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2006年5月

2006年5月31日 (水)

医師の方々への質問ー具体例

 私のコメントM.T. の質問を、より具体的に次のような設例に変更する。

 あなたは地方のA病院の勤務医です。

 あなたは、最近、B病院から転院してきた(3ケ月を経過したために、ほぼ強制的に転院させられた)脳梗塞で寝たきりの患者Xの担当医になりました。

 Xは、B病院で大腸癌の手術を受けた後(注 執刀には至っていない)に脳梗塞に陥ったということで(注 訂正)、ほとんど意識もありません。B病院の担当医は、Xの家族に「麻酔薬のアナフラキシーショックで急性肺水腫になったためであり、避けられなかった事故である」と説明していました。

 あなたは不審に思い、B病院からXの転院のときに一緒に持ち込まれた画像を見ました。その中に、手術中に撮影された胸部のレントゲン写真を発見しました。その画像の胃は不自然に膨らんでいました。

 直ぐに手術中の「食道挿管」に思い当たりました(注 訂正)。

 あなたはB病院でXの手術中のカルテも見せてもらいました(注 カルテ上からも食道挿管による低酸素性脳症であることは間違いないと判断できました)。担当した麻酔医はあなたの大学の先輩でした。挿管は研修医にやらせたところ手こずって3度目に成功したものでした。

 パルスオキシメーターは装着されていましたがカプノグラフィーは装着されていませんでした。

 低酸素状態が心拍数、血圧の低下に先行しており、レントゲンで食道挿管に気づいた後に麻酔医が再挿管してからは自発呼吸も出現し一旦は酸素飽和度も回復していました。

 あなたは、Xの家族に真実を話しますか?

 以上の設例について、お答え下さい。

※ 私が実際に担当した事件を参考にしました。示談交渉の際に病院側の代理人となった弁護士があくまでアナフラキシィーショックを主張したため訴訟を準備していたところ、直前に相手方代理人から示談の申し入れがあり終了した事件です。実際の事件では患者は死亡しています。

※ 整形A さん、ご配慮ありがとうございます。しかし、私は怒るとエネルギーが出るタイプです。ブログをちょっと休ませてもらおうと思っているのは、本当に作成しなければならない書面が溜まっているからです。

機嫌が悪い。

 私は、今夜は機嫌が悪い。

 理由は次のとおり。

 1 明日の午後には医療過誤の裁判がある。車椅子の被害者もやって来る。

 裁判の期日を有効なものとするために、被告(病院側)代理人は昨日の午前中には書面を提出するという約束だった(裁判所や原告代理人もその書面の中身を読んで次回の予定を立てるため)。

 しかし、被告代理人は、本日の午後4時にファックスしてきた。私は、その時間は弁護士会の委員会に出ていて帰ってきたのは午後5時30分ころ。

 書面は書証も入れると80枚にも及ぶ。

 私は明日の午前中一杯は依頼者との打ち合わせが入っている。

 書面を読む時間もないし、もう一人の原告代理人と打ち合わせをする時間もない。

 こういうことは今回に限ったことではない。この被告代理人の弁護士はそういうことを平気でするので裁判所でも患者側代理人らの中でも有名な人である。

 期日を開いても意味がないので、明日の期日は延期してもらうほかない。車椅子の被害者にわざわざ来てもらって次回の期日を決めるだけ、というのも気の毒だ。

 こういうことの積み重ねで、医療過誤の裁判は遅れていくのである。

2 このブログに医師の方々から大変たくさんコメントを頂いた。

 コメントを頂くのはいいのだが、私の記事の内容にどういう関係があるのか、と思うものも多い。私が患者側の代理人をしている弁護士だから「気にくわない」としか読めない内容のものもある。論理的なつながりが不明なものもある。

 大変誠実な内容で共感できるものもあるし、いろいろ教えて頂いてありがたいコメントもある。

 産婦人科の医師の方々は、大野病院事件のことで相当ストレスを溜めておられるようだ。しかし、あの産婦人科医の逮捕状を請求したのは検事であり逮捕状を出したのは裁判官である。

 一弁護士にすぎない私でもないし、患者さんたちでもない! 

 勤務医の労働条件が非常に厳しいものであることはよく分かった。しかし、勤務医の方々はそれを私のブログに書き込むのではなく、ご自身で闘ってみられたらどうか。労働問題として、そういう分野に詳しい弁護士に相談して雇用先である病院と闘うという方法もある(コメントで実際に行っておられた勤務医の方もみえた)。

※ 仕事が溜まっているので、ブログは休ませて頂くしかない。書きたい記事もたくさんあるのだが・・・。

 ただ、私のコメントM.T. に対しては、このブログに書き込みをされた医師の方々全てにご回答頂きたいものだ。

2006年5月30日 (火)

勤務医の忙しい理由ー3時間待ち3分診療の原因<患者側の要素>

中野氏が掲げる「3時間待ち3分診療」の原因は、

「・社会的要素

 ・文部科学省・厚生労働省の要素

 ・病院・医師・看護婦(現在は看護師)の要素

 ・患者の要素 」

 に分けられる(「誤診列島」集英社文庫 114,115頁)。

 今日は、このうち、「患者の要素」から紹介する。

中野氏は、

「1 低診療費または無料であることから、薬剤乱用が多い

2 ビタミン剤、睡眠剤、精神安定剤、抗生物質、点滴などの薬依存の患者数の増加

3 コンプライアンス(※)の欠如。医師不信による病院のかけもち

4 医師の診察結果の無視。薬を欲しがりすぎる

5 自己健康管理の欠如。医学知識の欠如。既往症や家族歴、薬歴などの無知。

6 病気の予防に対する心がまえの欠如。喫煙者が多い、暴飲暴食をする、運動不足 」

※ 医師による服薬指示に関して、それをよく守ること(服薬遵守)

を掲げる(同書114頁)。

 私も一患者として、非常に耳の痛いご指摘である。私の場合、特に2のビタミン剤などを欲しがる、3の服薬遵守、6の暴飲暴食、運動不足、が痛い。

 こういうことが、お医者さんたちを忙しくさせているわけだ。

 開業医や病院経営者にとっては患者が多いことは喜ばしいことなのだろうが、勤務医の方々には大変な負担となる。

 中野氏は、「難病をはじめ、特別な手術や検査を必要とする患者さんだけを治療する」特殊機能病院に、「風邪をひいた、あるいは単に頭痛がする、この頃食欲がない、腰が痛いといった人たちまでがやってくる。」「そのうえ、一度診察してもらえば、診察券をもらえますから、患者さんたちは何の病気でもやって来る。特にお年寄りが多くなれば、当然、病院に行く回数も増えますから、待合室は次第にサロン化してきます。」(同書113頁)

 「ニッポンのお年寄りの患者さんの診察料は、比較的低額ですみます。薬も少しお金を出せばもらえますから、病気の待合室を、社交クラブのようにして集まっている人がいることも、事実ではないでしょうか。」「・・・・そうした患者さんたちは、結果としては、本当に悪い病気で訪れている患者さんを3時間も待たせることになっていることを、自覚すべきだと思います。」(同書119頁) と述べられる。

 これは、患者には大変耳の痛い話である。

 私が行く病院でも、待合室には高齢者の方々がたくさんみえて仲良さそうに談笑されている。それはそれでほほえましい光景なのだが、その反面重症な患者さんを泣かせているかもしれないのである。

 アメリカではホームドクター(開業医)制度がしっかりしていて、地方の開業医に対する研修制度も充実しており、開業医は大病院の臨床医に負けない知識や能力を持っているそうである。このため、開業医は非常に尊敬され信頼されており、患者はまず開業医のところに行くので、日本のように大病院が混雑することはないそうである(同書102頁~、151頁~参照)。

 確かにアメリカの診察料や薬代は高い。「アメリカ人は金銭感覚も優れていますから、これだけ払うのだから、その分だけのことはしてもらう権利があるということもあって、患者さんから医師への質問もよく飛び出すわけです。そこで、インフォームド・コンセントがしやすい状況になっているのです。」(同書118頁)ということだ。

 (これは、アメリカ人と日本人の国民性の違いとしてよく理解できる。アメリカ人の法律相談などではまさにこういう感じだから。)

 診察料が安くて気軽に病院に行って3時間待ち3分診療を受ける方がいいのか、診察料は高いけれどもじっくり問診やインフォームド・コンセントを受けられる方がいいのか。

 患者の立場としても、考えてみる必要があるだろう。

※ befu さんのコメントに

ー 確かにそういう面があるでしょうね...ただ、別の角度からこの事象をみると「それだけ患者さんを診ないと開業医の先生は食いつないでいけない」ような制度でもあるかも知れませんね...ー

 とあるが、開業医の先生方がそうなるのは分かる(私も個人経営者なので)。

 しかし、勤務医の先生方は、大病院に来る必要のないごく軽症の患者さんに近所の開業医へ行くように勧めることはできないのだろうか。それとも、いくら勧めても患者はやってくるのだろうか。

 難しい治療の必要がなく、経過観察程度のことですむのなら、患者も近くの開業医でじっくり話を聞いてもらった方が(時には世間話などもして)いいように思うのだが。

 やはり、病院経営の問題は、勤務医の先生方の肩にものしかかっているのだろうか。

2006年5月29日 (月)

勤務医が多忙になる理由

 勤務医の方々から「忙しすぎる」「限界だ」というコメント(卒後12年勤務医さんら) をたくさん頂いた。

 大病院の勤務医がどうしてそんなに忙しいのか。これは外来患者が多すぎるということの裏返しでもある。「3時間待ち3分診療」の原因でもある。

 この問題については、右の「本の紹介」欄で紹介している「誤診列島」(中野次郎著 集英社文庫)で中野氏が明解に分析されている(同書111頁以下)。

 この本は日本の医療の現実にメスを入れるものであり相当辛辣である。医師の方が読むと腹立たしいかもしれない。しかし、日本の医療の問題点を鋭く分析し、かつ一般人にも非常に読みやすい本なので、多くの方にお読み頂きたいと思う。

 この中野氏は、アメリカのオクラホマ大学で医学部教授をされ、その後ハワイで循環器内科の開業医をされていたという経験を持つ方である。

 しかし、中野氏はアメリカの医療をパーフェクトとするアメリカ至上主義者ではない。アメリカの医療の良い点も悪い点も知りつつ、アメリカで長年臨床医として活躍されてきた経験をもとに、日本の医療を批判されている。

 これから少しずつこの本の内容を紹介するつもりだ。

 ただ、今日は、ちょっと難しい内容の医療過誤事件の報告書を作成したり、月曜日で電話の対応に追われたりして、かなり疲れた。

 中野氏が分析する、日本の大病院の「3時間待ち3分診療」の原因については、明日から少しずつ紹介しようと思う。

              Xxx_2

 

2006年5月28日 (日)

患者と医療の深い溝

 週末にかけて、私の医療過誤に関する記事について、医師の方々から、いくつかコメントを頂いた。

 医師の方々(特に勤務医の先生方)のおかれている厳しい状況には、考えさせられるものがある。

 私自身も実は「患者」である。たいした病気ではなく、体質のようなものだが、偶然他の症状で病院で診てもらったときに検査を受けて発見された。それ以降、定期的に血液検査などを受け、薬も飲んでいる(治療を受ける前と後とあまり変化がなく、実のところ「発見されなければ、かえって気が楽だったか」などと不埒なことを考えている位なのだが)。

 2ケ月に1度とか、半年に1度とか、検査に通っていて(大病院)いつも思うのは、待合が非常に混んでいて大変ということだ。科によっては「3時間待ち3分診療」どころではない。患者も大変だが、勤務医の先生方も、午前の外来が長引いて、昼食も満足に取れないだろう。

