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« 産経新聞福富記者とフリージャーナリストの綿井さんの記事 | トップページ | 今枝弁護士の話ーその10(コメントの質問に対する回答2) »

2007年9月13日 (木)

今枝弁護士の話ーその9(コメントの質問に対する回答)

 今枝弁護士が、当ブログのコメント欄記載の質問に回答されたコメントをここに掲載する。

 ご本人の了解を得て、一部編集及び誤記の訂正をさせて頂いた。

いくつかの疑問に答えます。

Q 私のコメントに対する他の弁護人の反応
  静観されています。辞めろ、とか、こうしろ、という声は一切ありません。

Q なぜ22人も必要か
 本件は、最高裁が「事実認定は揺らぎなく認められる」とまで述べており、実質的に再審請求に近い困難な状況です。しかしなぜわざわざそこまで言及されたのか、読み方はいろいろあるでしょうが、差し戻し審に対する牽制の意味もあるのかもしれません。そうすると最高裁自身、差し戻し審で事実が覆らないか不安があったとも読む余地も生じます。
 再審弁護団で20人くらい集まることは珍しくありませんし、再審弁護団もほぼボランティアです。
 また、法医鑑定、心理鑑定、精神鑑定、短期集中審理などの方針から、通常よりもはるかに多くの人員を要します。

Q 被告人の反省について
 被告人は、最高裁段階まで、親にも見放され、友達も離れ、「不謹慎な手紙」の提出で誰にも手紙も書けなくなり、孤立していました。
 しかも、旧2審までは、被告人自身が認識していない事実関係を前提に、反省を迫られていました。「僕のやったことと違う。」という思いの中、真摯な反省ができるのは、どれほどの人間でしょう。
 彼の反省が十分ではなかった、到底反省していると思われにくい状況であったとしても、それを全て彼の責任にするのは酷ではないかと思います。
 今現在、被告人は、自分のした事実と厳密に向き合い、弱いところは弱いところとしてさらけ出し、今後反省を深めていくための努力をなしています。
 特に、彼を分析した家裁記録を彼自身が読んで内省を深めることが、成長に影響した面は少なくありません。
 私も当初は接見中、?、と思うこともありました。しかし、徐々に、本当に徐々にではありますが、ようやく彼も成長し始めています。十代の少年の苦悩と成長を、ようやく26歳の今ゆっくりと始めています。

Q 被告人の未成熟について
A 家裁の調査記録の随所に現れています。

 家裁記録で、

  •  「自尊意識が傷つきやすい未成熟」
  •  「原始的な迫害不安がでてくる」
  •  「幼稚で自己愛が強く」
  •  「性格偏奇、精神障害の疑いがある。」
  •  「内的活動は活発で空想癖を持ちやすい。」
  •  「3歳以前の生活史に起因すると思われる深刻な心的外傷体験や剥奪、あるいは内因性精神病の前駆等により人格の基底に深刻な欠損が生じている可能性も窺え」
  •  「父親から当時の少年としては理由の分からない強い叱責を受けていたことが原因であろう」
  •  「このような家族状況が、自己無価値感や傷付きやすい幼児的な自尊心の源泉」
  •  「同姓の友人関係での親睦や連帯に大きな価値を置いており」
  • 「異性関係については、未熟である」
  •  「男女の接近した関係を、『母と自分、それに介入する父(エディプス的状況)」といった枠組みで認知してしまいがちであり、そのために生起した依存感情や憎悪と性愛的感情の区別がつかなくなり混乱した行動に至りがちであろうと推察される」
  • 「被害者に実母を投影」
  •  「退行した心理状態」等とあり、「死者が生き返ると本気で信じている」
  • 「劇画化して認識することで安定しようとのの防御機制が働いている」

旨報告されています。
 学校の先生から見た被告人像も、「動作や話の内容が幼稚」「幼稚さがあり、判断力も甘い」等、その幼稚性を窺わせるものです。
 さらに、被告人が逮捕後に実弟から来た複数の手紙を見ると、延々とプロレスの話題のみが書かれています。こういう事態になって、兄弟とプロレスの話しかできない関係であった、ということです。

