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« 医師の方々への質問ー具体例 | トップページ | 気管内挿管の危険 »

2006年6月 1日 (木)

事故は避けられなかったのか?

 しばらく記事を書くのは休もうと思っていたのだが、これだけはチョッと。

 食道挿管(あるいは疑い)の設例を思いついたのは、実はこんな記事を読んで、以前の事件を思い出したからだ。

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060524-00000072-mai-soci

 整形Aさんのお話では、「食道挿管」はしょっちゅうある、ということ。

 でも、当時の私には、医師の方が気管内チューブを気管ではなく食道の方に入れてしまう、ということは大変なショックだった。

  こういう事故は避けられないのだろうか?

  たとえば、私の設例(具体的なデータに不備はあるだろうが)では、どうしたら患者さんは低酸素脳症になったり死亡しないですんだのか?

 これは、ずっと気になっていたことだ。

 本来、医療過誤事件の結果は、医療過誤の再発予防のために使われるべきだと、医師の方々も言われる。

 データ不足はあるだろうが(ヤフーのニュースの方でもよろしいので)、ご意見を伺いたいと思う。 

 

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医療過誤」カテゴリの記事

コメント

 「挿管チューブの挿入時の誤挿入」と「挿入して病棟などで管理しているときに少しぬけてしまったので再挿入したときの誤挿入」は分けて考えたほうがいいと思います。
 挿管チューブ挿入時の誤挿入はそれほどめずらしいことだと思いません。それは気管と食道は隣り合わせにあり、チューブは気管のある声門を確認して挿入するわけですが、体型や疾患により声門が見えにくいことがあります。そうするとやはり誤挿入しやすくなりますし、特殊な器具を必要としたりします。管理人さんも機会があったら、挿管練習用の人形ののどをのぞいてみてください。大事なのはきちんと挿管されているか確認することで、胸の動き、両肺呼吸音が同じ、胃で音がしない、チューブに水蒸気が上がってくるとか確認します。手術室ではカプノモニターが視覚的にわかるので非常に有用だと思います。
 
 挿管チューブの固定は、テープですることが多いと思います。ピンでとめたりできず、これは外れやすく、ずれやすいので特に病棟で管理しているとチューブがずれることは非常にありえることです。その場合少しずれたくらいでは押し込んで確認するのだと思いますが、その際声門の外まで抜けてしまっていて食道に挿入してしまう可能性はあると思います。

 いずれにしても一般の方が考えるのと全く違い、食道挿管は構造上非常にありえることでどうリカバーするかが重要だと思います。

 これは挿管に限らず、中心静脈カテーテルなど血管穿刺でも静脈と動脈はとなりあっているので動脈を誤ってさすことは構造上ありえると思います。

 それにもかかわらずこの春、挿管チューブが1cm抜けて医師看護師6人送検、動脈誤穿刺で医師送検ということがありました。

 医療従事者の中だけでなく一般の方にわかりやすく説明するのは非常に重要です。でも挿管は簡単な手技のほうだと思いますが、それでも説明するのは非常に難しいです。医師からみると非常にありえることでも、一般の方は有り得ないことだ、医師のミスだと思い込んでいることが非常に多いです。だからもっと微妙な判断が必要なとき、今の司法システムでは到底正確な判断ができないと思うのです。

 正確な事故・過誤の検証のためにも、起こした人を単に罰するような方法は有効ではないと思います。特に結果責任で判断されるならそうです。職業倫理に訴えるより、もっと有効なシステムを作るほうが現実的だと思います。
アメリカで医療過誤の検証をした研究がありますが、判決の軽重はミスの有無ではなく、結果の重大さに比例する結果がでたそうです。

「医療って」さんへ

 コメントありがとうございます。
 専門家とはいえ、人間のやることですので、ミスがあるのは分かります。

 アメリカでは、食道挿管の事故が多発し、賠償保険がパンクしてしまったため、手術中パルスオキシメーターのみでなくガスマトグラフィーの装着が義務づけられていると聞いたことがあるのですが、これは有効なのでしょうか。また、日本では今どうなっているのでしょうか(設例は10年近く前の事故だったと思います)。

