アンケート方式の鑑定もあるようです。
現役裁判官のかけ出し裁判官Nonの裁判取説さんのブログの記事「鑑定をアンケートで」ではじめて知ったのだが、大阪地方裁判所ではアンケート方式による鑑定というのを実施しているようだ(初めての試み?)。
定期健康診断の胸部レントゲン写真について精密検査の指示を要すべき異常陰影があるか否かについて、5名の鑑定人(医師)によるいわゆるアンケート方式による鑑定を実施したという。
最高裁HP:http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20060328134050.pdf)
カンファレンス方式と違ってアンケート方式だと忙しい医師に一堂に会して頂く必要はないわけだ。
結果は、
平成11年健診の胸部レントゲン写真については、5名の鑑定人(放射線科医)のうち、異常陰影の所見なしとしたものが3名、右肺尖部胸膜肥厚所見があり精査の指示を要すとしたものが1名、右肺尖部胸膜肥厚所見があり1年に1度経過観察をするよう指示すべきとしたものが1名だったという。
これを、裁判所は、「少なくとも、肺がんを疑わせる異常陰影は認められない趣旨の鑑定結果と見ることができる」と認定している。
平成12年健診の胸部レントゲン写真についての、5名の鑑定人(放射線科医)のアンケート結果は判決文でははっきりしないが、裁判所は本件アンケート鑑定の結果によれば「右肺尖部に異常陰影があるものと認めてこれに対する精密検査の指示をする必要があったと認めるのが相当である。」と認定している。
この判決の当否は検討していないが、定期健康診断のレントゲン写真の読影について、このように医師の見解が分かれることに、ある意味怖ろしさを感じた。
このようなアンケート鑑定については、今後どのように運用されるのか、また医師の見解が分かれるときに医療水準を考える上で裁判所がどのような評価をするのか、注目される。
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コメント
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>このように医師の見解が分かれることに、ある意味怖ろしさを感じた
私もTVの「行列できる~」といった番組を見て、
弁護士の意見がまっぷたつに分かれるのに同様の感想を抱いています。
投稿: むいむい | 2006年7月 5日 (水) 13時29分
Nonさんのページで私も以前この判決を読みました。裁判官は至極真っ当な判断を下しており、逆に原告に関しては完全な言い掛かりだと思います。自分が被告なら、裁判にされてあれこれ手を煩わされた分の賠償を求めたくなるくらいの例だと思います。Nonさんのブログをみて、原告側の弁護士はこんな例でも引き受けるのかと考える医療従事者もいるかもしれません。弁護士の忠告を無視して、自分でおこしたってところでしょうかね。
ー見解が分かれる
医師から見れば、この例はむしろ分かれていないと言えます。そもそも診断と言うものは、探偵や警察の捜査のように、それ一つだけでは断定できないような証拠を集めて、最も正解らしい答えを見つけるものに過ぎません。もちろん決定的証拠が見つかる場合もあります。しかし定検での間接レントゲンなどというものは、そもそも検査としての精度が低く、過失云々の話が出てくることも疑問です。(歴史的政治的意味から、現在も継続されていますが、間接レントゲンでの検診は、受検者の予後を改善しない≒助かるような早期は見つからないという調査結果もあります)
定検の読影では、医師は以下のように頭の中で所見を分けます。
①正常。(こう考える率は実は相当低い)
②完全に正常でないが、何だか分からない。
③異常で、その疾患を推定できるが、それが問題のない疾患。(正常のバリエーションを含む)
④異常で、その疾患をある程度推定でき、追加の医療行為が必要。
(異常に関してはそれぞれに程度の問題もあります)
