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« 光市母子殺人事件のマスコミ報道 | トップページ | 光市母子殺人事件とマスコミ報道3 »

2007年6月26日 (火)

光市母子殺人事件とマスコミ報道2

 今日は、光市母子殺人事件の差戻審で被告人質問があったため、各テレビ局もかなりの時間を使って報道していたようである。

 私は残業で帰りが遅くなり、夜遅くのニュースしか見れなかったのだが、あるニュースキャスターが、

 「この被告人は被害者の頸を両手で締め、赤ちゃんを何度もたたきつけている。殺意がないはずがない。」

 などと述べていた。

 しかし、この事件では、検察官でさえ「何度もたたきつけた」などと主張していないし、裁判所の判決も「何度もたたきつけた」と認定していない。

 私は聞いていてびっくりしてしまった。

 このキャスターは、事件の記録を読んでいるのだろうか?

 弁護団は赤ちゃんの後頭部に打撲傷、頭蓋骨骨折等の重大な損傷がないことから、「たたきつけ行為」の存在を否定しているのである。

 また、「両手で締めた」という点についても、弁護団は遺体の所見や鑑定書と一致しないと主張しているのである。

 そのことをご存じなのだろうか?

               Kikyouc_2  

 こういう報道を何度も聞いていると、それが事実であるかのごとく錯覚してしまう。

 裁判員制度が実施されたとき、このような報道は大変危険だ。

 本気で裁判員制度をやるつもりなら、アメリカの陪審制のように、裁判員にテレビ、ラジオの視聴、新聞の購読等を禁止すべきだと思う。

 

« 光市母子殺人事件のマスコミ報道 | トップページ | 光市母子殺人事件とマスコミ報道3 »

刑事弁護」カテゴリの記事

コメント

初めまして、特に強い主義主張も無い一市民です。

意見を述べる前に私自身のご紹介
・この事件にはまったく関わりはありません。
・興味はありますが、死刑だろうが無期懲役だろうが
 結果のみを受け止めるタイプです。
・とりあえず、自身の感覚を信じて日々を生きてます。

とりあえず、私を推察していただかなくても
よい様に僭越ながら自己を主張致しました。

さて、本題です。
とりあえず流し読みなのでとても的外れかもしれませんが

マスコミへの強い懸念からこのような意見を
述べられているように受け取ったのですが
であれば、マスコミへの働きかけをするべきではないでしょうか。
※あくまで光市関連の記事だけについてのみ拝読致しました。

逆に申せば、被害者側や擁護者、マスコミの方は
弁護側の主張が納得できないから主張なり、
働きかけをされているのだと推察いたします。
ならば、逆に弁護側なり、その支援者なりも
声を大きくして主張するべきだと思います。
すでにマスコミのみが世間を騒がせる存在ではなく
インターネットを通じて主張を広げられる昨今であれば
それほど難易度も高くないことでは無いでしょうか。
※このHP自体がそうなのであれば・・・もう少し多くの方に
 読まれることを考慮して主張される事を具申致します。
※また弁護団がされているソレを鑑みる限りでは
 私個人の心象は宜しくは無いです。

まあ、結果は目に見えていて
このブログで行なわれているコメントのやり取りと
そう変わらないものになるでしょうけれども・・・。
※要は主催側の主張が一番色濃くなる。

しかし、○○にしか判らないというご意見を
よく拝見いたしますが、ごく私見かもしれませんが
それだと全ての事象においてそうだと言えると思います。
それは、すでに裁判制度自体を否定しかねない暴論だと
私の愚脳では捉えております。
※裁判自体がすでに当事者のみが知りえる事実を
 第三者である方々が裁いているのですから・・・。
※貴方を含め、その関わる者達が何をもって「事実追求」という
 視点を求めておられるのかは非常に興味はあります。


なお、蛇足ではございますが、私の意見としては、
マスコミがどうだから問題なのではなく
人というのは自身の都合の良いように
事実を曲げる性質はあると考えています。
こうやって意見を述べている私自身も貴方のブログも
まず、自身の想いを告げる事を念頭に置いているため
多少のそれはあってしまうものだと認識しています。
でなければ、主張の違いなど発生しませんからね。

なので、どちらが正しいなんて議論のそれ自体には
あまり意義を感じない。それが私の意見です。

突然の長文失礼致しました。

追伸:事実追求っていうのは私の作文です

6月19日のあなたブログにはこのように書かれていました。

 さて、私は、光市母子殺人事件そのものについて、特に関心があるわけではない。だから、マスコミの報道内容すらあまりよく知らない。ましてや、この事件の記録(供述調書、鑑定書、被告人質問、証人尋問調書等の膨大な証拠書類)を読んだこともなく、弁護人と被告人の接見のときの会話の内容も知らない。

と書いておきながら、6月26日のあなたのブログにはこうあります。

このキャスターは、事件の記録を読んでいるのだろうか?

 弁護団は赤ちゃんの後頭部に打撲傷、頭蓋骨骨折等の重大な損傷がないことから、「たたきつけ行為」の存在を否定しているのである。

 また、「両手で締めた」という点についても、弁護団は遺体の所見や鑑定書と一致しないと主張しているのである。


お忙しい割には一週間で膨大な証拠を随分と勉強したようですね。
ところで私のコメントが全く掲載されないのはなぜでしょう?

名無しさんへ
 記事でもお願いしていますように、コメントを送信される前には必ず名前をご記入下さい。

>お忙しい割には一週間で膨大な証拠を随分と勉強したようですね。

 これにつきましては、kenjiさんに教えて頂いた下記HPに弁護団の弁論要旨と鑑定書の骨子の記載があります。これを読ませて頂きました。
 また、最高裁、控訴審判決もネット上で読むことができます。

 確かに現在公開されている資料は全てではありませんが、公開されている資料からだけでも、マスコミ報道の間違い、全てを報道しているものではない、ということは分かります。

http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/

追記
 私は当初この事件にそれほど興味があるわけではありませんでした。
 残虐な事件ですし、あまり知りたくもありませんでした。

 しかし、皆様のコメントを読んで、この事件についていろいろと疑問を持つようになりました。

 私以上にマスコミ報道についてはご存じの方が多く報道内容についてはいろいろと教えて頂きましたが、本当にマスコミの言っていることが本当なのか、現在入手可能な刑事記録だけでも検討してみようという気持ちになったのです。


事実でないことを報道するのは報道倫理に反しますので
BPOにでも訴えてはどうですか?

 この事件に関して特に関心があるわけではない一医師ですが、あちこちのブログで拝見する限り、マスコミ報道には相当の偏りがあるようです。
 医療過誤と医療事故を混同し、医師あるいは病院バッシングする心理に通じる物を感じます。
 昨今のマスコミは「社会の木鐸」というより「お先棒を担いで騒ぎをあおる」という存在に見えて仕方がありません。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070627it04.htm

どらえもんがなんとかしてくれると思ったそうです。
これについてあなたの意見をお聞きしたい。
裁判とはこういうものなのでしょうか?

しろさんへ

 はじめて知りました。
 しかし、それこそが被告人の異常性、幼稚性を示すものではありませんか。

 少なくとも、被告人質問によって、弁護団の主張が弁護団による創作であるという疑いは晴れたと思います。
 
 今後の心理鑑定人の尋問で、被告人がなぜこのようなことを述べるのかが明かされるのではないでしょうか。

「性的なものは期待していなかった」
の主張は無理があると思う。

そんな主張してるから他の主張も苦し紛れの言い訳に見えてしまうんだと思うな。

横から失礼します。

>被告人の異常性、幼稚性を示すものではありませんか。

ぜんぜん示していませんね。

「ありませんか」とは質問形の表現ではないですよね? それを前提に話を進めますが、8年後にあなた自身も驚くほど唐突に出てきた「説」を、なんの検証を行う姿勢もなく事実性を認めて「示すもの」と断言なさる理由は?

さすがに、「被告の口から出る言葉はすべて真実である」とは仰いませんよね?

それから、「異常性」と「幼稚性」を並列に語らないでいただきたい。前者はともかく、後者のような曖昧かつ情緒的な言葉が、法廷に相応しいのですか? 不愉快です。


>弁護団の主張が弁護団による創作であるという疑いは晴れたと思います。

ぜんぜん晴れていませんね。

弁護士側は、昨日の時点で「8年も前の事件のことで、記憶には不鮮明な部分もあるのではないか」と伏線を張っているようです。

http://tuf.co.jp/i/news/mori/0626/06261532.htm

無論、検察側の質問への回答を拒否するためであろうことは容易に想像がつき、実際にほとんど「覚えていない」と答えているようですね。上申書との矛盾の説明すら「黙秘」した挙げ句、裁判官に一喝されているらしいという有り様なのですが。

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2007062700057

自分の心象風景を具体的に話すことができる被告が、その行為にまつわる質問には一切答えられないらしいのですが、なぜなのでしょう? そもそも、今回の「証言」は、事実なのでしょうか? 疑いを持って当然ですよね。

弁護団は、被告の記憶の状態を、事前に把握していました。そして、自分の弁以外は、質問に一切答えられない状態です。両者を総合的に判断するならば、被告は、被告自身、あるいは弁護団によって創作された物語を「読み上げているだけ(だからこそ質問に答えられない)」と疑われても致し方ないと解しますが、違いますか?

逆に、昨日・今日の被告の「証言」が真実であるならば、弁護団のこれまでの説明は完全に虚偽であったと解釈せざるを得ません。現在の被告の主張と明らかに食い違う点から、被告か弁護士のどちらかが「創作した」話であった可能性は、極限まで高まります。だとすれば、それを創ったのは(まさにマスコミの前で)微に入り細に入り「説明することができた」弁護士本人であった可能性が否定できないと考えるのが合理的であるはずなのですが、それについてのコメントは?

マスコミの解釈など関係なく、少なくとも両者のうちどちらかが(あるいは両者が)嘘をついていたことほぼ立証されるのですが、それについてはよろしいですか? 問題ないならばお聞きしたいのですが、ここまでの経緯上、確実に「嘘」が存在する(あるいは存在した)案件であるにも関わらず、「ドラえもん」の話だけで「疑いが晴れる」と断言なさるほどの真実性をあなたがお感じになった理由は?


>今後の心理鑑定人の尋問で、被告人がなぜこのようなことを述べるのかが明かされるのではないでしょうか。

ぜんぜん明かされるとは思えませんね。

そもそも、事件から8年経った状態の「精神」を鑑定して何になるというのです? また、その心理鑑定は、本当に事実と認定するに足るだけの信頼性を問えるのですか? 今回、初めて「真実を語った」らしい被告によって、これまでの裁判の主張がすべて虚偽であった可能性が高まっているのに?

そもそも、こんな「証言」が本当に争点の材料となるとでもお考えですか? 本気ですか?

率直に言って、私たち一般人の多くは、被告よりもむしろ弁護団に対する怒りを禁じ得ず、それを隠していません。どんな思考回路を辿ればこのような結論に至るのか知りませんが、あなたの弁で納得するのは、あなたがた「弁護士」だけでしょう。

CHAOSさんへ
 >逆に、昨日・今日の被告の「証言」が真実であるならば、弁護団のこれまでの説明は完全に虚偽であったと解釈せざるを得ません。現在の被告の主張と明らかに食い違う点から、被告か弁護士のどちらかが「創作した」話であった可能性は、極限まで高まります。

 具体的にどの点がくい違っていたでしょうか。
 一番批判の強かった「蝶々結び」「死亡の儀式」については被告人がはっきり供述していたと思いますが。

 また、検察側の質問に「覚えていない。」と答えたということですが、その検察側の具体的な質問内容も分かりません。

 被告人質問の内容について、一問一答形式で正確に再現した報道はありませんでした。
 私の見たり読んだりした中には、かなり報道側の主観が入ったものもありました。

 弁護人が創作したシナリオを被告人に言わせているというのなら、その根拠が必要です。
 まさか、蝶々結び、死亡の儀式、どらえもんなどの話を弁護人が創作したとおっしゃらないでしょうね。

私が「幼稚性」と言ったのは、本気だったにせよ作り話にせよ、あまりに「幼稚」だと思ったからです。


ご回答を有り難うございます。しかしながら、いくつか。長文、失礼いたします。

>具体的にどの点がくい違っていたでしょうか。

「具体的に」もなにも、1審・2審で認めたという殺意・乱暴の意図からして、完全に覆しているようですが? まさか、「それは弁護団には関係ない」と仰らないですよね?

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070626i111.htm

マスコミが日常的に極めて偏った報道を行っていることには、私もまったく同感です。彼らの主観部分についてはまったく信用できず、日頃から判断材料としないよう心がけております。よって、できるだけマスコミの勝手な解釈が入り込まない部分を拾っているつもりです。


>検察側の質問に「覚えていない。」と答えたということですが、その検察側の具体的な質問内容も分かりません。

ならば、同様に「ドラえもん」云々の詳細も、あなたはお分かりになっていないはずですが。なぜ、しろさんの1行で「異常性、幼稚性を示すもの」と断言できるのですかとお訊ねしているんです。マスコミに対してはずいぶん用心深い姿勢を取っておられるあなたが、しろさんが伝えてくださった(すなわち伝聞の)1行のみで「示すもの(である)」と判断された理由をお訊ねしているのですが?

それに、しろさんも、おそらくマスコミ報道を情報源としておられるはずですよ?

あと、その検察の件ですが、私が示したリンク先、お読みいただきましたか? 裁判官が「一喝する」ほどの事態が発生したということは、裁判官は検察の質問に問題を感じていないことを察することができますね。とは言っても、「一喝」というのはマスコミの主観による表現の可能性もありますので、「恐らくは強い調子だったのであろう(検察側の質問は、被告が答えられる範囲の正当なものと判断したのだろう)」と類推したに過ぎませんが、読解に問題がありますか?


>被告人質問の内容について、一問一答形式で正確に再現した報道はありませんでした。
>私の見たり読んだりした中には、かなり報道側の主観が入ったものもありました。

だからこそ、参考になりそうな「主観の入っていなさそうな、淡々とした報道(できれば通信社のもの)」を選んで提示して質問しているのですが? それに、あなたも「異常性、幼稚性を示すもの(である)」「疑いは晴れた」と「主観で」断言なさっていますよね?


