け、社会正義が実現できた」暁には、ぜひともその論を小中学校で教えてくださいませ。

 絶対の論理というより、人類が長い間で得てきた叡智の結晶と言った方が正しいでしょうね。法律家はその叡智やそれに基づいて得られた法に従って職務を全うするだけです。

 それがおかしいというのならば、それもよいのではないでしょうか。絶対王政だってそういうところから崩れていったわけですから。

 検察官は「公益の代表者」、弁護士は「社会正義の実現者」、そもそもこの両者が法廷で戦うというのはどういうことなのか、考えてみてはどうでしょう。

適性手続のもと、弁護人は全力で被告人の利益を守り、検察官が全力で被告人を攻撃し、裁判官が客観的に判断する。

私は法律家というプロであろうとも人間がやることなので、人によって結論が違うのは当然だろうから、そのためになるべく恣意的なものを排除したり、答えの幅をなるべく縮めるために適性手続を守るのだと思っています。

お互いが全力で戦うことによって、あらゆる面をみることができ、より真実が明らかになっていく。お互いがルールに従って戦うことによって、客観的にも公平な判断者としての裁判の機能を担保することにもなる。そして、国民が安心して裁判所を利用することが出来る。

私たち国民の司法に対する信頼が現在の制度を支えているので、この信頼が失われれば自然に制度も変わるでしょうし、もっと良い制度が考えられるのであれば変わっていくでしょうね。

私はこのようなシステムは絶対的ではないにしろ、現状では適性手続という私たちの法の監視が行き届き、保障されることによって人権が守られ、より公正な社会の実現に寄与していると思いますよ。そうでなければ、安心して生活できませんので。

刑事弁護人は、被告人の利益のため精一杯戦うことこそが、結局は社会正義を実現の一端を支えていることになっていると私は考えていますね。

素朴な疑問様

>それがおかしいというのならば、それもよいのではないでしょうか。
ええ、『それも良い』が重要と思います。
私が反発しているのは、小中学校で刑事弁護人の役割を教えるべきなどと当然の公理のごとくおっしゃられることの恐さです。
人には、人それぞれのモノの見方があることを尊重していただきたい。
子供の頃から、「金融を教えるべき」「英会話を教えるべき」などと言う方々に私は嫌悪感を感じる人間ですので。

>検察官は「公益の代表者」、弁護士は「社会正義の実現者」
これでは社会vs社会でよくわかりません。
検察官は「公益追求の代表者」、弁護士は「私益追求の代表者」の方がまだわかります。


ポチ様

>私はこのようなシステムは絶対的ではないにしろ、現状では適性手続という私たちの法の監視が行き届き、保障されることによって人権が守られ、より公正な社会の実現に寄与していると思いますよ。
ポチ様がそう思われるのは自由ですし、全く問題ありません。
それを小中学校で教えるべきなどとおっしゃられるならば、反発せざるを得ませんと申し上げているのです。

また、私は現在の「適正手続」の制度は仕事が細分化され、個々の専門性が高くなってきている現代社会には合わなくなってきていると考えています。

それは知的財産高等裁判所の創設や昨今問題になっている医療と司法の関係などが、良い例ではないでしょうか?
杓子定規に適正手続きを守り続けることが、本当に社会正義の実現に効果的なのかどうか、考え直す時期に来ているのだと思います。

太字で引用されている部分
> 法治国家というものは、リンチを否定して、適正手続で刑罰権を行使するという建前です。

でも今懲戒請求している人たちが起こっているのは、弁護団と加害者が行っている、被害者遺族を襲うリンチに対してなんですよ。

死刑といわず、有罪判決が出るような刑罰を受けることになる被告は、往々にして逆切れに等しい暴言を法廷で吐くケースが少なからずあります。

被害者およびその遺族は、刑事裁判という自ら望んだものでもなんでもないものに強制的に巻き込まれ、挙句の果てに多重被害に遭ってしまう。

これは法治国家のありようとして、どう考えてもおかしい。
だからこそ加害者と共にリンチに加わっている弁護団に対する怒りが大衆に生まれているのです。

個人的には、被害者らが多重被害に遭ってしまうような弁護手法を禁じるよう、法律を変えるべきだと思います。
また、弁護士が法律事務を独占する強権を持つ職種である以上、懲戒請求以外にも不適格者から資格を剥奪できる手続きがあるべきです。
今の弁護士の活動には、公務員と同様あまりにも身勝手なものが目立ちすぎます。

 被害者をリンチにかけているというのはどういうことでしょう?そもそも被害者の方々は証人でない限り「法廷にこない」と言う選択肢が与えられています。自ら出て行って自ら傷つくのをリンチだというのはおかしいですよ。

 第一弁護団は被害者を「攻撃」はしていないでしょう。


 通りすがりさん

 公益の代表者(検察庁法)としての検察と社会正義の追求者(弁護士法)としての弁護は両立するんです。むしろ両立させることが日本の裁判となっているのです。今枝弁護士が言っている、日本の当事者主義的訴訟構造がそれです。
 制度批判は自由です。ただし、制度に従っている人間を罵るのは罪です。