 本当に、こんなことは、早く改善されなければならない。

 環境が整備されないと、通常起こりえないような医療ミスも起こってしまう。

 ただ、不幸にして医療ミスが起きたとき、医師が環境のせいにしても患者は絶対に納得しない(これは弁護士も同じことで、忙しかったからでは理由にならない)。

 個々の医師が匿名で訴えるのではなく、もっと連携して組織的に訴えられないのだろうか。

 こういうことは、どうやら医師も弁護士も同じように困難なようだ。しかし、医師の世界の方が、封建的なところで、より困難なようだ。

 弁護士が困難なのは「忙しい。金にならないことをやっていては食べていけない。」という困難さなのだが、医師の場合「忙しい。」だけではなく「逆らっては医師を続けていけない。」という困難さのようだ。

 こういうところは、本当にお気の毒だ(医師のブログは、弁護士のものよりはるかに多く、最近では医師のブログだけを集めたサイトもある。しかし、そのブログのほとんどが「匿名」だ。これに対して、弁護士のブログは営業をかねたものも多く、記名の方が多い。こんなところからも、医師の方々のおかれた状況が垣間見られる)。

 しかし、そのために切り捨てられる患者はもっと気の毒だ。

 これについては、卒後12年勤務医 さんのコメントと私M.T. のコメントも、それに弁護士が暗い気持になる日のbefuさんと私のコメントも読んで頂きたい。

 こういう問題を一番考えて頂きたいのは、政治家の方たちだ。

 しかし、司法改革も医療改革も、現場からの意見を聞くことなく、全く方向違いのところに進んでいる。

 本当におかしくないですか?日本の司法と医療の改革の方向性は。

2006年5月27日 (土)

「医療って」さんのコメントに対する回答ー続・続

医療って 」さんのコメントに対する回答の続き

<③ 妥当な指摘をしやすくするシステムを作ればよいのではないでしょうか。
  患者さん側に立ってくれる鑑定医・医師側の鑑定医、弁護士のディベートの結果裁判官の判定でなく、双方の鑑定医を複数の現役の医師がすることで一本化することがどうして問題なのでしょうか。結果は公表することで不当な判定がでないようにすればいいと思います。医療に素人の弁護士のディベートで決まってしまうことのほうが矛盾が多いと思います。>

  「双方の鑑定医を複数の現役の医師がすることで一本化する」と言われますが、その人選は誰がどのような基準で行うのでしょうか。また複数の医師で意見が分かれたときには、多数決で決めるのでしょうか。

 現在も、画像診断などでは複数の放射線科医師が集まって比較的短期間に画像の鑑定をする鑑定システムを取り入れている裁判所もあります。もちろん、鑑定ですので、複数の鑑定医の意見を聞いた上で、最終的には裁判官が判断することになります。

 私は、今の現状では、医師だけで(あるいは医師が中心になって)結論を出すということには大反対です。医師は法的思考に対しては素人です。不法行為における「過失」「因果関係」の判断を医師がするのは無理だと思います。裁判員制度で市民が参加するときに法的判断が難しい(模擬裁判で裁判員の体験をした新聞記者の記事裁判員制度:市民と裁判官が審議/上 証拠「だけ」で事実判断 /青森裁判員制度:市民と裁判官が審議/下 事実認定、戸惑いと悩み /青森参照)のと同じです。
 たとえば、医療水準の判断を具体的にどうするかになったときに、今の医療界の現状では、レベルの低い「医療慣行」が基準になりかねない危険があると思います。「赤信号皆で渡れば怖くない」というような悪しき慣行が医療水準とみなされ過失の認定基準とされてしまったら、患者側としてはたまったものではありません。
 
 「結果は公表することで不当な判定がでないようにすればいいと思います」これはそのとおりです。しかし、鑑定が公表されることになっても、「鑑定医となってもいい」という現役の医師が本当にたくさんおられるのでしょうか。
 医療事故情報センターでは医療過誤裁判の鑑定書を集めた鑑定書集を発行してます。今も、鑑定人の承諾があればこのように鑑定書も公表されています。しかし、鑑定人になる医師が少ない上に、必ずしも全ての鑑定人が公表に同意しているわけではありません。

 現実の医療過誤の裁判は「医療に素人の弁護士のディベートで決まってしまう」ようなものではありません。日本の裁判官は、証拠主義であり、弁護士のディベートなどで判定してはいません(私などは、被告側代理人のやる気のない対応を見ていると、ディベートの要素を取り入れてもらってもいいかと思う位です)。アメリカの映画やドラマとは違います。

< 読売新聞の最近の記事にもありましたが、患者さん全体の最大限の利益を考えると、現行の司法システムが妥当だとは思えません。>

 私も現在の医療過誤の示談、裁判のシステムを全てよしとするものではなく、改善されるべきことがたくさんあると思っています。
 しかし、医療界の閉鎖性、密室性、封建制が変わらない限りは、そして市民がもっと医療界を信頼できるようにならない限りは(これはマスコミ報道のせいばかりではありません。)、医師主導型の公平、公正なシステムは期待できないと思っています。

<医療側がもっと厳しい内部浄化システムと生涯教育の場を作るべきだと思います。ただ医師免許、専門医更新システムにしても現在の勤務システムのように勤務医が寝る暇もないほど働いている現状では難しいと思います。やはり現状の医療従事者の異常な勤務形態を当然とする社会の意識も変えなくては医療水準は上がりません。一筋縄にいく問題ではないのです。>

 これは大賛成です。私は、医師にはもっと良い環境で働いてもらいたいと思っています。何しろ自分たちの命がかかっているのですから。社会も「現状の医療従事者の異常な勤務形態を当然」となど思っていません。むしろ、一般市民は、医師の過酷な状況をあまり知らないのではないでしょうか。

 これは弁護士も同じで、「弁護士は儲かっている、弁護士のところに行くと大金を取られる、弁護士を増やせば社会がよくなる」等と単純に思い込んでいる人が少なくないのと同じです。

 私は、医師の方々は、司法システム問題を訴える前に、まず研修医や勤務医の待遇改善、医師の養成システム、封建的な医局制度の改革などに取り組まれるべきだと考えています。

(余談ですが、知人の弁護士は、とあるクラブのママから「弁護士会の会長選は、お医者さんの選挙に比べると、本当に大人しいものだわ。」と聞いたそうです。)

 司法システムに対する抗議行動は、皆の目を外に向けるものだから、医師も組織的に動きやすいのでしょう。しかし、上記のような改革に組織的に取り組むことが難しいことはよく理解できます(弁護士会も同様の問題があるので)。これらの改革は、司法改革よりもはるかに難しそうです。

 しかし、これらの改革をして頂かないことには、患者側が鑑定人となる医師を無条件に信頼するということは期待できず、医師主導型の第三者機関による判定を受け入れることはまず無理だと思います。

 私は、今の状態で、医師会側の提唱している第三者機関の制度を導入することは非常に危険があると考えています。特に最近「医療に伴い発生する障害補償制度検討委員会」というところから発表された答申書「医療に伴い発生する障害補償制度の創設」は、一旦患者側に給付された補償金を患者側が医療側に裁判を起こすと取り上げるなど、事実上患者側の「裁判を受ける権利」を奪いかねない危険もあり、大反対です。これについては東京の患者側弁護士の研究会が検討中だそうですので、その結果を待ちたいと思います。
 
 <多分、私が目にする医療過誤・事故記事は医師側にとって疑問の多いもの(全く至極当然な記事はあまり目に触れないと思います)で、管理人さんの扱われるものとは母集団が異なると思います。
 もしかしたら、管理人さんの提案のように体験してみるのがいいのかもしれません。また管理人さんも医師体験(あるブログで知りましたが衆議院議員の方されていました。)されてみるといいかもしれません。>

 
 新聞記事などは、事実関係をかなり簡略化(時には歪曲化)して書いていますので、記事だけをもとに何らかの判断をすることは無理だと思います。それに、記事になっている医療過誤事件は本当に氷山の一角です。大体、どういう選択基準で記事にしているのかさえよく分かりません。私も新聞などの報道機関から事件についての取材を受けたことがありますが、まず依頼者は「報道してもらいたくない」と言われますので、取材に応じたことはありません。
 
 なお、私は医師の体験をすることはできませんが、研究会の症例検討会(医師も参加)にはできる限り参加しています。また、協力医の方々から、現場のいろいろな話をお聞きしています。研究会では、(協力して下さる)病院見学なども企画されています(こちらは遠方なのでなかなか参加できませんが)。
 
 まず、現在、医療事故の示談や裁判が実際にどう行われているかを知ってからでないと、その問題点を明らかにすることはできないと思います。
 「改革」を考えるのなら、今の制度をまず理解されることから始めてもらいたいと思います。

 「医療って」さんには、失礼ながら多くの誤解があるように感じます。

「医療って」さんのコメントに対する回答ー続き

医療って 」さんからのコメントに対する回答の続きです。

<今の裁判ではたまたま当たってしまった運の悪い医師が刑事告訴されたり、民事で多額の賠償金を払わされていることが少なくありません。そのような目にあわないために今「逃散」と呼ばれる、訴訟リスクの高い科からの医師がいなくなっています。>
 
 医師の「刑事告訴」については私は経験したことがありません。大野病院事件の医師よりもはるかに悪質と思われる医療ミス(たとえば美容外科分野ではひどいケースがあります)をした医師であっても告訴されないことの方が多いと思います。大野病院のケースは極めて特殊なものであり、この事件をすべて前提にして医療過誤問題を考えるべきではありません。

 そして、「民事で多額の賠償金を払わされる」といっても、それは大抵の場合保険会社が払っています。そして、保険会社における審査(医師も参加している)は極めて不透明です。患者側には「無責」という結果しか知らされないことが多く、その結果に至った理由について教えてもらえないことが多いのです。

 訴訟リスクの高い科(おそらく麻酔科、産婦人科などでしょう)から医師が「逃散」している、という現実は非常に嘆かわしいことです。

 麻酔科についていえば、もともと人数が少ないことが医療ミスを誘発しているということもあります。麻酔科医が多くの手術をかけもちしなければならなかったり、麻酔科医の立会いのないまま手術が行われることが、医療ミスの間接的な要因となっていることも少なくありません。

 産婦人科については、今「集約化」が言われていますが、地方は別として、都会ではもっと集約化が進んでもいいと思います。産婦人科医が一人しかいない個人の開業医が無理をして事故が起こることが多いと感じます。高齢初産などのハイリスク妊娠が増え、また、少子化などにより、個人の産婦人科医院の開業はますます困難になり、かつ危険が伴うものとなるでしょう。

 地方の産婦人科医師が少ないことについては、難しい問題だと思います。里帰り出産などで事故にあわれた被害者の相談も多いのです。今の現状では、私は妊婦の方には産婦人科医の少ない(いない)場所でのお産は勧められません。特に何らかのリスクのあるお産の場合は、都会でなさった方が無難でしょう。
 この分野では、もっと行政、病院、大学が連携して改善がはかられるべきと思っています。

 地方の自治体が多額の報酬(5千万だったか6千万だったか)を出すと言っているのに産婦人科医が来ないというニュースがありましたが、これは弁護士からみれば羨ましい限りです。なにしろ、弁護士が過疎地に行っても自治体はそんな多額の援助はしてくれません。事務所の開業資金などの大半を弁護士会が自前で(弁護士が収める会費から)負担しているのです。それでも日弁連は、過疎地に弁護士を派遣しています。

 「訴訟リスクの高い科」からの医師の逃散といわれますが、もともとこれらの科は「3K」と言われて希望する医師が少なかったと思います。

 しかるべき環境のもとで医師が誠実に医療行為にあたっていれば、重大な医療ミスというのはそれほど多発するものではないと思います。それでも人間ですから「ミス」があるのは仕方がないことです。これはどんな職業でも同じです。私もミスをしない自信はありませんので、弁護士賠償責任保険に入っています。ミスをしたときはこの保険を直ちに使うつもりです。
 