>弁護人が創作したシナリオを被告人に言わせているというのなら、その根拠が必要です。
>まさか、蝶々結び、死亡の儀式、どらえもんなどの話を弁護人が創作したとおっしゃらないでしょうね。

完全に断定するには根拠が必要であることなど、無知な私でも理解しております。ですから、「そう思われても致し方がない」と申し上げており、なおかつそうした結論を導くに至るまでの動線も(拙いながらも)提示しております。

拡散してきたのでまとめますが、私は、あなたが今回の被告の主張を丸飲みしておられる理由をお訊ねしているのです。マスコミ報道に問題があるとご指摘のあなたが、マスコミ報道しかない中で、「世の中が訝しんでいる弁護団への疑義が晴れた」と判断なさった理由が知りたいと申し上げているのです。

なぜなら、私は、あなたのご判断にまったく賛成できませんので。

せっかくなので申し上げておきますが、本件は、最高裁が「2審判決の量刑は甚だしく不当で、破棄しなければ著しく正義に反する」「罪責は誠に重大で、特に考慮すべき事情がない限り死刑を選択するほかない」と判断しています。要するに、マスコミの主観的な報道に頼るまでもなく、私たちは自分自身の思考に最高裁判所の判断を参照できるわけです。最高裁は、私たち一般人が知り得ない情報も考慮して、高裁判決を破棄したのでしょうから。

マスコミ、関係ないですよ?

http://kyushu.yomiuri.co.jp/news-spe/matome/hikari/hi_06062101.htm

しかも、多くの人々がこの弁護士に不信感を募らせているのは、「蝶々結び」云々の話だけではないですよ? 裁判長から「正当な理由のない不出頭」「極めて遺憾」と指摘されるほどに故意の遅延行為が疑われる行為に走ったりしてますね。別にマスコミの主観のみで判断を狂わされているわけではないんです。お分かりですか?

http://kyushu.yomiuri.co.jp/news-spe/matome/hikari/hi_06031501.htm


蛇足ながら。

>私が「幼稚性」と言ったのは、たとえ作り話にしてもあまりに「幼稚」だと思ったからです。

お言葉ですが、あなたははっきりと「被告人の異常性、幼稚性」と仰っていますね。「(その発言が)法の判断の材料になり得るもの」という意味で受け取ったのですが、違いますか? 弁護士さんが「異常性」の後に並列でつなげた単語だけに、「状況証拠」的な解釈をしておられると思ったのですが。

「異常性」は、確かに法廷で検証されるべきものでしょう。ですが、子供っぽかろうが大人びていようが、審理には関係ないですよね。ことは残忍な殺人事件(と解するのが一般的です、現在のところ)で、同情するにあまりある遺族がいるのです。特に意図がないなら、並列に語るのは無神経ではないですか?

相手が弁護士さんであるからこそ、そう申し上げたのです。

横から失礼。

弁護士の作文でしょう、常識的に考えて…まさか根拠が見当たらないからなんて本気でおっしゃらないでしょうね?
それは一時横に置いて、このような妄言が本気でまかり通ると思うものなんですか?

しかし…あなた方はやれ根拠だ論理だの言う割りには、CHAOSさんに代表されるような大多数の庶民の無垢な怒りには唯の一つも納得のゆく回答は出来てないじゃないですか?
まぁ、応じる謂れは無いとおっしゃるならそれは結構なんですが。これじゃあ三百代言なんて言われても仕方が無いですよ。

M.Tさん
>しかし、皆様のコメントを読んで、この事件についていろいろと疑問を持つようになりました。

ふーん、それでわざわざ他人のブログにまで出張するようになったんだ
http://www.yabelab.net/blog/2007/06/27-183400.php
弁護側の言い分だけ鵜呑みにして弁護しているように見えるけど、ちゃんと検証したの?

kenjiさん
>事件を直接取材しているマスコミ関係者は、遺体鑑定書を知っていますし、被告が急に主張を変えたのか、そして被告の幼稚性も知っています。
>ですから、傷害致死なのに死刑になるのではかわいそうだと思っています。

断定していますが、あなたの妄想ではないという根拠を示していただけませんか?

けっこう前に投稿した文章が、なぜか反映されませんので、
テスト送信いたします。

お眼汚し、失礼いたします。

CHOSさんへ

>「具体的に」もなにも、1審・2審で認めたという殺意・乱暴の意図からして、完全に覆しているようですが? まさか、「それは弁護団には関係ない」と仰らないですよね?

 私がくい違いをお聞きしたのは、差戻審の弁護団の意見陳述及び記者会見の内容と、被告人質問の内容のことです。
 1審、2審の弁護人の主張と今回の弁護団の主張がくい違った理由については、弁護団の弁論要旨に記載がありますので、そちらもお読み下さい。もちろん、供述の変遷について合理的理由があるかどうかは最終的には裁判所が判断することですが。

>ならば、同様に「ドラえもん」云々の詳細も、あなたはお分かりになっていないはずですが。

 ネット上の記事で確認しました。また、TVの各局ニュースでも見ました。これもマスコミ報道ですので、疑ってみるべきだということであれば、被告人質問を自分で傍聴するか、本件の刑事裁判が確定して確定記録を見るまでは何も議論はできないということになりますが。

>あと、その検察の件ですが、私が示したリンク先、お読みいただきましたか? 裁判官が「一喝する」ほどの事態が発生したということは、裁判官は検察の質問に問題を感じていないことを察することができますね。とは言っても、「一喝」というのはマスコミの主観による表現の可能性もありますので、「恐らくは強い調子だったのであろう(検察側の質問は、被告が答えられる範囲の正当なものと判断したのだろう)」と類推したに過ぎませんが、読解に問題がありますか?

 読みましたよ。しかし、裁判官が「答えなさい。」ということは、民事でも刑事でも珍しいことではありません。「一喝する」という表現は確かにあいまいです。私の経験では、裁判官が壇上から何か言うと結構きつく聞こえるものです。しかし、これは実際に被告人質問を聞いたものでないと分からないことですので、議論しても仕方がありません。


>被告人質問の内容について、一問一答形式で正確に再現した報道はありませんでした。?>私の見たり読んだりした中には、かなり報道側の主観が入ったものもありました。
 だからこそ、参考になりそうな「主観の入っていなさそうな、淡々とした報道(できれば通信社のもの)」を選んで提示して質問しているのですが? それに、あなたも「異常性、幼稚性を示すもの(である)」「疑いは晴れた」と「主観で」断言なさっていますよね?

 私の申し上げているのは、差戻審の弁護団の意見陳述及び記者会見の内容が創作ではなかったことが、被告人質問によって明らかになったということです。
 
> 私は、あなたが今回の被告の主張を丸飲みしておられる理由をお訊ねしているのです。マスコミ報道に問題があるとご指摘のあなたが、マスコミ報道しかない中で、「世の中が訝しんでいる弁護団への疑義が晴れた」と判断なさった理由が知りたいと申し上げているのです。

 別に被告人質問で被告人が答えたことが真実だ(丸飲みというのはそういう意味ですよね)などと申し上げておりません。そもそも刑事裁判における真実は証拠から裁判所が判断する事実でしかありません(神のみぞ知る真実ではありません)。
 私が疑義が晴れたと申し上げたのは、被告人の主張(特にやり玉に上がっていた「蝶々結び」「儀式」それに「殺意の否定」)を弁護団が創作したものだという皆様の誤解についてです。

>せっかくなので申し上げておきますが、本件は、最高裁が「2審判決の量刑は甚だしく不当で、破棄しなければ著しく正義に反する」「罪責は誠に重大で、特に考慮すべき事情がない限り死刑を選択するほかない」と判断しています。要するに、マスコミの主観的な報道に頼るまでもなく、私たちは自分自身の思考に最高裁判所の判断を参照できるわけです。最高裁は、私たち一般人が知り得ない情報も考慮して、高裁判決を破棄したのでしょうから。

>マスコミ、関係ないですよ?

 「私たちは自分自身の思考に最高裁判所の判断を参照できるわけです」のご趣旨が分かりません。最高裁は自判せず、差戻審で死刑を回避するに足りる「特に考慮すべき事情」があるかどうかを審理せよと言っているのですから、審理すべきでしょう。

>しかも、多くの人々がこの弁護士に不信感を募らせているのは、「蝶々結び」云々の話だけではないですよ? 裁判長から「正当な理由のない不出頭」「極めて遺憾」と指摘されるほどに故意の遅延行為が疑われる行為に走ったりしてますね。別にマスコミの主観のみで判断を狂わされているわけではないんです。お分かりですか?

 安田弁護士らが期日に出頭しなかった理由については、マスコミ報道のみでなく、弁論要旨の方もお読み下さい。 


>私が「幼稚性」と言ったのは、たとえ作り話にしてもあまりに「幼稚」だと思ったからです。
>「異常性」は、確かに法廷で検証されるべきものでしょう。ですが、子供っぽかろうが大人びていようが、審理には関係ないですよね。

 「幼稚性」は実年齢と比較してあまりに幼稚な弁明なので、それが「異常」と申し上げているのですが、それが問題なのでしょうか。
  ただし、被告人がこのように述べていることが、本当に異常であるためか、異常と装っているためかは、専門家による鑑定が必要であると思います。その意味で、裁判所も心理鑑定人の尋問を採用したのだと思います。

<コメントを下さる皆さんへ>

「社会人は限られた時間の中でブログを開設していますので、それに答えたり再反論をしたりするためには過度の時間や労力がかかるような質問や批判というのは正当な範囲を超えることになりがちです。ですから、短期間に沢山のネガティブコメントを特定のブログ主に投げつけるコメントスクラムは、その内容にかかわらず、批判としての正当性を失うことになります。」
 下記ブログ(la_causette)からの引用です。
http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2007/06/post_3df1.html

 私は、2,3日、仕事に専念したいので、コメントにはお答えできません。また、コメント承認も遅れますことをご了承下さい。

ブログ主さんのコメントはおかしくないですか?
全ての質問やコメントにレスする義務はないとは思いますが、
誰でも自由に閲覧できるブログという形で意見を書いている以上、
批判や反対意見というのは当然出てくると思います。
ましてやこの事件のように世間の注目度の高い事件なら尚更です。

自分の意見を述べたいだけならコメント欄をなくされれば良いだけのことだと思うのですが。

kenjiさん>
URLのブログを読ませていただきました。
しかし、そのブログを書かれた方は実際に本村氏に会って話したわけではなく
知っている人の話を聞いただけのようですが?

それこそここで言われている「マスコミ報道をうのみにする人々」
と同じではないですか?
また、kenjiさんの言われる「本村さんの危険性」とは具体的にはどういった意味でしょうか?


被告を擁護なさっている方々は「被告の幼稚性」について色々のべられていますが、
言っていることが事実だとして、ではなぜ被害者宅に業者を装って訪れたのか、目的はなんだったのか、
ということに対して疑問を抱かれたりはしないのでしょうか?
そもそも殺意があったかどうかなんて重要なことなんですかね?

投稿 kenji | 2007年6月27日 (水) 19時10分
>本村さんの危険性を誰かが指摘すべきだと思います。

このような記述を放置しておくということは、被害者遺族に対する名誉毀損を幇助していると理解してよろしいでしょうか?

寺元さん、ご苦労様です。小生は元々裁判員制度に反対なのですが、このブログへのコメントを見て、ますます、国民に直接に裁判参加させてはならないと痛感しました。周防監督が、「裁判員制度でますます裁判が悪くなる、なぜなら、参加する国民は予断と偏見の塊だから」というコメントをしている記事を見かけましたが、まさに同感です。憲法が被疑者・被告人の権利を手厚く保障している趣旨も、刑事弁護のなんたるかも理解して貰っていないことに、司法教育の遅れを感じ、絶望的になります。何故、それほど被害者と一緒になって処罰感情を高ぶらせなければならないのか、不可解です。こういう連中にまともに応対していると過労死しますから、まずはよく静養して、鋭気を養ってください。それにしても、つくづく人間てのは嫌な存在だねえ。

↑の主張をされるのであれば
そもそもブログ自体を開設する必要がないのでは?
あなたは「社会人」です。
しかし、「弁護士」という身分を明かしています。
「弁護士」という立場からこういった記事を
書いてらっしゃる訳ですよね。
当然、一般的な認識では「弁護士」=「法律の専門家」な訳ですよね。
「法律の専門家」としてのご自分の立場を再認識された方がいいと思います。

ブログを拝見させていただきました。

確かに、実際の事件の現場に立ち会ったわけでもなく、裁判を傍聴したわけでもなく、担当の弁護士、裁判官のように大量の情報を得られるわけでもなく、被告にあったことも、共に過ごしたこともなく、世の中の大多数の人と同じように、ネットやニュースなどで情報を得ています。

このブログで筆者が様々な批判的なコメントに対して精力的に返答をしているのも拝見しています。

確かに、マスコミの報道をそのまま鵜呑みにしてはいけないというのは、この事件に限らず言えることです。

ただ、この事件によって生じた結果について、一人の人間としてどのように筆者の方が思われているのか、弁護士としてではなく、一人の人間としてどう思われているのか。

これまでも述べられているとは思いますが、よろしければもう一度お聞かせ願えませんでしょうか。

どうしても、一人の人間としてのお気持ちをお聞かせ願いたいのです。

特に、本日のブログのような記述では、あまりに悲しすぎます。

庶民の無垢な怒りだとか人間の気持ちだとかひたすら投稿している方々のコメントは反映しないようにしていただけないでしょうか。まったく裁判に関する記事を読むつもりが無いとしか思えませんし、刑事事件や裁判についての議論を読みたい人間としましては迷惑なだけです。

マスコミの報道のいい加減さは、過去の松本サリン事件の時に、嫌と言うほど感じました。
いわゆる「人権派弁護士」の方々の奮闘で冤罪事件が白日の下にさらされ、無罪を引き出したことも分かっています。

さて、この事件ですが
1)水道工事人(だったかな)を装って被害者の家に入った事(と言われていますね)。
2)強姦したであろう事。
3)そして、犯人らしき者が立ち去った後に母子の遺体がそこにあること。
少なくともこの3点は事実ですね?
被害者から言えば、幸福な家庭生活に進入者が襲い、強姦という被害で人権を蹂躙され、殺害という手段で人生を強制的に終止符を打たれた。しかも、生まれて間もない子供も一緒に人生の終止符を下された。

以上は事実でしょうね。
それとも、これら全てが現実には起きていなく、親子が原因不明で死亡したのでしょうか?
被告人がその死因を形成しているのも事実なのでしょうか?