 人間の注意力には限界があると思うので、モニターなどの機材が充実すれば、少しはこういうミスが防げるのではないかと思うのですが。

 私が麻酔科医ではないのですが、必要があって数年前に麻酔科を少し研修させていただきました。
 ですので現状につきましては麻酔科の先生のコメントをお待ちしたいと思います。お答えできずすいません。
 ただ他科からみて思ったのは麻酔科医が全然足らず、常勤の麻酔科医がいない病院も少なくないことです。そういう病院は機器のそろえもあまりよくないように思います。
 
 あと、これは些細なことかもしれなくて心苦しいのですが、「ミス」の定義は非常に難しいと思います。例えば非常に挿管困難な人はいます。この人に食道挿管したらミスなのか?。患者さんの要因なのか?いつもよくわからなくなります。それと同様明らかな患者さん取り違えとか以外では被害者と加害者と呼ばれることも違和感があるのです。

 モニターなどの充実はまさに管理人さんのおっしゃるとおりだと思います。
 モニターではありませんが危険な薬剤の誤投与で、その投与した医師・看護師を個人的に罰するので同様の事件が後を絶たない、その薬剤を他の薬剤と別の場所に鍵をかけて保管すればいいだけ(システムの改善)に。という話を聞いたことをあります。

 現在の医療裁判では裁判官によって同じような事件でも結論が180度違ったり、最近の判例はこうなので、医学的に可能かどうかはともかく、示談を進められたりすると聞きます。
 経時的な事実と結果、医療水準から見て妥当であったかどうかの判断をある程度統一した基準で行うことで、システムの改善、そして海外で安全確保のために有効性が証明されていても日本ではなかなか保険適応が通らないものに強い働きかけができると思います。

ー例えば非常に挿管困難な人はいます。この人に食道挿管したらミスなのか?。患者さんの要因なのか?いつもよくわからなくなります。それと同様明らかな患者さん取り違えとか以外では被害者と加害者と呼ばれることも違和感があるのですー

 「医療って」さんが指摘されているように、「大事なのはきちんと挿管されているか確認することで、胸の動き、両肺呼吸音が同じ、胃で音がしない、チューブに水蒸気が上がってくるとか確認します。手術室ではカプノモニターが視覚的にわかるので非常に有用だと思います。」ということをやられていても、食道挿管が避けられないのだとしたら、それは「ミス」ではなく「不可抗力」とされると思います。

 もし、手術中にガスマトグラフィーの装着を義務づける(保険の点数にも入れる)ことで、食道挿管が避けられるのなら、ガスマトグラフィーを装着していなかったら過失、装着しており他の注意義務違反もない場合は過失ではない、ということになると思います。

 こういう考え方は、医師の方々には受け入られないものなのでしょうか。

ー現在の医療裁判では裁判官によって同じような事件でも結論が180度違ったり、最近の判例はこうなので、医学的に可能かどうかはともかく、示談を進められたりすると聞きます。ー

 しかし、協力医の先生方にご意見を聞いた場合、たとえば3人の医師に意見を聞くと3人とも回答が違うということもあります。第三者機関で3人の医師の専門家委員の意見が違ったらどうするのでしょうか。多数決なのでしょうか。
 意見が一致するようなケースだと、今の制度でも、たいてい示談や訴訟上の和解で解決がついています(判決までいっているのは一部、判例集にのったり、マスコミで報道されている事案はごく一部、と思って下さい)。今の医師逮捕の続発というのは「司法」の中でも主に「検察」の責任だと思います。令状を出した裁判官にも責任がありますが、これは「痴漢のえん罪事件」の逮捕と同様、他の分野の事件でもあります。

ー経時的な事実と結果、医療水準から見て妥当であったかどうかの判断をある程度統一した基準で行うことでー

 これには賛成ですが、日本の医師の方々の中でも治療行為の統一した基準、「スタンダード」というのは確立していないと思います。
 私たちも、医師向けの教科書や医学論文を読んでいますが、書いてあることがそれぞれに違うために困っています。
 アメリカはこういうスタンダードの確立に積極的ですが、日本で全て受け入れられているわけではありません。

 同様の事案でも判決が裁判官によって異なることがあるのは医療裁判でなくても他の民事裁判でも同様です。「これがいかん」というのなら、今の全ての裁判制度を否定することになります。
 
