被告人質問始まる。
きょうは光市母子殺害事件の差戻審の大詰めとも言うべき被告人質問が始まる日。
京都から帰って夕方のテレビニュースをちらりと見た。
ネット上では次のような記事が。
[共同通信社:2007年09月18日 19時26分]
中國新聞 '07/9/18
産経新聞 (2007/09/18 19:46)
ほぼ最高裁弁論要旨、差戻審更新意見書記載どおりの供述内容だったようだ。
それにしても・・・。
テレビニュースの被告人の供述のアテレコ(?)の声。
ちょっと意地悪すぎやしないか。
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» 第3回集中審理を考える時に・参考にして下さい [非国民の会]
光市母子殺人事件の第3回集中審理が開始されました。
この事件について、重要な事を示唆してくれるブログを発見しましたので。リンクを貼ります。
[http://t-m-lawyer.cocolog-nifty.com/blog/]
みなさん、報道には出てこないこういう意見にも、一度耳を傾けてみてはいかがでしょうか?。
全てではないにしろ、私には共感できる部分があります。...... [続きを読む]
非法曹関係者としての疑問なのですが、
「黙秘権について警察or検察から知らされなかった」
と言うのは、とんでも無い事のように思えるのですが、裁判結果には、どれ位の影響が有るものなんでしょうか?
(一応、「ミランダ権」の話位は、何かの本で読んだ事が有るので)
投稿: 万年下っ端プログラマ | 2007年9月18日 (火) 23時05分
初めまして、前からちょくちょく覗かせて頂いておりました。
光市母子殺人事件の記事に興味惹かれまして、拝読しておりましたが、私もあの事件の報道に違和感を感じており、共感するところがたくさんあります。
そこで、誠に勝手な事とは承知の上ですが、私のブログに、リンクを貼らしてもらいました。
より多くの人に、多様な意見を聞いていただきたい、テレビコメンテーターの言う事だけで事件を見てはいけない、という思いを込めたつもりです。
もし、迷惑であったなら、すぐ削除いたしますので、これからも、貴重なご意見聞かせてください。
投稿: 非国民の会 | 2007年9月18日 (火) 23時22分
加害者の被告が、死ぬのが怖くて涙を流すことは理解できます。
でも被害者2人は、涙どころか血を流して、激痛まで伴い殺されていることを忘れてはいけないと思います。
そのときの状況も感情もあらわすことすらできない被害者2人と、涙を流し続ける残された遺族のことも忘れてはいけないと思います。
丸山氏が人情論に流されてはいけないとコメントしています。
確かに人情「だけで」流されてはいけないと思いますが
法廷で、人が人を法を用いて裁く限り、人としての情(心)は忘れてはいけないと思います。
死刑を宣告された人をあわれむ気持ちはわからないでもないけど
私は、残された被害者遺族のほうにこそ、その情は向けられるべきだと思います。
どのような理由や経緯があろうと、人を殺す行為は人の世である限り、最も重くあるべきだと思います。
素人の私には、弁護活動という物は、弁護をして罪を少しでも軽くすることが仕事ではなく
検察側の提示する事実の確認と新事実の提示、そしてしかるべき正当な罰を受けるよう被告に諭し
被害者も加害者も納得させられる判決に導くことが仕事であるべきだと思います。
事件の当事者である加害者と被害者。
法廷にたてない被害者を、判決は軽視していないでしょうか?
被害者遺族の怨恨の心を、その人の理性頼みに抑えてもらうような判決になっていないでしょうか?
この弁護団が説明と説得をすべき人物は、加害者少年や検察官ではなく、被害者遺族ではないでしょうか?