被告人がこれらについて全く関与がない、明白な不在証明がある。事件現場にも被告人の関与を証明する者がない。どう捜査しても被告人の関与を証明する決定的証拠も状況証拠もない。
そうであれば、これは冤罪事件ですね?
被告人が法廷で証言していると言うことは、その現場にいたと言うことは間違いないですよね?
そして結果として被害者が亡くなったと言うことも。
そうなるとこの被告はそれについて責任を負うことを免れないのでは?
異常とか幼稚性とかで責任を逃れようと言うことが、許されないのではと少なくとも私は思います。

2人の生命を奪って、自分の生命は生きながらえることを望む。そして殺された人の生命は殺した者の生命より軽くすると言う今の法律や議論には、私はなじめないのですが、間違っていることなのでしょうか?
因果応報
人をあやめたことに対する責任の重さをどう判断するかですね。
しかもこの事件が住居侵入で強姦で2名殺人と言うことが事実なら、その責任はとてつもなく重いと言うことを知らしめすべきではないでしょうか?

全くの警察や検察のでっち上げによる冤罪であると言うことが証明できるなら、話は別でしょうが。
(最近の警察や検察は冤罪作りが、常習に思えるので断定できませんが)

個人的には異常性や幼稚性を連ねて責任逃れをはかる被告に、許し難い思いを感じています。

まず、胸に付けているバッチを見てください。
そのバッチは意味をよく思い出してください。
マスコミの報道なんて関係ありません。
事実を明らかにして、被告の弁護をしているならばそれでいいのでは?
事実をねじ曲げて、被害者を侮辱していると思うのは私だけでしょうか?
死刑反対を叫ばれるのは結構ですが、自分の犯した罪と向き合って初めて更正の道を歩むことができるんだと思っています。
胸についているバッチを良くごらんになって下さい。
その上での、コメントを期待しております。

>そもそも殺意があったかどうかなんて重要なことなんですかね?

極めて重要なことだと思います。
殺人罪(死刑,無期若しくは5年以上の有期懲役)になるか,傷害致死罪(3年以上の有期懲役)になるかで,全く違います。

「弁護団の主張は,被告人の主張であったことが明らかになったこと」と「弁護団,被告人の主張が真実であったことが明らかになったこと」を混同している方がおられるようです。
管理人様が書かれているのは,前者のみと思われます。

お忙しい中質問に答えていただきありがとうございました。
こういった専門家さんのブログはとてもありがたく思い読ませてもらっています。
忙しいとは存じますがまた機会があれば更新してください。

長文、失礼いたしております。非常に拡散しておりますので、いくつかに絞って。

> 「幼稚性」は実年齢と比較してあまりに幼稚な弁明なので、それが「異常」と申し上げているのですが、それが問題なのでしょうか。

私は、弁護士が「示すものである」という言葉を発していることに、疑問を感じていると申しているのです。

>はじめて知りました。
>しかし、それこそが被告人の異常性、幼稚性を示すものではありませんか。

あなたは「単純に感想を述べたまで」という旨の主張をなさっていますが、下の引用は、そうは読めませんよ? なぜなら、言い換えれば「それこそが、弁護人の主張を裏書するものではありませんか」と仰っているに等しいからです。少なくともそう読解することが可能であるはずです。現に、間に別件への見解を挟んで、こう続けておられますからね。

>今後の心理鑑定人の尋問で、被告人がなぜこのようなことを述べるのかが明かされるのではないでしょうか。

要するに、ひとつの状況証拠として扱っておられる。これは別にかまいません。

ですが、あなたは「庶民がマスコミに流されている」ことを繰り返し憂えている反面、しろさんの投稿をキッカケに、マスコミの記事にまさに「流される形で」一定の仮説を「弁護士(すなわち法律家)として」立てておられる。そして、あなたが確認なさったというマスコミ記事も、恐らくは極めて断片的なものであったはずです。

違うのであれば、判断材料になさった記事を明示してくださいませんか。あなたが正当な判断をなさっているなら、私の鬱陶しい投稿を引っ込め、お詫びいたしますから。


私があなたに対して申し訳なくも噛みついた理由は、あなたの仰る「マスコミに流される人々(いわゆる「愚民」ですかね)」と同じ行動を取っているのではないかと感じられたからです。私たちネットユーザの中では、マスコミの姿勢に対して強い危惧を持つ層が大きなウエイトを占めつつあります。都合のいい記事しか書かず、物事を一定の方向に持っていこうとする存在。そうしたマスコミへの懸念は、(恐らくは危惧のベクトルが正反対だとは思いますが、結果的に)あなたと私で共有するものです。

しかし、そうした危機感は、マスコミに対してだけ抱いているのではありません。弁護士に対する不信感もまた、大きく高まっているのです。

本件は、そうした不信感を大きく煽るものとなっています。それは、たとえ弁論要旨に目を通したところで、拭えるものではありません(単に、一方の視点による主張のひとつですから)。その中で、この弁護人を擁護する人々は、「マスコミが悪い」「振り回される人が悪い」という論調に走りがちですね。後者は、本件に憤っている者、すなわち私たちです。

そして、仮に(仮に、です。大変失礼)あなたが「マスコミに流される人々」を非難する反面、「都合の良いこと」はすぐに事実認定するとしたら、いくら私たちが素人で無知な人間とは言え、憤って当然ですよね。

そう申しているのです。

ちなみに、あなたは「弁護人の主張が創作ではなかった」と仰っていますが、繰り返します通り、何の証明もなされていません。非常に後ろ向きな視点で恐縮ですが、最初からクチ裏を合わせてしまえば、その後は「すべて被告は弁護人の主張の正当性を裏書することになる」のですから。検察側の質問になかなか答えられない様子であることも、こうした疑念を後押しするものです。

それを証明するように、今日、あなたの仰る「心理鑑定人」の見解が出たようです。これも、弁護人の主張を強く支持するものとなっていますが、私たちはまったく驚きません。ご想像いただける通り、最初から予測しておりましたから。

http://news.tbs.co.jp/part_news/part_news3596754.html

被告、弁護人、(弁護側の)鑑定人の主張が、各々を裏付け合う。当然のことです。この鑑定人のお方は、弁護人本人と思想言論色の極めて強い書籍の中、同一記事においてともに名を連ねておられます。弁護人との「距離感」は十分に推測できます。

あなたご自身が「光市母子殺人事件のマスコミ報道」で取り上げておられる本ですよ。さらに詳しい内容が理解できるURLはこちらです。

http://www.jca.apc.org/~impact/cgi-bin/book_list.cgi?mode=page&key=nenpo2006

あなたは「マスコミ報道のみで決めつけるだけでなく、こういう弁護団側からの情報も検討」すべきと仰っています。その通りです。しかし、私たちは、日常的に「この手合」の主張を嫌というほど聞かされています。今回の鑑定人の「分析結果」は、そこから一歩たりとも外に出ない内容となっています。

ちなみに、出版元の情報はこちら。もう、想像するまでもありません。

http://www.jca.apc.org/jca-net/whoweare.html

要するに、「何かが客観的に証明されたと判断するのは極めて困難である」ということです。

あなたはしきりに「弁論要旨を読め」と仰っていますが、とりあえず、私もすでに目を通しております(下記の上のURLでよろしいですか? 読めと仰るなら、誘導くらいして欲しいものですけど)。そして、裁判所がそれに対してどう反応したかについても。少なくとも、あなたの仰る「差戻審で死刑を回避するに足りる「特に考慮すべき事情」があるかどうかを審理せよと言っている」ようには見えませんでしたけどね。ちなみに、下は弁護士さんと名乗る方のブログのようです。

http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/column10-benron.htm
http://www.yabelab.net/blog/2006/06/21-115111.php

ご迷惑でしょうから、ここまでとします。ですが、これだけは申し上げます。

私たちは、法のなんたるかを知らない「無責任な者」です。しかし、私たちには私たちの根拠において、私たちの視点で物事を見ています。

そのアングルから見れば、あなたがた弁護士もまた「無責任」に見えることもあるということです。

教えていただいたサイトを見ました。
その中で疑問に思ったのが、遺体の鑑定書です。
上野先生が書かれた鑑定書は、

①死体解剖の鑑定書
②裁判所に提出されている死体の実況見分調書と司法解剖の鑑定書を見て、法医学者としての意見を述べたもの

どちらでしょうか?
私は、日付から考えて②だと思われます。
ただ、②だとするならば、そのことを書かずに、いかにも裁判所に提出した書面のようにネットに掲載するのは、法律上問題はないのでしょうか?
お時間のあるときで構いませんので、法律家としての意見をお聞かせください。

とある学生さん>

法律的には殺意の有無が重要になってくるのはわかっています。
私が言っているのは被告が犯した罪において殺意の有無になんの意味があるのか、
ということです。
殺意があろうがなかろうが2人の人間を殺害したのは事実なのですから。

人生幸朗さん>

ご自分が被害者となられた時に同じことが言えますか?

精神鑑定きましたね
いや、まったく素晴らしい
証言したのは日本福祉大学の加藤幸雄教授

安田弁護士の知り合い~~
これは中立の立場の人をつれてきたら有利な
鑑定はでないから??

この人にすれば
幼児期に母親が死んでいれば、レイプしても
胎内回帰ですむらしい

鑑定するなら中立の立場の人を集めてすれば
いいものを、、、死刑反対派以外の人は
全て敵なんでしょうかね?

産経新聞6月27日20時51分配信のコピーペスーです。参考まで、
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
《続いて検察側が尋問》
 検察官「弥生さんの口と手に粘着テープを張ったと供述していたが、遺体の写真をみると、鼻にも張られているが」
 被告「張った覚えはない」
 検察官「最高裁に提出した上申書や鑑定人への説明は、今回の被告人質問と同じ内容か」
 被告「ちがう。上申書を出したのは1年前だが、この1年、記憶を精査した」
 検察官「上申書ではどう説明していたのか」
 被告「法廷で話したことが真実に最も近い」
 裁判長「質問に答えなさい」
 被告「覚えていない」
 《検察側の尋問は30分足らずで終了。昼の休廷をはさんで裁判官が尋問した》
 裁判官「遺体に乱暴した後、脈を確認したりはしたのか」
 被告「いいえ」
 裁判官「生き返らせようと乱暴したのに、実際に生き返ったか確認しなかったのか」
 被告「はい」
 裁判官「なぜ確認しなかったのか」
 被告「分からない」
 裁判長「『魔界転生』を読んだのは、単行本か文庫本か」
 被告「覚えていない」
 裁判長「自分で買って読んだのか」
 被告「覚えていない」
 《被告人質問は終了。その後、証人尋問が行われている間、被告は後方の被告人席にじっと座っていた》

この事件、
わが身に置き換えると、
裁判の結果とかよりも
わたしは弥生さんの立場で考えてしまうので
ただただ
「こわい」
「くやしい」
「かなしい」
しかでてきません。

なぜだか、「ねぇ、私を殺した犯人を死刑にして!」とか
「残った夫のために、犯人を殺して」
とか、思えませんでした。

ただただ、「どうして私だったのか」
とか
「赤ちゃんだけでも生きててくれたら」とか

法律とかそういうの、関係なく
感情だけが浮かびます。

法律は生きている人間が、生きている人間のために
考えたものなのかもしれないですね。
亡くなった被害者には「どうしてほしい?」って
答えは聞けないですからね。

被害者本人ではなく、

訴えを起こしている遺族の方の望みは、
愛するものをひどいやり方で殺した相手を
この世から消すこと。
そのくらい愛してたんですね、奥さんを。

加害者はたぶん、もう一度社会に復帰して
反省し、やり直したいのかどうかはわからないけど
とにかくたぶん、「死にたい」と思ってない気がするので、

裁判の結果は、どちらか(原告か被告)の
望みどおりになり、
どちらかの望みはかなえられない・・・・・

原告の望みどおりになったら、
世論と原告とその遺族と、
とにかく被告を消したい人が喜ぶんですね。

被告の望みどおりになったら、
私は怖いですね・・・・

原告の本村さんが被告や被告家族に
仕返しをするきっかけを与えることに
なりかねないのではないか?と・・・
妻を愛して、子供を愛してて・・
犯人が生きている。

もしかしたら、彼は
「『もう妻と子供のことは許してあげるよ』って出所してきた
犯人をハグしたら
彼が照れたのか、暴れたので、
暴れるなよーって思って、
力を込めたら、なんか手が首のところに
回ってしまって、首が圧迫されてたのかな?
殺意はなかったんですけど、
ぐったりしてたんです」
とか・・・新たな事件が起こっちゃったらどうしよう。

でも、そんな言い分、通るのかなぁ?
若くないからダメなのかな・・・


どちらにしても、悲しいですね。

死刑というのに賛成も反対もないけれど、
死刑っていうのは
被害者側が加害者に仕返ししないように
法的に仕返し?してくれるもの、みたいな
イメージがあります。

死刑で救われる加害者もいるかもしれないし
死刑にしなかったことで、被害者が増えるかもしれない。


私が遺族で、夫がひどい殺され方をして
相手が刑期を終えて出てきたら、

たぶん、殺してしまうかもしれない。
刑期を終えたら出てこれるから。

そうなると、加害者が今度は被害者になって、
その被害者の家族が、仕返しをして・・・・・・・

仕返しの連鎖が起こるのかな・・・


アメリカみたいに、量刑がすべて加算されて、
心情やなにやらさっぴいても、
懲役120年とかになるならば、
死刑って制度、なくなるのかな・・・

名無しさんへ

>庶民の無垢な怒りだとか人間の気持ちだとかひたすら投稿している方々のコメントは反映しないようにしていただけないでしょうか。まったく裁判に関する記事を読むつもりが無いとしか思えませんし、刑事事件や裁判についての議論を読みたい人間としましては迷惑なだけです。


 私は、以前にも書きましたように、この事件そのものについて、また弁護団の弁護方針等について、このブログで評価しようというものではありません。

 刑事裁判、刑事弁護の持つ意義を知って頂きたいとは思いますが、これを一般の方々に理解して頂くことはとても困難なようです(ブログで説明するのには限界があります)。

 コメントをそのまま掲載しているのは、この事件の社会の反応を読者にそのまま知って頂きたいからです。
 感情を率直に訴えられるコメントを書いている方々も、2年後には裁判員に選任されるかもしれません。

 もし、この事件が裁判員制度ができてから起こったものだとしたら・・・。

 TVを通して被害者遺族が繰り返し峻烈な被害感情を訴える中で、連日のマスコミの弁護団バッシングの中で、裁判員は証拠だけから冷静な判断ができるのか。
 
 私は、事件そのものよりも、そちらの方に恐怖を感じます。

>ともさんへ
 自分や家族が被害者になった場合にも同じことを言えるのか、とのご質問、ごもっともです。そのような境遇となったときの被害感情はおそらくあなたや、あるいは本村氏と同じかも知れません。しかし、今回の問題は、被害者本人でない多くの人たちが、マスコミ報道や被害者の声に突き動かされ、この事件に関するあらゆる情報に接することもなく、とりわけ、被告人の一見すると不可解な言い分など聞く耳を持たずに、ただ感情にまかせて、「殺せ、殺せ」の大合唱となっていることに危惧を抱いているのです。裁判は、復讐やリンチの場ではないのです。
 そこで、逆に聴きたい。あなたが被告人の立場であったら、たとえ自分になんらかの言い分があっても、事情の詳細を知らない世間の「殺せ、殺せ」の大合唱を前に、一切沈黙し、ただ静かに死刑に処せられるのを待ちますか?なお、この被告人は、犯行時、法律上「死刑判決の出せない」18才を少し超えたばかりの少年でした。そのことも、1審、2審は考慮に入れているのでしょう。私も、少年だから、と甘いことを言うつもりはないのですが、年齢を考慮に入れて制度を作っていることも無視出来ないのではないかと思っています。

だめです。裁判員制度をはじめさせてはいけません。良識ある人々は「絶対拒否すべきです。」私は質問票も返送しません。

良識のある人というのは、死刑制度と今回の弁護団への報道だけ関心があり、実際の被害者の旦那さんの悲痛な叫びや、富山の冤罪事件のような本当に苦しんでいる人々には無関心なのかな?

