ついに・・・マスコミの事件報道のあり方に最高裁参事官もクレーム
9月27日20時36分配信 毎日新聞
国民が刑事裁判に参加する裁判員制度の施行(09年)に伴う事件報道について、最高裁の平木正洋・総括参事官は27日、福井市で講演し、裁判員に予断を与える恐れがある報道として▽容疑者の自白の有無や内容▽生い立ち・対人関係など6項目を例示した。「裁判員は職業裁判官と異なり、報道された事実と証拠に基づく事実を区別することに慣れていない」と説明した。最高裁関係者が裁判員制度と報道の関係について、公の場で懸念を示したのは初めてだが、報道規制につながりかねない内容で、論議を呼びそうだ。
平木参事官は講演やその後の質疑で「職業裁判官は予断を排除する訓練をしているが、経験のない裁判員の場合、証拠を前にしても報道の影響を受け、公正・中立な判断をできるかどうか大きな不安がある。裁判員は報道が間違いがないと思ってしまうのではないか」と見解を述べた。
また、報道規制につながりかねないとの質問に対しては「自白などの報道を一切するなという趣旨ではなく、報道に対する法規制はなじまないと考えている」と答えた。
一方、報道側からは、「事件の背景や、社会的問題を明らかにするためには自白の内容や前科・前歴の報道が必要な場合もある」「捜査に誤りがないかどうかをチェックする役割がある」と事件報道の意義を強調し、参事官の発言に反発する意見が出された。
日本新聞協会は裁判員制度の導入に伴う取材・報道のあり方について、年内をめどに加盟各社の参考になる指針を自主的にまとめることにしている。
この最高裁参事官の意見について、学者の意見も紹介されている。
◆大石泰彦・青山学院大教授(メディア倫理法制)の話
仮に示された6項目の規制がなされれば大変なことだ。犯罪は時代を映す鏡と言われ、社会のゆがみとして分析しなければいけない出来事なのに、当局が規制を始めれば報道を通じて犯罪を読み解くことができなくなる。例えば冤罪(えんざい)の告発は報道の役割の大きな一つだが、もし偏向報道だと言われると「無罪ではないか」と言うこともダメということになり、私は反対だ。
しかし最近の報道では、犯罪を人間ドラマ、娯楽として扱う内容が目立つ。例えば元検事や弁護士といった出演者に感情的なコメントを語らせるのはやめたほうがいい。メディアの自浄努力が働いておらず、公権力に規制の口実を与える状況になっていると思う。捜査機関に誤りがないかチェックするのは報道の大きな役割だが、今は非常に弱い。無罪推定の原則を著しく傷つけるような報道はすべきではない。◆服部孝章・立教大教授(メディア法)の話
今回、参事官が示した懸念は、報道機関に対して事件に関する独自取材をするな、と言っていることに等しい。犯人視しない配慮は大切だが、公正な裁判の実現を名目に捜査機関が捜査の過程を明らかにしないことにお墨付きを与えたり、報道機関による捜査や起訴、裁判の誤りに対するチェックを困難にさせるもので、社会全体の利益を損なう恐れが大きい。
裁判員制度を目前にして、最高裁参事官からも今の日本の事件報道のあり方に問題提起がなされたわけだ。
今回の光市母子殺害事件のマスコミ報道とその影響も、おそらく平木最高裁参事官の
裁判員は職業裁判官と異なり、報道された事実と証拠に基づく事実を区別することに慣れていない
職業裁判官は予断を排除する訓練をしているが、経験のない裁判員の場合、証拠を前にしても報道の影響を受け、公正・中立な判断をできるかどうか大きな不安がある。裁判員は報道が間違いがないと思ってしまうのではないか
上記 毎日新聞 より
という懸念に繋がっているのだろう。
大石教授の
最近の報道では、犯罪を人間ドラマ、娯楽として扱う内容が目立つ。例えば元検事や弁護士といった出演者に感情的なコメントを語らせるのはやめたほうがいい。メディアの自浄努力が働いておらず、公権力に規制の口実を与える状況になっていると思う。