読影力と要精密検査の率は全く一致しません。軽微な異常を、疾患も特定することなく精検にまわす方が、正解率は低くても発見率は上がるので、ろくに読まずにまわす医者(私)もいます。このアンケートで異常を指摘した医師は④で異常としたわけではない(指摘内容が重大ではない)ですし、異常なしの医師の中には③と判断した医師もいたと思います。
投稿: 公立副院長 | 2006年7月 5日 (水) 15時16分
「むいむい」さんへ
>このように医師の見解が分かれることに、ある意味怖ろしさを感じた
ー私もTVの「行列できる~」といった番組を見て、
弁護士の意見がまっぷたつに分かれるのに同様の感想を抱いています。ー
「行列のできる~」(私は見ていませんが)はエンターテインメント番組です。弁護士が皆ああだと思われては困ります。
確かに、同じ相談を受けても弁護士によって事件の見通しについて意見が分かれることはあると思います。しかし、事件についての最終的な結論は裁判官が下します(判例となります)。
多くの事件で、弁護士としてこうした方がいい(弁護士へ依頼するか、調停、裁判、ADRの利用)等という処理方針は、そんなに意見が変わるものではないと思います。
投稿: M.T. | 2006年7月 6日 (木) 19時07分
>平成11年健診の胸部レントゲン写真については、5名の鑑定人(放射線科医)のうち、異常陰影の所見なしとしたものが3名、右肺尖部胸膜肥厚所見があり精査の指示を要すとしたものが1名、右肺尖部胸膜肥厚所見があり1年に1度経過観察をするよう指示すべきとしたものが1名だったという。
>定期健康診断のレントゲン写真の読影について、このように医師の見解が分かれることに、ある意味怖ろしさを感じた。
貴方はまず「肺尖部の胸膜肥厚」が医学的に何を意味するのか、お調べになってから発言されたほうが良いのかと思います。
投稿: T.R | 2006年7月 6日 (木) 19時17分
「公立副院長」さんへ
ー軽微な異常を、疾患も特定することなく精検にまわす方が、正解率は低くても発見率は上がるので、ろくに読まずにまわす医者(私)もいます。このアンケートで異常を指摘した医師は④で異常としたわけではない(指摘内容が重大ではない)ですし、異常なしの医師の中には③と判断した医師もいたと思います。ー
そういうことですか。しかし、それだとアンケートの質問の仕方を工夫すべきだったのではないかと思います。
精密検査にまわす率が高い医師と低い医師に分かれるわけですね。発見率を上げるという点からすれば、軽微な異常でも正確な読影ができないのなら精検にまわした方がいいということでしょうか。
「助かるような早期は見つからない」ということであれば、何のために定期健診をするのか分からなくなりました。
投稿: M.T. | 2006年7月 6日 (木) 19時25分
「T.R.」さんへ
>定期健康診断のレントゲン写真の読影について、このように医師の見解が分かれることに、ある意味怖ろしさを感じた。
ー貴方はまず「肺尖部の胸膜肥厚」が医学的に何を意味するのか、お調べになってから発言されたほうが良いのかと思います。ー
私は、同じ写真を見て、精査すべきとする医師と精査の必要なしとする医師に意見が分かれることについて申し上げたものです。
追記
慶応義塾大学保健管理センターのHP
http://www.hcc.keio.ac.jp/Links/XP/XPsyoken.htm
「胸部X線所見の見方」に
胸膜肥厚・癒着
過去の炎症後,手術後,まれに腫瘍などで,肺周囲の胸膜の繊維が肥厚して,肺尖の表面が厚くなったり,胸膜と胸膜が癒着している状態を示します。
という記載があります。
投稿: M.T. | 2006年7月 6日 (木) 19時28分
>>この判決の当否は検討していないが、定期健康診断のレントゲン写真の読影について、>>このように医師の見解が分かれることに、ある意味怖ろしさを感じた。
法曹界では裁判のたびに見解も判決も異なることは恐れないのに、どうしてでしょうか?