裁判所や弁護士では防げなかった冤罪も裁判員制度なら防げる可能性が出てくるかもしれませんよ。

一見誠実なようで、ノラリクラリとかわすのには本当に恐れ入ります。
庶民の無垢な怒りと言うのは正にM.T.さん貴方に向けられているものと言う意味で書き込んだのであります。
> 私は、事件そのものよりも、そちらの方に恐怖を感じます。
 私は、愚民の盲を解いてやってんだぞと溜め息まじりで綺麗に纏めて、肝心の疑義には何一つ答えないやらずぼったくりの三百代言の方が怖いのです><

>ともさんへ
>殺意があろうがなかろうが2人の人間を殺害したのは事実なのですから。
 と仰いますが、言うまでもなく、どんな犯罪を犯したらどんな刑罰を受けるのか、については予め刑法などに決めています。近代刑法の大事な原則です(罪刑法定主義)。殺意があるかないか、で殺人罪か傷害致死罪か、が決まり、それにより刑罰にも差が出ます。ともさんのように、「要するに二人を殺しているのだから、殺意があろうがなかろうが命を以て償え」というのは、とんでもない考え方なのです。そうなれば、交通事故でも、「二人殺せば死刑」でいいことになりかねません。「ゴルフで打った球が人に当たって死なせた場合も死刑」と言うことになってきます。それでいいですか?あなたが交通事故の加害者になる場合も有り得ますが、業務上過失致死罪に死刑があってもいいですか?

<コメントで質問をされる方へ>

 ご存知だとは思いますが、ブログの管理人には、コメントの質問に対して、全て回答をする義務はございません。

 管理人の事情(主に仕事の都合で時間がない等)に配慮することなく、一方的に質問を送り、その質問に答えないと「答えなさい」「反論できないから回答しないのだろう」等と言われる方のコメントは、以後削除させて頂きます。

人生幸朗さん>

私は命をもって償えとは一言も言っていません。
この事件に関しては犯行当時の年齢などをふまえて刑を決めるということに対して疑問を述べただけです。

自分が被告人の立場に立った場合に関してですが、
これも私は弁護人の存在や被告本人が語ることを否定してはいません。

ただ真実、事実を語らない弁明には何の意味もないのではないかと思います。
元少年がどこまで本心を述べているのかはわかりませんが
被害者遺族が裁判を重ねれば重ねるほど真実から遠くなるような気がする、
と感じるならば肝心な部分は何も語られていないのかもしれません。

逆に伺いたいのですが、人生幸朗さんは元少年に更正の余地があるとお考えなのでしょうか?
また、こういった犯罪を犯した人物が「更正した」
というのはどのような状態になれば更正したことになるとお考えですか?

法律や矯正プログラムなどに基づいたお話ではなく
人生幸朗さんご自身のお考えを伺いたいです。

なぜ裁判員に反対かというと、富山で冤罪事件が起こったからです。しかも、有罪無罪の判断となるべき証拠が捏造されたり、提出されなかったり、アリバイがあったのに無視されたり、と職業裁判官でさえ有罪判決を下したのです。今現在この男性の無罪を決定する裁判が行われていますが、何等「冤罪が起こったのはなぜか」という議論が全国民的規模で起こっておりません。こんな日本の捜査状況が解明されない限り「裁判員制度」はまだまだ早すぎます。危険すぎます。裁判員が、被告の有罪無罪を判断するための「証拠」が真実かどうか判断するすべはありません。

そりゃまぁそうだけど…wwwww
そんな感情的にならなくても…><

ごめんなさい。言葉が過ぎました。もう書き込みはいたしません。死刑制度と裁判員制度には論拠抜きで断固反対しておきます、対外的に。

>ともさんへ
>犯行当時の年齢などをふまえて刑を決めるということに対して疑問を述べただけです。
・・・「犯行当時15才だったが、裁判が長引いて判決の時には23才になっていた」というような場合に、「裁判が早く終わり、、未成年の時期に判決を迎えていたら違うけど、もう大人になったから死刑だよ」とはならないはずです。犯行当時の年齢を考慮するのは、年齢により、その人間の未熟さや、更生の可能性の高さなどがある程度推し量れるるからでしょう。犯罪の処罰に当たっては、犯人の生育歴や家庭環境、年齢、前歴、犯行の動機、犯行の態様、犯行後の反省の態度など様々な事情が量刑事情として考慮されるのが当然でしょう。殺意の有無など犯罪の成否が中心ではありますが、弁護人の努力はその辺の情状面にも注がれます。
>真実、事実を語らない弁明には何の意味もないのではないかと思います。
・・・・この点はあなたも認めておられるように、「元少年がどこまで本心を述べているのか」本当はどうだったのか、はなかなかわかりにくい面があると思います。先日の広島高裁での審理で述べたと伝えられる弁明供述がさらに反発を招いているようですが、単に死刑逃れのために荒唐無稽の作り話をしているとも思えません。かえってマイナスに働く場合もありますから。
>元少年に更正の余地があるとお考えなのでしょうか?また、こういった犯罪を犯した人物が「更正した」というのはどのような状態になれば更正したことになるとお考えですか?
・・・この点は私自身がこの被告人と会ったこともありませんので、何とも言えません。ただ、神戸の酒鬼薔薇事件の少年も少年院から出て、普通の暮らしを送れるようになっていると聞いています。社会人として暮らせるようになれば、更生したと言えるのではないでしょうかね。

HS氏の考えはおかしい気がするなあ

弁護士と裁判官は検察と警察による
証拠捏造と冤罪の起訴を防げなかったのかと考える事はできないのかね?

一般人による客観的な目線が入る事は
この裁判で冤罪を防ぐ事ができなかった弁護士の力不足を助ける事になると思うよ。

「一般人による客観的な目線」、これが現在のところ不可能に近いのではありませんか。裁判員に証拠採用、被告人質問等にどれだけの権限があるのですか、被告に質問しても、今回のように被告が圧力によってすべて罪状を認めてしまっている場合、裁判員はどういう決定のすべがあったのでしょうか。私はこういう危険性に一般人を巻き込むのは、まだ議論が足らないといっているのですが。今回の富山の事件について徹底的に解明されなければいけないと思います。

>こういった犯罪を犯した人物が「更正した」というのはどのような状態になれば更正したことになるとお考えですか?

この質問は本村さんにしたいですね。
本村さんは被告が本当に反省し、更正し、そして死刑を執行してほしい、と言ってますから。

思うのですが、私を含め元少年が更正するとは思えない、出所した場合再犯を犯すのではないか
と考える人間は少なくないと思います。

死刑で全て解決するとは思いませんが、
今の法律だと無期懲役ではいずれ出所できますよね?
終身刑にあたる刑がない為に死刑か無期懲役かという議論になりやすいのではないでしょうか。

元「少年」扱いをされていますが、
18才の人間にそれほど分別がないとも思えないのですが。

殺害後の異常行動などは幼児性の一言で済まされるようなものではないように思います。

>交通事故でも、「二人殺せば死刑」でいいことにな
>りかねません。「ゴルフで打った球が人に当たって
>死なせた場合も死刑」

もの凄い極論でたなぁw
変装して自宅に押し入り、騒がれたから
殺したってのと比べることがおかしくないですか?

少年法にしろ、程度の問題ってのがあるでしょう・・

ブログ主さんご苦労様です。すぐれた考察を楽しみにしています。
イヤなことも多いでしょうが、頑張ってください。

今回の多くのコメントを見て思ったこと。
1 弁護団を非難する書き込みのほとんどはワンパターン。
某掲示板あたりからの出張者ではないか。
2 弁護団を非難する書き込みに対して、いくらブログ主さんが丁寧に説明しても「屁理屈」といい、「国民の大多数が」などと数の論理で押し切ろうとする。だから、多数決で決める場面じゃないでしょ。ブログコメントは話し合いなんだから、理屈で決めようよ。
3 安田弁護士の思想は知らないけど、裁判員制度をやるなら、やはり死刑は廃止するべき。
死刑か無期懲役かなんて裁判員が選べるわけがない。
これらの刑は、重さもそうだが性質が違いすぎる。刑罰を復讐と考えるか、教育と考えるか等、その人の世界観で、選択する刑は自ずと決まってしまう。
これは裁判員が数日間議論しただけで、結論が出る論点じゃない。
そうすると、最後は少数派が多数決で押し切られてしまう。
こんなの裁判といえるんだろうか?
プロの裁判官なら、こんな木に竹を継いだような刑罰体系でも、運用できるんだろうが、このままでは、同じような事件で、片方は死刑、片方は無期懲役、というふうになることは見えている。
裁判の場でこんな不平等はあってはならない。
また、こんなマスコミの受け売りで簡単に結論を出す人ばかりなら、マスコミが好意的に取り上げてくれるかどうかで、結論が変わってしまう。(マスコミが片方の意向を受けて番組を作るとか、ありそうな。)
4 出所後の再犯可能性を根拠に死刑を唱える人がいる。
わからんでもないが、裁判員がそんなことを考えると、ひたすら厳罰になってしまう。
つまり、一般国民は、必ずしも中立とはいえない。
裁判は中立になるよう特別な訓練を受けた人(裁判官)に任せるべき。
結局、裁判員制度なんて、聞こえはいいけどおかしな制度。
刑事裁判は「国民の一般常識」を反映する場ではないだろう。
そんな制度は、むしろ行政訴訟のほうが必要では?

弁護士寄りの見解の方はこの事件に関しての意見を裁判員制度にすり替えて語る方が多いですね。
この事件に裁判員制度は導入されているわけではありませんし、
関係ないのではありませんか?

凶悪犯罪を犯したものがそう簡単に改心できるとは思えない、
と考えることは特別なこととは思えないですし
出所後の再犯率を見ればそういう意見は当然出てくると思います。
同じような内容の事件であれば同程度の刑罰でなければならない
というならそれこそ裁判なんて必要ないのではないですか?
事件内容だけ考慮して法律に当てはめて決めれば済むことなのですから。
法律で全てを解決できると考えられているのでしょうか?

自分の弁護した被告人が再犯を犯した時、弁護士の方ってどういう心境なんですか?
興味のない方が多そうに見受けられますが。
自分たちは依頼者に頼まれて弁護してるだけだとお考えなのでしょうか。

何の疑問も持たず法律が全て正しいと考えるほうがよほど危険な思想のように思われます。

>今の法律だと無期懲役ではいずれ出所できますよね?

無期懲役については誤解が多いですね。
http://www.geocities.jp/lucius_aquarius_magister/parole1.html
これは仮釈放で出た人の平均在所期間です。
50年以上も刑務所にいる人もいます。
http://www.geocities.jp/y_20_06/mukikei-over40.html
政治犯は基本的に仮釈放が認められないそうです。

>50年以上も刑務所にいる人もいます。
全体的にはそうかもしれんが、今回の事件の場合は
少年法第58条が適用されると思われ

>刑事裁判は「国民の一般常識」を反映する場ではないだろう。

司法は国の秩序を守るために、国家・国民からその権限を付託され、運営を任されているに過ぎない。
法に則っているからといって、国の秩序を乱すような運営は許されない。
司法関係者は、法を絶対視し、その根本的な目的・要請を勘違いしている人が多い。

私は法律,司法に関しては素人です。今回の差し戻しの報道を見聞きし,ネットサーフィンを見てます。思ったことは,被告の供述はひどいし,弁護士の弁護はまったく説得力はないし,これでは死刑廃止運動は消えてなくなると思いました。死刑に持ち込みたいのなら,恩赦や釈放のない,刑期100年とか,200年の終身刑の前例作りに持っていく弁護にするとかのやり方はないのかしらと思います。こんな弁護では,被告は絶対死刑になると思います。

>同じような内容の事件であれば同程度の刑罰でなければならない
というならそれこそ裁判なんて必要ないのではないですか?

「同じような内容の事件」か否かを判断することが刑事裁判で最も慎重に行なわなければならないことではないでしょうか。


>司法関係者は、法を絶対視し、その根本的な目的・要請を勘違いしている人が多い。

文脈からすると「法」は「法律」を指していると思いますが,司法関係者は,国民の代表である国会が制定した法律に従い,法律を執行するわけです。司法が,「国民の常識」を振りかざして,法律違反の司法運営を行なうとすれば,それこそ権限の逸脱です。司法関係者が法律に拘束されるのは,三権分立の国家制度上当然のことではないでしょうか。


結局,法律を適用することによって解決できることなんて,社会の中にたくさんある問題のうち,ほんの一握りではないかと思います。管理人様を始め,司法関係者の多数の方々は,同様の感想をお持ちではないかと思います。

ブログ主さんお疲れ様です。再度コメントさせていただきます。

とも氏
>この事件に裁判員制度は導入されているわけではありませんし、
>関係ないのではありませんか?
→裁判員制度の是非は、このブログの一大テーマだと思いますが?
むしろ、光市事件の被告人の弁護士の思想信条だとか、死刑廃止運動だとか、そういうことこそ関係ないでしょう。まあ、不適当な記事はブログ主さんが適当に処理するでしょうね。

>出所後の再犯率を見ればそういう意見は当然出てくると思います。
→再犯率の観点からは、0でなければ不安になるわけでしょう。
そうすると、なんでもかんでも死刑となってしまうのではないでしょうか?