 裁判になると結論の異なる複数の鑑定が出て、医師の方々の意見がいかに多様なのかに驚くことがあります。

 私は第三者機関について今どういう議論がなされているかは知りませんが、もし第三者機関の設置をのぞまれるのでしたら、今の医療裁判の問題点をよく追求し、その上で、医師、法曹関係者、患者となる国民にも議論に参加してもらい、十分に討論を尽くした上で設置を考えるべきだと思っています。

 

最近、ログさせていただくようになりました。M.Tさん本当にごくろうさまです。このような場があることで医師・法曹関係者が考えていること(考え違いしていること)がお互い少しでもわかることはいいことだと思います。是非がんばって続けてください。

こんにちは

  『いなか小児科医』のbefuです。

お疲れ様です。

<もし第三者機関の設置をのぞまれるのでしたら、今の医療裁判の問題点をよく追求し、その上で、医師、法曹関係者、患者となる国民にも議論に参加してもらい、十分に討論を尽くした上で設置を考えるべきだと思っています。

仰るとおりと思っております。ただ、議論の場を作るのは今は難しいと考えています。それこそ、国レベルでの事業でやらなくてはならないのかもしれませんね...

ー協力医の先生方にご意見を聞いた場合、たとえば3人の医師に意見を聞くと3人とも回答が違うということもあります。第三者機関で3人の医師の専門家委員の意見が違ったらどうするのでしょうか。多数決なのでしょうか。ー

通常意見が分かれるような内容の話ならば、勉強している医師ほど微妙な回答をするはずだと思います。そこで白黒はっきり言ったとしたら、臨床経験に基いた発言でも、その分野における深い知識による発言でもなくて、医者以外でも可能な教科書やガイドラインの単なる知識の披露をしているだけでしょう。
学会でのディベートは別ですが、医者同士で意見が分かれた時、問題解決を目的に討論すれば、最も知識が豊富な医者の意見に集約されることが多いでしょう。自分の専門外のことで、専門医の言うことに従わない医者はいません。根拠をもって説明されれば、意見を修正します。
医者というものの性質を考えれば、現在の裁判における鑑定書というのは、医者に勝ち負けを感じさせてしまうので、拙いやり方です。医師の多くが問題ありと思った判決の鑑定書を読んで検討したことがありますが、学会で時に見られる議論に勝つための歪曲そのものです。純粋に医学上の真実を知るためには第三者機関がベストです。

「公立副院長」さんへ

ー医者同士で意見が分かれた時、問題解決を目的に討論すれば、最も知識が豊富な医者の意見に集約されることが多いでしょう。自分の専門外のことで、専門医の言うことに従わない医者はいません。根拠をもって説明されれば、意見を修正します。ー
 
 一応、協力医にせよ鑑定医にせよ、「専門医」をお願いしています。それでも、意見が分かれることがあります。

ー最も知識が豊富な医者の意見に集約されることが多いでしょう。ー
 「最も知識が豊富な医者」が誰か、ということは、(医師ではない)委員はどうやって知ったらいいのでしょう。
 今も東京の裁判所では放射線科の画像診断などは、数人の放射線科医師が一同に介して実施する鑑定方法を取っているようです。成果については、まだよく知りません。

ー「専門医」をお願いしています。それでも、意見が分かれることがあります。ー

すいません。言葉の使い方が不親切でしたね。専門医でもさらにその分野の中の得意分野があります。そんな意味での専門医です。協力医同士で仲良く議論できれば分かると思います。(仲良く議論できるタイプの人間であることが条件になりますが)また議論を聞くことで、より微妙なニュアンスが伝わり、意見の正確性も増すと思うのですが、そんな風にやるのはどんなものでしょうかね。

ー委員はどうやって知ったらー
例えば医学論文がありますよね。いい医学論文は他の医学論文から引用されることが多くなります。医師はそれを見分けるための尺度として使っています。
インターネットの検索上位も、よいページはよいページにリンクされているという考えで選ばれているらしいですよね。
医師会推薦であるとか、大学の肩書きがあるとかではなく、多くの医師の推薦で選ぶのがいいやり方だと思いますよ。同様に問題行動の医師は排除していくことも重要です。