Q 不謹慎な手紙について
A これは私は、手紙の相手が酷いと思います。仮に相手をA君とします。
 A君は、検察に「こういう手紙をもらっている」として被告人の手紙を提出しながら、並行して、被告人に手紙を書き、その中で被告人を挑発し、誘惑してことさら不謹慎な手紙を書かせています。
 「天国からのラブレター」を差入れ、「こんなん書いてるけど、どう思う?」と感想を求めたのもA君です。ほとんど「おとり捜査」です。
 一方被告人は、自分の認識している事実とは異なる事実に反省を求められ、親からも見捨てられ、親しく話や手紙ができるのはA君でした。A君とは拘置所の部屋が隣りだっただけの関係なのに、A君を「親友」と呼びます。
 A君には分かってもらいたい、A君に離れていってほしくない、そういう寂しい状態の被告人が、A君が手紙の中でふざけた手紙や本村さんへの非難に迎合して、書いたものに過ぎません。少年記録にも、「その場ごとの期待に合わせて振る舞う順応性を見せる。」「周囲の顔色をうかがいながら行動することが習性になっている。」等と評価されています。
 それにしてもあまりに不謹慎すぎるとは思いますが、そういう背景を前提に評価して頂きたいと思います。

Q サポートしなかった周囲の責任
 少年記録にも、

  •  「受け入れがたい自分の悪の部分を切り離さずに自分のものとして受け止めていく作業を必要とするものであり、事件の重さに応じた相応の期間を要する。」
  •  「精神的にサポートを受け、ある程度安定した状態にないと困難であるため、定期的なカウンセリングが望まれる。」
  •  「今後起こりうる精神的な落ち込みを語れる場がないと大きく崩れるおそれも否定できない。社会復帰後の予後は施設内での経過次第である。」
  •  「いわゆる自己愛の傷つきに由来する人格の偏りであると考えられるため、将来的に当人格障害を含む、いわばDSMーⅣのクラスターBに該当する人格障害に固まっていく可能性はある。」
  •  「今後さらなる精査を行う機会があれば、衝動統制の問題については、器質的な負因の存在の有無を確認すること」
  • 「刑事裁判手続を通じて、罪の重さと現実の厳しさを直視させることが、本少年については不可欠の教育的意義を持つと考えられる。その上で、かなり長期間の施設内教育に委ねることが相当であろう。とりわけ贖罪教育に重点を置いて指導を行い、少年に罪の重さを認識させ、遺族に対する償いの念を深めていきたい。」

とあります。
 このような対処を、司法の過程できちんとなしていたら、もっと早く被告人に真摯な反省と更生の芽が生じていたのではないでしょうか。
 残念なことです。

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刑事弁護」カテゴリの記事

コメント

<今枝弁護士様、法曹界の方々へのお願い>
私は被告が一審後も「無期懲役は7年で出所する」と思っていたことに不審の念を抱かざるを得ません。無期懲役の実態はそうでなく、成人なら20年以上だそうですね。少年だって無条件に7年ではないでしょう。それに仮出所しても刑期終了ではないし。
一審の弁護人は、裁判を受けている被告に刑期の基本さえ教えていなかったのかと。それでは真摯な反省もできないではないかと思います。

今の弁護団、今枝弁護士の責任ではありませんが、検察のみならず弁護人の手抜きもあったのではないでしょうか。

また、「無期懲役は10数年で出所して自由の身」という誤解が「無期ではダメ、死刑だ」の風潮を作っている面もあると思います。法曹関係者にはこの誤解を解くべく広報活動をしていただきたく思っています。

被告人は精神障害なのですか?広汎性などの発達障害の可能性はあるのでしょうか?

ドラエモンがどうにかしてくれる?
そんなことないでしょ
発達障害?精神障害?
それでも殺人したことには変わりないのではないでしょうか?
18歳なら車の免許も取得できる立派な大人ですよ
被告人はキッチリ自分のやったことに対しての罪滅ぼしをすべきだと思います。
精神障害や発達障害を理由にされても
死んだ人は帰ってこないですよ
日本って国はどこまで犯罪者にやさしいのか
正義とは何のためにあるのか?
人権とは何のためにあるのか?
犠牲者の人権は?
残された遺族の幸せは?
時代や国が違えば
ハンムラビ法典のように
目には目を、歯には歯をなんて言うとこもあるんでしょ