 <医療従事者の関係者が医療事故・過誤にあったとき厳しい、とのことですがそれは当然だと思います。私は福島の件でも患者さんの家族の怒りは当然だと思うし、その行動は批判できないと思っています。
 感情的であっても、患者さん・家族は自分の主張をされるべきだと思います。ただ、司法(特に検察・裁判官)や社会がそれに同調したらどうなるか。今回の福島の件の社会的な影響はご存知でしょう。結局萎縮医療になって患者さん全体の利益にならないと思います。>

 これは言葉が足りませんでした。
 医療従事者の方が被害者側に立ったとき、もちろん感情は入るでしょう。ただ、私たち患者側弁護士もそれを鵜呑みにしているわけではありません。専門的なアドバイスを受けたときでも、無条件に受け入れているわけではありません。
 言いたかったのは、被害者側に立ったときは、ご自身の専門的知識を率直に開示し、治療行為の問題点を鋭く指摘されるということです。
 つまり、協力医と同様のことをして下さるということです。
 他人が被害者になった場合はできないことでも、ご自身の身内が被害者になった場合はできるということです。
 福島の件や萎縮医療については、前記のとおりです。

医療水準論-その2

医療って 」さんから、またコメントを頂いた。コメントにコメントで回答すると、非常に分かりにくいので、記事の方で回答させて頂く。
 まず、医療水準に関するコメントについて、

① 診療当時の臨床医学の実践における医療水準は何をもって妥当な医療水準とするのでしょうか。
 あからさまに言えば、都会の大病院と僻地で医師一人で行う医療は当然違います。それは医師個人の資質よりも設備・マンパワーの違いが大きいと思います。

 
 これは当然です。裁判所も開業医と大学病院の医療水準を同一としていません。これは「医療って」さんからのコメントに対して(1)ー医療水準論           の記事の医療水準の2で明らかです。

 また例えば海外では標準的で有効とわかっていても保険適応が通っていないものはどうするべきだとお考えでしょうか。現実的には病院の持ち出しで行っていることも多いですがそれも限界があります。そして最先端の花形医療(以外地味なだけど大切なことはなかなか変えてもらえません。

 海外の標準的な医療行為が、日本では「臨床医学の実践」となっていない場合、それは日本の医療水準とはなりません。
 海外で多くの実践の結果有効と判明しているのに日本では保険適応とされていない治療行為や認可の通っていない薬があることは存じていますが、それは行政の問題です。これは、医師と患者側が本来一体となって行政に訴えていかなければならない問題だと思います。、

 結局は妥当な医療水準とは、標準的な医師が行っている医療なのではないのでしょうか。
アフリカの医療とアメリカの最先端医療は違います。その国・地域がどのくらい医療にお金をかけているかで変わるし、それが一般的に慣行されている医療だと思います。だから私は一介の医師であり最高裁の判断にけちをつけることはできませんが、3はあまり納得できません。

 アフリカやアメリカの医療が「日本の臨床医学の実践」の参考にならないことは前記のとおりです。
 「標準的な医師が行っている医療」が、医療水準の2の「当該医師の専門分野、所属医療機関の性格、地域の医療環境等の諸般の事情を考慮」した上での標準的な医療行為であれば、それはまさに最高裁のいう医療水準です。
 「医療慣行」というのは、これとは違います。レベルの低い医療行為であっても「医療慣行」となりかねません。「金がないから、人が足りないから、設備がないから」というのは理由にならないと思います。他に患者の引き受け手のない僻地医療や救急医療は別として(「僻地」や「救急」であることは医療水準で考慮されます)、自分の病院で上記理由のために適切な医療行為ができないのであれば、他の病院に直ちに転院させるべきです。
 もっとも、物的人的設備が不十分で医療ミスが起きた場合、病院の経営問題が絡んできますので、個々の医師(勤務医師)の方を責めても仕方がないことがあります。民事訴訟では、被告を病院の経営主体に限ることが通常です。

 医療水準を決めるためには学会も日本としてのガイドラインを決めなくてはいけません。ただ大事なことは患者さんへの不要な侵襲、医療経済を考えれば100%問題ないガイドラインなんて作れないし、それを批判していたら医療は成り立ちません。そして医療の中にはガイドラインで規定できないこともたくさんあります。
  
 確かに、日本の医療行為のスタンダードが何なのか、標準的な医学書や教科書でも書いてあることが違いますし、医師ごとに主張が違っていて、私たちも困ることが多いのです。アメリカの学会ではいろいろなガイドラインを定めていて、これが訴訟の場で出てくることも多くなりました。日本でガイドラインを策定することが難しいのはよく理解できます。
 「医療の中にはガイドラインで規定できないこともたくさんあります。」は確かにそのとおりです。どこまでが医師の裁量で許される行為なのかが問題となりますが、この裁量行為も無制限ではないはずです。

               010603icon06wb     

2006年5月26日 (金)

「医療って」さんからのコメントに対して(1)ー医療水準論

 「医療って 」さん(医師の方)から頂いたコメントについて、私の意見を少しずつ書かせて頂こうと思う。

ー後医は名医という、言い方があります。つまり後で診た医師のほうが的確な判断ができるのは当たり前なのです。ー

 これは「レトロスペクティブ」と「プロスペクティブ」のことを指しておられるのだと思う。

 「レトロスペクティブ」(事後的、回顧的)な判断と、「プロスペクティブ」(前向き、将来的)な判断とは異なる、診療の現場ではレトロスペクティブに可能であることと、プロスペクティブに可能なこととは異なる、というふうに医療従事者の方々は言われる。

 医療ってさんの掲げる、風邪と肺炎の例などは、このことを言われるのだと思う。

 この点に関して、医師の注意義務違反を最高裁判所がどのように判断しているかを、少し説明する。

1 医師の注意義務の基準となるべきものは一般的には診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である。

2 臨床医学の実践における医療水準は、全国一律に絶対的な基準として考えるべきものではなく、診療に当たった当該医師の専門分野、所属医療機関の性格、地域の医療環境等の諸般の事情を考慮して決せられるべきものである

3 医療水準は、医師の注意義務の基準(規範)となるものであるから、平均的医師が現に行っている医療慣行とは必ずしも一致するものではなく、医師が医療慣行に従った医療行為を行ったからといって、医療水準に従った注意義務を尽くしたと直ちにいうことはできない。

(最高裁昭和57年3月30日、昭和63年1月19日、平成7年6月9日、平成8年1月23日判決等)。

 私は、この最高裁判所の基準は、世間の常識からも納得できるものだと思う。

 注意義務違反の有無の判断自体は医療過誤が生じてからになるのでレトロスペクティブにならざるをえないが、「診療当時の臨床医学の実践における医療水準」に従って何をすべきだったかを問題とするのであるからプロスペクティブな視点も取り入れていると思う。

 この医療水準論は、具体的な事件に対する適用の場面では争われることもあるが、総論として実務においては既に定着している。

 医師の方々は、この最高裁の医療水準論に不服なのだろうか。

 「専門知識を持った正しい判断を持った複数の医師が判定する第三者機関」は、この医療水準論を採用せず、独自の基準を使われるのだろうか。注意義務違反の判断が医療慣行重視に流れないだろうか。

 医師の方々は、しきりに「第三者機関が必要」と主張されているが、私は裁判所も第三者機関としてそれほど馬鹿にしたものではないと信頼している(たとえ今、患者側の勝訴率が4割にみたなくても)。

 問題は、公平な裁判に協力しようとしない(公正な判断をする鑑定人になりたがらない、患者側から客観的な意見を求められても応じない、後医となったときに前医の治療行為に問題を感じていてもそれを指摘しない等)医療側にあると思う。

 「医療って」さんも、一度、医療過誤裁判に実際に関わってみられたらどうだろうか。名前を出さない協力医でもいい(裁判になった場合、通常、患者側弁護士はその結果についても協力医に報告している)。紛争になるような医療過誤事件とはどういうものか(単にグレーゾーンについての医師と患者側の見解の相違や誤解等によるだけのものなのか)、被害にあった患者がいかに困難な立場に置かれるか、等がよく分かるだろう。

 (私は、被害者の親族に医療従事者がいる事件を何件か経験している。被害者側に立ったときの医療従事者の方々の医療に対する厳しさには驚かされたものだ。)

 そして、医師の方々も、私たち患者側弁護士が行っている医療事故相談に、一度立ち会ってみられるといい。患者の医療不信の生の声を聞くことができるから。そして、「グレーゾーン」どころではない医療ミスとはどういうものかが分かると思うから。

 できないという医師の方々には、せめて「誤診列島」(中野次郎著)(右の本の紹介にある)を読んで頂きたい。

              But1bl1w2

 今週は、医療過誤事件の仕事が立て込んで、ちょっとストレスが溜まっている。文章が厳しくなったかもしれないが、お許し頂きたい。

 なお、あまり抽象論ばかり書いても実感されないと思うので、これからは私が担当した事件についても(守秘義務に反しない程度で)少しずつ書いていくつもりである。         

              Thunder        

2006年5月25日 (木)

医療過誤のはなしーその4 後医の重要性

 「後医」(こうい)とは、医療過誤にあった患者に対してその後に治療行為を行う医師のことである。

 医療過誤の被害者の多くが、被害を受けた後に他の病院で治療を受けている。被害者には治療を受け続ける必要性があるからだ。

 医療過誤を受けた先の病院で次の医師を紹介してもらうということは期待できないから、患者が自分で次の医師を捜さなければならないことが多い。

 現実にはこの後医になることをあからさまに嫌がる医師が多い。他人の後始末は嫌というのが本音だろう。前の医師の治療が不適切だったため、その後の治療が難しくなっているということもある。また、患者も医療不信に陥っており、信頼を得るのが難しいということもあるのだろう。

 しかし、患者にとって、「後医」はその後の治療にどうしても必要な存在なのだ。

 医療過誤の相談では、医療過誤の被害にあった患者が次の医師に診て欲しいと頼むと「前の医師にやってもらえ」と断られた、という相談が多い。これは医師としてあまりに不誠実である。患者は前の医師が信頼できないからこそ、新たに治療を依頼しているのに。

 また、後医は、医療過誤の立証においても、非常に重要な立場に立つ。後医は、患者の治療にあたることで、前医の行った治療行為を直接知ることになることが多い(例えば再手術をすれば前の手術の内容を直接知ることになる)。このため、医療過誤の立証において重要な証人となる。患者にとって一番ありがたいのは、後医が前医の治療行為の問題点をはっきりと指摘した書面を作成してくれることだ。

 しかし、これをやってくれる後医はごく僅かである。「かかわりたくない」「前医に恨まれたくない」あるいは「医局と敵対することは避けたい」等というのが本音だろう。

 私は、こういうことが、医療界の閉鎖性を端的に示すものとして社会に不信感を与えているのだと思う。

 私の経験では、一番事情を知る後医が非常に明解な意見書を作成して下さったことで早期に示談による解決ができたケース、訴訟提起後に後医が当方の質問に対して詳細な回答書を作成して下さったことで早期に和解による解決ができたケースもあった。但し、このようなケースはごく少数である。こういう後医には本当に尊敬の念を感じる。

 しかし、明らかに前医にミスがあると思っていても、それを患者には黙っているという医師が多すぎる。

 これは、医師の職業倫理や人間としての良心の問題でもあると思う。

 こういうことが改められない限り、今の医療不信の風潮は改善されないだろう。医療界の方々には考えて頂きたいものである。

                Kyuukyuusya          

2006年5月23日 (火)

グレーゾーン廃止は多重債務者救済にならないのか?