>同じような内容の事件であれば同程度の刑罰でなければならない
>というならそれこそ裁判なんて必要ないのではないですか?
→よくわかりませんが、刑罰が公平に科されるのは当然の前提でしょう。

>自分の弁護した被告人が再犯を犯した時、弁護士の方ってどういう心境なんですか?
→結局、再犯するかどうかなんて、誰にもわかりませんよね。
逆に、死刑になった人の中にも、再犯しない人もいたかもしれません。

>何の疑問も持たず法律が全て正しいと考えるほうがよほど危険な思想のように思われます。
→これには同意。裁判員制度とか、法律ができたとしても、疑問をもちつづけることは重要です。

通行人氏
>法に則っているからといって、国の秩序を乱すような運営は許されない。
→法以外に国の秩序があるんでしょうか。もしそうなら、法治国家とはいえませんね。

のんきなおばさん氏
>これでは死刑廃止運動は消えてなくなると思いました。
→死刑廃止運動にとって有害だろうと、被告人の弁護に全力を尽くす弁護士は、まさしくプロフェッションの鏡です。そういう意味で、死刑廃止運動に利用している、という意見は、やはりただの言いがかりに過ぎないようです。

とある学生氏
>結局,法律を適用することによって解決できることなんて,社会の中にたくさんある問題のうち,ほんの一握りではないかと思います。
→まさにその通りですね。今回の弁護人に対するバッシングを行う人々は、(国家権力の強化を狙う確信犯を除けば)弁護士や裁判制度に過大な期待を寄せる人々といえるでしょう。人を裁くことが一般に困難であるということを前提にしなければ、現在の司法制度のほとんどは理解できないと思われます。

>今回の事件の場合は少年法第58条が適用されると思われ

だからどうしたのでしょうか。
成人でも10年で「仮に釈放することができる」とあります。
だけど、実際は10年では出られません。
少年も同じで、7年では無理です。
光市の事件については「無期懲役でも7年で出られる」というようなデマが多すぎますから、ご注意を。

>司法が,「国民の常識」を振りかざして,法律違反の司法運営を行なう
法律の範囲内で「国民の常識」を反映するに決まっているじゃないですか。
意味のない仮定を立てるのはためにする議論になりますのでご注意を。

>法律を適用することによって解決できることなんて,社会の中にたくさんある問題のうち,ほんの一握りではないかと思います。
だから、司法には法の適用を任されているんです。その適用が本来の目的である社会秩序を乱しては意味がありません。
そして、社会秩序は常に変化します。
ですから、10年前と同じ事件でも、全く同じ量刑が下されなくても、社会秩序が守られるなら仕方ないでしょう。

>→法以外に国の秩序があるんでしょうか。もしそうなら、法治国家とはいえませんね。
法=国の秩序ではありません。
法は運用次第で、国の秩序を守る方向にも乱す方向にもできます。

>光市の事件については「無期懲役でも7年で出られる」というようなデマが多すぎますから、ご注意を。
そうではなくて、少年法第58条が適用されている案件のみでデータを比較しないと比較データとして適切でないと思われます。

7月1日02時12分コメントの名無し氏
>>→法以外に国の秩序があるんでしょうか。もしそうなら、法治国家とはいえませんね。
>法=国の秩序ではありません。
>法は運用次第で、国の秩序を守る方向にも乱す方向にもできます。

その運用の結果こそが国の秩序なのではないですか?
ある法の運用の結果が「国の秩序を乱す」と考えるのは、現在の秩序が自分の目指す秩序と合致しないということであり、単に現状が自分の気に食わないというだけです。

失礼しました。7月1日02時12分コメントの名無しは
通行人です。

>その運用の結果こそが国の秩序なのではないですか?
その通りです。運用の結果が国の秩序の状態となります。

>ある法の運用の結果が「国の秩序を乱す」と考えるのは、現在の秩序が自分の目指す秩序と合致しないということであり、単に現状が自分の気に食わないというだけです。

この問題が社会問題となっている背景を無視して、“自分の目指す秩序”と個人の問題へ矮小化しないでいただきたい。
あなたこそ、自分の秩序に対して、社会の反発があることを認識していないのではないですか?
なお、このセンテンスは上記の背景の下、次のように書き換えれば賛成です。
“ある法の運用の結果が「国の秩序を乱す」と考えるのは、運用の結果もたらされる秩序が社会の目指す秩序と合致しないということであり、運用の結果は社会の要請を満たしていないということです。”

Delphiさん>
この記事とその前後の記事は光市の母子殺害事件についての内容ですので
元少年の弁護団や死刑制度についての意見が出ても特におかしくはないかと思いますが。

>この問題が社会問題となっている
刑事司法制度を正解しないで問題化していることが問題です。

>刑事司法制度を正解しないで問題化していることが問題です
刑事司法制度が社会から見て期待する結果を出していないのは、理解していないからではなく、刑事司法制度に問題があるからです。
刑事司法制度がどのようにアウトプットを出すかがわからなくても、アウトプットが期待している成果かどうかはわかるのです。

このような反論をする方は非常に多いですが、神ならぬ人が作った現在の刑事司法制度に問題はなく、社会が理解していないからだと結論付けられる自信は、どこにあるのか…

通行人氏
>この問題が社会問題となっている背景を無視して、“自分の目指す秩序”と個人の問題へ矮小化しないでいただきたい。
>あなたこそ、自分の秩序に対して、社会の反発があることを認識していないのではないですか?
>なお、このセンテンスは上記の背景の下、次のように書き換えれば賛成です。
>“ある法の運用の結果が「国の秩序を乱す」と考えるのは、運用の結果もたらされる秩序が社会の目指す秩序と合致しないということであり、運用の結果は社会の要請を満たしていないということです。”
「社会の要請」ということですが、本当に社会の要請があるんでしょうか?私は、単に馬鹿騒ぎしているひとがいる位にしか思えないのですが。
冷静な議論に基づき、そのような「社会の要請」が妥当かどうかを検討することはありうる態度と思えますが、馬鹿騒ぎを根拠にして現状を非難するのは妥当なんでしょうか。

とも氏
>この記事とその前後の記事は光市の母子殺害事件についての内容ですので
>元少年の弁護団や死刑制度についての意見が出ても特におかしくはないかと思いますが。
だったら裁判員制度についての意見も出てきておかしくないですね。
まあブログ主さんが判断することですが。

Delphiさん>
この事件に関して裁判員制度の意見が出てもおかしくないというのは
どういった理由ででしょうか?
今裁判において裁判員制度が適用されているわけではないですよね。

Delphiさん

大きな反発が起きていることは事実だと思いますけどね。
それを理解していないとか、馬鹿騒ぎとかよく知りもしない人たちをよくそこまで馬鹿にできるものです。

通行人氏
>刑事司法制度が社会から見て期待する結果を出していないのは、理解していないからではなく、刑事司法制度に問題があるからです。
>刑事司法制度がどのようにアウトプットを出すかがわからなくても、アウトプットが期待している成果かどうかはわかるのです。

刑事司法制度がどのようにアウトプットを出すかわからない人が、どうすれば期待したアウトプットが出るようになるかなど、わかるはずがないでしょう。
Windowsが期待したとおりに動かず、すぐフリーズするからといって、コードも読まずに修正することはできません。それと同じです。
(もちろん、マシンパワーの不足や、コンピュータプログラミングの限界を無視して、OSに無いものねだりをする人も非常に多いですし。ドラえもんの道具じゃないんだから・・・。)

>大きな反発が起きていることは事実だと思いますけどね。
>それを理解していないとか、馬鹿騒ぎとかよく知りもしない人たちをよくそこまで馬鹿にできるものです。

このブログのここ2週間ほどのコメント欄を見てますか?
ブログ主さんがいくら親切に弁護士の職務上の義務や、懲戒請求の問題点、光市裁判の問題点を説明しても、まるで聞く耳を持たずに罵詈雑言を貼り付けて去っていく大量の反知性的書き込みが行われた経緯があります。
このような連中を評して「馬鹿騒ぎ」と呼ぶことに何の不足があるのでしょうか。
もしそう呼ばれたくなかったら、社会人が有意義な意見交換を行うに際してとるべき最低限の礼儀を伴った、知性的・建設的な議論をする必要があるでしょう。
別に今からでも構いませんよ。国の秩序について、何をどう変えればより妥当な制度になるのか、建設的で有意義な提言があればどうぞ。

とも氏
>この事件に関して裁判員制度の意見が出てもおかしくないというのは
>どういった理由ででしょうか?
>今裁判において裁判員制度が適用されているわけではないですよね。

以前あなたは、
>この事件に裁判員制度は導入されているわけではありませんし、関係ないのではありませんか?
とコメントする一方、私の
>弁護士の思想信条だとか、死刑廃止運動だとか、そういうことこそ関係ないでしょう
というコメントに対して、
>元少年の弁護団や死刑制度についての意見が出ても特におかしくはないかと思いますが
と返答しています。

今の裁判手続においては、弁護士の思想信条や死刑廃止運動は論点にはなっていません。
したがって、この事件について、わざわざ論点を「現在進行中の裁判手続」に限定しようとすれば、弁護士の思想信条や死刑廃止運動も論点ではなくなります。

私がいいたいのは、裁判員制度を論点から排除して、弁護士の思想信条や死刑廃止運動を論点として取り上げるのはバランスを欠いているということです。

ただし、私は「ブログ主さんが判断することですが」とも言っています。コメントがこのブログに相応しくないのであれば、ブログ主さんから然るべき警告なり削除なりが入るでしょうし、その権限はブログ主さんにあります。

ブログ主さんが問題ないと判断しているのに、わざわざ論点を自主規制する必要性もないものと考えます。

>このブログのここ2週間ほどのコメント欄を見てますか?
もちろん、読んでいますよ。
ただ、罵詈雑言であるとか誠実に答えているとかは、極めて主観的な発言です。
例えば、Delphiさんと立場が違う私から見れば、

私はブログ主さんは質問に正面から答えようとせず詭弁を弄しているだけのように思います。例えば、弁護士の職務上の義務を説明したとしても、その義務が正当であることをどのように担保するのですか?という問いに正面から答えていましたか?そういった方は罵詈雑言を吐かれても仕方ないと思いますし、罵詈雑言と思った文言はほとんどなかったと思いますけどね。

と言えます。
なので、正直なところ主観的な部分で話をしても、水掛け論になるだけと思います。

なので、単純にお伺いしましょう。
1.ブログ主さんやDelphiさんの見解は社会から反発を受けていると思いますか?

Yesなら2へ、Noならもう何も言いません。

2.その社会からの反発に対して、反発している側にも問題があるとしても、ブログ主さんやDelphiさんの見解で反省すべき点があると思いますか?

Yesなら建設的な話し合いができると思います。
Noであるなら、話し合いは難しいと思います。
なぜなら、自分に全く非がないと思っている人には話し合いの余地というものがないからです。

通行人さんへ
>例えば、弁護士の職務上の義務を説明したとしても、その義務が正当であることをどのように担保するのですか?

というご質問の
「弁護士の職務上の義務」とは具体的に何を指しておられるのですか。
「正当であることの担保」の意味も私には分かりません。

 具体的にご説明下さい。

他人のブログなので、お暇しようと思っていたところですが、ブログ主さんがいらしたようなので・・・

M.T.様

M.T.様がご指摘された部分は私の主観部分で、最終的には水掛け論になると思われます。先のコメントの私がお聞きしたかった主題は1と2です。
そのように主題を理解せずに論点をずらそうとしているかのような質問が正面から答えてないとの印象を与えるのです。

そういった印象を与えた結果、CHAOS氏の | 2007年6月27日 (水) 19時26分のコメントや、いや~…氏の | 2007年6月27日 (水) 19時29分のコメントになっているのですよ。

通行人さんへ

 まず、質問の内容を確認したいのですが、
「ブログ主さんやDelphiさんの見解」とは、具体的にどの見解を指しているのですか。特定して下さい。

通行人氏
>1.ブログ主さんやDelphiさんの見解は社会から反発を受けていると思いますか?
ブログ主さんの見解と私の見解は同じとは限りません。
私の見解についていえば、公表しているのはこのブログのコメントだけなので、なんともいえません。
執拗に噛み付いてくる一部の人が「社会」であるとすれば、反発を受けていることになるのでしょう。

>2.その社会からの反発に対して、反発している側にも問題があるとしても、ブログ主さんやDelphiさんの見解で反省すべき点があると思いますか?
>Yesなら建設的な話し合いができると思います。
>Noであるなら、話し合いは難しいと思います。
>なぜなら、自分に全く非がないと思っている人には話し合いの余地というものがないからです。
意味がわかりませんね。
貴方は今の自分の意見に非があると思いながら発言しているんでしょうか。
だったら、その非の部分を修正してから発言するべきでしょう。
自分では非がないと思う意見であっても、他人と議論するうちに、あるいは非が見えてくるかもしれないし、互いに歩み寄ることができるのが、言論の機能です。つまり、互いに全く非がないと思っている者同士でも、議論を大切にする気があれば、話し合いは難しくはありません。
議論にならないのは、自分の意見に信念を持つこと(=非がないと思うこと)が原因ではなく、論理や理性を大切にしない反知性的態度が原因ではないでしょうか。
このコメント欄でいえば、以下のような知的レベルを疑わせるコメントが多数あります。こういった、単なる悪口や威圧的言辞、「庶民」「一般人」「多数の国民」「社会」等と、多数意見であることと正しい意見であることを混同するような態度、安易に調べろ・教えろという者、単なる感想で議論の意思が最初からない者等、議論に対する基本的配慮を欠いた意見が目立ちます。

いや~… | 2007年6月27日 (水) 19時29分「大多数の庶民の無垢な怒り」「三百代言」
nao | 2007年6月27日 (水) 19時31分「ふーん、それでわざわざ他人のブログにまで出張するようになったんだ」
匿名 | 2007年6月27日 (水) 22時38分「このような記述を放置しておくということは、被害者遺族に対する名誉毀損を幇助していると理解してよろしいでしょうか?」
TM | 2007年6月28日 (木) 00時15分「これまでも述べられているとは思いますが、よろしければもう一度お聞かせ願えませんでしょうか。」
日本国民のひとり | 2007年6月28日 (木) 12時36分「まず、胸に付けているバッチを見てください。・・・」
AH | 2007年6月28日 (木) 20時23分「精神鑑定きましたね・・・」
いや~… | 2007年6月29日 (金) 12時29分「一見誠実なようで、ノラリクラリとかわすのには本当に恐れ入ります。」