ー東京の裁判所ー
すでにいいやり方を始めているということですね。きっとうまくいったら分野を広げるのでしょうね。

すみません。名前入れ忘れました。

 私が医学的にできる限り正しい判決を、といっているのはこれが医学・医療界をいい方向に導くインセンティブにもなると思うからです。
 今EBM(証拠にもとづいた医療)ならぬJBM(裁判に基づいた医療)と揶揄的に言われることがあります。ここでなぜ揶揄的に言われるかといえば現在のシステムだと裁判の判決が医学的に正しくないと思っても、処罰されるので従わなくてはならないという風潮がでてきたからです。
 ここを逆手にとって、正しい判決が導けば正しい方向に行くのではないのでしょうか。

>同様の事案でも判決が裁判官によって異なることがあるのは医療裁判でなくても他の民事裁判でも同様です。「これがいかん」というのなら、今の全ての裁判制度を否定することになります。

 ここなのですが、
 ①医療事故・過誤は普通悪意を持ってなされるわけで  はなく偶発的に起こってしまうこと
 ②勝敗を決めたり、個人の責任の追及が主体であれば  自分に不利な事実をかくそうとして結局再発防止に  役だたないこと
 ③結果が医療の方向性を決め社会全体への影響が大き  いこと

 が他の事例とは違うのではないかと思います。
 
 例えば、あの事件で有罪になったからこの殺し方はしないでおこうと思う殺人者はいなくても、この事件で過失を問われたから、予防のためこういう対策を立てよう
という医療機関はたくさんあると思います。

 今のやり方だと判決が医学的に矛盾が多いものもあり(もちろん医療側の耳に入ってくる判例でこれが全体ではないとは思いますが)、医療側が混乱しているのです。基準を決めて欲しいと思うのです。 

 また、一般的なガイドラインについて、これにも功罪はあります。
 例えばACLS(心肺停止の患者さんに医療側が最初に行う蘇生処置)は細かくガイドライン化されていて、救急の現場で共通の意識を持って正確で迅速な蘇生を行うのに非常に役に立っています。
 しかし、例えばこの治療が患者さんにとってベストだと思うけど、ガイドラインにのっていないから、万一有害事象がでて訴訟になったら負けるかもしれないので、できない、となればあまりよろしくないと思います。
 (少しそれますが、大きな処置には必ず承諾書をとりますが、この法的拘束力はないとききました。最近では肝硬変の患者さんにエコーをすすめたが拒否されて、肝臓がんで死亡→訴訟→医療側がもっと説明すれば検査を受けたので注意義務違反で医療側敗訴ということがありました。患者さんの意思決定の自己責任はどうなのだろうかと思いました。)
 また結論のついていない治療法などもたくさんあります。
 結局、その事例ごとに信頼のおける専門家が相談して判断しなくてはいけないのではないかと思います。

 最後に、管理人さんのミスと不可抗力の考え方はとても受け入れられるものです。改めていいお仕事をなさっているのだと思いました。

「公立副院長」さんへ

ー例えば医学論文がありますよね。いい医学論文は他の医学論文から引用されることが多くなります。医師はそれを見分けるための尺度として使っています。ー
ー医師会推薦であるとか、大学の肩書きがあるとかではなく、多くの医師の推薦で選ぶのがいいやり方だと思いますよ。同様に問題行動の医師は排除していくことも重要です。ー

 今の鑑定制度(裁判所から依頼される正式の鑑定)でも、こういうふうに鑑定医を選び(鑑定医の名簿を作成)、かつ前記の放射線科鑑定のように数人のカンファレンス方式で鑑定がなされるのなら、今の制度でも医師側も患者側もかなり納得がいくものとなると思います。

 ただ、放射線科の場合、画像診断にはそれほど時間もかからないし、医師の方々の負担もそれほどではない(こういうカンファレンス方式であれば参加される放射線科医の方々の研鑽の場にもなる)と思います。だから、実現できたのです。