>問:Uちゃんを、殺害した動機なんですけども、これを説明してください。
>答:最初は殺そうとか、そんなことは思ってなかったんです。それで何とかして慰めようと思ってあやしてしていたんです。

泣いている赤ちゃんをあやすには、まず当人が理性的でなければならない。
・旦那と喧嘩した。
・つわりが酷い。
・赤ちゃんの寝つきが悪く、寝不足
・生理でイライラ
・家事と仕事の両立で大変

など、このような状況下で赤ちゃんに泣かれると、母親であっても五月蝿く感じる。
で、五月蝿く感じた自己嫌悪が引き金となって理性を取り戻し、赤ちゃんをあやす行動に移る。
被告が奇妙なのは、人を殺して強いショックを受けたにも関わらず、泣く赤ちゃんをあやせる程の理性を短時間で回復させたことである。

仮に健全な感覚の人間が赤ちゃんの母親を殺し、その赤ちゃんの泣き叫ぶ声を聞けば強烈な自責に襲われると思うのだが。

そのような自責を感じるより、あやすだけの理性を取り戻せる人間は人を殺すことに慣れているとしか思えない。

無期懲役でも許せない さん
allen さん

 被告人を許せないというお気持ちを私のブログに書き込むことが何か意味のあることとは思えません。
 検察官が被害者の主張を代弁し、弁護人は被告人のために弁護し、最終的には裁判所が証拠を吟味し両者の主張を検討して判断することです。
 
 

私の以前の記事
http://t-m-lawyer.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_1922.html

に引用した太田昌国氏の記事をぜひお読み下さい。http://www.jca.apc.org/gendai/20-21/2006/bengoshi.html

「社会の一員ではあるが、事件そのものに対しては第三者である者たちには、センセーショナリズムに堕さない冷静さが必要であることも理解する。

 つまり、被告人を憎む被害者の立場、凶悪な行為を犯した被告人の利益をすら守るべき弁護人の立場、事件の審理を見守る第三者である圧倒的多数の人びとの立場は、それぞれ異なるということだ。」

>>allen様

 仮に計画づくで人を殺したとしても、多少は混乱状態になるのが普通でしょう。そして、パニックに陥った時に、身の回りの状況をどう判断し、情報をどう取捨選択して、その上でどう行動するかなんて誰にも解らないです。

 >このような状況下で赤ちゃんに泣かれると、母親であっても五月蝿く感じる。

 うるさく感じることもある、の方が表現として適当ではないでしょうか。ストレスの程度や種別、個人差が大きく関わってくる事象だと判断できます。そして、allen様のこの後の論理展開は「必ず感じる」ことを前提としてしまっています。あと、「このような状況下」に今回の状況が当てはまるかも疑問です。

 >泣いている赤ちゃんをあやすには、まず当人が理性的でなければならない。

 確かにそうかもしれませんが、あやそうと思うところまでは理性的でなくても可能でしょう。現に、被告はその状況で子供をあやすというあまり理性的ではない行動をしています。

 (故意か偶然かは別にして)被告人は母親を殺してしまったことに混乱し、赤ん坊の泣き声でそれが助長され、判断が短絡してしまったという方が推測としては妥当かと思います。

 横から失礼しました。

誤解が生じてはいけないので取り急ぎ説明します。

被告人は、「少年は7年で仮釈放される」という知識は、A君が差し入れてくれた本村さんの「天国からのラブレター」の末尾にそう記載されていることで知った、と言います。
しかし、現在出版されている「天国からのラブレター」で、そこは削除されています。
なぜ削除されたのか、理由は分かりません。
被告人が持っていた「天国からのラブレター」を見ると、平成12年3月発行で問題の手紙より前であり、末尾に、少年は無期懲役になっても7年で仮出獄する、と記載がありました。
もちろん、本村さんが悪いわけではありません。
ただ、こういう経緯を前提にすると、被告人がそういう知識をもっていたからと言って、「法制度まで詳しく知っていたのだから、悪質」と言うのはいかがでしょうか。
もっとも、被告人は、本村さんの書籍で知ったとしても、それをああいうかたちで手紙に書いた不謹慎さは、今反省しています。