こういう愚にもつかない意見を排除していけば、自ずと建設的な話し合いができるようになるのではなかろうかと思いますが。

Delphiさん、皆様へ
 お怒りになるのはよく分かりますが、ここは冷静になりましょう。

 どうも皆さんのコメントを読んでいると、情報の不足や混乱が誤解を生み、誤解が感情に火をつけている、という気がします。その背景には、やはり刑事裁判や刑事弁護についての理解不足があると思います。(もちろん、自分は誤解していない、信念がある、という方もおられましょうが)。

 皆様のコメントに触発されて、私は仕事の合間に、この事件の(公開されている限りの)記録には一応全部目を通しました。
 被告人質問はネット上の一問一答形式のものを読みました(しかし、新聞社によって少しずつ違うようです)。心理鑑定人の尋問は記事しか見つかりませんでしたが。
 これらも事件の記録のごく一部ではありますが、マスコミが報道していない事実もたくさんありました。
 これら記録を読んで事件についていろいろと考えてみました。
 
 しかし、このブログ自体は、事件そのものをテーマにしているわけではありません。
 今は、裁判員制度をテーマにしています。

 裁判員制度が施行されば、コメントを寄せられた方も裁判員に選任される可能性があるわけです

 そのとき、感情に従ってご自身の意見を決めるのですか。
 遺体の写真や鑑定書は本件では非常に重要な証拠ですが、それらを見て客観的に評価できますか。
 また、検察官の主張と弁護人の主張を公平・中立に検討することができますか(弁護人の主張が被害者を愚弄しているから許せないということは根拠になりません)。

 私はこういうことを問題提起しているのです。

 今後も、この事件について記事にするかもしれませんが、裁判員制度の問題点、刑事裁判の仕組みや刑事弁護の意義についての観点からになると思います。
 その中で、皆様のコメントを紹介したり、質問(私が独断でピックアップさせて頂きます)に答えたりするつもりです。

Delphiさん

>ブログ主さんの見解と私の見解は同じとは限りません。
その通りでした。
申し訳ありません。

>執拗に噛み付いてくる一部の人が「社会」であるとすれば、反発を受けていることになるのでしょう。
“執拗に噛み付いてくる”はDelphiさんの価値判断基準によるものです。充分に感情的なご意見ですね。

>貴方は今の自分の意見に非があると思いながら発言しているんでしょうか。
常に自分の意見に非があるかもしれないと思っていますよ。

>知的レベルを疑わせる
こういった表現も充分に知的レベルを疑われます。

そして、Delphiさんがサンプルとして上げられたコメントは、私の価値判断基準から言えば、『三百代言』『ふ~ん』以外は、特に問題があるコメントとは思いませんよ。

>こういう愚にもつかない意見を排除していけば、自ずと建設的な話し合いができるようになるのではなかろうかと思いますが。
“愚にもつかない”はDelphiさんの価値判断基準によるものです。
自分に迎合しない意見を排除していけば、見かけ上建設的に見えるかもしれませんね。

全体を通して、私が何を言いたいかわかりますか?

M.T.様

>具体的にどの見解を指しているのですか。特定して下さい。
本当はM.T.様が反発されていると認識していらっしゃる見解なら、どれでもいいんですけど。
特定しないと反論しづらいでしょうか?その時点で問い掛けを理解されてないなと判断できるんですけどね。(意図的ですか?)
例えば、2007年6月27日 (水) 19時26分のCHAOS氏の『世の中が訝しんでいる弁護団への疑義が晴れた」』という見解ではいかがですか?
どんな回答が返ってくるか予想できますが・・・

CHAOS氏のこのコメントが理解できなければ、
>私たちは、法のなんたるかを知らない「無責任な者」です。しかし、私たちには私たちの根拠において、私たちの視点で物事を見ています。
そのアングルから見れば、あなたがた弁護士もまた「無責任」に見えることもあるということです。

私が何を言いたいのかは理解できないと思います。
もう少しヒントを差し上げれば、『私の視点から見れば、私が理性的でM.T.様が感情的である』とも言えます。

また、『刑事裁判や刑事弁護についての理解不足がある』とコメントされていますが、“刑事裁判や刑事弁護について理解してもらえれば、同意してもらえる”という隠れた前提を持ってらっしゃいませんか?
“刑事裁判や刑事弁護について理解しても、同意されない”こともあるのです。

なお、私の裁判員制度に対する考えは、司法の姿勢が変わらない限りは仕方がないという条件付賛成です。

通行人さんへ
>特定しないと反論しづらいでしょうか?

 当たり前です。私は、このブログでいろいろな意見を言っています。どの意見のことか特定して頂かないと分かりません。
 
>例えば、2007年6月27日 (水) 19時26分のCHAOS氏の『世の中が訝しんでいる弁護団への疑義が晴れた」』という見解ではいかがですか?
どんな回答が返ってくるか予想できますが・・・

 この質問もはっきりしませんが、この「弁護団の疑義」とは、弁護団の主張が被告人の意思に反して創作されたものだ、ないしは弁護団が創作したストーリーどおりに被告人に供述させている、ということでしょうか。
 つまり、私がマスコミ報道の記事で書いたAとBのBについてでしょうか。
 これについての私の意見は、「弁護団の創作ではない、被告人の供述に基づいた主張である」です。
 先回の被告人質問で、報道(特に1問1答形式のもの)をみると、主尋問において明らかな誘導はありませんでした。また、ひどい誘導尋問があれば、裁判官が制止します。
 CHAOS氏は、被告人が検察官の質問に言いよどんだことを、弁護団の創作の根拠にしておられるようです。
 しかし、「言いよどんだこと」は、被告人の供述の信用性を疑わせるものであっても、弁護団の創作だからという根拠にはなりません。

 私は、逆に通行人さんに聞きたい。
 あなたが「弁護団の創作」と考える根拠は何ですか?
 1審、2審の供述と異なるから、というのは根拠になりません。
 裁判の途中で供述をひるがえす被告人もいます。
 富山の冤罪事件では被告人は裁判中ずっと否認しませんでしたが、無実なのだから途中で否認したってよかったはずです。

 今回も、弁護人の最高裁弁論要旨では、安田弁護士が被告人とはじめて接見したときから被告人は殺意を否認していたとされています。もちろん、これも弁護側の主張ですので、それを信じる信じないは通行人さんの自由です。
 ただ、この安田弁護士の弁は2審の弁護人が辞任していることとも整合します。
 
>私たちには私たちの根拠において、私たちの視点で物事を見ています。

  こう言い切る方に、もはや説明したり、議論したりする気持ちにはなりません。

>なお、私の裁判員制度に対する考えは、司法の姿勢が変わらない限りは仕方がないという条件付賛成です。

 この「司法」が裁判官、検察官、弁護人のうちの誰を指しているのか不明ですが、裁判員制度になっても、当事者主義の原則等の刑事裁判のルールは変わりません。
 また、刑事弁護も、形式面では変更を余儀なくされるでしょうが、その本質は変わりません。

通行人氏
なるほど概ね理解しました。
貴方と私とそれぞれの価値判断基準があるのに、私が貴方の価値判断基準を尊重せず、「感情的」かつ「知的」でない言い方で反論しているのは、私の普段指摘している「反知性的」書き込みと同レベルだろう、という趣旨の反論とお見受けします。

よくある詭弁術ですが、今までの議論の流れを無視する態度は感心しませんね。

まず第一に、貴方の価値判断基準と私の価値判断基準を等価のものとして扱う必要はないでしょう。
はっきり言えば、貴方の価値判断基準は間違いで、私の価値判断基準のほうが正しいのですよ。少なくとも私はそう主張しています。

だから、私が貴方の価値判断基準を私の価値判断基準と同レベルに尊重する必要は、そもそもないのです。そして、それが嫌であれば、貴方としては貴方の価値判断基準を私に納得させるように議論に参加すればよいのです。

例えば、私が愚にもつかないといった以下の意見を、貴方は問題ないといいました。
匿名 | 2007年6月27日 (水) 22時38分「このような記述を放置しておくということは、被害者遺族に対する名誉毀損を幇助していると理解してよろしいでしょうか?」
→事実を摘示していないので名誉毀損にはあたらない。単なる嫌がらせ。
TM | 2007年6月28日 (木) 00時15分「これまでも述べられているとは思いますが、よろしければもう一度お聞かせ願えませんでしょうか。」
→何度も同じことの説明を求めるのは非常識。
日本国民のひとり | 2007年6月28日 (木) 12時36分「まず、胸に付けているバッチを見てください。・・・」
→根拠のない単なる決め付け。
AH | 2007年6月28日 (木) 20時23分「精神鑑定きましたね・・・」
→鑑定の中身の問題を人格攻撃ですり替え。
いや~… | 2007年6月29日 (金) 12時29分「一見誠実なようで、ノラリクラリとかわすのには本当に恐れ入ります。」
→根拠のない人格攻撃。

私としては、上記の理由により愚にもつかない意見であると判断しました。

貴方としては、私の判断が気に食わないのであれば、そうではない根拠を示す必要があるでしょう。それが議論というものです。

こういった、その是非が議論の対象となっている内容を、あくまで等価のものとして「尊重する」必要はありません。それは議論の否定です。

また私は議論において「感情的」であることは否定していません。「感情的」であること自体を問題にするのであれば、本件の被害者遺族などは全然ダメになってしまいますからね。
問題は、感情的表現であるかどうかではなく、理論的根拠があるかという話です。
「知的」も同じであり、結局は理論的根拠があるかどうかの問題です。
そうすると、また「私は理論的根拠があると思う」とかいう見解の相違に持ち込むかもしれませんが、議論を大切にする、というのは、自分の主観に逃げ込むことを許さない、ということでもあります。貴方が自分の考えを理解してほしいのであれば、積極的に議論に参加してください。つまり、そう思う理論的根拠を示して、積極的に賛同を求める姿勢が必要となります。


それにしても、私はともかく、貴方のブログ主さんに対する態度は感心しませんね。
ブログ主さんは現役の弁護士で、忙しい合間をぬってコメントしてくれているというのに、それに対する配慮はないんでしょうか。

ネット上でブログを閉鎖に追い込むテクニックには2種類ありまして、一つはおなじみの、ブログを「炎上させる」というやつです。しかし、これは多数の協力者が必要となります。
もう一つには、粘着といって、ブログ主に延々と議論を仕掛け、あるいは調査に時間のかかる質問を行い、ブログ主を疲れさせてしまう、というもの。特に、忙しい社会人ブロガーに対して有効な方法とされています。
貴方が粘着と思われたくなければ、「特定しないと反論しづらいでしょうか」とか、「ヒントを差し上げれば」とか言っていないで、質問の趣旨や範囲をちゃんと明確にするべきではないですか?

M.T.様

Delphiさんから粘着だと言われましたので、そろそろお暇いたします。
お忙しい中、お答えいただきありがとうございました。
しかしながら、正直、予想通りのお答えでした。
なぜ、元の質問に見解を代入していただけないのでしょうか?
意図的にはぐらかしているのではないかと疑いを抱かざるを得ません。
私の質問は、
・社会からの反発に対して反発している側にも問題があるとしても、M.T.様の見解(「弁護団の創作ではない、被告人の供述に基づいた主張である」)で反省すべき点があると思いますか?
になるはずです。
私の質問は、YesかNoかです。
お答えの内容からNoと理解して良いですか?


そして、私への質問ですが、
>あなたが「弁護団の創作」と考える根拠は何ですか?
私はこういった主張はしていないと思いますが・・・
私が一貫して主張しているのは、社会の反発を受け止めることはできませんか?ということです。
(社会の反発が正しいかどうかは関係ありません。反発があったという事実が重要です。)
DelphiさんにしてもM.T.様にしても、社会の反発に対して反発するほうが悪いの一点張りのように聞こえます。
M.T.様が反論される目的は何ですか?
今の方法がその目的を達成するために効果的だと感じていますか?

>>私たちには私たちの根拠において、私たちの視点で物事を見ています。
>こう言い切る方に、もはや説明したり、議論したりする気持ちにはなりません。
しかし、社会がこの視点で見ていて反発が起こっていることは事実なのですよ。
この事実を認めないのであれば仕方ないのですが・・・
(これが1.の質問です。)


>この「司法」が裁判官、検察官、弁護人のうちの誰を指しているのか不明ですが、裁判員制度になっても、当事者主義の原則等の刑事裁判のルールは変わりません。
>また、刑事弁護も、形式面では変更を余儀なくされるでしょうが、その本質は変わりません。
司法は「司法制度全体」を指しています。
もし、裁判員制度の目的が達せられていないと社会が判断すれば、社会は司法制度にさらなる変革を要求し、実施するでしょう。
M.T.様はその時にも新しい制度に反対されるのでしょうね。
私は、分業が進んだ現代社会において、物事はやはり専門家に任すのが一番だと考えています。。
しかし、社会が、専門家がその専門性を乱用していると判断すれば、必ず社会が対応するものです。(正しく判断しているとはいいません)
私は司法制度のことは司法の専門家に任せたいと考えています。ただ、社会から反発を受けるような“下手な”やり方はやめていただきたい。専門家らしく上手に立ち回っていただきたい。社会が大きな力を持っていることは事実です。どうしようもありません。
そういう意味で、司法制度に自己変革を期待しているのですが、それができないならば、仕方なく裁判員制度には賛成なのです。

Delphiさん

もう少しですね。
私は、個々人の価値判断基準は全て尊重すべきと考えています。なぜならば、個々人の価値判断基準は個々人のアイデンティティに密接に関わっているので、価値判断基準の否定は、アイデンティティの否定につながりかねません。
他人の価値判断基準を否定することが、話し合いの目的ですか?違いますよね。

Delphiさんがここでの話し合いを通じて、達成したいことは何ですか?社会からの反発を少しでも和らげることだと認識していますが、違いますか?

社会から反発を受けていることは紛れもない事実です。
(私はそう認識しています。)
それをDelphiさんの価値判断基準によって正当化するのは結構ですが、それで本来の目的である社会からの反発を和らげることができたでしょうか?
Delphiさんが列挙された匿名氏、TM氏、日本国民のひとり氏、AH氏、いや~…氏。Delphiさんの価値判断基準によれば、暴言を吐いて去っていったのですよね?
であれば、本来の目的である社会からの反発を和らげることができたとは言えないと思いますが、いかがですか?