この診断の当否は検討していないが、小児科の医療過誤訴訟の判決について、
このように裁判官の見解が分かれることに、ある意味怖ろしさを感じた。
この診断の当否は検討していないが、産科医療の妊婦死亡の立件方針について、
このように検察官の見解が分かれることに、ある意味怖ろしさを感じた。
法曹界でも同じことが言えると思いますが。
もっと言うと
>>多くの事件で、弁護士としてこうした方がいい(弁護士へ依頼するか、調停、裁判、ADRの利用)等という処理方針は、そんなに意見が変わるものではないと思います
これも医療の現場では同じでしょう。
医療過誤訴訟担当の弁護士さんが、この程度の認識しか持ってないのには驚かされました。
そして、相変わらず都合の悪いコメントには
逃げる姿勢にがっかりしました。
(福島の事件もコメントを避けてましたね)
自分はよくて他人は駄目。
医師=悪者、患者=弱者、何でもこのような構図を描くのは結構ですが、もう少しバランスよく柔軟な思考をしないと正義を振りかざしても、空回りしますよ。
何でも叩けばいいものではないですよ。
もう少し医療というものをちゃんと理解してから発言して欲しいものです
投稿: pon | 2006年7月 6日 (木) 23時59分
「pon」さんへ
>>この判決の当否は検討していないが、定期健康診断のレントゲン写真の読影について、>>このように医師の見解が分かれることに、ある意味怖ろしさを感じた。
ー法曹界では裁判のたびに見解も判決も異なることは恐れないのに、どうしてでしょうか?ー
私の感じる怖ろしさというのは、定期健診を受ける一患者としてのものです。レントゲン写真を読影する医師によって精査の指示の頻度が変わってくることに対して健診を受ける身として心配なのです。健診の場合はセカンドオピニオンということはまずしないでしょうから、どういう医師にあたるかは運命だから仕方ないということであれば仕方ないのでしょうが。
下級審の裁判において同種事件であっても裁判官によって判決が異なるのは、日本の制度として仕方がないことです。たとえば消費者事件などでは、全く同じ事案、同じ争点であっても裁判官によって判決が180度違ってくることがよくあります。最終的には最高裁の判決によって統一されるのですが。
これは、日本が3審制、裁判官の独立などの制度を取っている以上、むしろ当然のことです。
ーこの診断の当否は検討していないが、小児科の医療過誤訴訟の判決について、
このように裁判官の見解が分かれることに、ある意味怖ろしさを感じた。ー
私はインターネット上で公開されている全ての判決を読んでいるわけではありませんが、医療過誤訴訟で裁判官の判断が分かれているもの(例えば心筋炎の1審と2審の判決)は、専門家である医師の鑑定、鑑定意見書の判断も分かれているように思います。専門家の意見が分かれるものについて、裁判官の判断も分かれるのはむしろ自然だと思います。
ー(福島の事件もコメントを避けてましたね)ー
何度も申し上げておりますように、カルテ、事故報告書、当事者の陳述などを見ていない部外者が何か意見を言うべきではないと考えているだけです。
私たちは、協力医の先生に意見を頂くときも、カルテなしでご検討頂くことはありません。
ー医師=悪者、患者=弱者、何でもこのような構図を描くのは結構ですが、もう少しバランスよく柔軟な思考をしないと正義を振りかざしても、空回りしますよ。
何でも叩けばいいものではないですよ。
もう少し医療というものをちゃんと理解してから発言して欲しいものです。-
これについても何度もコメントしています。
もう一部の医師の方々には何を申し上げてもダメかと、コメントでお返事をする意欲もなくしつつあります。
こういう抽象的な誹謗のコメントについてはお返しせず、記名のないものについては削除させて頂くこともありますことを予めご注意致します。
ponさんが私の記事が気にくわない、見ると腹が立つということでしたら、見て頂かなくて結構です。また、ご自身のブログで医師の立場から、公表されている判決などについて「こういうところが問題だ」という記事を書かれたらどうでしょうか。
投稿: M.T. | 2006年7月 7日 (金) 05時28分
ー質問の仕方を工夫すべきだった
そうだと思います。しかし臨床医が感じる微妙なニュアンスを表現することがこれほど困難な中、いい質問をつくるのはかなり難しそうですね。