「犬がある日かわいい犬と出会ってやっちゃった。これは罪でしょうか?」について
これは、弥生さんに対する本件犯行についてふざけて書いたものかのように言われています。
しかし、被告人によれば、そういう意図ではなく、この手紙を書いた経緯や動機からは「犬」というとこに意味があり、自分が当時、人間としてではなく犬畜生として扱われていた不満を表したものでありそれに尽きると述べます。
捜査段階で、検察官は、被告人に、「罪を受け入れ、生きて償いなさい。」と諭しました。そのことは検察官調書に記載があります。
しかし、「生きて償おう」と考えた被告人が検察官の言うとおりのストーリーの調書作成に応じた(「罪を受け入れ生きて償え」という言葉とともに、「罪を受け入れなければ死刑を求刑する」という威圧を感じていた)被告人に対し、死刑を求刑するという矛盾、被告人の認識と異なる事実関係を前提にすすむ裁判、こういう状況で孤立した被告人が、「僕は人間ではなく犬畜生として裁かれている。」と卑屈に考えたとしても、不自然ではありません。
たしかに、読み手にとってはいろいろと邪推の余地がある不謹慎な手紙かもしれませんが、この手紙は特定の友人に送られ公表を予定していなかったものですし、読み手がどう受け取るかというよりは被告人がどういう認識や動機で書いたかどうかで不謹慎さは評価されるべきではないでしょうか。
被告人が述べる理由でも不謹慎には違いありません。しかし、一般に理解されているような動機ではない可能性も吟味された上で評価すべきと思います。

これらの指摘を前提にしても、評価はいろいろ分かれるでしょう。
しかし、評価の前提としての事実関係が、誤解されている状況は改善しなければなりません。

A君は検察庁に手紙を提出するのと並行して、被告人にふざけた手紙を書いたり面会してことさらに被告人を煽り、またその手紙を検察庁に提出することを繰り返していた、この経緯だけでも、被告人の不謹慎さへの認識がある程度改められるべきではないでしょうか。
さらに、手紙は伝聞証拠ですから、簡単に証拠として裁判所に採用されることはありません。
当然、2審の弁護人は、これらの手紙の証拠採用に抵抗しています。
しかし、最終的には、被告人が裁判所からの質問に答え、「手紙を提出してもらっていいです。」と述べたことで、証拠採用されています。
被告人は、友達の気を引くために非公開を前提に書いた手紙ながら、そういう手紙を書いたのは事実であり、正々堂々いさぎよく裁判所に提出されることを受け入れようとし、受け入れました。
手紙の提出を阻止しようとしていたら、手紙の内容でここまで責められることもなかったでしょう。
死刑の求刑で命を危険にさらされている中、このような手紙の提出を甘んじて受容した行為、そこに一定の誠実さを看取るのはあまりに甘すぎるでしょうか。

最高裁の弁論欠席について私の見識を示せとの要望について
これを述べることは、私にとってリスクが大きいだけですが、疑問を示されるのももっともですから、誤解され得ることを承知で述べておきます。
これはよく知られているように、決してドタキャンではありません。
期日変更の要請が却下され、それでは出席できない旨の事前連絡がなされていたようです。
それでも弁論期日開催を強行した裁判所にも、疑問を感じます。「その日は都合が悪い」という理由で欠席の連絡を受けたのであれば、「じゃあこの日はどうですか。この日は。」と、できるだけ審理の遅延がない間近の期日を指定するという対応で問題を回避することもできたはずです。
私自身は、他の事件で、最高裁から期日指定の連絡を受け、「準備に時間がかかるから」と言って9ヶ月後に延期してもらったことがあります。しかもその間準備し主張したことが影響し、重要判例集に載るような新判例になりました。ほかの弁護士にも同様の体験があります。
この事件に限り、裁判所はこういう慣例に反した強硬な対応をしており、その理由も示されていません。
ただ、私は当時の状況を直接体験したのではないので知る限りの情報や結果から見た独断的な評価にすぎませんが、私自身であれば、裁判所がこのような強硬な姿勢を示しているのに対し、それは不当と思うものの、他方でもっと早くから被告人と接見を開始するなどして、最終的には弁論期日を欠席しなかったであろうし、最終的に欠席という方法を選択したことは過ちであったと言えるだろうと思っています。裁判所の姿勢から、確実と断定できないものの、破棄差し戻しが予想されます。なにより欠席する度胸がありません。
前述したような裁判所の通常の対応は法曹界のみの常識ですし、弁護人の欠席連絡を遺族に連絡しなかった裁判所の態度に不満を持つとしても、遺族として弁護人の行動に疑問と不満を感じるのはやむを得ないことですから、遺族に経緯を説明し過ちを謝罪する努力をするでしょう。
しかし、実際には、言うは易く行うは難し、ですし、当時の状況から遺族が会ってくれない状況であったのかもしれません。
もっとも、当時の弁護人としては、漫然と弁論に出席したことにより万が一にも最高裁が弁論を終結して自判し、すぐに被告人に死刑判決が下されることを容認することができずその損失を、自分らの信用失墜等の損失よりも回避したかったのでしょうから、価値観のウエィトの置き方が私などのレベルよりはるかに卓越しており、私の意見はたぶんに当事者でない者による結果論の性質もなくはありません。