 グレーゾーン廃止に向けて、今、弁護士会は、大変がんばっていると思う。

 愛知県弁護士会も意見表明している。ぜひお読み頂きたい。 

 しかし、金利引き下げについての小泉首相の認識は情けない限りである(私の前の記事小泉首相発言にびっくり!ー総理はサラ金被害の実態をご存じなのか? 参照)。

 この件については、RYZさんから、金利を下げると「サラ金が利益を確保する為に貸付総額を増やし、結果逆に多重債務者が増えてしまうのではないか」という意見を頂いた。

 グレーゾーンを廃止すれば中小のサラ金の多くが倒産するだろう。あるいは、合併等により生き残りを図るだろう。そして、生き残ったサラ金は貸付総額を増やすために、借入枠に余裕のある顧客に対し更なる借り入れを勧めるだろう。

 しかし、私は今までに多数の多重債務者の相談や事件を扱ってきているが、多重債務者で「借りたくて借りている」という人はまずいない。金利が高いために返しても返しても返済金が不足し、1社からでは足りず2社、3社と借入先が増えていくというケースが殆どである。

 金利が低くなれば返済金も少なくなるので、返済金を工面するためにまた借りなければならないという悪循環を断ち切れる可能性が高くなると思う。

 また、同じくRYZさんから「変えるべきは、安易に借金が出来てしまうという現状ではないでしょうか?ですから、サラ金対策としては、無人契約機を禁止したりCMの規制を強化し、過激な取立ては絶対に許さない等が必要だと考えます。もちろんヤミ金は論外です。」

 これは、もちろんのことである。

 今でもCM規制は多少はされているようであるが、若年層がTVを見る時間帯のCM規制はまだまだである。人気タレントを使ってのCMには、本当に腹が立つ。そして、若年層に対してもっとサラ金の怖さを教える消費者教育が必要だと思う。

 RYZさんの「低所得者層対策は必要ですが、それに関しては別のアプローチでもってあたるべきだと思います。」という意見については、それはそれで正しいだろう。

 サラ金(たとえ利息制限法所定の金利内であっても)から生活費の不足分を借りないで生活ができればそれにこしたことはない。国が別のアプローチで低所得者対策をしてくれるのであれば、低所得者層であってもサラ金などに手は出さないだろう。

 しかし、現実には、低所得者層の多くがサラ金を利用しないと生活できないのである(上記愛知県弁護士会の意見書参照)。

 一生懸命働いても(あるいは働こうとしても)、サラ金で借りた金で生活費の不足を補わなければならないような状況は異常である。

 一番いいのは、そのような低所得者層を生み出さないことだ。

 それができないなら、国は、サラ金が低所得者層を食い物にすることがないように、サラ金の高利の貸し付けを規制するべきである。

                  Tetubou

2006年5月22日 (月)

弁護士とバッジ(女性版)

 弁護士とOOOのシリーズで、最もオーソドックスなのが、この弁護士とバッジだろう。

 これについては、京都弁護士会のホームページに写真入りでおもしろい記事が掲載されているので、ぜひご覧あれ。

  http://www.kyotoben.or.jp/break/seven/s007/s007.html

 テレビドラマの女性弁護士は、必ずビシッとしたスーツにこのバッジをしている。

 しかし、私は、弁護士になってから10数年が経つというのに、このバッジをしたことは数えるほどしかない。

 なぜなら、女性用の弁護士バッジは、極めて危険な代物だからだ。 

 男性用バッジは、スーツの襟の穴に通せるねじ式の物である。だから、滅多にはずれるということはない。

 しかし、女性用のバッジは安全ピン式で、ちょっとした力が加わっただけで簡単にはずれるのである。

 特に、夏には薄手の服を着るので、結構重たいこのバッジは垂れ下がるし、薄物に穴が開くし、ブラブラして安全ピンがはずれるという自体にも陥りかねない。

 現に、私は、最初のバッジを落としている。たぶん落としたのは、当番弁護士に呼ばれて、地下鉄に跳び乗ろうと走っていたときだと思う。これで1回目の始末書を書くはめになった。

 2度目に貸与されたバッジは、これに懲りて事務所の金庫の中に大切に保管していた。ところが、事務所が盗難にあって金庫の中身をそっくり持って行かれてしまった。これで2回目の始末書を書くはめになった(事務所の防犯体制を改めたことは言うまでもない。事務所の真向かいにある派出所には防犯効果はなかったようだ)。

 今は3度目に貸与されたバッジである。しかし、まだ一度も付けたことがない。もう3回目の始末書は書きたくないからである。

 それに、今ではバッジをしていなくても困ることはなくなった。

 刑事事件をやっていると留置所や拘置所に行くときには必要なのだが、今は刑事事件をやっていないし、民事だと「あんた、弁護士?」と聞かれることもない。顔見知りが多くなったということもある。

 バッジを無くしてから、ヤフーのオークションで弁護士バッジが売りに出されていたと報道されたことがあって、このときはドキッとした。

 (弁護士バッジの裏には、それぞれの弁護士の登録番号が刻印されている。バッジの裏を見れば、誰のバッジか直ぐに分かってしまうのである。)

 そんなわけで、私のバッジは、今も金ぴかのまま、引き出しの奥に眠っている。

           Birthflo08    

2006年5月19日 (金)

小泉首相発言にびっくり!ー総理はサラ金被害の実態をご存じなのか?

 小泉首相が、サラ金のグレーゾーン金利廃止について、とんでもない発言をされたようだ。

 「(金利が)高くても借りる人はたくさんいる。もし法律で(引き下げを)決めると、必ずヤミ(金融)がはびこる。貸す方も悪いが借りる方も悪い。これは一面の真理だ」

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060518-00000210-kyodo-pol

 これは、サラ金側が利息引き下げ反対のときにいつも発するお言葉。

 その同じ言葉を日本国の総理大臣が発せられるとは・・・・。

 小泉首相は、サラ金被害の実態をちょっとは勉強されているのだろうか。

 多重債務者の中には確かに分不相応な贅沢をしたり(名古屋地区は次々とローンを組んで自動車を買い換えるというパターンが多いようだ)バクチ(名古屋地区はパチンコが多いようだ)をしたりして、十分な収入があるのに借金をしてしまう人もいる。しかし、そのような人はごく一部だと思う。

 実際には、所得が低いため、ちょっとした不測の出費が工面できずに借金をしてしまい、その返済ができずに雪だるま式に借金が増えてしまうという人が大多数だ。

 フリーターやニートで収入が安定しない、パートやアルバイトでギリギリの収入しかない、リストラにあって突然収入が途絶えた、貯蓄がないところに病気になってしまった、などなど、現実には、もともと低所得者、無資産者が生活費の不足を埋めるためにサラ金から高利の金を借り、深みに落ち込んでしまうことの方がはるかに多いのだ。

 本当は、生活保護や公的資金の無利子貸付などによって、救済されるべき人たちである(それが政府のいうセーフティーネットだろう)。しかし、生活保護の審査が厳しい、民生課の敷居が高いなどの理由で、彼らはなかなか生活保護の申請をしようとしない。そして、サラ金(簡単に無人の機械で借りられる)に行くのである。

 サラ金は、いわば生活保護の一時的な(しかし、やがて破綻確実の)代替機能を果たしている。

 ヤミ金は生活保護受給者には喜んで貸し付けをするのをご存知だろうか?生活保護受給者は安定収入があるからである。即ち、サラ金、ヤミ金の利用者には生活保護受給世帯よりも低い不安定収入しかない者が多いため、ヤミ金も生活保護受給者のお客を喜ぶのである。

 こういうサラ金、ヤミ金の食い物になっている低所得者層を「自己責任だ」といって切り捨てるのが日本の政治なのだろうか。

 金利を引き下げて、ヤミ金もはびこらないようにするのが、政治だろう。

 おかしくないですか? 日本の総理大臣、日本の政治  Ic_03

                   

2006年5月18日 (木)

医療過誤のはなしーその3 裁判は早ければいいのか?

 刑事弁護の記事の合間に最高裁が医療裁判の統計データを発表という記事を書いたのだが、ご覧頂けただろうか。 結構重要なデータなのだが。

 医療裁判の審理期間が過去最高に短かったこと(26.8ケ月)について、最高裁は「医療訴訟に精通した弁護士が増えているうえ、鑑定人を選ぶ際に医師らの協力を得られやすくなった結果ではないか」と分析している、とのことであるが、本当だろうか。

 審理期間が短くなったのに比例して、認容率(原告ー患者側ーの勝訴率)の方が低下しているのが気になる。迅速化を優先することが、ただでさえ立証が難しい患者側に厳しい結果を招いているのではないだろうか。

 医療裁判の審理期間が短くなっている理由は、前記最高裁の分析とは異なり、私は「裁判官の訴訟指揮」によると思っている。とにかく、裁判官は急いでいる。双方の弁護士に対する「締め付け」は大変なものである。

 たとえば、名古屋地方裁判所では、民事4部というところが医療裁判を集中的に担当している。ここでは、最初の期日に「医療訴訟審理モデル」という紙が双方の代理人に渡される。そこには、争点整理、証拠調べ、判決の言い渡しの予定日まで書き込めるようになっている。

 このモデルでは、争点整理は10か月以内、証拠調べは1年以内、判決は鑑定がない場合は1年8か月以内(鑑定のある場合は2年以内)、と記載されている。

 そして、裁判が始まって直ぐに、裁判所から「何時ころ争点整理が終わりそうですか、何時ころ証拠調べは終わりそうですか。」などと聞かれるのである。

 そして、裁判所は争点をできるだけ絞り込もうとする。

 しかし、医療過誤の場合、いくら訴訟を提起する前に原告側の弁護士が調査をしても、被告側が訴訟になってからカルテに記載のない(あるいはカルテからは読みとれない)事実を主張してくることもあるし、被告の思わぬ反論によって争点を増やしたり変更したりしなければならないこともある。また、被告が明らかにした事実について協力医に相談したところ、新たな争点が出てくることもある。

 裁判所は、争点が少ない方が審理は楽だろうが、あるいは争点が少ない方が判決を書くのも楽だろうが、原告にとって早い段階から争点が絞り込まれることには危険が伴うのである。

 裁判は早ければいいというものではない!

 一般の方々はよく裁判が長すぎると言われる。しかし、弁護士が努力しても、どうしても時間がかかることもある。

 「早ければ負けてもいい」というわけにはいかないのだから。

 最高裁は、医療訴訟に精通した弁護士が増えていること、鑑定人を選ぶ際に医師らの協力を得られやすくなったこと、を審理期間が短縮した原因と分析しているそうだが、この分析には何か根拠でもあるのだろうか。

 私の実感とはほど遠いのだが。

 医療過誤事件を扱っていると自称する弁護士は確かに増えたが、「精通した」弁護士というのはそんなに多いのだろうか(私自身、10年以上医療過誤事件を扱っているが、全然「精通した」などとは思っていない)。そして、鑑定人がそんなに簡単に見つかるようになったという話も聞かない。

 ひたすら待って頂くことになる依頼者の方々にはお気の毒ではあるのだが、医療過誤裁判は一般の裁判に比べどうしても時間が必要となることをご理解頂きたいと思う。

                Atokei  

2006年5月17日 (水)

RYZさんのコメントへの回答

 RYZさんのコメント(RYZ on 刑事弁護についてのQに対する(一応の)回答ーその4 )に対して、ちょっと回答してみる。

<そもそも「殺意が無ければ殺人にならない(私は法律家ではないので確信はありません、間違ってますか?)」ということがわからないために安田弁護士の主張自体を異常扱いする人が余りにも多すぎるのです。>

 殺人罪が成立するに殺人の「故意」が必要です。この殺人の故意のことを一般に「殺意」と言っているのです。
 一般の方々もそのことはご存じだと思います。
 殺意の有無が争点の一つになる事例は珍しくはなく、司法研修所でも実務研修でも司法修習生はよく起案(判決や弁論要旨などの案を書くこと)させられます(少なくとも私が修習生の頃はそうでした)。
 今回の母子殺人事件でも争点の一つになることに不思議はないと思います。ただ、主張の出てきたタイミングと弁護人が安田弁護士だったことで、世間の不信感や反感をかったのではないでしょうか。この殺意の認定というのは、客観的な証拠が重要ですので被告人の供述よりもむしろ遺体の鑑定書や現場の状況などによって裁判官が判断することになると思います。これらの証拠を見ることのできない人間は、裁判所の判断を静かに待つべきだと思います。