上記 毎日新聞 より
というご意見も、もっともである。
本来、メディアには刑事裁判を監視するという役割があったはずだ。
刑事裁判が適正な手続にのっとって進行しているか、弁護人だけでなく、検察官、裁判官をも監視する役割があるはずだ。
今回の光市母子殺害事件の裁判報道では、なぜか被害者遺族と弁護団にばかり光があてられ、検察官の捜査や訴訟活動、裁判官の訴訟指揮などには、ほとんど光があてられていない。
検察側主張の犯行態様を争い、被告人の殺意を否認している弁護団が、その証拠として重視している、遺体の鑑定書、法医鑑定人(弁護側、検察側)の証言などの詳細を報道したメディアは殆どなかった。
被告人の奇異な発言のみをセンセーショナルに取り上げ、その被告人の供述に基づいて主張を組み立てる弁護団を攻撃することに終始する報道が殆どだった。
そして、「弁護団は死刑廃止運動のためにこの裁判を利用している」などという根拠なき風聞を、テレビのキャスター、コメンテーターらから何度聞かされたであろうか。
このままでは、江川紹子さん(江川紹子ジャーナル 刑事弁護を考える~光市母子殺害事件をめぐって)が言われるように、
自主的な対応ができず、今のように感情を煽るような番組が垂れ流されている状況が続けば、様々な規制がかけられる事態も考えられる。そうなれば、事実を詳しく伝えたり、批判をしたりする報道の自由も危うくなってしまう。
ことにもなりかねない。
今のところ、平木最高裁参事官は、
自白などの報道を一切するなという趣旨ではなく、報道に対する法規制はなじまないと考えている
上記 毎日新聞 より
と答えておられるが、こんな事件報道が続けば「法規制」もやむなし、という方向に進むかもしれない。
町村先生が、ブログMatimulogで、このニュースについて次のように論評されている。
マスコミの問題性は、警察発表をとりあえず真実と発表し、捜査機関が意図的に流していることかもしれない内容を無批判に受け入れてしまうやり方である。
それから、被害者の感情や社会的な義憤に迎合し、かえって煽り立てるような報道姿勢も大きな問題である。
こうした報道姿勢が予断と偏見に充ち満ちた世間の見方を作り上げるのが問題なのであり、裁判員もその一部として予断を植え付けられるにすぎず、要するに裁判員の予断が独立して問題なのではなく、マスコミが世間に発する予断偏見の問題性の一部に裁判員もあるにすぎない。しかし他方で、犯罪を犯したと疑われる人について、マスコミが独自に様々な観点から調査し、取材して報道することは、必要なことである。平木参事官が挙げる6項目は、全部、自制すべき点ではなく、積極的に明らかにして欲しい点である。もちろんそこには、家族のプライバシー尊重とのせめぎ合いがあるわけだが。
そういうわけで、裁判員制度の推進のためになすべきことは、マスコミに自制を求めるのではなく、報道の影響を受けた人が裁判員候補になることを前提に、予断排除のための手続的工夫を、陪審選定手続や評議における説示などを通じて実行していくこと、それしかないのである。
後は、アメリカのように、裁判員をホテルに缶詰にしたり、地域的な問題があればより被害者感情の少ない土地に移送するとかの方法もあり得るところである。
町村先生は、
マスコミの問題性は、警察発表をとりあえず真実と発表し、捜査機関が意図的に流していることかもしれない内容を無批判に受け入れてしまうやり方である。
それから、被害者の感情や社会的な義憤に迎合し、かえって煽り立てるような報道姿勢も大きな問題である。
とされながらも、
裁判員制度の推進のためになすべきことは、マスコミに自制を求めるのではなく、報道の影響を受けた人が裁判員候補になることを前提に、予断排除のための手続的工夫を、陪審選定手続や評議における説示などを通じて実行していくこと、それしかないのである。
後は、アメリカのように、裁判員をホテルに缶詰にしたり、地域的な問題があればより被害者感情の少ない土地に移送するとかの方法もあり得るところである。