今枝弁護士さんへ
私の質問のみならずその周辺も含めて説明してくださって有り難うございます。

その内容を見て、今枝さんが弁護を引き受けた心理がようやく見えてきました。
私自身平均的な人と比べてみれば精神年齢は10歳程度は幼く、いろいろと悪さをしてきましたが、家裁記録の指摘について被告の行動と結びつけて過去の自分と照らし合わせつつ心理を理解できる箇所もあり、かといって理解できない箇所もあり・・・ですから恐らく手のかかる子を育てた経験がなかったりそういった心理を学んでいない普通の人の多くは理解できないのではないかと思いました。

個人的な感想を書かせていただくと「犬」の下りの重きがどこにあるかという点はあまり意味を成さないように思います。
A君の手紙にどのような記述があったのかわからない以上、別々の手紙に記載されていたのだろうと思わしき個々の項目と結びつけて解釈するのは危険だと思いますので、「男は女を」の下りからのみ考えますと

>・男は女を求める、女は男を求める。
>コレ自然の摂理。
>犬がある日かわいい犬と出合った。
>…そのまま「やっちゃった」…これは罪でしょうか。

私は元々この箇所はふざけているといった解釈ではなく自分の行為は自然の欲求に従ったものだと吐露しているだけと解釈していました。
ですので「犬」を持ち出している(そもそも犬同士だって好き嫌いがあって無条件に交尾をしているわけではないのだが)理由が犬畜生扱いにあったのだとしても反省の感情が当時まったくなかった事を単に示しているものだと思います。
反省していないからこそ犬に喩えることが出来たんだという解釈もできます。
それは人によってはふざけていると見做す事にも繋がると思いますが。

何でもいいですが人を殺した人に人権なんてありません。必要ありません。少年でも精神病でもやったことの責任は取らないと。心と体を分けるような考え方をするから、そういう考えになる。そんな人間を弁護する者は名を売りたいかただの偽善者ですな。

>ndianejones 様
>何でもいいですが人を殺した人に人権なんてありません。必要ありません。

それは人を殺した人ならおしなべて誰でもですか?

「人を殺す」のには様々な場合や事情があります。

侮辱され怒りを抑えられなかった場合、襲い掛かられて身を守ろうとして殺してしまった場合、大切な人をひどい目にあわされ復讐に囚われてしまった場合など様々です。

もちろん私欲や逆恨みなど許されざる理由もあるでしょう。
しかし判決が出るまでは何が原因かは確定していないのです。

様々な被告人の事情を汲み、弁護するのが刑事弁護人の仕事だと思います。それを疑い否定するのが検察官で、判断するのが裁判官でしょう。

また、この世の中には冤罪というものもあります。
あなたの考え方は純粋な正義感のみに照らせば正しいのかも知れませんが、それだけでは罪も無い人を裁いてしまうことになりかねません。

あなただって私だって将来人を殺してしまう可能性が全く無いとは言えません。その時に同じ考えでいられるでしょうか。「私には人権がない」と言えるでしょうか。

私だったら無理です。私の事情を代弁してくれる人が欲しいです。

> indianejones 様
私の上記コメントでお名前を引用する際先頭のiが抜けておりました。

申し訳ありませんでした。

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