<これは、法曹界が一般市民に対して理解を求める努力を怠ってきたからではないでしょうか?>
 
 (殺意の点ではなく)もっと根本的なところで、法曹界が一般市民に理解を求める努力を怠ってきたということであれば、確かにそうでしょうね。
 間違いだらけの弁護士ドラマを放置している位ですから(実務どおりにやっていたら、弁護士が記録を読んでいたりパソコンで書面を作成しているところのシーンが多くてドラマにならないのでしょうけど)。
 ただ、弁護士は皆忙しすぎて(忙しくしていないと食べていけない)、そういう余裕がないこともご理解頂きたいと思います。

<というのも、一般市民が法律に詳しくなってしまったら、弁護士の活躍する場が少なくなってしまうという危険性があるからです。
 私は、多重債務者の借金返済ブログなどを見ているのですが、「弁護士費用がもったいないから、裁判や各種申し立ては、自分で勉強してやるべきだ」という意見が主流です。>

 私は、一般人が頑張って自分で裁判をやったり自己破産の申し立てをやったりされるのは、それはそれでかまわないと思っています。むしろ、これを一番嫌がっているのは裁判所(特に窓口になる書記官)だと思います。やはり、実務では一般人が本を読んだだけでは分からないことがたくさんあると思います。弁護士だって分からないことがあるのですから。

 私は、自分で自己破産の申し立てや個人再生の申し立てをして裁判所の窓口にみえている方を何度も見ておりますが、そういう人に対して説明する書記官は本当に大変です(書記官がかなりイライラしているところを何度も見ました。今の体制では書記官は非常に忙しいのです。)。
 もし、一般の方々が「自分でやるから弁護士なんていらない」というお考えなら、弁護士を増やすのではなく(むしろ必要なくなるので減らして)、裁判官や書記官を増やさなければいけません。裁判官や書記官の給与は税金から出ています。彼らを増やす以上は全国民に税金の負担増を覚悟してもらわなければなりません。

<これは、ある意味当然なのですが、それがエスカレートして「弁護士は役に立たないアドバイスをするだけで30分5000円もの大金を取る悪党だ」などという意見まで出て、しかもそれが支持されている始末です。>
 
 そういう考えの方は有料の法律相談ではなく、無料の法律相談に行かれればいいだけのことではないでしょうか。いろいろな法律相談のメリット・デメリットについては、私のHPの「弁護士一口アドバイス」をお読み下さい。

 なお、法律相談料30分5,000円(消費税を入れると5,250円)といっても、弁護士会の運営する法律相談センターでは、相談にあたる弁護士の取り分は3,000円程度(愛知県弁護士会の場合、3,680円)になります。弁護士会に入る法律相談料は、法律相談センターの運営費や弁護士会の公益活動などに充てられています。

<民事裁判においては、お金に余裕がある方が有利だということです。
しかし、私が思うに現在の司法改革を推し進めたら、今まで以上に金を持っている人間だけが勝てるという世界になってしまうのではないかと危惧するわけです。>

 確かに裁判にはコストがかかります。
 裁判費用のことを考えて裁判を諦めてしまう方は今でもおられます。
 ただ、弁護士が増えると「実費だけで着手金はいりません」などと宣伝して事件を引き受ける弁護士も増えてくると思います。
 しかし、着手金ゼロということは、依頼者にとっては楽かもしれませんが、事務所を経営したり生計を立てていかなければならない弁護士にとっては大変です。いわば自分の負担によって他人の事件でバクチをすることになります。

 着手金を「ファイトマネー」と言っている弁護士もいる位です。事件を引き受けても着手金ゼロではやる気が沸かないかもしれません。特に、勝訴の見通しが厳しい事件ではそうです。バクチの確率を上げるために「間違いなく勝てる」と見込んだ事件しか引き受けなくなるかもしれません。また、事件が勝てそうになくなると(報酬をもらえないことが明かになってくると)、とたんにやる気がなくなるかもしれません。

 弁護士も人間です。「タダほど高いものはない」ということわざ通りになるかもしれません。

 これは、あなたが弁護士だとして事件を引き受けるときの気持を想像して頂ければ分かることだと思います。

 弁護士にとって依頼者からお金をもらうということは、責任を負うということでもあります。また、依頼者にとっても、お金を出したのだから弁護士に自分の事件を勝手にしてもらっては困る、自分の事件は自分で監督する、という自覚を持つことになると思います。

 ですから、私は「着手金ゼロ」には反対です。
 しかし、弁護士が増えすぎればどうなるか分かりません。
 弁護士を利用する方々には、本当にそういう弁護士の利用法でいいのかを、お考え頂きたいと思います。

                                   Mannenhitur 

 日本がアメリカ型の訴訟社会になっていったときは、確かに「大金で有能な弁護士を雇える」人の方が裁判では有利になるでしょう。

 そして、大金を払ってでも雇ってもらえるように努力する(宣伝活動なども含む)弁護士が増え、安い費用であってもきちんと仕事をするという職人のような弁護士は減っていくでしょうね。

               Light1   

弁護士が暗い気持になる日

 刑事弁護の難しい記事やら、共謀罪法案の腹立たしい記事やら、が続いたので、少し軽い楽しい記事を書こうと思っていたら、風邪を引いたらしく熱っぽく頭痛がする。どうしても楽しい記事が書けない。

 しかも、先週引き受けた証拠保全の申し立てのために、依頼者の報告書を作成していたら、ひたすら暗い気持になる。

 寝たきり状態になってしまった人が亡くなるまでを、家族が毎日日記をつけている。淡々と書かれているだけに、余計にお気の毒だ。

 こういう寝たきりになった患者に対し、病院は、どうして定期的に転院を迫るのだろう(この転院問題については、また機会をみて書きたいと思う)。

 証拠保全に添付する報告書自体はそれほど詳しい内容でなくてもよい。しかし、この長い日記を簡単にまとめるというのは、なかなか辛い仕事であった。

 午後になって、随分前に公正証書遺言を作成した依頼者から電話があった。遺産を渡す相手を変更したいということだった。相手が期待していたほど依頼者を大切にしてくれず、相手に不信感を抱いたことが理由らしい。うまくいっていると思っていたのに、残念なことだ。

 というわけで、ひたすら暗い気持になった日であった。

               Hosikirakiraopt

 

2006年5月15日 (月)

共謀罪法案とゲートキーパー規制問題

 しばらく刑事弁護の記事に専念している間に、世間では共謀罪法案の審議が大問題になっている。日弁連も、今回は早くから反対声明を出すなど頑張っているhttp://www.nichibenren.or.jp/ja/special_theme/complicity.html)。

 私の所属する愛知県弁護士会でも「共謀罪法案」に反対する会長声明が出されている(http://www.aiben.jp/page/frombars/topics2/227kyobozai.html)。

(共謀罪法案の問題点については、情報流通促進計画byヤメ記者弁護士  さんの記事が詳しいので、ぜひお読み下さい。)

 大体、最高裁の認めている共謀共同正犯(2人以上の者が一定の罪を犯すことを共謀したうえで、その中の一部の者が実行に出た場合、実行に直接加担しなかった者をも含めて共謀に加わった者全員に共同正犯が成立すること)だって反対する学者も多いのだ。それなのに、「共謀の成立」だけで処罰するなんてとんでもない。

  一体こんな法案の成立を誰が望んでいるのだろうか。衆議院選で圧倒的多数を得た自民党が、憲法改正の前哨戦として、小泉首相の退陣の前にぜひ成立させておきたいと頑張っているのだろうか。

 これも、あの茶番のような衆議院選がもたらしたことなのか。おそろしい時代になったものである。

 いいかげんにしてほしい!

 テロ対策が目的なら600もの犯罪を対象にする必要などないはずだ。

 与野党修正案が出たものの、それでも解釈に幅が残り危険である。

 (与野党修正案の問題点については、法と常識の狭間で考えようさんの記事が詳しいので、ぜひお読み下さい。)

                  Leaf3

 刑罰法規の大原則に「罪刑法定主義」というのがある。これは「法律がなければ犯罪はなく、法律がなければ刑罰はない」という19世紀以来確立された大原則である。法学部では刑法の講義で最初に習う大原則である。

 この罪刑法定主義から派生する原則として「刑法の明確性の原則」がある。これは、「刑法の規定が、犯罪についても刑罰についても、できるだけ具体的であり、かつ、その意味するところが明瞭でなければならない」とするものである。

 「刑罰法規の内容が不明確であるときは、国民は拠るべきところを正確に認識することができず、その行動の自由を不当に抑制されかねないし、一方、官憲の恣意的な解釈・運用を招来し易く、人権侵害の虞が大きいであろうし、また、刑罰法規の内容が合理性を欠き、必ずしも処罰に値しない行為を犯罪としていたり、犯罪と不釣合いな刑罰を定めていたりするときは、正義・公平に適合した人権の保障をなしえないこととなり、自由主義、民主主義、人権尊重主義を基盤とする罪刑法定主義の本旨に反するからである。」(刑法概説(総論)大塚仁著 株式会社有斐閣発行より)。

 与野党修正案が、この「明確性の原則」を充たしているとは思えない。今、立案者が「一般市民には関係ない、大丈夫、大丈夫」と言っていても、いざ制定されてしまえば「恣意的な解釈・運用」がなされないという保障はない。

 こんな法律が出来るようなら、日本の民主主義はいよいよ危機に瀕することになる。マスコミも今回はさすがに批判的な報道が多いようだ。ぜひ民意によって成立を阻止してほしいものだ。

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 もう一つ、問題になっているのが「ゲートキーパー規制」法案。やはり、テロ対策を主目的とする法案で、マネーロンダリングやテロ資金の移動に利用されうる金融取引について、代理人として関与する弁護士などを門番役(ゲートキーパー)にして、その疑いのある取引を報告させようとするものである。

 こちらの方は世間にはあまり知られていないようだが、実は弁護士の活動には非常に影響のある法律案なのである。こちらは、平成19年の通常国会に提出される予定という。

 こちらの説明や日弁連の議論についてはhttp://www.nichibenren.or.jp/ja/committee/list/kokusai_keiji/kokusai_keiji_b.html

 愛知県弁護士会の反対の会長声明についてはhttp://www.aiben.jp/page/frombars/topics2/226gatekeeper.html

 これは弁護士の依頼者に対する誠実義務や守秘義務と鋭く対立する法案である。

 先の私の刑事弁護の記事を読んで頂ければお分かりのとおり、弁護士には被疑者・被告人から「自分が真犯人である」あるいは「自分は真犯人ではなく別の特定の人間が真犯人である」と打ち明けられてもそれを警察・検察や裁判所に告知する義務はなく、むしろ告知すれば依頼者に対する誠実義務・守秘義務に違反するのである。

 ところが、このゲートキーパー規制法案は、弁護士が依頼者から打ち明けられた情報や職務を通じて知り得た情報を警察庁に対して報告する義務を負うとするのである(報告しないと処罰されることもあり得る)。

 これでは、弁護士に「依頼者をスパイせよ」と言うのと同じことになりかねない。

 こちらも大変危険な法律案である。諸外国でもその危険性は十分に認識されており、アメリカですら反対運動が強くまだ立法化されていない。

 このゲートキーパー規制法案の行方についても、ぜひ関心を持って頂きたい。           

              Book01o0

2006年5月13日 (土)

刑事弁護についてのQに対する(一応の)回答ーその4

 刑事弁護についてのQ に対する(一応の)回答は、本日が最後。さて、最後のご質問は、

Q6 営業の現場では相手が要求を直接口に出したりせず「察しろ」という形で交渉が行われることが少なくありませんし、口には出さずとも暗に理不尽な要求を突きつけてくる場合があります。
  不可能な理由を言い立てる被告人もなぜそう主張するのかは理由があるのですから上手くそういう意図を汲んで被告人の心を解いてやり、またそのために時間が必要ならとげを立てずに上手く時間を稼ぐ法廷戦術を取る技術が必要なのではないかということです。