ー何のために定期健診
「癌と戦うな」という奇書が以前ありました。はっきり言って彼の主張は論外ですし、(余談ですが、一部の鑑定医に彼と同じ臭いを感じます)医療に対する判断力のない一般の人は読むべきではないと思いますが、健診の意義に関して語っていることは一部は正しいです。
歴史的政治的意味からと前述しましたが、胸のレントゲンを撮ることは、癌だけの話ではなくて、結核をみつけるという意味もありました。(余談ですが、今でも結核は意外とあります)また、多少問題はあっても全国的にシステムとして動いているものを廃止する、又は単純な流れ作業を複雑化するのは簡単ではないでしょう。
肺癌の検診について(私見ですが)箇条書きすれば、こんなところです。
①早期を見つけたいならヘリカルCTで検診。
②直接撮影の精度は、熟練医が見ればたまに早期が見つかる程度。(言い過ぎかも)
③肺癌は比較的高齢で発症する癌であり、喫煙との関係が深いため、コストパーフォーマンスを考えれば、そのようなリスクの高い人に頻回の精査を検診ですべき。
④他の疾患を考えれば、間接撮影による健診も無駄ではない。
⑤早期でも進行癌でも肺癌はもともと余後が悪いので、見つけても差がつきにくい。
⑥100%手遅れと、90%手遅れの間の差は、人間の感覚としては、それなりに大きい。
以上のことを総合して考えると、現在の検診も無意味ではないでしょう。厚生労働省(どちらかと言えば個々人のためでなくて、マスとしての健康を増進させようとする立場)としては、対象者の調整や検査法の改善をはかるべきであるのは確かだと思いますが。そして個人の場合は、自分の中での健康の価値の軽重によって、自分で受ける内容を自己責任で選択するべきだと思います。(今年私は検診車での検診を受けずに、直接撮影をして自分でみました。胃透視も断って内視鏡をのむ予定です)
投稿: 公立副院長 | 2006年7月 7日 (金) 14時02分
ー胸膜肥厚
他の人へのレスですが、もう少し詳しく述べさせていただきます。
ーまれに腫瘍などで
判例をウォッチしていてよく気付くのは、(何かで勉強してきた話を、かなり的外れであるにも関わらず、強く主張する困った患者とかでも時に見られます)こういう文章の一部を取り出して自分本位の解釈で信じ込むという間違いです。臨床医であるならば、この「まれ」のニュアンスが理解できます。T.R先生や私は、要精査の根拠が希薄であると当然のように感じるわけです。しかし、臨床経験のない医学生や研修医、研究医、そしてちょっと本を読んだだけの一般人だと、単純に可能性があるから検査して当然だとか、しなかったら過失だとか言い出すことは不思議ではありませんよね。
投稿: 公立副院長 | 2006年7月 7日 (金) 15時37分
「公立副院長」さんへ
1 定期健診の限界について
間接撮影であること、及び医師は一度に多人数のレントゲン写真を読影しなければならないこと、から、定期健診における読影の注意義務は肺癌検診における注意義務よりも医療水準においてかなり低いということはもっともです(他にも判例があります)。
ただ、やはり読影者によって要精査の指示の頻度が違ってくるのは不合理だと思うので、何らかのガイドラインは必要なのではないでしょうか。
ちなみに、尼崎市における石綿に係る健康診断の胸部X線検査では複数の判定医の間で一定の判断が下しやすいように読影ガイドラインというものを作ったようです(インターネット上に紹介されていました)。
胸膜肥厚の「まれに腫瘍」ということをどう評価するかですが、確かに定期健診においてこれをどの程度まで視野に入れるかということは問題であると思います。
ヘビースモーカーであるか、結核などの病歴があるか、片側性か両側性か、過去の画像にもあるか等を、定期健診でどこまで考慮すべきか、ということが定期健診における医療水準として問題となったと思いますが、この判例はこれらを否定したものです(肺がん検診であれば、結果は違ってきた可能性はあるでしょう)。