 しかし、他科の場合、膨大なカルテや訴訟記録を読まなければならないという負担があり、時間も相当かかります。それぞれが十分に検討してからカンファレンスとなると思いますが、鑑定医の方々には大変負担になる仕事だ思います。また、鑑定医の数だけ報酬が必要となり、それを誰が負担するのか、ということが問題になります。
 まず、こういう仕事を引き受けて下さるような、「立派な論文を書き、多くの医師から臨床医として尊敬されている医師」が見つかるのでしょうか。そういう方なら大変お忙しいと思われます。

 そして、いくら長時間カンファレンスしても意見は分かれる場合は絶対あると思います。たとえば、放射線科医の場合でも、A医師は「これは癌と判断すべきだ」とゆずらず、B医師は「これは絶対に癌ではない」とゆずらず、という事態になったらどうするのか。
 
 これは裁判所も同じことで、合議の3人の裁判官がいる場合、意見が割れることがあります(最高裁判所の判例でも、よく最後に「反対意見」とか「補充意見」とかが記載されていますね)。
 そういう場合、いくら協議しても意見がまとまらなければ、裁判長の意見がやはり大きくものをいうと思われます(実際の合議がどうなされているかは私はよく知りませんが、修習生のときの経験からは)。裁判長といつも意見が対立する他の裁判官(右陪席とか左陪席とか言われます)は相当辛いらしいです(裁判長の転勤をひたすら待つらしい。まあ、その前に僻地へ転勤させられるかもしれないが)。裁判官は、大きな一部屋に数人の裁判官が一緒に机を並べて仕事をしているので、なかなか意見や価値観が対立すると厳しいものがあるらしいです。

 話がそれましたが、数人の医師が協議するといっても、意見が割れたとき、結局は(裁判長ならぬ)ボス的な立場の医師の意見が強くものをいうのではないか、と心配になるわけです。これも私の偏見と言われればそれまでですが。

 

「医療って」さんへ
 
ー例えばこの治療が患者さんにとってベストだと思うけど、ガイドラインにのっていないから、万一有害事象がでて訴訟になったら負けるかもしれないので、できない

 裁判であっても、ガイドラインをそのまま形式的に適用するわけではなく、個々の患者の事情によって合理的な変更は認められると思います。

ー結局、その事例ごとに信頼のおける専門家が相談して判断しなくてはいけないのではないかと思います。ー

 これについては、上記「公立副院長」さんへの回答をご参考にして下さい。今の鑑定制度でもそのような「信頼のおける専門家」が複数鑑定人になって下さるのであれば、私はカンファレンス方式の鑑定に賛成ですが、現実には1人の鑑定人を探すのも大変という状況でそんなに多数の鑑定人が確保できるのかという疑問があります。また、その鑑定人の報酬はどうするのか、というのは大問題でしょう。

ー肝硬変の患者さんにエコーをすすめたが拒否されて、肝臓がんで死亡→訴訟→医療側がもっと説明すれば検査を受けたので注意義務違反で医療側敗訴ということがありました。ー

 これは判例集に掲載されているのでしょうか。もし掲載されているのでしたら、お教え下さい。ちょうど、慢性肝炎患者のエコー、CT、造影CT検査の頻度はどうあるべきか、について裁判所に文献の書証を提出したところです。
 これら検査をどの程度の割合で実施するかについても、医師、病院の中で見解が分かれており、たとえばこれをカンファレンスするとどういう結果が出るのか、興味のあるところです。
 また、患者にはどう言ってエコーを勧めたのか、患者はどうして非侵襲のエコーを嫌がったのか、が分からないとなんとも言えない事例だと思います。

 腹部エコーを断って、の症例は最近(ここ4ヶ月以内だと思います)の医療関係者の情報版でみたと思います。判例集ではないのです。当時は結構話題になっていろいろな医師ブログにも取り上げられました。今検索してみようと思ったのですがうまくできなかったので正確な情報を載せられません。すいません。
 これがどうして印象に残ったかというと以前救急外来で新しい心筋梗塞の患者さんがどうしても金庫のお金が気になる!といって入院を拒否したということがあったからです。当然家族も呼んで、救急担当医と、循環器医など複数の医師と看護師と総出で死ぬよと説得したけど、帰ってしまいました。もちろんカルテには通常の所見だけでなく長大な作文をして、最後に説得したけど本人の意思で帰ったという趣旨の短い文を患者さん自身に書いてもらって署名拇印をしてもらいました。でもこれは法的に無効なんだなと思いながら。くだんの患者さんは数時間後に救急車で戻ってきて適切な処置で事なきを得ましたが。
 これももし自宅で急に不整脈とか起こって死んだら訴えられて負けるのかなと少し思いました。