通りすがりさん

当方のぶしつけな質問に対してお答えいただきありがとうございます。

>“適正に運用される”の部分が定かではありません。
「適正」という言葉の定義が不明なことをもって、現在の裁判制度を批判するのはいささか乱暴ではないかと思います。なぜなら「適正」とは客観的、かつ厳然と定義されたものではなく、行為や結果に対する「評価」を意味した言葉だからです。

 たとえばここに、口論の末に誤って人を殺した被告がいるとします。被告に殺人の意思はなく、あくまでも偶発的な事故であることが認められ、謝罪と反省も強いことから執行猶予付きの有罪判決が下されました。おそらく、私たちはこの判決を「適正」と判断するはずです。しかし大切な家族を殺され、被告を憎んでいる被害者遺族にとって、この判決は「適正」でしょうか。

 被告や第三者にとって「適正」であっても、被害者にとって「適正」であるとは限らないように、「適正」か否かの判断は立場や主観によって大きく変化します。そのため近代裁判は犯罪の立証を行う「検察」と被告人を守る「弁護士」、そして証拠や証言を吟味して判決を下す「裁判官」という三者を設定し、それぞれがそれぞれの立場で意見を戦わせた結果を「適正」と定義しています。すなわち立場や主観で「適正」を判断するのではなく、法律というシステムの遵守によって「適正」を定義しているわけです。

 通りすがりさんはお答えの中で「弁護人は“犯した罪の軽重によらず、いかに量刑を軽くするか”に全力をつくしておられるのではないですか?」と問うていらっしゃいますが、弁護人は被告の代弁者という立場で、罪状の有無や量刑の度合いを主張しているのであって、量刑を軽くしたいと願っているのは被告です。代弁者である弁護士が結果として被告の意に沿った弁護活動を行ったからといって、それを非難するのは筋違いでしょう。

 失礼を承知で反論させていただくなら、客観的に定義することのできない、単なる世間の「空気」にしかすぎない「社会正義」「適正」を持ち出して裁判の批判を行う行為こそ、私は「机上の空論」であると思います。通りすがりさんの論を推し進めれば、「裁判など行わず国民へアンケートを採って、その結果に従って被告を裁く」しかないでしょう。だからこそ私は「そのような社会を目指すべきとお考えなのでしょうか?」と問うています。

 近代裁判は江戸時代の「お白州」ではありません。裁判は被告の罪を断罪する場ではなく、被告の行為が法律上の犯罪に該当するのか、該当するのであればどの程度の量刑が妥当なのかを、各種法律や訴訟法を元に、それぞれの立場の人間が意見を戦わせる場所です。その結果が「適正」かどうかは、法律に則って裁判が進行されたか否かの一点で判断されます。そもそも被告の罪を断罪するのが目的ならば、裁判など行わず被害者が罪状と量刑を決めればいいのであって、なぜ裁判が行われるのかという基本的な事柄を、もう一度お考えになってはいかがでしょうか。

 なお「全ての弁護士がこのような行動を取ることによって~中略~結果を持って証明してください。」との問いかけですが、さまざまな要因が複雑に関係する裁判や政治といった社会システムを、演繹的論理だけで批判するのはかなり無茶な行為ですよ。

素朴な疑問様

両立している状態とはどんな状態でしょうか。
全く想像がつきません。
素人にもわかるように説明をしていただけませんでしょうか?

>制度批判は自由です。ただし、制度に従っている人間を罵るのは罪です。
時代遅れになった制度を黙々と続け、社会に悪影響を及ぼせば、罵られてしかるべきと思いますし、そのような所業を続けることも罪だと思いますが、見解の相違でしょうか。

通りすがり様

管理人様の主張についての詳しい説明は,管理人様の書かれた刑事弁護に関する記事を読んでいただくのがよいと思います。
なお,抽象論としての「適正手続が保障されることによって社会正義も実現できる」との考えは,法律学を勉強した者にとって共通見解と思います。もっとも,「適正手続」も「社会正義」も抽象的な概念ですので,その内容をどのようにとらえるかは,立場によって変わってくるでしょう。

また,小中学校で刑事弁護人の役割を教えるべきだとの意見についても私は賛成の立場です。
なぜなら,裁判員制度が始まれば,裁判員となることは国民の義務となるからです。裁判員となるには,日本の刑事訴訟制度を理解する必要があると思います。その際,検察官の役割,弁護人の役割,裁判員の役割を学ぶ必要があるのではないでしょうか。
今までも,私達は,三権分立や民主主義制度を社会科で教えられてきました。それは,将来,主権者として選挙権を行使するため知っておく必要があるから,授業に組み込まれていたのだと思います。
裁判員となることが国民の義務となるのであれば,刑事訴訟制度についても同様に勉強しておく必要があると私は考えています。

>私が反発しているのは、小中学校で刑事弁護人の役割を教えるべきなどと当然の公理のごとくおっしゃられることの恐さです。

教育の目的の内、最も重要な事は、子供を、社会に出て普通に生きていける人間にする事じゃないんでしょうか?
なら、
「(どう考えるかはともかくとして)今の社会の仕組は、こう言う考えの元に作られている」
と言う事を教えないとマズいでしょう。

>両立している状態とはどんな状態でしょうか。
>全く想像がつきません。
>素人にもわかるように説明をしていただけませんでしょうか?