他の判例も(たとえば、仙台地裁平成8年11月16日判決では、「集団検診には特異性(治療を要する病変のみを発見すること)と感受性(治療を要する病変を見落とさないこと)の妥協点を如何に見い出すかの問題がある。・・・・このように、現実の集団検診においては特異性と感受性をともに100%とすることは難しい状況にある。」「問診ができず、年齢、病歴等の受診者に関する参考資料もない状態で、当該レントゲンフィルムの読影のみで正常か異常かを判断しなければならず、当初から比較読影を行うことは集団検診の時間的・経済的制約から望むことができず・・・」としています(「医療事故と司法判断」畔柳達雄著 判例タイムズ社発行 8,9頁参照)。
ただ、本件では別の医師の問診・聴診結果を会社の事務局がX線写真の読影結果と照らし合わせ、必要に応じて読影医に報告し読影医が再度読影を行うことにしていたようです。このように読影医が問診・聴診結果を事務局から教えられていたとすればそれも考慮されるべきであり、再度読影するときには大量読影とは違う注意義務を認めた判例もありますので(富山地裁平成6年6月1日判決)(上記7頁参照)、そちらも考慮すべきだと思います。
私自身は定期健診における癌の見落としの事件を担当したことはありませが、相談者が訴訟を望むときには他の判例を分析して紹介し、相談事案と比較しつつ勝訴の見込みを説明すると思います。
2 本件の特殊性
本件は、平成12年の健診の写真について、原告は精査の指示がなかったと主張し、被告は指示をしたと主張しており、事実関係における主張の対立があります(指示が必要だったこと自体は判例は認めています)。
この点については、この判例は「定期健康診断においては、一般的に、診察医ないし健診担当者と受診者との間に信頼関係が築かれていないことを考慮すれば、精密検査の指示において肺がんの可能性があることを明示すべき注意義務までがあると認められない」として、「総合病院で受診して胃カメラによる検査や気管支の検査等を行うように指示したにとどまった」としても定期健康診断担当医としての注意義務に反したと認めることはできない、としています。
これについては、確かに「肺がんの可能性」などは言わなくてもいいと思いますが、肺(気管支ではなく)の精査も必要だということははっきり言うべきだったと考えます。
ただ、この件では実際には患者本人が健診結果が出てから半月位のうちに自覚症状があって病院で胸部単純CT検査を受けておりますので、上記の指示の有無は結果に影響しなかったでしょう。
ー個人の場合は、自分の中での健康の価値の軽重によって、自分で受ける内容を自己責任で選択するべきだと思います。(今年私は検診車での検診を受けずに、直接撮影をして自分でみました。胃透視も断って内視鏡をのむ予定です)
ー
私も個人的には賛成です。私も健診ではなく、定期的に胃カメラや大腸ファイバー等の検査を受けるつもりです(気が重いことは確かですが)。
この判例の方も48歳でヘビースモーカーだったのだから、本当はきちんと肺がん検診を受けておくべきだったでしょう。
ただ、日本人は健康に対する(健康に限らずですが)「自己責任」という感覚が薄い人が多いように思います。
定期健診で異常なしだったら安心してしまう人が多いのではないでしょうか。その意味で、健診で要精査とするか否かは重要な意味を持つと思います。
投稿: M.T. | 2006年7月 7日 (金) 18時51分
たいへん勉強になるご返答ありがとうございました。
ー読影ガイドライン
医師は科学的な思考が極めて重要である反面、画像診断の実際は極めて右脳的です。(変な表現ですが理解していただけるでしょうか)見つけた病変を説明したり、診断名の根拠を述べる時は、論理を尽くしますが、その前の段階では理屈のない世界です。はっきりしたものの写る石綿ならガイドラインも作りやすいと思います。しかし画像が微妙で多種多様な一般検診では不可能でしょう。今ここで現実的なガイドラインを考えるならば、初めて撮影した人は全員ヘリカル。比較で前年度から変化があった人は全てヘリカル。明らかな癌のあった人は直接専門医へというものしかありません。
ー肺がん検診であれば、結果は
裁判所の判断のところの患者の受診後の経過をみると、肺尖部のブラの記載と、CTを撮っても診断に難渋している様子、凄まじい癌の進展があります。一般論的な「まれ」ということだけでなくて、そもそも(例え10年になかったとしても)11年の肥厚自体が癌のためかどうかもかなり疑わしいです。
ーともに100%とすることは難しい
この部分を読むと、いかに裁判特有の言い回しであるにせよ、現実よりはるかに特異度や感受性が高くあるべきと裁判所が考えているように感じて、ぞっとします。