 アメリカは訴訟社会です。そして患者さんの権利意識は非常に強いです。ですので病院も訴えられないような対策をいろいろしています。
 例えばAMA against medical adviceといって患者さんが医療側の勧めに従わなかったらこの書類にサインさせます。つまり説明したけど従わなかった、患者の自己責任でそうしたので病院の責任はないという書類です。

 日本には応召義務はあるのに医師を守る法律はなにもないと感じます。実際の臨床で危機迫っていれば上記のような対応をすると思いますが、肝硬変はすぐには死なないですよね。エコーを勧めて断られたらどこまで説得すればいいのか。懇切丁寧に患者さんに説明しても説明していないといわれたら、医師の責任になってしまうのか。もっとはっきりして欲しいと思います。
 殺伐としているけどAMAのようなものも必要なのかと思います。

 ただ、実感として現在の制度で訴えられることを恐れて医療が変化するのは本末転倒な気もしますが。

「医療って」さんへ

 心筋梗塞でそこまでいう患者さんであれば、医師の責任は問われないと思います。ただ、事実関係に争いが生じる可能性はあります。そんなにご心配なら、録音でもされておいたらどうでしょう。

 患者さんの方でも、最近は結構医師との会話をテープに録音している人がいますよ。

 弁護士も交渉相手や依頼者との会話を録音しておくことがあります。電話も録音できるようにしています(でもあまり録音するとテープの整理が大変になるので、私はあまり録音したくはありませんが)。

 確かに、手術承諾書などに書かれていることを「聞いていない」と言う患者さんの方が多いです。日本人は大体書面をよく読まずに署名押印する人が多いし、医療の場合は内容を読んでも一般人がよく理解できないことが多いため、裁判所も厳格に「署名があるからこの内容の説明を聞いたでしょう。」とは認定することができないのです。

 ただ、実際に分かりやすい丁寧な説明が欠けていると思われるケースもありますので、できるだけ患者さんには「分かりやすくかんで含めるように、また質問しやすい雰囲気を作って、ある程度時間をかけて」説明する必要があるとは感じます。

 お医者さんが無口で質問しにくい、いつも慌しく病室を去ってしまい、ちっとも病状を説明してくれない、という不満が重なって、医師に対する不信感となり、医療ミスではないかという誤解を生んでいるケースが相当あると思います。
 (このブログの医師の方々のコメントを読んで、医師の方々がどうしてそうなるのかは、私にはよく分かりましたが。)

 これは弁護士の場合も同じです。しかし、弁護士は結構おしゃべりな人が多いので、こういう不満はあまり聞きません。「電話してもちっとも掴まらない」という苦情はよく聞きますが。

 記録と言うことを考えてみました。本来カルテは患者さんの状態、診断、治療についての考察課程を記録し、他の医療従事者と共有したり、経時的に追うもの、つまり患者さんの診療のために記録するものです。そこに最近は訴訟の際に医療側が自分を守るために記載するという目的が追加されました。
 手術の際の録画についても同じことだと思います。

 しかし一般的な診療行為、例えば外来について全て録音・録画するべきものでしょうか。この目的は明らかに訴訟対策ですよね。

 良い医療は患者さんと医師の信頼関係の上に成り立つものだと思います。ここで明らかに訴訟対策のために全医療行為を記録するとなれば、もうすでに協力関係でなく、敵対関係が内在していることを前提としているように感じます。

 断り無く録音・録画される場合にはどうしようもありませんが、私はそのような申し入れを外来でされたら、緊急事態以外は他の信頼できる医師におかかりになるようにお勧めすると思います。

 また、救急救命で録音・録画する余裕もないと思います。その目の前の患者さんと他の大勢の患者さんを治療することで手一杯です。

 さらに一日中録画されていて、それがいつ訴訟のために強制的に提出させられるかわからない、つまり常に監視されている状態で働くのはどうなのでしょうか。それでなくても常に緊張感が高い職場でこれ以上の心理的ストレスを医療側に増やすことが、医療の質の向上に役立つとは思えません。