 「相手が理不尽な要求を突きつけてくることがある」、まさにそのとおり。弁護士のような職業の宿命として、交渉の相手方から(時には依頼人からさえ)理不尽な要求を突きつけられることも多い。しかし、その要求を上手くかわすのには限界がある。ときには、毅然として突っぱねなければならないこともある(そのときは裁判になる)。

 不可能な理由を言い立てる被告人もなぜそう主張するのかは理由があるのですから上手くそういう意図を汲んで被告人の心を解いてやり、またそのために時間が必要ならとげを立てずに上手く時間を稼ぐ法廷戦術を取る技術が必要なのではないかということです。

 「不可能な理由を言い立てる被告人もなぜそう主張するのかは理由があるのですから上手くそういう意図を汲んで被告人の心を解いてやり、」これはもっともなご意見である。「被告人の心を解いて」説得できれば、それにこしたことはない。たとえば、説例Bや説例Cで被告人を説得できればそれが一番である。

 しかし、現実には、そううまくいかない。

 私は、弁護士になってから「話せば分かる」とは素直に思えなくなった。世の中には「いくら話しても分からない」人も多い。

 特に、被告人となるような人はそれぞれに複雑な環境や経験や性癖や考えを持っている人が多く、たいした人生経験も持たない弁護士がちょっとばかり話をした位でそうそう説得などできるものではない。

 私は、「人は必ず説得できる、話せば分かる」と信じることのできるこの質問者の方を、幸せな方だとうらやましく思う。

 「またそのために時間が必要ならとげを立てずに上手く時間を稼ぐ法廷戦術を取る技術が必要なのではないかということです。」

 「上手く時間を稼ぐ」には限界がある。

 これは、今回の安田弁護士が最高裁判所の指定した期日に出廷しなかったことを指しておられるのだと思う。

 母子殺人事件についてはあまり具体的には触れたくはないのだが、安田弁護士は期日前に「期日変更の申し立て」をしている。刑事でも民事でもこの期日変更の申し立ては、そうそう珍しいことではない(特に民事では)。私は、裁判所は(自分も判決期日を一方的に延期したり、自己都合ー民事事件だが裁判官の研修日にあたったからという理由での変更もあったようなーで期日変更をすることもあるので)、そんなに期日の変更に厳しいという印象は持っていない。

 しかし、今回の最高裁判所は厳しかった。なぜだろう?大体、上告から何年も期日を開かずに待たせていたくせに、突然どうしてそんなに期日を急いだのだろう?

 そのような最高裁判所の期日に準備不充分なまま出頭しても「時間稼ぎ」などできただろうか?

 裁判所が被告人の自己防御権行使の保護よりも裁判の迅速化の方を優先しようとしている今、「上手く時間を稼ぐ法廷戦術を取る技術」というものがあったなら、教えて頂きたいものだ。

Q7 安田弁護士の場合、遅滞戦術を常套手段としており検察とも司法とも関係が良くないようです。
  今回の場合、過去の経歴が裏目に出た面もあるのではないでしょうか。
  そもそも検察が上告をした時点で最悪の事態を想定し足場を固めておくべきだったのではないかと私は思いますし、被告人が犯行当時18歳なりたてで未熟だからという点で争ってやっと 無期懲役を勝ち取ったわけですから上告審で判決が覆る可能性も少なくない。
  勝って兜の緒を締めずにいまさら慌てふためいても「もう遅い」となって当然だと思いますが。

 私は、安田弁護士の弁護活動をよく知らないが、たとえ「遅滞戦術を常套手段としており検察とも司法とも関係が良くないようです」ということがあったとしても、弁護人が誰かによって裁判所の判断が変わってくるようでは裁判所でさえ「公平」「中立」ではないことになる。弁護人が誰かによって被告人が不利益に扱われのであれば、裁判所の方が責められるべきであろう。

 「そもそも検察が上告をした時点で最悪の事態を想定し足場を固めておくべきだったのではないかと私は思いますし、被告人が犯行当時18歳なりたてで未熟だからという点で争ってやっと 無期懲役を勝ち取ったわけですから上告審で判決が覆る可能性も少なくない。
  勝って兜の緒を締めずにいまさら慌てふためいても「もう遅い」となって当然だと思いますが。」

 これは、確かモトケン氏こと矢部弁護士がブログに同様の意見を書かれていたと思う。

 私は、安田、足立両弁護士の弁護活動も、辞任した前の弁護人の弁護活動も、またこれらの弁護人らと被告人が接見室でどのような会話をかわしたのかも、具体的なことを何も知らないので、とてもこのような断定的な意見を述べる勇気はない。

 ただ、一般論として、次のようなことがあることを述べるにとどめさせて頂くしかない。

 まず、拘束されている被告人の精神状態は揺れやすい。いくら弁護方針の決定権は最終的に被告人にあるとしても、特に人格形成の未熟な若い被告人の場合など、なかなか被告人自身で決断することが難しいこともある。ましてや自身の生命がかかっているような決断となればである。

 そして、弁護人の弁護方針の選択というのは、弁護人によって異なることが多い(たとえば設例A、B、Cのようなケースで意見が分かれることは前記のとおりである)。戦闘的な弁護活動を選択する弁護人もいれば、情状立証の方に重きをおく弁護人もいるのである。

 このような状況下では、被告人は同一人であっても、弁護人が変わることで、弁護方針に変更が生じても不自然ではないのではないだろうか。

 これについては、何度も引用している季刊刑事弁護NO22の特集刑事弁護の論理と倫理の上田國廣弁護士の次のような記述を参考にして頂きたい(「被疑者・被告人と弁護人の関係②」p33~)。

 「さらに、(被疑者・被告人の)自己決定権が必要・十分な条件で行使されたかも問題になるはずである。 

 捜査過程の人権抑圧的な構造、人質司法といわれる不正常な身体拘束の継続、無罪推定の形骸化と99.9%の有罪率。このような現在の刑事訴訟の条件を前提とする限り、弁護人が誠実義務の一環としての十分な説明をすればするだけ、自己防御権を徹底して行使しようとする依頼者は皆無に近くなる。

 弁護人が無罪になる可能性を誇張して説明しない限り、無罪を主張し争う依頼者は限りなく減少する。現に多くの依頼者が『執行猶予が付くのであれば』と言って、たとえ冤罪であっても、事実を認めている。」

 以上が私の考える回答だ。具体的な事件についてはこれ以上何か意見を述べるつもりはないことをご了解下さい。

                                Asagi

 最近、私のブログを見た先輩弁護士から「あんたは暇なのか。」と言われている。仕事も忙しくなってきているので、これ以上のQはご勘弁頂きたい。

 更なる疑問をお持ちの方もおありだろうが、私などよりも刑事弁護の経験豊富な弁護士や学者の先生方に、ご質問頂けないだろうか。

 なお、モトケン氏こと矢部善朗弁護士にも、同じQを送ってご回答をお願いしてあるので(http://www.yabelab.net/blog/2006/04/23-121427.php)、矢部氏のご回答にも期待されたい。

           Kanei5_1             

 文章を書くことにそれほど抵抗のない私だが、やはり今回のテーマは重くて書くことにエネルギーを要した。

 他の法曹関係者のブログを見ても、時事的な話題にさらっと触れてちょっとコメントするだけでまた次の話題へというものが多い。ブログという媒体の性格上、仕方がないことかもしれないが、たまには一つのテーマを掘り下げてもいいのではないかと思い、今回刑事弁護の本質や刑事弁護人の役割を考える長い記事にチャレンジしてみた。

 安田弁護士に対するバッシングをみると、刑事弁護人の役割についての誤解によるものも多いようだ。裁判員制度の施行を前に、法曹関係者ではない一般市民の方々にも、この機会にぜひ刑事弁護人とは何なのかを真剣に考えて頂きたいと思う。私の記事がその一助となれば幸いである。

 さて、来週からは、また通常の記事(これからの記事(予定)参照)に戻って、少しずつ弁護士の活動についてご理解を頂けるようにしたいと思っている。お時間のあるときに、覗いてみて下さい。

           Bkkane

2006年5月12日 (金)

刑事弁護についてのQに対する(一応の)回答ーその3

 刑事弁護についてのQに対する回答の今日は3回目。回答はあくまでも私個人の考えで、同じ弁護士であってもいろいろな回答があり得ることをご理解頂きたい。

Q4 管理人さんのリンクのエッセイを読んで弁護士は中立ではなく依頼人の要請で動くから対立する人には冷たくて当然である、(内容が正確でなかったらすいません)を読んで目からうろこが落ちました。「弁護士は正義の味方」という思い込みが間違っていたのだと思いました。そうすると弁護士が勝訴のためになりふり構わないというのは当たり前のことなのだと思いました。この辺を規制するものはあるのでしょうか?弁護士さんの良心しかないのでしょうか。そうすると弁護士が量産される(つまりおかしな訴訟でも手がけないと弁護士さんが生活に困る)社会は恐ろしいことだと思いました。法科大学院ができるのでそうなるのでしょうか。

 ちょっとご質問の趣旨が理解しにくいので、私なりに質問の趣旨を推測しながら考える。

 (私のどの記事のことを指しておられるのか分からないのだが)「弁護士は中立ではなく依頼人の要請で動くから対立する人には冷たくて当然である、(内容が正確でなかったらすいません)を読んで目からうろこが落ちました。」という点について。

 まず、弁護士が中立ではないことはそのとおりである。刑事弁護では依頼者は被疑者・被告人であり、民事弁護でも依頼者は一方当事者なのだから。

 中立を求められるのは、裁判官、調停委員、仲裁人、そして裁判員などである。

 「対立する人には冷たくて当然である」と言った覚えはないが、相手方から冷たくみられても仕方がないと思う。

 示談交渉をしていて、相手方に弁護士が付いていないときに、相手方からまるで仲裁人のように行動することを求められることがある。しかし、一方当事者の代理人である弁護士にこういうことを期待するのは無理というものである。こういうときは「私はOOの代理人です。あなたの立場に立って行動するわけにはいかないので、あなたはあなたで別の弁護士に相談したり、ご自分の立場に立ってくれる弁護士を探して下さい。」と言うしかない。その結果として、「冷たい」と思われることがあっても仕方がない。

 刑事弁護の場合、弁護人が対立するのは捜査側、検察側であり、被害者と対立するわけではない。しかし、被害者が「なぜあんな犯罪者の弁護をするのか」と思われることは理解できる。季刊刑事弁護NO22の特集「刑事弁護の論理と倫理」には「被害者と弁護人との関係」(下村忠利弁護士 p57~)という論文も掲載されている。「弁護人は被害者に冷たい」という感想をお持ちの方は、是非お読み頂きたい。

 少し紹介すると、下村弁護士は、「『極悪非道』な被告人を傍聴席から見つめる被害者側からの視線が厳しく、時には同じ憎悪に満ちた目で弁護人も視られていると感じることはよく経験するところでもある。とくに無罪を主張したり、被告人のために有利な主張等を強く展開する際にはそうであろう。」(同p58)とされている。そして、「これに対して、弁護人として毅然としているべきは当然であるが、相当の配慮はすべきであろう(ある刑事弁護士は、被害者が死亡しているような事案では、その遺族が傍聴する可能性がある法廷に赤色系統のネクタイはしていかないことにしているとのことであった)。」という。
 そして、「しかし、被害者側が虚偽・誇張を述べることによって作出されている冤罪や、被害者側にも責任の一端いわゆる「落度」があると思料されるような場合には、どのような場面でも臆せず、被告人のためにこれを指摘し、主張すべきは弁護人の当然の責務である。時によっては、被害者側の感情を逆なですることもあろうが、被告人にとって利益となる主張をすることに遠慮はいらない。」とされる。