ー肺(気管支ではなく)の精査
気管支の検査は、気管支鏡に他ならず、多くの場合の肺癌で必須であり、又、それを行うのは肺の専門医となるので、十分な指示(肺=気管支)です。気管支がダメで肺ならよいというのはナンセンスです。
ー安心してしまう人
一般検診にそこまで求めるのは物理的に無理です。その理屈で対応しなくてはならないとしたら、誇張ではなく全例精査へということになるだけでしょう。
投稿: 公立副院長 | 2006年7月 8日 (土) 10時20分
「公立副院長」さんへ
石綿被害の胸部レントゲン写真の読影ガイドラインのHPです。
http://www.env.go.jp/air/asbestos/commi_hefc/04/mat02_2.pdf
健診希望者が多すぎて、読影できる医師が不足し、判定の統一化のために急遽作成されたもののようです。
胸膜肥厚の要精査基準もあります。
アスベストとタバコとは危険率は同じではないでしょうが、肺ガンのハイリスク群であることは同じです。
問診・聴診においてヘビースモーカー、癌の好発年齢等の危険因子、結核の既往がない等が明らかである場合、片側性の胸膜肥厚のある患者について、再読影、前年の写真との比較読影は必要ではないでしょうか。
そして、その結果により、要精査の指示が必要となる場合もあると考えることに無理があるでしょうか。
投稿: M.T. | 2006年7月 8日 (土) 12時08分
「公立副院長さん」へ
HP(http://www6.ocn.ne.jp/~hakuaih/kensin-top.html)で「胸膜肥厚」について、こんな記載をされている医師の方がみえました。
なるほどな、と思いましたので紹介します。
「レントゲンでは‘胸膜肥厚‘という所見が見られることがあります。
この所見は正常な方でも見られることが多いのですが、中には肺結核・胸膜中皮腫などのように治療を要する‘胸膜肥厚‘もあります。
検診を担当する医師によっては、以前に撮影されたレントゲン写真と比較するなどして、今後も変化することのない、良性の胸膜肥厚であると考えた場合には、この所見があったとしても、健康には影響がないことからあえて結果に異常として記載しないこともあります(変化のない旨をあわせて記載することもあります)。
また、検診という限られた条件では断定することが難しい、もしくは異常ではないという意味で‘胸膜肥厚‘とだけ、簡単に記載することもあります。
このため前回まで異常がなかったとしても、判定する医師によっては「所見」として記載したり、記載しなかったりすることになります。
検診がピンポイントで行われる以上、医師によって所見の記載方法が異なるのはやむを得ませんが、できるだけ同一医療機関で検診のデータを集めておき、異常所見が見つかった場合には今までの検査結果の推移を確認していただくことをお勧めします。」(村田博愛病院のHPより)
健診を受ける側で、前年度の所見と比較をするほかない、ということのようです。
ただ、所見の記載方法くらいは統一できるのではないでしょうか。
前年度も同じ病院で健診を受けたのであれば、変化があるか、ないか(加えて、胸膜肥厚とは何かも記載してあれば)、患者に注意を促すことになると思います。
投稿: M.T. | 2006年7月 8日 (土) 12時29分
「公立副院長」さんへ
何度もすいません。しかし、この判決では、ちょっとこれだけはひっかかるので・・・。
ー肺(気管支ではなく)の精査
気管支の検査は、気管支鏡に他ならず、多くの場合の肺癌で必須であり、又、それを行うのは肺の専門医となるので、十分な指示(肺=気管支)です。気管支がダメで肺ならよいというのはナンセンスです。ー
ということですが、結果的には「気管支」の検査を指示したことで、肺の専門医が肺も検査することになるでしょう。また、気管支の検査もすべきでしょう。
しかし、平成12年の画像(判決によれば「これが定期健康診断として撮影及び読影されたものであることを考慮しても、右肺尖部に異常陰影があるものと認めてこれに対する精密検査の指示をする必要があったと認めるのが相当である」という画像)を診て、通常、読影医は「気管支の検査に行きなさい」という指示をするものなのでしょうか。
この判決の原告の主張を読んでいると、相当ここにひっかかっているようです(感情的なものかもしれませんが)。
