刑事弁護人の役割ー3つの質問(回答編)・設例A
刑事弁護人は「雇われガンマン」か?「聖職者」か?はお読み頂いただろうか。ちょっと難解だが、刑事弁護人の役割を考える上では、避けて通れない問題である。
その上で、刑事弁護人の役割ー3つの質問 (季刊刑事弁護 N022 p62~)を考えて頂けただろうか。
「設例A 身の代金目的で少女を誘拐し殺害したと疑われ、身体を拘束されているが、まだ何も供述していない依頼者が、「警察官、検察官あるいは裁判官には、本当のことを話したほうがよいだろうか?」と、あなたに相談した場合。
設例B 強盗事件で起訴された被告人が、「本当は自分が犯人だが、重い刑を受けるのはいやだから無罪を主張したい」というが、弁護人が証拠を見ても有罪判決の可能性が高いと判断した場合。
設例C 自動車運転中に過失で人をはねて死に至らせたとして起訴された被告人が、「実は運転していたのは自分の妻であるが、自分が罪を認めたい」という場合。」
これらの設例の場合、刑事弁護人はどうすべきか?
これが「正解」というものがあるわけではない。刑事弁護人の役割をどう考えるか、何に重きを置くかによって、回答が違ってくるはずだ。以下は、あくまでも私の考え。
それでは、設例Aから。
設例A 身の代金目的で少女を誘拐し殺害したと疑われ、身体を拘束されているが、まだ何も供述していない依頼者が、「警察官、検察官あるいは裁判官には、本当のことを話したほうがよいだろうか?」と、あなたに相談した場合。
この依頼者がいう「本当のこと」とは一体何だろうか。一番に頭に浮かぶのは「自分が真犯人だ」ということ。真犯人で身代金目的の略取誘拐により有罪となれば死刑・無期懲役となる可能性がある。
こういうとき、正直、弁護人は依頼者の言う「本当のこと」を聞きたくないものだ。
アメリカの刑事弁護人には、依頼者との最初の面接で、「私に真実なんて言うなよ。真実なんて聞きたくもない。真実を聞いてしまったら、たぶん弁護がやりずらくなると思うよ。聞きたいのは、あなたが陪審員にどう信じてもらいたいか、ということだ。数分間考えてくれ。それから話をしよう。」と言う人もいるそうだ(季刊刑事弁護 特集「刑事弁護の論理と倫理」 上田國廣弁護士 被疑者・被告人と弁護人との関係② p32、ダニエル・フット「日本の協的『当事者主義』の考察」法の支配115巻(1999年)92頁)。
これは依頼者に下駄を全て預けるやり方で、一番楽な方法だろう。しかし、依頼者がその主張するところの「真実」を矛盾なく貫けるだけの力量のある人物ならいいが、そうでないときは思わぬところでボロが出て、十分な情報が与えられていない弁護人としては防御の仕様がなくなることがある。だから、このように言うことは依頼人の利益という面からも得策だとは思えない。
やはり依頼者には、まず弁護人に全てを話すように言うべきだと思う(これは刑事でも民事でも同じ)。
さて、その結果、依頼者が「自分が真犯人だ」と言った場合はどうするか。取り調べの際に自白するよう指示するか、黙秘するように指示するか。非常に難しい問題だ。
まず、前提として、次の点を押さえておく必要があるだろう。
1 日本では黙秘権は被疑者・被告人の権利として認められているが、実際の刑事裁判では黙秘を貫くと有罪となった場合に「反省の情がない。」として量刑の面で不利に扱われることがあること。
2 供述調書は、必ずしも被疑者の話をしたとおりに作成されるものではないこと。
3 捜査段階で捜査側が収集している証拠は弁護人にはほとんど開示されないこと。
4 自白だけでは有罪にすることはできず、他の証拠が必要なこと、逆に自白がなくても他の証拠だけで有罪とされる場合もあること。
5 刑事裁判では、有罪の立証責任は検察側にあり、弁護側としては検察側の立証に合理的な疑いがあることを立証すれば足りること。
また、依頼人が、「自分が真犯人だ」と言って犯行事実について具体的な供述をしていても、本当に真犯人だとは限らないことにも注意をすべきである。