 弁護人を被疑者・被告人と同一視することなく、弁護人の「職務」をご理解頂きたいものだ。また、弁護人も前記の「ネクタイの色」に配慮する弁護人の例のように、被害者の感情には(職務に抵触しない限り)配慮する必要はあると思う。

 「弁護士は正義の味方」という思い込みが間違っていたのだと思いました。

  この「正義」が何を指しているのかにもよると思う。一般の人からすると「弱きを助け、強きをくじく」のが正義なのだろう。

 刑事弁護の場合、国家の刑罰権の発動に対して被疑者や被告人は「弱者」である。前の記事でも書いたように、弁護人がついても捜査側や検察側と(物的にも人的にも)対等とはいえない。その意味で、被疑者や被告人の自己防御権のために働くことは弱者救済なのである。被疑者や被告人が犯罪者であっても、このことには変わらない。彼らにも裁判を受ける権利があるのだから。

 その意味で、一生懸命に刑事弁護をする弁護人は正義の追求者だと思う。 

 民事弁護の場合、常に弁護士が「弱きを助け、強きをくじく」立場に立つかは疑問である。しかし、それぞれの当事者にそれぞれの言い分がある。民事事件においては、それぞれの立場により「正義」とするところが違ってくるのだと思う(ただ、正直なところ、相手方代理人の「正義」を疑うこともある。これについては別の機会に書きたいと思う)。

 そうすると弁護士が勝訴のためになりふり構わないというのは当たり前のことなのだと思いました。この辺を規制するものはあるのでしょうか?弁護士さんの良心しかないのでしょうか。

 「なりふり構わない」というのがどういうことを指しているのかは分からないのだが、「目的のために手段を選ばない」ということであるなら、

 まず、弁護人が違法行為に加担できないことは前の記事で述べた。被告人のために偽証の教唆や虚偽の証拠を提出することができないのは当然である。これは民事でも同じである。

 しかし、刑事弁護において、被疑者・被告人の自己防御権の行使のために、弁護人が警察や検察側と戦って被疑者・被告人に有利な結果を得ようとすることは「勝訴のためになりふり構わない」行為ではない。もっとも、戦闘的な弁護活動は、対立関係に立つ警察や検察側からみれば「犯罪者」のための「なりふり構わない」行為のようにみえるかもしれない。しかし、(裁判官と同様に中立を求められる裁判員となる可能性のある)国民がそのように考えるべきではないと思う。

 むしろ、わが国では、実際には、依頼者である被疑者・被告人が争いたいと思っても、弁護人がそれに沿わない弁護活動をする場合が少なくない(戦闘的弁護活動は実に大変なのだ)。このことの方が問題だと思う。

 民事弁護でも刑事弁護でも、今のわが国では、弁護士の倫理やプロフェッションとしての自覚の関係で問題となるのは、勝訴のためにやりすぎることではなく、「依頼者の利益にならないことをやる」、ないしは「依頼者の利益になることをやらない」ことの方が多いと思う。

 そうすると弁護士が量産される(つまりおかしな訴訟でも手がけないと弁護士さんが生活に困る)社会は恐ろしいことだと思いました。

 (これは刑事弁護についてのご質問ではないようだが)「弁護士が量産される社会は恐ろしい」というご感想自体は同感である。

 弁護士が自己の利益を優先させて「依頼者の利益にならないことをやる」場合、あるいは「依頼者の利益になることをやらない」場合、職業倫理には反しても、必ずしも違法行為にはならず、その不当性は「分かる人にだけしか分からない」ことが多い。

 弁護士が過剰になれば、残念ながらそういうケースが増えてくるだろう。弁護士もいくら「公益だ」「社会正義だ」と言ってみたところで、「かすみを食べては生きていけない」のだから。これからは「職業倫理なんて言ってはいられない」という弁護士が増えてくるだろう。

 まだ増員の過渡期にすぎない今でも、ご質問の「おかしな訴訟でも手がけないと」という実例が増えている。最近は、サラ金会社の代理人となる弁護士も出てきている(もっとも、きちんと利息制限法と判例に従った解決をしてくれるのならいいのだが、そうでなくサラ金会社の言いなりの主張をされることも多い)。

 企業の仕事をする弁護士についても、法の遵守について厳しいことを言えば「お前のかわりはいくらでもいる。」と言われ、やむなく経営者の違法行為を見て見ぬふりをする、あるいは加担までする弁護士も出てくるだろう。姉歯建築士の弁護士版というわけだ。

 この問題については、私の前の記事(本の紹介ー小説「司法占領」A弁護士とB弁護士偽メール事件からの教訓日本人と規制緩和 )やPINEさんの記事(弁護士増員を前向きに考えよう)をお読み下さい。

 法科大学院ができるのでそうなるのでしょうか。

 2004年、当初の予定数をはるかに超える数の法科大学院が設置された。法科大学院は学生から入学金や学費をもらって経営をしている。経営上、学生が減ったら困る。修了認定を厳しくすれば(司法試験の受験資格がもらいにくくなれば)、入学希望者は減るだろう。従って、法科大学院の修了認定は甘くなりがちになる。そこへ司法試験の合格者数が拡大されれば、質が落ちても不思議はない。

 合格者数が増えても、裁判官や検察官の採用数はほとんど変わらないので、弁護士が増えるだけのことである。

 法科大学院の学費は年間100万円ほどかかるそうだ。数年後には司法修習生の給与も貸与制となるので、弁護士として出発するときには、奨学金を利用していた者は数百万円、場合によっては一千万円もの借金を抱えていることになるだろう。

 しかも、合格者数の増加により、法律事務所の就職先も容易に見つからない(勤務弁護士の独立が困難になるため空席がなかなか見つからない)。初任給もがた落ち(20万円代というところも出てこよう)になるだろう。にもかかわらず、弁護士会の会費として年間50万円程度は支払わなければならないし、このほかにも弁護士会館の建設費や修繕費積立金として数十万円から数百万円も支払わなければならないこともある。多額の借金を抱えての船出には、あまりに酷な状況である。

 このような多額の借金を抱えていても勤務弁護士なら毎月の給与が保障されているからまだいいだろう。しかし、勤務先が見つからずいきなり独立という弁護士も増えてくる。独立すれば毎月一定の経費がかかるが、収入は不安定である。借金を返すためにそのような弁護士が無理な仕事をして様々な不祥事を起こし一般市民が被害にあうことになるだろう(ちなみに、私は、独立してから「借金をしない。リースも必要最小限。事務所の固定経費は極力抑え、生活もできるだけ質素にする。」など心がけ、無理な仕事をしないですむようにしている)。

 私が今学生なら、とても弁護士資格の取得を目指す気にはなれない。弁護士になってから得られる利益(経済的利益や社会的地位など)が資格を取得するまでのコストに全然見合わないからだ(渉外弁護士や大企業の顧問弁護士をめざす場合は別として)。

 そもそも弁護士に対する日本社会のニーズは、合格者数の増加の割合ほど増えていないというのが私の実感だ。ここ数年、裁判の件数も(減りこそすれ)増えてはいない。弁護士なしでも利用可能なADR(仲裁、調停、あっせんなどの裁判によらない紛争解決方法)が充実すれば、もともと訴訟沙汰のきらいな一般市民はそちらを利用して、ますます裁判の必要性は減少するように思う。まあ、その前に、弁護士が増えすぎて、とんでもない訴訟が次々と提起されるようになり、アメリカのような訴訟社会が到来するかもしれないが・・・。

 これについては、もっと実証的な検証がなされてしかるべきなのだが、規制緩和推進委員会も政府も全くそのような検証をしないで、ただ増員、増員と言っているだけである。

 どうして、誰の利益のために、そんなことになったのかについては、こちらの中隆志弁護士の記事(司法試験合格者大幅増員論は実体がない)、それに月刊THEMISの2006年5月号(http://www.e-themis.net/new/index.php)の関岡英之氏(「拒否できない日本」(文春新書)の著者)の「司法制度改革の源泉は米国型訴訟社会にあり」と同2005年6月号「文科官僚アンド族議員が悪いー倒産寸前の「法科大学院」続出のツケー大学院も院生の定員も当初の2~3倍に増やした安易な構想が失敗を招いた」)をぜひお読み頂きたい。

Q5 そもそも弁護する対象は「弱者?」なのでしょうか。よく「弱気助け、強気をくじく」というような言葉も聴きますが、そもそも弁護する対象は「弱者?」なのでしょうか。

 刑事弁護の場合については、被告人が国家権力に対する関係では弱者であることは前述した。

 民事弁護の場合は、依頼人は必ずしも弱者とはいえない。しかし、それぞれの当事者に言い分があるのであるから、代理人となる弁護士はそれぞれの当事者の言い分を法的に構成して主張するのである。ただ、その主張が果たして法的ないしは倫理的に正当なものかについては疑問を感じることがある。しかし、最終的にはそれは裁判所が決めることである。

 それでは、Q6以下の回答は明日。

                         Ageha

2006年5月11日 (木)

刑事弁護についてのQに対する(一応の)回答ーその2

 昨日に続いて、頂いたご質問の回答を考える。あくまでも、私個人の考える回答であることをご了承頂きたい。

Q3 「裁判を開くことで真実が明らかになる」という考えを今まで多くの国民が支持して来ましたが、オウム裁判をはじめていくつかの刑事裁判で「結局、長く時間を掛けても決して真実が明かされることがない裁判が少なからずある」という諦めにも似た考えが主流を占めてきたようです。
 一般人から見ると充分過ぎるほど時間をかけており、なおかつ裁判員制度の導入を含める審理の迅速化をすすめている現在において、「真実を明らかにするため」と主張してこられた弁護士の方が「審理を進めるのになお時間が足りない」と仰せられると、真実の解明を意図的に遅れさせているのはむしろ被告人側ではないか、という心情に切り替わってゆくからではないでしょうか。

 このご質問に対する回答も、今までの私の記事からほぼ明らかとなっていると思う。

 「裁判を開くことで真実が明らかになる」という考えを今まで多くの国民が支持して来ましたが、オウム裁判をはじめていくつかの刑事裁判で「結局、長く時間を掛けても決して真実が明かされることがない裁判が少なからずある」という諦めにも似た考えが主流を占めてきたようです。


  まず、「裁判を開くことで真実が明らかになる」というところの「真実」が、神のみぞ知る真実(真相)のことを指しておられるのであれば、その認識は間違っている。裁判で明らかになるのは、裁判に提出された証拠から認定される事実のみである。

 刑事裁判は「神のみぞ知る真実を明らかにする場」ではない。刑事裁判は、検察側が証拠を提出して被告人の有罪を主張立証し、これに対して弁護側が被告人の自己防御権の行使として有罪とするには「合理的な疑いがあること」を主張立証する場なのだ。その過程において、証拠から認定できる事実が次第に明らかとなってはくるだろう。

 確かに、裁判によって今まで分からなかった事実が明らかになることはあるかもしれない。しかし、裁判官が証拠から認定する事実=神のみぞ知る真実であるかは、本当に「神のみぞ知る」のである。

 このように、時間をかければ「必ず」裁判で神のみぞ知る真実が明らかになるはずだと期待すること自体が無理な注文なのである。

 一般人から見ると充分過ぎるほど時間をかけており、なおかつ裁判員制度の導入を含める審理の迅速化をすすめている現在において、「真実を明らかにするため」と主張してこられた弁護士の方が「審理を進めるのになお時間が足りない」と仰せられると、真実の解明を意図的に遅れさせているのはむしろ被告人側ではないか、という心情に切り替わってゆくからではないでしょうか。