私もどうしてこういう指示をしたのか、とひっかかったのでお尋ね致します。
投稿: M.T. | 2006年7月 8日 (土) 12時51分
ー胸膜肥厚の要精査基準
石綿の場合、「胸膜肥厚斑は、胸膜の一部が線維化して盛り上がるもので、石綿を吸って15年以上たって現れることが多い。悪性ではないが、疫学的にはその後、肺がんや中皮腫になる人が多いとされる。」と新聞に書かれているように、石綿の作用によってもともと胸膜肥厚がおこってそれが悪性腫瘍(肺癌より主に中皮腫)の準備段階というわけなので、一般的な肺癌とはまるで違うわけです。
ータバコ
タバコは肺癌だけではなく肺気腫もおこします。ブラがあると判例には書かれていますが、肺尖部はブラの好発部位でありそのため肥厚と捉えられる所見もしばしばでてきます。タバコが肺抹消で多く発生する腺癌ではなく、肺門部近くにできる扁平上皮癌、小細胞癌のリスクであることを加味して考えれば、肺癌をたいして補強する話ではありません。また、臨床をやっていれば本人に記憶の無い結核の痕はしばしばお目にかかるので、これも補強にはなりません。
ー健診を受ける側で
受ける側に確認をとれというのはちょっと変な文だと思います。なるべく同じ機関で受けるべきだというのが主旨だと思います。
現在全例前年度との比較をやっている施設もけっこうあります。ですからなるべくそのような施設を見つけて、かつ、毎年同じ施設でするのがよいです。(ただしこれをしなければ、過失だというレベルではなく、あくまでも若干精度を上げる方法です。ちなみに自分の病院では、全例の前年度比較はおこなっていません。間接でなく直接で撮っていますが)
ー記載方法くらいは統一
厚生労働省による検診の用紙の規格改正以外ではできないと思います。ネックとなるのは医師からから見て現在使われているものから明らかによいものでなければいけないこと。書かなくてはならないことが詳細になれば、短時間の仕事ならではの価格を上げざるを得なくなってくること。誰かが声を上げても厚労省は動かないでしょう。
投稿: 公立副院長 | 2006年7月 9日 (日) 11時27分
ー気管支
判例によれば、指示は血痰の症状にたいしておこなわれています。もし同じような指示を自分がするとしたら、食道と肺、又は病院を受診しろとだけ言っていると思います。気管支は肺の扁平上皮癌を想定したから出た言葉であって、呼吸器をより詳しく述べたものに過ぎません。読影に対しての指示では気管支を見てもらえとは中々言わないでしょうが、それは単にみる角度が違うからであって、肺の検査をしなければいけないと読影医が考えても、既に気管支を調べてもらえと言ってあるなら追加で何かすることはありえません。
もしこれが指示自体が全く無くて、そして予後に違いがあると考えられる症例であるなら、民事で訴えること自体は、正当であると考えます。しかし異常であるが瘢痕であって問題ない(12年)という被告に、それだけの理由で責任を負わせる判決が出れば、実際の写真を見ていないので断言はできませんが、問題あると思います。
この原告も問題は、受診の指示に従わないでおきながら、気管支と言われたからだなどと言っていることです。十分な説明は重要ですが、説明義務はいくらでも拡大していくことが可能です。そして医療従事者は不合理なレベルまで到達していると感じています。ここまで出鱈目でも許される現状が変わっていくことを強く願っています。
投稿: 公立副院長 | 2006年7月 9日 (日) 11時50分
「公立副院長」さんへ
詳細なご回答ありがとうございました。
石綿の胸膜肥厚については、そういうご回答であると思っていました。ただ、読影ガイドラインというものもあることを知って頂きたく例示させて頂きました。
また、引用した病院のHPの記載については、私はかなり親切なものだと感心しました。これを、この判例の原告が平成11年の健診の際に知っていれば、と思いました。
私自身は「健診」がそれほど精度の高いものではないことを理解しています。しかし、一般の方々の感覚はそうではないと思います。
(結局また費用との関係や厚生労働省の問題となってしまうでしょうが)、担当する医師や病院によって記載の方式が変わり、また記載の意味するところの説明もないことがあるので、受診者自身が勉強したり自己管理するほかないということでしょうね。