月日が経ち、社会で加害者を目の前にした被害者遺族が
冷静でいられるような判決に導いてほしいと願うばかりです。
投稿: ちょこ | 2007年9月19日 (水) 14時16分
ここで人としての情に頼ったら、たとえ今回がよくとも、別のところで情を忘れた結果が生まれます。あなたの持つ弁護人観も、その見地からは間違いです。
日本に限らず、先進国といわれる国では罪もないのに罰したり、軽い罪なのに重い罪で罰したりすることこそが絶対に許されないものとして扱われます。その不満を野蛮呼ばわりする気はありませんが、これまでそのような原理原則が支持されていたのは厳然たる事実です。
そのような考え方から、今の弁護人のあり方も導かれています。民事裁判を通じて仲直りするようなことは、刑事裁判には期待されていません。と言うか、期待しようにもそういう制度枠組自体ないのです。
そして、真実こそが正しい裁きの源です。また、真実の究明を通じて遺族にも納得してもらおうと弁護団自身記者会見で言っていたと思います。
本村さんも真実を語って欲しいと被告人に言っていますし、真実解明と言う意味では弁護団も本村さんも同じです。
また、怨恨の心を理性で抑えていただかざるをえないのは、公的な裁判と言う制度の下にある限りどこの世界にだってあることです。
死刑以上を望んだって死刑に出来ないこともあれば、不処罰を望んだって裁判にかけられることだってあります。
すべての望みを叶えることは、立法者も裁判官も人間である限り不可能なのです。
投稿: 素朴な疑問 | 2007年9月19日 (水) 16時10分
メディアの報道は、多少落ち着いたように見えますが、その報道を見ている視聴者は、そうではないようです。
今の弁護団の言う事はすべて「胡散臭い」「ひどい」「でたらめ」であるととらえる人が多いと感じられます(ネットの一部の人であることを願いますが・・・)。
自分で調べ、いろいろな情報や意見に触れ、冷静に判断し、自分の意見とする・・・というのが正しい姿勢だと思うのですが。。
弁護側が主張する、一審・二審・最高裁での誤認がすこしでもあるのであれば、それを正し、弁護側の主張が不当であるのなら、検察側がそれを否定し、とにかくすこしでも真理に近い判決を期待します。
なにより、一部の世論や、感情論、損得勘定で、裁判が行われるのが一番怖い事だと思います。
投稿: ひとり選考委員会 | 2007年9月19日 (水) 17時24分
>死刑を宣告された人をあわれむ気持ちはわからないでもないけど
>私は、残された被害者遺族のほうにこそ、その情は向けられるべきだと思います。
その気持ちも判らないでは無いですが、被害者遺族の心情を考慮した弁護や裁判って、具体的に、どうすれば、良いんですか?
被害者に身寄りが無かった場合は?
犯人が自分の家族を殺し、被害者遺族=加害者の家族となった場合は?
被害者が、家族からさえ嫌われてたような人間だった場合は?
被害者遺族が、「犯人を許します」と明言しちゃった場合は?
それに、同じ殺人事件は2つと無いし、被害者遺族の心情も1人1人微妙に違ってるんじゃ無いんですか?
つまる所、人の情と、裁判の公正さが両立し得ない場合も有って、どっかで、妥協しないといけないんじゃ無いでしょうか?
投稿: 万年下っ端プログラマ | 2007年9月19日 (水) 19時47分
ひとり選考委員会さん、あのサイトは特殊です。橋下弁護士の応援が批判に変わっている所もあります。
投稿: 雨の社福士 | 2007年9月19日 (水) 21時13分
被害者遺族=加害者家族 である事件、結構多いですね。
歯科医一家の息子が妹を殺害、高校生が祖父を殺害、娘が父を殺害、高校生が放火し継母と弟妹が死亡、等…。何の関係もない人が殺害される事件より多いかもしれません。
遺族感情優先では、裁判がすごく不公平な結果になりかねません。
歯科医一家の息子が妹を殺害した事件の裁判で、被告の親が殺された妹を意地悪とか性格悪いと証言したと聞いて(TV報道ですが)複雑な思いです。
意地悪だからって、殺害されるのは理不尽です。赤の他人を「意地悪言われたから」と殺害したら、被害者遺族は被告を厳しく責めるでしょう。そしたら遺族感情に配慮して極刑、家族殺害なら遺族が責めないから懲役5年、なんてのはおかしいでしょう。
投稿: kiriko | 2007年9月20日 (木) 18時14分