最後にDelphiさんにブログ主さんへの態度は感心しないと言われた点については、確かにそうかもしれません。
質問に対して正面から答えてもらっていないという苛立ちがそうさせたことは事実です。
すみませんでした。

では、失礼いたします。

Delphiさん

補足

価値判断基準とは、個々人にとって“美しくみえるかどうか”、“幸せに感じるかどうか”など極めて内面的なモノです。
私が「バラは美しい」と思うことをDelphiさんが「バラが美しいというのは正しくない」と主張することに意味がありますでしょうか?

ですから、私は価値判断基準が違うと、見かけ上議論になったとしても最終的には水掛け論になると思います。
最後の価値判断基準が違うということは、私にとっての論理的はDelphiさんにとっての非論理的で、Delphiさんにとっての論理的は私にとって非論理的なんですよ。

ということは、私が私の価値判断基準でいくら論理的に話しても、DelphiさんはDelphiさんの価値判断基準で私の論理性を判断するから非論理的に見えるんです。
わかっていただけますでしょうか?

別に議論から逃げるつもりではないですが、価値判断基準に関わることは上記の理由から徒労に終わることが多いので、避けたいのです。

通行人さんへ

>私が一貫して主張しているのは、社会の反発を受け止めることはできませんか?ということです。
(社会の反発が正しいかどうかは関係ありません。反発があったという事実が重要です。)

 通行人さんは何度も何度も「社会の反発」を繰り返しておられます。
 しかし、その「社会」ってなんでしょう。
 ネット社会のことですか。2チャンネルのことですか。その社会の反応が多数意見だと、どうやって検証されたのでしょう。

 私のブログのコメント欄にネガティブコメントが多いことは理由になりません。同じ人が何度も書き込んでいますし、ここ最近の私のブログのアクセス数(多いときで1日5,000アクセス以上あった)からするとごく少数です。

  また、通行人さんは、その反発が具体的に何に対しての反発であるかも明らかにしていません。
 仮に多数意見の反発だとしても、どうしてその反発が生じたのかも説明していません。必ずその意見が生じる根拠(たとえば私のマスコミ報道の記事のAとBの根拠)があるでしょう。その根拠も明らかにしていません。

 質問をはぐらかしているのは、通行人さんの方でしょう。

>(社会の反発が正しいかどうかは関係ありません。反発があったという事実が重要です。)
 
 社会(ここでは多数意見の意味と仮定します)の反発があるような言論は正しいものであろうとなかろうと慎むべき、社会の反発をまねいた表現をしたものは反省すべき、少数意見の者は何も言うな、
というのは、完全に憲法が保障している「表現の自由」を否定しています。
 まず、憲法の改正を提言なさるべきでしょう。

通行人さんの発言は恐ろしいですね。

>私が一貫して主張しているのは、社会の反発を受け止めるこ
>とはできませんか?ということです。
>(社会の反発が正しいかどうかは関係ありません。反発が
>あったという事実が重要です。)

宮崎学の「突破者流殺しのカルテ」
第2章 異物は徹底的に排除する「均質化社会」による裁きの殺人 (和歌山カレー事件の項)から流用します。
_______________________________________________________

しかも、あれだけ派手な取材をしていながら、報道された記事や番組は十年一日である。「加害者はけしからん」「被害者が気の毒だ」という二元論でしか語られていない。こんなレベルで裁判の弁護内容を批判するのであれば時間と金をかけて裁判をする必要などない。世論調査で判決をくだせばいいだけの話だ。
「裁判所もようやく世間の感覚がわかるようになった」と喜んでいる評論家もいるようだが、これほど危険な話はない。なぜなら世論さえ盛り上がれば白が黒に、黒が白になる可能性もあるからだ。世論を動かせる人間、つまり権力やメディアの側にいる者によって左右される社会になるつつあるということである。

通行人さんは何を言いたいのだろう。

そもそもこの弁護団の行っている行動は乱用ではないよということを説明しているのに、その説明には全く耳をかそうとはしない。

で乱用だと思うのならその根拠は何ですか?と問いかけてもそれに対する明確な答えは何も返ってこない。

世の中が反発していることは事実でしょう。でもその反発がそもそも的外れなものだったら、対応しようもないのに。

この弁護団は専門家だからこそ、あのような弁明(内容については耳を疑うものですが)をここにいたって主張しているわけでしょう。そのことを一生懸命説明しようとしているのですが。

そもそも、ドラえもんがこの世に存在しているかどうかということについては、誰もがそんなもの存在しないと答えるでしょう。
問題なのは、被告人は本当に事件当時においてあのようなことを考えながら行動したのかという点にあるでしょう。

この事件は密室殺人でしかも猟奇殺人の部類に入る。首に紐を巻きつけ喋喋結びをしているのだって普通の人には理解不能です。ならば被告人の精神構造をあきらかにしなければならず、そのためには弁護団は被告人との信頼関係を築き、公判で心情や動機というものを語ってもらう必要があるのではないでしょうか。それで信頼関係を築くには被告人の言葉をすべて真実だとして肯定する必要があるのですよ。だから彼らは被告人が話したことが真実だと記者会見で述べているわけです。これが弁護人がするしごとなのです。

証言が誠かうそかは裁判所が他の証拠との関連性から判断することであり、うそだと判断すれば有罪になる。そういうことでしょう。

大体、冤罪事件というのはこの事件は冤罪だと名札を下げて裁判所に送られてくるわけではないのですよ。弁護人が被告人の言を全面的に肯定して、検察官の主張を徹底的に糾弾していくという姿勢の中から徐々にあきらかになっていくものでしょうに。

それがどんなに凶悪な事件で世の中の反発を受けようとも、ほぼ有罪が確定している事件でも、その姿勢を崩したら弁護人としての資格がないということをMTさん、delpiさんともども説明しようとしているのではないですか。

その過程で被害者には耳をふさぎたくなるようなことが出てきたり、新たな人権侵害とも思えるような事も出てくるでしょう。でもそれは受忍してもらわないと仕方がない部分でもあるのですよ。冤罪を防ぐためには。

この弁護団にはいろいろな批判が集まっていますが、しかし安田という弁護士は、オウムの裁判のときに、警察はオウムがサリンをつくっていることを地下鉄サリン事件が起こるずっと前に知っていたということを証拠からあきらかにしました。しかも仮屋さん拉致事件はオウムが行った犯行だということもあらかた知っていたことも明らかにした。しかし何も対応をしなかったということを裁判の場で反論したわけです。警察の責任を追及しようとしたのです。そしたら彼は無実の罪で逮捕されたのです。

後は自分で調べてください。では。

管理人さんへ

いろいろコメントさせていただきありがとうございました。あまりにも誤解と偏見に満ちたコメントが多かったので黙って見過ごせませんでした。

がんばってください。


M.T.様

社会から反発を受けていると思っていらっしゃらなかったのですね。
これは大変失礼しました。
2007年7月 4日 (水) 22時38分の1.の質問にNo.ということですね。
では、このコメントを持って最後にいたします。

社会が誰とか何に対して反発を受けているとか、「反発を受けている」と認識した後のステップでしょう。
しかも、M.T.様が認識すべき問題で私が定義を明らかにする問題ではありません。私は、マスコミで批判的報道がなされ、それに呼応する不特定多数の人間がいるということで、社会から反発を受けていると認識しますけど、M.T.様は反発を受けていると認識されていなかったのですね。

>社会(ここでは多数意見の意味と仮定します)の反発があるような言論は正しいものであろうとなかろうと慎むべき、社会の反発をまねいた表現をしたものは反省すべき、少数意見の者は何も言うな、
というのは、完全に憲法が保障している「表現の自由」を否定しています。

ですから、社会の反発は起こってしまうのだから、“起こってしまったこと”に対応しないと、問題は解決しないでしょうと言っているのです。それは憲法違反であると言えば、問題は解決しますか?
そして、M.T.様は「これは弁護士の職務であるから、反発すべきことではない」とおっしゃっているのでしょうが、それは価値判断基準の問題だから、そのアプローチでは問題解決しませんよ、と言っているのです。
M.T.様が真にこの社会的反発をなんとかしたいと考えていらっしゃるなら、社会的反発をしている人に反発の真の原因を聞くべきと思います。でも、社会から反発を受けていないと認識していらっしゃったのでしたね。
失礼いたしました。
(M.T.様は、価値判断基準の問題を“原因は理解不足である”としていると認識しています。価値判断基準の相違は理解したからといって埋まる問題ではないですよ、と私は意見しているのです。)

>名無し氏 2007年7月 7日 (土) 10時00分
>「裁判所もようやく世間の感覚がわかるようになった」と喜んでいる評論家もいるようだが、これほど危険な話はない。なぜなら世論さえ盛り上がれば白が黒に、黒が白になる可能性もあるからだ。世論を動かせる人間、つまり権力やメディアの側にいる者によって左右される社会になるつつあるということである。

その通りですよ。
だから、現実問題としてそういう社会であると言う前提の上で、行動をしないといけない社会になってしまっているということです。
社会に迎合しろと言っているのではありません。
そういう社会なのだから仕方ないでしょうと、そして、専門家としてうまく立ち回ってくれとお願いしているのです。

そういう社会になってしまっているのですから、そういう社会になってしまったことを嘆いても社会は変わりません。

>それで信頼関係を築くには被告人の言葉をすべて真実だとして肯定する必要があるのですよ。

違います。自分に迎合するだけの人間なんて通常信用されません。お互いに本音をぶつけ合い、自分の嘘、偽りのない気持ちをそのまま相手にぶつけることで信頼が生まれるのです。
弁護士団は被告の言葉が真実と考えたからこそ主張したのです。


>しかし何も対応をしなかったということを裁判の場で反論したわけです。警察の責任を追及しようとしたのです。そしたら彼は無実の罪で逮捕されたのです

被告の利益を守るべき裁判で、警察の責任を追及して、それで被告に有利になるのですか?警察がとめてくれればやらなかったのにそれをしなかった警察が悪いと、責任を転嫁するのは情状面で不利になりそうですが。


>弁護人が被告人の言を全面的に肯定して、検察官の主張を徹底的に糾弾していくという姿勢の中から徐々にあきらかになっていくものでしょうに。

原則そうですが、明らかにおかしいことまで主張すれば全体としてこちらの主張が疑われる虞があります。認めるべきは認め、認められないものは徹底して争う。これが大切でしょう。
それに被告自身は当事者ですので、ついつい嘘を言ってしまったり、慣れない法廷では勘違いして発現することもあろうかと思いますので、そこは弁護士が的確にアドバイスしていくべきでしょう。

通行人>
>社会に迎合しろと言っているのではありません。
>そういう社会なのだから仕方ないでしょうと、そして、専門家と
>してうまく立ち回ってくれとお願いしているのです。

結論として社会に迎合しろと言ってますよ(笑)
社会の反発を招いた安田弁護士はどうしろと言うのでしょうか。
さっさと辞めろ、と言うのか。殺意と計画性を全面的に認めて温情判決を求めるのか。そんなことは被告と弁護団が決めることでしょう。

これだけ議論を続けても(被告に対する)弁護士の役割と義務を理解できないのであれば、裁判は単なるリンチに成り果てますよ。社会の反発を買うような案件では厳罰、同じような犯罪でも社会の同情が集まれば刑を免れる。そうなってもしょうがないね、では済む問題じゃありません。嘆くのではなく、そんな社会にならないよう訴え続ける必要があります。

今回の懲戒請求の話を見ると、弁護士さんといえどもアカンタビリティは不得手なのか、といった感想です。陪審制度があるアメリカでは、陪審員に説明するのが専門のロイヤーもいるそうです。ITなど情報化社会では、一般の人たちも専門的知識を吸収してきてますし、いわゆるここ最近の「先生」と呼ばれる人たちの不祥事など、肩書きだけでは人を納得させられない時代になってきたようです。アカンタビリティが必要なのは何も企業だけではないのですね。

YO!!さんへ
>弁護士団は被告の言葉が真実と考えたからこそ主張したのです。

 弁護団が真実と考えた「被告の言葉」(正確には「被告人の言葉」)とは何を指しておられるのでしょう。

>認めるべきは認め、認められないものは徹底して争う。これが大切でしょう。
 それに被告自身は当事者ですので、ついつい嘘を言ってしまったり、慣れない法廷では勘違いして発現することもあろうかと思いますので、そこは弁護士が的確にアドバイスしていくべきでしょう。

 被告人には黙秘権がありますので、弁護人もこれは説明しているでしょう。また、「(質問を)勘違いして発言」しないように、弁護人であれば「よく質問を聞いてから答えなさい」とアドバイスをしているでしょう。

 しかし、それ以上に、「こういう質問には具体的にはこう答えなさい。ああ答えなさい。」と指示することは、それこそ弁護団がストーリーを作って言わせたことになります。
 
 「認めるべきは認め、認められないものは徹底して争う。」との「認めるべきは認め」とは本件ではどの事実のことを言っておられるのか分かりません。
 
 一般論でいえば、「被告人が認めていないものを、弁護人が認めること」(例えば、被告人が殺意を否認しているのに、弁護人が殺意を認めること)は、完全に誠実義務違反となります。

 ドラエモンや儀式についての被告人の供述について言っておられるのであれば、弁護人が「そんなことを言っては裁判官の心証が悪くなる可能性があります。」と言っても被告人が「しかし、それが本当のことです。本当のことを言いたい。」と言うのであれば、弁護人はそれ以上止めることはできません(言わせないと誠実義務違反になります)。
 また、弁護人が「そんなことを言ったら遺族の心も傷つけます。そんなことは言ってはダメです。」と被告人に言ったとしたら、これも誠実義務違反になります。

通行人氏はもういなくなるそうなので、簡潔にいいます。

通行人氏の考え方ははっきりしないので断定はできないのですが、一方で「それぞれの価値観がありどちらが正しいという絶対的基準はない」というようなことをいいながら、「社会的反発にどう対処するのか」ということもいっているのはどうしたことでしょうか。

もし「社会的反発」が正しいという価値観に基づいた発言であれば、「それぞれの価値観がある」という話と矛盾します。
また、「確かに価値観はそれぞれあるが、正しい、正しくないという議論とは関係なく、現実問題として反発を受けていることにどう対処するのか。」という趣旨であれば、基本的には丁寧に議論や説明をしていくしかないでしょう。
ただし、恐らく本当におっしゃりたいことは「そんな議論や説明などいくらやっても無駄な可能性が高い」という前提で、「じゃあどうするのか」ということなんでしょか。