ちょっと横道に反れるが、私が最近見た映画に「殺人の追憶」という韓国映画がある。この映画でも真犯人として具体的な供述をした人物が実は真犯人ではなかった(あまり具体的なことを書くとネタバレになるので書けないが)という事件を題材にしている。また、現実にも、私の所属する愛知県弁護士会の先輩弁護士が国選弁護人として活躍された豊川の赤ちゃん誘拐殺害事件では捜査段階で自白をした被告人に対して無罪の判決が出ている。過去のえん罪事件の例でも、被疑者のパーソナリティーや取り調べの状況によっては、いかにも真実らしい自白をしてしまうこともあるのである。
被疑者や被告人が弁護人に対して「自分が真犯人だ」と言っていること自体が本当なのかさえ、疑ってかからなければならないこともある。他に客観的な証拠があり、それとつき合わせて被疑者の言うことが本当かどうか確かめられればいいのだが、捜査段階では弁護人に対してそのような証拠はまず開示してもらえない。また、弁護人は検察官でも裁判官でもないのだから、依頼者の供述だけで真犯人であるとの判断を下す立場にはない。
よって、簡単に依頼者に「本当のこと」を話せとは指示できない。それは被疑者の自己防御権の放棄を指示することにもなりかねないからである。
そして、前記5つの点と有罪となれば死刑や無期懲役となる可能性があることについては、依頼者に十分に説明をしておく必要がある。その上で、依頼者が取り調べの際に「本当のこと」をしゃべるというのであれば、供述調書が作成されるときには、間違い(事実関係のみでなく情状に関する事実であっても)があれば訂正を求め、署名は十分に内容を確認してからにするようにアドバイスをする。しかし、これは拘束されている被疑者にとって非常に難しいことだ(私の前の記事塀の中の人たち(ちょっとした思い出) 参照)。これが精神的にきつい状況にならないように、弁護人としては頻繁に被疑者と接見をするように努めなければならない(これは忙しい弁護士にとっては相当きつい)。
上記説明をした後に、被疑者が捜査段階での黙秘を選択するのであれば、その選択に従う。他に有罪とするに合理的疑いの余地のない証拠があれば依頼者に不利になる可能性があるが、それを依頼者が選択した以上は仕方がない。虚偽の供述をすることには加担できないが、黙秘自体は被疑者に認められた権利である。それに捜査段階で供述調書が取られることには前記のような危険もあるので、依頼者のパーソナリティーによっては捜査段階で黙秘を選択することが(しゃべることにより情状面で不利な供述調書が取られる可能性もあるから)必ずしも不利とはいえないこともある。
なお、依頼者が「自分は無実である」と言う場合であっても、捜査段階であまり細かな事実についてまでしゃべらない方がいいこともある。後で、(記憶が正確でない部分を)つじつまが合わない、矛盾があるなどと追求される可能性があるからである。供述調書というのは、取調官の作文的要素がどうしても入るため、たとえば供述者が「こうだったとは思うが、はっきりとは覚えていない」と言っていることも断定的に書かれてしまう可能性がある。書き方によっては嘘っぽいものにもなりかねない。だから、無実であることをしゃべるときも、最低限の事実に留め、供述調書が作成されるときには前記のような注意が必要であることを説明しなければならない。接見を頻繁にすることも同様である。
以上が私の考える回答である。あくまでも、一弁護士の考える回答にすぎないことをご了解頂きたい。「季刊刑事弁護N022 特集刑事弁護の論理と倫理」には、当番弁護士100人へのアンケート結果(p63~)やベテラン弁護士の回答(p69~)、それに海外の弁護士の回答(p75~)も掲載されているので、ぜひお読み下さい。
« 塀の中の人たち(ちょっとした思い出) | トップページ | 刑事弁護人の役割ー3つの質問(回答編)・設例B »
「刑事弁護」カテゴリの記事
- 橋下懲戒扇動事件の最高裁判決(2011.07.15)
- 映画「BOX 袴田事件 命とは」を見て(2011.03.12)
- 熊本典道元裁判官についての中日新聞の記事(2010.06.17)