 患者さんもやはり、承諾書を読まなかった、知らなかったではもういけないのでは?と思います。署名捺印したからには、よく読んで内容を理解しようと努力し、わからなければ医療者に尋ねる努力が必要ではないかと思います。承諾書にある程度法的抗力を持たせるべきだと思います。
 全ての診療行為を記録しない限り、今のままでは言った言わないの水掛け論は避けがたいし、全ての診療行為を記録するのは現実的に不可能だと思います。

「医療って」さんへ

 私がテープに録音したらどうか、と提案したのは、心筋梗塞の患者さんの例についてです。医師の入院の勧めを断って金庫の方を取った方であれば、おそらく録音にも納得されるのではないでしょうか。

 弁護士も依頼者との信頼関係を前提として仕事をしておりますが、実際にはトラブルとなることもあるのです。場合によっては弁護士会にいわれなき懲戒申立をされることもあります。
 身を守らなければならないのは、医師も弁護士も同じなのです。そういう社会になってきている以上、残念なことですが、医師、弁護士、患者、それぞれが自らで自らの身を守らざるを得ないのです(私はそういう社会がいいとは言っていませんよ)。

 承諾書については、医学用語が多様されており、一般人には理解しがたいものも多いようです。最近では、工夫されて素人でも理解しやすいように作成されているものも見かけるようになりました。やはり考えておられるんだなと思いました。

 承諾書類の表現方法には十分配慮する必要はあると思います。
 ただ、それでも、日本で、「承諾書にサインしたから全部了解しただろう」と認定されるには、まだまだ年数がかかるでしょうね。
(これは医療の場合のみならず、消費者事件の契約書などでもよく問題になります。)

ーA医師は「これは癌と判断すべきだ」とゆずらず、B医師は「これは絶対に癌ではない」とゆずらずー

臨床の場では、よくカンファレンスをおこないます。患者さんの治療方針や、データの読解などをおこなって意見をたたかわせることも少なくありません。医師の勉強のためであり、患者さんの治療において見落としを防ぎ最善の治療をするためです。ところが、意見がわれることも少なくありません。そして最終的に、最上位者が判定を下すという形になります。
こう書くと、先生の言われたことそのもののように見えますが、微妙な例においての決定は、癌だと決定したわけではなく、癌だということにしておいて行動しましょうということにすぎません。つまり議論の結果はどちらか判らなかったということ判ったということです。参加者は、「どの範囲までが分かって、どこからが分からない。分からないので、とりあえずこちらにしておく。」と皆理解するのです。もしそれを裁判に利用するのであれば、癌又は癌でないと判定すべきではなくて、「癌と判定する要素は(中略)で、癌と考えて治療する医師もいれば、そう考えずに(中略)もいる」と書くのが正確な鑑定だと思います。

ーそういう方なら大変お忙しいー

鑑定医の選択が、医療裁判でのおおきな問題だと、おそらくここに書き込んでいる医師の多くが考えています。産科の事例で検察が相談した臨床経験に乏しい論文教授。現代の基礎的な医療知識も持たずにやたら裁判の鑑定医をしたがる老専門医。協力医鑑定医不足も予算不足もわかるのですが、時々見られるおかしな医者にはとても任せておけません。ほとんどの勤務医は、医師会を全く信用していませんが、医師会の普段の行動をみる限り、おかしな鑑定医(功名心で動く老医や、肩書きだけの論文教授)よりは、医師だけでなく患者にとっても公正な判断を下せる人選をすると思いますよ。

ー微妙な例においての決定は、癌だと決定したわけではなく、癌だということにしておいて行動しましょうということにすぎません。ー

 臨床の場において「これから治療をする」場面では、より慎重な判断とならざるを得ないので、そうなると思います。

ーもしそれを裁判に利用するのであれば、癌又は癌でないと判定すべきではなくて、「癌と判定する要素は(中略)で、癌と考えて治療する医師もいれば、そう考えずに(中略)もいる」と書くのが正確な鑑定だと思います。ー