ようするに、各自の価値観を尊重せず議論も何も通用しない相手を目の前にしてどうするか、というのであれば、それは確かに別の基準で行動する必要があるでしょうね。これは結局は処世術レベルの話ですので、あらゆる可能性がありうる、としかいえません。その中に「長いものには巻かれろ」という対処だってあるでしょう。

例えば、キリストの絵を踏まなければ処罰する、というのであれば、キリスト教徒でも心ならずも絵を踏むことだってありうるでしょう。それと同じです。

私としては、こんな異常な例が妥当してしまう世の中であってはならない、ということを声を大にして主張したいと思います。

>一般論でいえば、「被告人が認めていないものを、弁護人が認めること」(例えば、被告人が殺意を否認しているのに、弁護人が殺意を認めること)は、完全に誠実義務違反となります。

そうですよ。弁護士は代理人なんだから。あくまでも被告との打ち合わせで決めることですよ。


>ドラエモンや儀式についての被告人の供述について言っておられるのであれば、弁護人が「そんなことを言っては裁判官の心証が悪くなる可能性があります。」と言っても被告人が「しかし、それが本当のことです。本当のことを言いたい。」と言うのであれば、弁護人はそれ以上止めることはできません(言わせないと誠実義務違反になります)。
弁護人はそれ以上止めることはできません(言わせないと誠実義務違反になります)。

法律家としてアドバイスをしたというのであれば、特に問題はありませんよ。
ただ、客観的に立証できるそうかどうか、ただの言い逃れになる確率が高いのかどうかも検討しないと。検察だって突っ込み入れてくるだろうから、シミレーションして有効な反論ができるかどうか。
法律や裁判に詳しくない素人の言うことをただ法廷でだらだら主張するのであれば弁護士としての職責を果たしているとは到底いえません。

>また、弁護人が「そんなことを言ったら遺族の心も傷つけます。そんなことは言ってはダメです。」と被告人に言ったとしたら、これも誠実義務違反になります。

これだけだと、弁護士として不十分なアドバイスでは?
永山判決では遺族の被害感情も量刑を決める際の基準に挙げられています。この主張がこの基準にどう影響するのか、この裁判にどう影響するのかを法律家らしくきちんと分かりやすく説明してください。

YO!!さんへ
>ただ、客観的に立証できるそうかどうか、ただの言い逃れになる確率が高いのかどうかも検討しないと。検察だって突っ込み入れてくるだろうから、シミレーションして有効な反論ができるかどうか。

 被害者を押し入れの中に入れた理由について、被告人は「ドラエモンうんぬん」と言っております。これは被告人の内心に関することです。
 被告人が押し入れに入れた理由をこのように供述しているのに、弁護団が「それじゃ、客観的な立証はできない。他の理由があるだろう。他の理由を答えなさい。」と言えば、やはり誠実義務違反になります。

>>また、弁護人が「そんなことを言ったら遺族の心も傷つけます。そんなことは言ってはダメです。」と被告人に言ったとしたら、これも誠実義務違反になります。

>これだけだと、弁護士として不十分なアドバイスでは?
永山判決では遺族の被害感情も量刑を決める際の基準に挙げられています。この主張がこの基準にどう影響するのか、この裁判にどう影響するのかを法律家らしくきちんと分かりやすく説明してください。


 ご趣旨がよく分かりません。
 私の申し上げたのは、被告人が法廷で供述することが被害者の心情を傷つけるとしても、それを理由として弁護人が供述させないことは弁護人の誠実義務違反になるということです。
 否認事件の場合は、被告人が犯行態様を争ったり、犯意を争っているのですから、被告人の供述はどうしても被害者の感情を逆なですることになります。
 しかし、それで被告人に供述させないとすれば、弁護人は誠実義務違反を犯すことになります。
 この点については、以前の刑事弁護の記事(左サイドバーにまとめてあります)で説明しました。類似の質問はQ1にあります。

 また、被告人が法廷で被害者の感情を害することを述べたことについて、裁判所が「被害者の感情に配慮しなかった」ことを量刑の判断資料とした判決は知りません。 

 量刑の判断資料とされるとすれば、「反省の情がない」「反省の情が乏しい」ということだと思いますが、それも被告人が選択した以上、弁護人は従わざるをえません。(この点についても、以前の刑事弁護の記事で説明しました)。

>裁判所が「被害者の感情に配慮しなかった」ことを量刑の判断資料とした判決は知りません。 

私の言ったのは永山基準の「遺族の被害感情」です。「配慮」の有無と永山基準とに関係があるのですか?


>それも被告人が選択した以上、弁護人は従わざるをえません。(この点についても、以前の刑事弁護の記事で説明しました)。

被告とて自分の主張が自分にとって不利になるというのであればあえて主張はしませんよ。だからそういったことはレアケースかもはや負け筋の事件ではないでしょうか?

問題なのは、被告自身は有利と思っても、弁護士の目からみれば到底裁判所に受け入れられず、不利になる場合もある。何せ被告は当事者ですから、客観的に判断するのは難しいですし、法律や法廷も不慣れです。弁護士は裁判官や検察官同様司法試験を経て司法修習を終え、裁判をこなすことで、被告以上に裁判官の考え方、見方は知得しているはずです。
弁護士からみておかしい主張は裁判官から見てもおかしい主張となるのです。しっかりと分かりやすく被告に説明し、被告にとって有利になるような主張を構築する。当然のことをいっているまでですよ。

>被告人が押し入れに入れた理由をこのように供述しているのに、弁護団が「それじゃ、客観的な立証はできない。他の理由があるだろう。他の理由を答えなさい。」と言えば、やはり誠実義務違反になります。

被告に言うだけであれば誠実義務違反にはならないのでは?弁護士がきちんとアドバイスしているわけですが、どこが誠実義務違反なのでしょうか?被告がそれでも他に理由がないというのであれば、そのとおり主張すべきでしょう。しかし、単に被告の言ったことを鵜呑みにするのではなく、今までの被告の主張、証拠から検討するのは当然でしょう。

YO!!さんへ

>弁護士からみておかしい主張は裁判官から見てもおかしい主張となるのです。しっかりと分かりやすく被告に説明し、被告にとって有利になるような主張を構築する。当然のことをいっているまでですよ。
  
 これについては、以前の刑事弁護についての記事(一応の回答ーその4のQ6に対する回答)をご参照下さい。
 今回の弁護団がYO!!さんのいわれる説明を被告人にしていないという証拠はどこにあるのでしょうか。

>被告に言うだけであれば誠実義務違反にはならないのでは?弁護士がきちんとアドバイスしているわけですが、どこが誠実義務違反なのでしょうか??被告がそれでも他に理由がないというのであれば、そのとおり主張すべきでしょう。

これは、その前の私のコメントの続きです。
 被告人が「ドラエモンのことは本当です。」と答えているのに、「他の理由を答えなさい。」ということ自体が誠実義務違反と申し上げているのです。

本当に最後にしようと思っていたのですが、Delphiさんにご理解いただけたことが嬉しく、お礼を申し上げたく再度のコメントをさせてください。

Delphiさん

つたない説明で私の申し上げたいことをご理解いただき、本当にありがとうございます。それだけ申し上げて去るべきなのでしょうが、できればさらなるご理解を頂戴いたしたく、ご理解いただいた内容に沿って、私の意見を添えさせてください。

まず、
>こんな異常な例が妥当してしまう世の中であってはならない
このことは別の立場から賛成なのです。
なぜならば、個々人の価値判断基準は全て尊重されなければならないと考えているからです。

しかしながら、
>私としては、こんな異常な例が妥当してしまう世の中であってはならない、ということを声を大にして主張したいと思います。
このアプローチは現段階では適切ではないのではと考えている次第です。
私自身が納得しづらいこと(心情的には反発する側に近いので)、また、ここにいらした反発した方々を説得し切れなかったと言う事実から、やはり価値判断基準に関することは議論や説明では難しいと感じています。

したがって、私の結論は
>ただし、恐らく本当におっしゃりたいことは「そんな議論や説明などいくらやっても無駄な可能性が高い」という前提で、「じゃあどうするのか」ということなんでしょか。
ということになります。

どうするかということについて
>私としては、こんな異常な例が妥当してしまう世の中であってはならない、ということを声を大にして主張したいと思います。
この教育や啓発活動は、地道に行っていくことを前提として、とりあえず現段階で未成熟な社会から反発を受けないようにするために
>これは結局は処世術レベルの話ですので、あらゆる可能性がありうる、としかいえません。
その通りだと思います。当該主張を守りつつ、社会的反発を受けないためには
1)社会的反発を受けるような主張は、記者会見などしない(記者会見てしなきゃいけないものなのでしょうか?)

社会的反発を受けた後であれば
2)再度記者会見を行い、主張をゼロベースで見直すと発表し、裁判では当該主張を行う。(汚いやり方ではありますが、法曹関係の方に皆斟酌していただき、裁判の審議に影響しないのであれば)
3)主任弁護士は辞任し、残りの20人の弁護士が意思を引き継いで、当該主張を裁判で行う。記者会見は行わない。(当該主張をすることを第一目的とし、社会的反発をかわすなら可能性のある選択肢かと)
素人の浅薄な考えです。こういったことを専門家の方々にうまく考えていただけないかと思う次第です。
当該主張を行うことは問題にしていません。(この部分はご理解いただきたく)
要は社会的反発は避けていただきたいと言うことです。
なぜならば、社会的反発は容易に制度変更のエネルギーとなり、それはしばしば好ましくない方向へ向かいます。例えば、今回の事案は裁判員制度の導入の後押しにはなるかもしれませんが、やっぱりやめようという雰囲気にはならないでしょう。
そういうことを危惧する次第です。

長くなりましたが、最後にご理解いただけたこと、Delphiさんには大変感謝しております。
お互い長い時間を使いましたが、少なくとも私にとっては最後に有益な時間となったと感じることができました。また、どこかで議論できればと思う次第です。(ご迷惑かもしれませんが)
また、M.T.様にはこの場を提供していただいた感謝と、一部感情的になり失礼申し上げたことを陳謝して、この場を去りたいと思います。

>今回の弁護団がYO!!さんのいわれる説明を被告人にしていないという証拠はどこにあるのでしょうか。

証拠なんてないと思いますが。
そもそも、説明していないと、いった覚えもありませんが。


>被告人が「ドラエモンのことは本当です。」と答えているのに、「他の理由を答えなさい。」ということ自体が誠実義務違反と申し上げているのです。


他の理由が真実であれば、それを主張するのが当然では?
被告が嘘を言っている場合もありますから。弁護士がみてもおかしいと思う被告の主張は弁護士も素直に疑問をぶつけるべきでしょう。その上で、真実と判断し主張をするべきです。

 確かに、弁護士が見ておかしいような弁護で裁判官が説得できる可能性は限りなく低いです。その意味でもっと説得力のある理屈を追求すること自体は当然だと思います。
 しかし、他に手がないならそれしかありません。特に、今回の弁護に携わった人たちは刑事弁護においては実力者ばかりです。

 サッカーだって、このままでは負けるとなったらGKが攻撃に回ったりすることもあります。Jリーグでは得失点差が問題になるのでやりませんが。
 今回の差戻し審は、まさに「このままでは死刑」の裁判で、しかも最高裁まででかなり封じられている裁判ですから、GKが攻めに回るというような、普通ならとらない作戦が最良の作戦として登場することも十分にあるでしょう。

通行人氏の返信を承りました。
社会的反発への対処について、追加的に若干思うところを述べます。

あの記者会見は、私もその意図と効果を測りかねているところがあります。あえて想像すれば、被害者遺族が精力的にメディアに出演していることから、一方的な情報が流通することを避けたかったのかもしれません。本件裁判に利益になるとは思えない、という言い方をする人は(懲戒請求支持者に限らず)けっこういます。しかし、弁護人は裁判手続においてのみ被告人の利益を代弁するものではなく、被告人の一般国民としての権利を擁護することもその任務であると考えれば、理解はできます。つまり、一方的な情報が流通することにより、被告人の名誉や社会生活上の利益が害される、という観点から一応説明は可能です。
(本件裁判の見通しがかなり深刻であることから、被告人の法廷での権利擁護は念頭においても、被告人が一般市民として享受するべき社会生活上の権利の擁護まで頭が回らない人は、法曹関係者にさえ結構いるようです。)

また、あの記者会見が国民の反発を煽った、という見方は多いですが、もし記者会見が行われなくても、被害者遺族がメディアに随時出演している現状では、最終的には同様の話が法廷で出るので、これがもっと一方的な観点からメディアに流れただろうと思います。いずれ法廷で出る話なので、その時点で反発するか、その前に反発するかの違いに過ぎないともいえます。

そして、肝心の社会的反発の回避策ですが、丁寧な説明や議論以外に、なかなか妥当な策は見つからないのが現状ではないでしょうか。世論を変えていくまっとうな方法は、言論活動と相場が決まっています。
私としてはむしろ、言論活動の範囲内でもまだやれること、やるべきことがあるだろうと思います。世の中の議論の場はネットに限られません。ネットは確かに情報を気軽に発信できるという意味では有力な媒体です。しかしネットの言論は玉石混交で、数も多く整理されていないので、固定客以外の層に訴えかけるという意味では必ずしも優れていないとも思えます。現に、本件については、煽っているのは主にテレビでしょう。
テレビで発言力をもっているのが橋下弁護士のような人では困ります。刑事弁護について見識のある人が、積極的にテレビ等でコメントすることが重要だと思われます。
またテレビ以外にも、多くのチャンネルで多層的に意見を発信することも重要でしょう。

刑事弁護に理解の深い弁護士ほど、仕事で忙しく、意見の発信にまで手が回らないのは皮肉です。また、私見では、裁判手続は世論に影響を受けてはならないという考えからか、多くの法曹はメディアでの発言に謙抑的であると感じます。だから、浅薄な人物や、政治的意図をもった発言をする者にメディアを牛耳られてしまうのではないでしょうか。裁判手続を世論の影響から守るためにあえてメディアを活用するという考え方も必要だと思います。

ただ注意するべきなのは、ネット上での多くの人による瞬間風速的な書き込みを、安易に世論の趨勢と混同してはならないということです。ネットの特徴として、偏った集団による組織的書き込みが行われることがあります。このような場合に局地的に生じる「多数派」を世の中の多数派と混同することは、このような組織的書き込みを行う者の思う壺です。こういった人々は、本質的には「ノイジーマイノリティ」の域を出ないので、こういった書き込みの集中を肯定的にも否定的にも過大評価しない、ということは必要だと思います。

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