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
寺本先生、TBありがとうございます。
そうとう難しいテーマを書いておられますね。
私は、基本的には先生の認識とスタンスに近いと思います。
死刑を含む重罪が予想される場合は、被疑者も弁護士も極めて深刻な問題に直面しますが、私としては、被疑者の自己決定に委ねたいと思います。
ただし、自己決定するための情報は、予想される様々なリスクを含めて最大限に提供する必要があると考えます。
弁護人は、最大限被疑者の利益にかなう弁護をすべきだと思いますが、問題は何が被疑者にとって最大に有利なのかだと思います。
その事件において被疑者に最大に有利な結果(捜査段階なら不起訴、起訴されたら無罪)を考えるのか、その事件の先を見て、つまり被疑者の人生において最大に有利な結論を目指すのかによって、判断が異なる場合があろうかと思います。
その意味では、例えば覚せい剤自己使用・所持事件で覚せい剤(または尿)の押収手続の違法を主張して無罪を目指すことは、あまりやりたくありません。
手続的違法を明らかにすることは刑事司法全体にとって利益でありますが、その被疑者が覚せい剤から絶縁できるかどうかという観点からは、役に立たず逆に助長する結果になりかねないと考えるからです。
しかし死刑判決が視野に入る事件では、被疑者の人生とか更生という問題が究極的な形で問題になってきますので、被疑者はそれこそ命がけの覚悟を求められることになりそうですし、弁護人としてもその重みに耐えなければなりません。
そうとう突っ込んだ接見を行って去就を決める必要が生じそうです。
投稿: モトケン | 2006年5月 8日 (月) 16時40分
矢部先生
連休明けでお忙しいでしょうに、早速のコメントをありがとうございます。コメント頂いた内容には、おおむね賛成なのですが、よく分からない箇所と賛成できない箇所が1ケ所ずつあります。
「・・・つまり被疑者の人生において最大に有利な結論を目指すのかによって、判断が異なる場合があろうかと思います。
その意味では、例えば覚せい剤自己使用・所持事件で覚せい剤(または尿)の押収手続の違法を主張して無罪を目指すことは、あまりやりたくありません。
手続的違法を明らかにすることは刑事司法全体にとって利益でありますが、その被疑者が覚せい剤から絶縁できるかどうかという観点からは、役に立たず逆に助長する結果になりかねないと考えるからです。」
という部分です。
まず、「被疑者の人生において最大に有利な結論」を弁護人が決めていいのか、ということです。たとえば、その後の覚せい剤使用の例だと「違法収集証拠を主張して無罪を目指すか」「情状立証だけでいくか」は弁護人が決めていいのでしょうか。
例に出されている覚せい剤の件では、押収手続の違法性が立証できそうであれば、被告人に説明して、被告人が無罪の主張を望むならそれに従うべきだと考えます。これは弁護人の誠実義務からも当然のことですし、また弁護人には依頼者に対する誠実義務のみでなく法の適正な実現のために司法の独立の機関としての責任があるとする立場からも導かれると思います。
また、被疑者の違法性を責めるためには捜査官に違法があってはならない、たとえ犯罪者であっても違法な行為からは守られるということを徹底することで、被疑者に対しては「法の遵守」の重要性への教育効果が生じ、国民には適正手続に対する信頼が生まれると考えます。
また、違法収集証拠の主張をしないことが被疑者の覚せい剤からの絶縁に寄与するというご主張にも賛成できません。「弁護人も自分の正当な権利を主張してくれない。犯罪者をつかまえるためなら違法な捜査をしてもいいのか。」ということで逆に恨みを抱き更正の妨げにもなりかねません。
私は、違法収集証拠の主張であれば、あまり躊躇を感じません。実際にもケガ人の酒気帯び運転を疑い血液中のアルコール濃度を測定するために捜査官が血液を入手した方法について違法収集証拠の主張をしたこともあります。警察官には相当嫌がられましたがね。
投稿: M.T. | 2006年5月 8日 (月) 21時46分