 たぶんそういう場合、裁判所は、結論の異なる複数の鑑定が出た場合と同様、結論に至るまでの論理の過程に一番合理性がみられる結論を選択することになると思います。
 そうなると、カンファレンス方式でも意見の割れた場合は、複数の鑑定がなされるのと同じことになると思います。
 ただ、カンファレンスで複数の医師が意見を闘わせることによってより精度の高い鑑定になるのでしたら、そのことだけで意味があるとは思います。

ーほとんどの勤務医は、医師会を全く信用していませんが、医師会の普段の行動をみる限り、おかしな鑑定医(功名心で動く老医や、肩書きだけの論文教授)よりは、医師だけでなく患者にとっても公正な判断を下せる人選をすると思いますよ。ー
 
 裁判所は、鑑定人名簿を作成しようとしていますが、非常に難航しています。
 大学の推薦などが多いようです。
 医師会なら適切な方を推薦して下さるのでしょうか。現役の臨床医で実績もあり論文も評価されているような医師というのは、どうしたら探せるのでしょうか。
 しかも、カンファレンス方式だと1事案に複数の鑑定人が必要となりますので、名簿にはたくさんの数の候補者を掲載して頂く必要があります。
 現在の状況では、非常に困難なことに思えます。

検査怠りがんで死亡、医師に賠償命令
 肝硬変を患っていた北海道北見市の男性(当時67)が肝がんで死亡したのは
日本赤十字社(東京)が開設する病院の医師が検査を怠り、がんの発見が遅れたためだとして、
妻子が計約6400万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、札幌地裁は18日、
日赤と医師に計約3600万円を支払うよう命じた。
 判決理由で笠井勝彦裁判長は「肝がん発症の可能性が高い肝硬変を患っていたにもかかわらず、
がんを早期発見するための検査をしなかった」と医師の注意義務違反を認定。
日赤の使用者責任も認めた。
 病院側は「検査を勧めたが断られた」と主張したが、笠井裁判長は
「患者から断られた場合、検査の重要性を十分説明すべきだ。
1度断られたことが検査を怠ったことを正当化するものではない」と退けた。
 判決によると、男性は90年8月、北見赤十字病院(北海道北見市)の内科を受診し、
肝硬変と診断され、毎月1回通院していた。
医師は2カ月に1度は腫瘍(しゅよう)マーカーの検査をしなければならなかったが、
98年12月の検査後、約7カ月間検査しなかった。
この間に数値が増加し肝がんの兆候が出ていたのに早期に発見できず、
男性は00年1月に死亡した。(2005/11/18/)

ー臨床医で実績もあり論文も評価されているような医師ー

この部分に少し述べさせてください。臨床において、論文や学会での著名度と臨床上の知識技量は必ずしも相関しません。(もちろん論文を書くような分野が、自分の中の専門の中の専門ではあります)裁判所は鑑定医の評価に肩書きを重要視していますよね。しかし臨床の実力は中堅どころの方が上であり、真実に近づく目的ならば、それなりの施設でそのくらいのポジションの医師を集めた方がよいと思われます。(臨床で忙しいので、それはそれで集めにくいかもしれませんが、候補がたくさんいればその分は集めやすいでしょう)教授に依頼するのではなく、カンファレンス単位で検討を依頼というのもいいかもしれませんね。(事故症例は勉強になりますし)

ー医師会ー

医師会と言っても総本部のことです。地方の医師会は、前に誰かが述べていたとんでもない悪開業医が牛耳っている場合が多い上に力も意欲もないので役には立たないでしょう。
医師会の総本部レベルでは医師のためだけでなく、患者のために活動していることも少なくないのですが、何か言う度に悪者扱いされています。(医師会の言うことは、もちろん勤務医としては賛成する話ばかりとは限りませんが)患者側弁護士の集まりから、鑑定への協力を求められれば喜んで協力するのではないかと考えています。医師会や我々が正したいのは、マスコミなどで多く報道されているような事実認定において医学的に首を傾げざるをえない判決と、それを生み出す土壌である鑑定人とそのシステムであり、先生が扱っているニュースになっていない明らかな例を誤魔化すつもりも、誤魔化すような鑑定人を認めるつもりもないのです。現状として、どちら側の人間も甚だお粗末であると感じているわけですから、協力し合って改革していくべきだと思います。

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ストップ医療崩壊

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