とされている。
しかし、私は、自主規制にせよ、法的規制にせよ、マスコミの報道規制なしに、今の日本で、「予断排除のための手続的工夫」によるのみで裁判員による公正・中立な裁判を期待することなど夢物語ではないかと思う。
これは、このブログで光市母子殺害事件の記事を書くようになって、一般の方々から多くのコメントを頂いて実感したことである(ひょっとしたら、平木参事官は今枝弁護士や私のブログのコメント欄をご覧になっておられるのではないか?)。
もちろん、アメリカのように裁判員をホテルに缶詰にしてテレビ、新聞、雑誌を見せないのがベストだろうが、そんなこと実現不可能である。そんなことをしたら予算がいくらかかるか知れないし、自由を束縛される裁判員も黙ってはいないだろう。
ボツネタ(岡口裁判官のブログ)には、こういう記事も紹介されている。
「イギリスの刑事司法制度に見られる幾つかの特徴について(要旨)」 著者 仙台地方検察庁検事正 倉 田 靖 司
イギリスの報道規制はたいへん厳しいようだ。
私は、やっぱり、マスコミの事件報道について何ら規制のない今の日本で、裁判員制度を実施することなど無謀にすぎると考える。
裁判員制度には絶対反対!!
追記:
「辺境通信」さん経由で知った記事
(Sankei Express、9月17日)
産経新聞の福富正大記者の記事である。にしてんま傍聴記でおなじみの司法記者さんである。
新聞社45社とNHKから、社会部長やデスク、司法担当記者らが参加する裁判員制度の勉強会というものがあるそうである。そこでの話。
裁判員法が制定される過程で、03年に政府の司法制度改革推進本部が用意した「たたき台」には、以下のような規定が盛り込まれていた。
「報道機関は事件に関する報道を行う際、裁判員らに偏見を生じさせないよう配慮しなければならない」
刑事裁判は、法廷に提出された証拠のみで判断するのが鉄則だ。それが職業裁判官ならともかく、素人の裁判員の場合、報道によって「有罪」の心証を抱いてしまいかねない-というのがこの規定の趣旨だ。
結局、表現・報道の自由との兼ね合いで、裁判員法に先の規定は盛り込まれなかった。だが、制度が始まるまでに、業界内でなんらかの「自主ルール」を策定しなければならない。
勉強会では、陪審制が実施されている英国などの事例も報告された。英国では裁判所侮辱法により、逮捕あるいは起訴後の「裁判の公正な進行が妨げられる危険のある報道」は処罰対象となる。裁判所が報道禁止命令を出すことすらある。
山口県光市の母子殺害事件のことも話題になった。現在、審理がひと区切りつくたびに遺族の本村洋さん(31)の会見の様子が報道されている。だが、英国の基準に照らしたならば、問題となる可能性が高いという。例の懲戒請求発言なども、オンエアは難しかろう。さてさて、今後の事件報道はどうなっていくのだろうか。
司法記者さんたちも、光市母子殺害事件の報道について、こういう問題意識を持たれているのだなあ、と興味深く読ませて頂いた。
裁判員制度が始まる前に業界内の「自主ルール」の策定がなされるというが、どんなルールだろう。
前記したイギリスの報道規制では、今回の光市母子殺害事件のテレビ報道の殆どがオンエアは無理だろう。もちろん、今回の懲戒請求煽動事件の発端となった、あの「たかじんのそこまで言って委員会」などは絶対にオンエアできまい。
さて、マスコミ業界はどうするのだろう。
私はその遵守が期待できそうもない「自主ルール」の策定よりも、問題山積みの裁判員制度の実施を諦める(最低限延期する)ことの方を検討すべきだと思うのだが・・・。
「光市母子殺害事件のマスコミ報道をについて、あなたはどう思いますか?」のアンケート間もなく締め切りです。関心のある方はご参加をどうそ。
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