RYZさんのコメントへの回答
RYZさんのコメント(RYZ on 刑事弁護についてのQに対する(一応の)回答ーその4 )に対して、ちょっと回答してみる。
<そもそも「殺意が無ければ殺人にならない(私は法律家ではないので確信はありません、間違ってますか?)」ということがわからないために安田弁護士の主張自体を異常扱いする人が余りにも多すぎるのです。>
殺人罪が成立するに殺人の「故意」が必要です。この殺人の故意のことを一般に「殺意」と言っているのです。
一般の方々もそのことはご存じだと思います。
殺意の有無が争点の一つになる事例は珍しくはなく、司法研修所でも実務研修でも司法修習生はよく起案(判決や弁論要旨などの案を書くこと)させられます(少なくとも私が修習生の頃はそうでした)。
今回の母子殺人事件でも争点の一つになることに不思議はないと思います。ただ、主張の出てきたタイミングと弁護人が安田弁護士だったことで、世間の不信感や反感をかったのではないでしょうか。この殺意の認定というのは、客観的な証拠が重要ですので被告人の供述よりもむしろ遺体の鑑定書や現場の状況などによって裁判官が判断することになると思います。これらの証拠を見ることのできない人間は、裁判所の判断を静かに待つべきだと思います。
<これは、法曹界が一般市民に対して理解を求める努力を怠ってきたからではないでしょうか?>
(殺意の点ではなく)もっと根本的なところで、法曹界が一般市民に理解を求める努力を怠ってきたということであれば、確かにそうでしょうね。
間違いだらけの弁護士ドラマを放置している位ですから(実務どおりにやっていたら、弁護士が記録を読んでいたりパソコンで書面を作成しているところのシーンが多くてドラマにならないのでしょうけど)。
ただ、弁護士は皆忙しすぎて(忙しくしていないと食べていけない)、そういう余裕がないこともご理解頂きたいと思います。
<というのも、一般市民が法律に詳しくなってしまったら、弁護士の活躍する場が少なくなってしまうという危険性があるからです。
私は、多重債務者の借金返済ブログなどを見ているのですが、「弁護士費用がもったいないから、裁判や各種申し立ては、自分で勉強してやるべきだ」という意見が主流です。>
私は、一般人が頑張って自分で裁判をやったり自己破産の申し立てをやったりされるのは、それはそれでかまわないと思っています。むしろ、これを一番嫌がっているのは裁判所(特に窓口になる書記官)だと思います。やはり、実務では一般人が本を読んだだけでは分からないことがたくさんあると思います。弁護士だって分からないことがあるのですから。
私は、自分で自己破産の申し立てや個人再生の申し立てをして裁判所の窓口にみえている方を何度も見ておりますが、そういう人に対して説明する書記官は本当に大変です(書記官がかなりイライラしているところを何度も見ました。今の体制では書記官は非常に忙しいのです。)。
もし、一般の方々が「自分でやるから弁護士なんていらない」というお考えなら、弁護士を増やすのではなく(むしろ必要なくなるので減らして)、裁判官や書記官を増やさなければいけません。裁判官や書記官の給与は税金から出ています。彼らを増やす以上は全国民に税金の負担増を覚悟してもらわなければなりません。
<これは、ある意味当然なのですが、それがエスカレートして「弁護士は役に立たないアドバイスをするだけで30分5000円もの大金を取る悪党だ」などという意見まで出て、しかもそれが支持されている始末です。>
そういう考えの方は有料の法律相談ではなく、無料の法律相談に行かれればいいだけのことではないでしょうか。いろいろな法律相談のメリット・デメリットについては、私のHPの「弁護士一口アドバイス」をお読み下さい。
なお、法律相談料30分5,000円(消費税を入れると5,250円)といっても、弁護士会の運営する法律相談センターでは、相談にあたる弁護士の取り分は3,000円程度(愛知県弁護士会の場合、3,680円)になります。弁護士会に入る法律相談料は、法律相談センターの運営費や弁護士会の公益活動などに充てられています。
<民事裁判においては、お金に余裕がある方が有利だということです。
しかし、私が思うに現在の司法改革を推し進めたら、今まで以上に金を持っている人間だけが勝てるという世界になってしまうのではないかと危惧するわけです。>
確かに裁判にはコストがかかります。
裁判費用のことを考えて裁判を諦めてしまう方は今でもおられます。
ただ、弁護士が増えると「実費だけで着手金はいりません」などと宣伝して事件を引き受ける弁護士も増えてくると思います。
しかし、着手金ゼロということは、依頼者にとっては楽かもしれませんが、事務所を経営したり生計を立てていかなければならない弁護士にとっては大変です。いわば自分の負担によって他人の事件でバクチをすることになります。
着手金を「ファイトマネー」と言っている弁護士もいる位です。事件を引き受けても着手金ゼロではやる気が沸かないかもしれません。特に、勝訴の見通しが厳しい事件ではそうです。バクチの確率を上げるために「間違いなく勝てる」と見込んだ事件しか引き受けなくなるかもしれません。また、事件が勝てそうになくなると(報酬をもらえないことが明かになってくると)、とたんにやる気がなくなるかもしれません。
弁護士も人間です。「タダほど高いものはない」ということわざ通りになるかもしれません。
これは、あなたが弁護士だとして事件を引き受けるときの気持を想像して頂ければ分かることだと思います。
弁護士にとって依頼者からお金をもらうということは、責任を負うということでもあります。また、依頼者にとっても、お金を出したのだから弁護士に自分の事件を勝手にしてもらっては困る、自分の事件は自分で監督する、という自覚を持つことになると思います。
ですから、私は「着手金ゼロ」には反対です。
しかし、弁護士が増えすぎればどうなるか分かりません。
弁護士を利用する方々には、本当にそういう弁護士の利用法でいいのかを、お考え頂きたいと思います。
日本がアメリカ型の訴訟社会になっていったときは、確かに「大金で有能な弁護士を雇える」人の方が裁判では有利になるでしょう。
そして、大金を払ってでも雇ってもらえるように努力する(宣伝活動なども含む)弁護士が増え、安い費用であってもきちんと仕事をするという職人のような弁護士は減っていくでしょうね。
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コメント
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お忙しい中、私の拙い疑問に対して丁寧に解説していただいて、ありがとうございます。
私の言いたかったことは、職人のような弁護士が報われるような社会になって欲しいということでした。
本当に難しい問題だと思います。
投稿: RYZ | 2006年5月17日 (水) 18時27分