適切な譬えかどうかは、ともかくとして、一応。
製造業などで、ある程度大きい会社だと、製品の設計部門や、生産ラインとは別に、製品の検査・テストを専門にしている部署が有ります。
新製品を開発・出荷する場合、そう言う検査部門にテスト・検査を依頼しOKが出なければ、出荷は出来ません。
で、そう言う検査部門から、設計部門に返されてくるテスト結果たるや、最初の1回目の検査の場合など、不具合指摘のオンパレード。
ほとんど、イチャモンに近い不具合指摘も多々有ります。

でも、検査部門の目的は、別に、製品の出荷を阻止する事じゃ有りません。
検査部門のせいで、製品の出荷が遅れるから、検査部門を廃止したり、実質的に機能しないようにしたりすれば、重大な社外事故が発生するのは時間の問題です。
そうなれば、その会社に対する社会の信頼は失われ、下手をすれば廃業となります。

そう言う観点からすれば、犯罪者に刑罰を与える場合は、少々厳しい位のチェック役が有った方が良い…と言うか、チェック役をする人間が居なければ、「犯罪者に刑罰を与える」と言う事自体に対する信頼が失われたり、有効に機能しなくなる事態が起こり得ると思います。

>時代遅れになった制度を黙々と続け、社会に悪影響を及ぼせば、罵られてしかるべきと思いますし、そのような所業を続けることも罪だと思いますが、見解の相違でしょうか。

それは、(自分が)正義(と思う事)の為なら、法律を破るべき、って事でしょうか?

現行の制度が時代遅れになって、社会に害を及ぼしてる、と思うのなら、まずは、その制度を変えるべきなんじゃないでしょうか?
(もっとも、私らの業種の人間からすると、多少の問題は有るが、機能はしているものに、大きな変更を加える事は、変えた事による副作用を十分に検討したとしても、かなりの勇気を要しますが)

当然、制度が変わるまでは、今の制度に従うべきであって、そうじゃなかったら、一歩間違えば犯罪者かテロリストになると思いますが。

>それならば、弁護士法の条文から「社会正義の実現」の文字を消し去って下さい。
「個人の基本的人権の擁護のみ追及する」とそれでなんの矛盾もありません。非難する筋合いなど無くなります。
投稿 ごんた | 2007年9月 8日 (土) 00時12分

上のごんたさんの意見に、強く同感です。
加えて言わせていただくならば、

① 「個人の…」は「依頼人の…」の方が実態に合う気がします。理由は、今後類似の犯罪で「個人の」基本的人権が侵害されるのを未然に排除することなぞ、弁護士の役割ではないとのご意見が多いようだからです。

② 弁護士法の条文を引用して解説されている日弁連サイトの「弁護士の使命」についても、条文の変更を受けて誤解の無いように書き直すべきだと思います。現在の解説は分り易く書かれていると思うのですが、それで分かった積もりでいると専門家から違うと言われるからです。

③ 以上の意見が簡単に実現するとは思っていませんが、多くの専門家が仰っている「一般の人に、刑事弁護の意義をもっと理解してもらう必要がある」とのご意見を実現する第一歩だと思うので、一考の価値があると考えます。

裁判官も検察も弁護士も所詮は人です。判断や決定が正の場合と負の場合が常に両方存在します。そのありようは常に対極の立場にあります。しかし、彼らとて神ではありません。きちんと実際のほうにのっとって、あくまでもその範囲に沿った判断をするべきなのです。しかし、今の裁判は、どちらかといえば「検察官」と「弁護士」との争いの場になっている気が強いです。「絶対有罪」を勝ち取ろうとする検察官と、逆に「無罪」を勝ち取ろうとする弁護士たちの諍いの場になりつつある感じを、特にこの最近強く感じます。お互いの立場と役割を分かっているのなら、そこに立ち返るべきです。裁判は、双方の勢力のための戦場ではないのです。「被告の罪の有無」を確かめるべき神聖な場なのです。今の状態を見れば、どこをどう見ても、どの側にいる人にも「正義」は無い事はハッキリするでしょう。これでは、裁判官も検察官も弁護士もへったくれもありません。問う側と弁護する側の対立は常に起こりうることですが、互いの立場を弁えながら事を進めるのは必ず限界を迎えます。それでも、互いに獲得したいものが対になっているため、この様な事態は起こり続けるでしょう。裁判とはどんなところなのかを今一度振り返り、検察と弁護士との諍いの場に堕ちてしまわないようにしなければなりません。「司法は終わった」なんて言われないようにしないといけません。

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