この判決では予後には影響ありませんでしたが、一般の方に「気管支の検査に行くように」というのと「胸部レントゲン写真にちょっと影があるので肺の検査に行くように」というのでは、受ける印象がかなり違ってきます。
原告がここにこだわっているのは(この事案ではそこから不信が生まれているようにも読めます)、こういうことがあるからだと思います。
投稿: M.T. | 2006年7月 9日 (日) 14時01分
ー結局また費用
この辺りは、もうお互い完全にわかって話をしていますよね。
ーそこから不信
これは性善説すぎますよ。人間はそんなに論理的な生き物ではありません。(不幸な患者の心理として典型的パターンですよ)
私も最近、肺気腫で肺癌の家族が、見逃しだとか、騒いだので少し切れて、徹底的に否定したやったことがありました。(自分の医師としての経験上、相手を慮って間違ったことをそのままにしてやっても、いいことは双方に何もありません)その症例などは、この症例で11年に癌がなくても不思議はないということの実例のような症例で、発見のわずか2ヶ月前のヘリカルCTには腫瘍は写っていないというものでした。その半年前のレントゲンにすでに写っていたと、当時担当の同僚医師が言ったと言い張って、どう論理的に反論しても、修正不能でした。
投稿: 公立副院長 | 2006年7月10日 (月) 08時44分
「公立副院長」さんへ
ーその半年前のレントゲンにすでに写っていたと、当時担当の同僚医師が言ったと言い張って、ー
医療事故相談でもよくあることです。「○○先生もこう言っていた」とよく言われます。
ー発見のわずか2ヶ月前のヘリカルCTには腫瘍は写っていないというものでした。ー
それは決定的な証拠となります。そういう場合は、まず癌の見落としを主張する弁護士はいないでしょう。
問題は、そういう写真がなく、ダブリングタイム(裁判所は必ずこれを求めます)からも存在していて不思議がない場合です。
投稿: M.T. | 2006年7月10日 (月) 09時47分
ーダブリングタイム
例えばダブリングタイムで検索すると真っ先にこんなページがヒットしました。
http://www.ekibirusengendai.com/newpage15.htm
さも医学常識のように書いていますが、これは証拠に乏しい古い説で、例えば自然史の個別の研究が進んでいる癌では、別に小児癌でなくても10年以上はむしろ例外であると考えられているものが多いです。(逆に本当に早期癌までの期間が長い種類の癌もありますが)
同様に、癌の発育はあくまで徐々に早くなっていくかのような表現がありますが、癌の発育速度に免疫の影響が大きいということが分かっていて、また免疫の影響がない状態であると、むしろ最初のうちの方が圧倒的に早く発育し、徐々に速度が遅くなるというのが事実であり、刺激云々は全く論外、要するに誤りと言ってもいいと思います。(癌細胞の変異や免疫の破綻が、後で加速する原因でしょう)
臨床的には、発生母地となる組織を調べた時に中途半端な大きさの癌組織がほとんど見つからないことや、疣などの日常的に見られる良性腫瘍の自然史を考えても、癌はある程度まで急速に大きくなり、一定期間停滞し(これがほとんどない場合も少なくないでしょう)、それからまた速度を速めるという方がしっくりきます。もともと増殖速度が一定でない癌において、ダブリングタイムが臨床上有用なのは、癌の構造がほぼ同じ時期においての増殖速度の比較や今後の予想(しかもかなり大雑把な)だけで、現実と乖離した過去における癌の存在の推測に医療者は利用していないはずです。
裁判で見落としの推定のために誰が最初にダブリングタイムを使ったのかわかりませんが(古い知識の老医かもしれませんね)、希薄な根拠の理論(おそらく誤り)を前提にした非科学的な行為だと思います。ちょっと気になったので、四半世紀前に学生の時習ったことを思い出しつつ、いろいろ文献を調べてみました。決定的な反論は見つけられませんでしたが(昔の説の根拠論文や最新の包括的な論文が見当たらなかったので)、だいたい以上のような結論に達しました。
投稿: 公立副院長 | 2006年7月13日 (木) 18時22分
見落としを無くして欲しいのなら
最初から全員胸CTにすれば_?
投稿: いのげ | 2006年8月15日 (火) 01時47分