 弁護人に真実を解明する義務がないことは繰り返しご説明した。

 弁護士が「真実を明らかにするため」というときは、前記の裁判の過程において証拠から認定できる事実(たとえば被告人が犯罪に至った経緯ー動機や生育環境なども含む)が明らかになることを指しているのだと思う。弁護人としては検察側の有罪立証もそれに対する被告人の自己防御権の行使も対等になされ、その結果として上記の意味での真実が明らかになることが望ましいのである。

 審理の迅速化ばかりを追求するとこの被告人の自己防御権の十分な行使が難しくなる(裁判員制度を前提とした公判前整理手続であまりにスピードが要求されると弁護人による被告人の自己防御権の行使が事実上不可能になることについては「ろーやーずくらぶ」さんの公判前整理手続きのすさまじい実態を参照)。

 もともと、検察側と弁護側では、事実上の力(使用できる費用や人材など)に圧倒的な差があるのが通常だ(被告人がよほどの金持ちでもない限り)。

 そこへ審理の迅速化が加わって弁護人が検察側の有罪立証に対する合理的な疑いを十分に主張立証できないと、不十分な有罪の証拠から簡単に有罪認定がされてしまう可能性が高くなる。

 弁護士が「審理を進めるのになお時間が足りない」と言うときは、こういう意味で言っているのであり、神のみぞ知る真実を解明するための時間が足りないと言っているわけではないのである。だから、「真実の解明を意図的に遅れさせているのはむしろ被告人側ではないか」というのは、そもそもの前提に誤解がある。

 Q4以降に対する回答はまた明日。

              Kumoma

2006年5月10日 (水)

刑事弁護についてのQに対する(一応の)回答ーその1

 皆様から頂いた刑事弁護についてのQ に対する回答がすっかり遅くなってしまった。

 しかし、今までの記事で、おおよその回答は推測できるという方も多いのではなかろうか。

 私の回答にどれだけの意味があるかは分からないが、今日から少しずつ頂いた質問に対する回答を考える(厳しい刑事弁護の経験があるわけでもない一弁護士の回答と思って読み飛ばして頂いて結構です)。

 それでは、

Q1 「弁護士にとって真実と勝訴(依頼人の利益)」とどちらが大切なのでしょうか?

 そもそも、司法の場においては、「真実」は一つではないと思う。

 神のみぞ知る真実(真相)、裁判において証拠から認定できる真実、それに依頼人にとっての真実、がある。

 裁判では、必ずしも神のみぞ知る真実が明らかになるとは限らない。あくまでも証拠から認定できるだけの事実を真実といっているにすぎない。裁判上の真実は、神ならぬ裁判官が認定するものである。

 刑事弁護における弁護人は、依頼者の利益を守るために依頼者の主張する真実を追求する。

 依頼者の主張する真実(たとえば自分は無実だという主張)が、裁判における証拠から認定できる真実(たとえば依頼者が有罪であるという疑いの余地のない証拠がある場合)とくい違っているときに具体的に弁護人がどうすべきかについては、設例Bや設例Cの回答を参考にして頂きたい。しかし、このときも、弁護人は真実を追求するためにそうするのではなく、依頼者の利益を考えてそうするのであると考える。

 そして、弁護人には積極的に真実を解明する義務はなく、依頼者に対する誠実義務(守秘義務も含む)があるので、たとえ真実の解明のためであっても依頼者にとって不利になる情報を裁判所に告知することはできない。

 もちろん、弁護人にも、犯人隠避、偽証の教唆、証拠の偽造などの違法行為が許されないのは当然のことである。

 しかし、そうでない限り、弁護人は、神のみぞ知る真実(真相)や裁判において証拠から認定できる真実よりも、依頼者の利益を優先して行動するのであり、また弁護人にはそれが求められているものと考える。

Q2 被疑者(被告人)が通用しない弁明をした場合、弁護士側は「その弁明は通用しないから無理です。」と拒否する事は出来ないのですか?弁護士自身が嘘だと確信を持っていても、立場上被疑者の弁明に沿った弁護をしなければならないのですか? 

 この回答については、設例Bの回答を参照して下さい。

 国選弁護人である場合は辞任できないので、「通用しないからダメ」と言って弁護を拒否することはできない。また、私選弁護であっても、弁護を拒否できない場合があり得ることは設例Bの回答で書いたとおりである。

 ただ、設例Cのように、それが犯罪行為になり、かつ被告人自身にとっても不利になるようなときは、たとえ国選弁護であっても、被告人の主張(真犯人を隠すために自らを有罪とする主張)に加担する弁護活動はすべきではないと考える。

 その無理の有る主張をする事で、被害者側の心が更に傷つけられるのは仕方の無い事なのですか? その時は別件として、その損害を求める裁判を起こしたら良いのですか?

 無理のある主張を選択したのは被疑者(被告人)であり、弁護人ではない。刑事弁護人の役割の記事で書いたように、被疑者(被告人)が自己防御権を持っており、自己決定権も持っているのである。

 特に国選弁護の場合には、弁護人には辞任するという選択肢も与えられていない。

 私選弁護であっても、国選弁護であっても、弁護人は、原則として、被告人が自ら選択した方針に逆らうことはできない(たとえば、被告人が無罪を主張しているのに、有罪と主張することはできない)ーこのことは、囲碁と法律の雑記帳さんの記事死刑囚に慰謝料を支払わされた弁護士のとおりである。

 (但し、設例Cのように、犯罪行為になり、かつ被告人自身のためにもならないときは、例外として、弁護人も被告人の決定とは異なる弁護活動ができることがあると考える。)

 よって、ご質問のような場合であっても、弁護人が損害賠償責任を負わねばならない法的な根拠が見当たらない。

 それに、主張に無理のあるなしに関わらず、そもそも弁護人が弁護活動をすること自体が被害者の心を傷つけるといわれることもあるように思う。弁護人が被告人の無罪を主張したり、被告人のために有利な主張をすることが、被害者にとって腹立たしいのはよく分かる。しかし、それだからといって、弁護人が損害賠償責任を負うわけではない。

 Q3以下のご質問への回答は、明日。

                   Aosujia

最高裁が医療裁判の統計データを発表

最高裁が平成17年医事関係民事訴訟事件統計のデータを発表した。

http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20060509AT1G0803008052006.html

 具体的なデータに興味のある方は、下のファイルをご参照下さい。

  「_180508_.xls」をダウンロード

 医療関係訴訟事件の一審の平均審理期間は2年2ヶ月台となり過去最短である。
 一審の通常訴訟事件の認容率は83.4%(人証調べ実施事件は65.4%)なのに対し、医療関係訴訟事件の認容率は37.8%にすぎない(3年連続低下)。

2006年5月 9日 (火)

刑事弁護人の役割ー3つの質問(回答編)・設例C

刑事弁護人の役割ー3つの質問 (季刊刑事弁護 N022 p62~)

 「設例A 身の代金目的で少女を誘拐し殺害したと疑われ、身体を拘束されているが、まだ何も供述していない依頼者が、「警察官、検察官あるいは裁判官には、本当のことを話したほうがよいだろうか?」と、あなたに相談した場合。

設例B 強盗事件で起訴された被告人が、「本当は自分が犯人だが、重い刑を受けるのはいやだから無罪を主張したい」というが、弁護人が証拠を見ても有罪判決の可能性が高いと判断した場合。

設例C 自動車運転中に過失で人をはねて死に至らせたとして起訴された被告人が、「実は運転していたのは自分の妻であるが、自分が罪を認めたい」という場合。」

 最後の設例Cを考える。

 この設例Cでも、被告人が言う「実は運転していたのは自分の妻である」ということが100%真実であることを前提に考える。

 まず、真犯人が妻であることを裁判所に告げる義務がないことは、弁護人には積極的な真実義務がないこと、弁護人には依頼者に対する誠実義務があることから明らかである。過去の司法研修所の教科書は、弁護人が身代わり犯人であることを裁判所に告知すべきだとしていたが、1980年『刑事弁護実務5訂版』以降、この記載は削除されたそうである(季刊刑事弁護NO22、特集刑事弁護の論理と倫理 村岡啓一弁護士 p26)。

 しかし、身代わり犯になることは犯罪(犯人隠避罪)だ。弁護人としては、当然、被告人とその妻に対し真実を述べるよう説得すべきである。しかし、それでも、被告人が身代わり犯となることに固執する場合はどうすべきか。

 被告人が真犯人であることを前提とする弁護活動(情状立証が中心)をすることは許されないと思う。これは、身代わり犯に加担することになり、犯人隠避罪の共犯になりかねない。弁護人の雇われガンマン的性格を重視する立場であっても、これは犯罪になるので、許されるものではないだろう。

 そこで、私選弁護の場合は、被告人に「有罪を前提とする弁護活動はできないこと」を説明し、それでも被告人が「そうしてくれ」と言うのであるなら、辞任せざるをえない(辞任の理由は裁判所には言う必要はない)。

 問題は辞任が許されない国選弁護のとき。このときは、どうしたらいいのか。有罪を前提とする弁護活動ができないことは同様なので、無罪を主張するしかないと考える。これをしても、少なくとも刑事裁判上は被告人に不利になるとはいえないので(被告人の主観的な利益には反するだろうが)、弁護人の誠実義務には反しないと考える。

 しかし、被告人は協力しないだろうから、設例Bのときと同様被告人に対する尋問は淡々と事務的に進め、検察側提出の有罪の証拠に合理的な疑いがあることを指摘していくほかない(例えば、車の座席やミラーの位置が被告人の身長と合致しないなど)。しかも、真犯人が妻であると指摘することも弁護人の誠実義務に反するからできない。このため非常に苦しい弁護活動になるだろう。

 以上が、3つの設例に対して私が考える回答である。しかし、これは、あくまでも一弁護士である私の見解にすぎない。弁護士の中でも見解の分かれるところなので、「季刊刑事弁護N022 特集刑事弁護の論理と倫理」の、当番弁護士100人へのアンケート結果(p63~)やベテラン弁護士の回答(p69~)、海外の弁護士の回答(p75~)を、ぜひお読み下さい。 

               Leaf1_1

 それにしても、これで刑事弁護人がいかに難しい問題を突きつけられるか、少しはご理解頂けたのではないだろうか。

 特に簡単に辞任ができない国選弁護人は辛い。

 前記特集記事の執筆者である上田國廣弁護士の友人のK弁護士は、「刑事弁護をしたくない4つの理由」を次のように述べているという。

 「その第1は、刑事事件は金にならない。

 第2は、品行方正でない人とあまり付き合いたくない。

 第3は、警察とは喧嘩したくない。

 第4は、刑事裁判そのものに対する無力感、絶望感 である。」

(季刊刑事弁護N022 特集「刑事弁護の論理と倫理」上田國廣弁護士 p31、季刊刑事弁護N03 p15) 。

 これは多くの弁護士の本音であろう。

 上田弁護士は、刑事弁護人の役割について雇われガンマン的性格を重視すると、「刑事弁護をしたくない『5番目の理由』が出てくることになりかねない。」とされる(季刊刑事弁護N022 特集「刑事弁護の論理と倫理」上田國廣弁護士 p37,38)。

 これも同感である。

 刑事弁護から足を洗ってしまった私だが、「それでも刑事弁護を引き受けて戦闘的な弁護活動をしている弁護士」に対して深い尊敬の念を抱いている(私の前の記事刑事弁護人裁判員制度の問題点が早くも露呈かもお読み下さい)。

               Yajirobei_mini  

 被疑者に対する国選弁護は、今年から段階的に導入される。

   http://www.nichibenren.or.jp/ja/judical_reform/public_advocacy.html

 また、裁判員制度は、2009年までに実施されることが決まっている。

   http://www.nichibenren.or.jp/ja/judical_reform/citizen_judge.html

 そのときまでに、国民に刑事裁判や刑事弁護人の役割について十分な理解をして頂けるのだろうか・・・。非常に不安である。

 また、今のような状況下で、弁護士を増員すれば刑事弁護を引き受ける弁護士も増えるのだろうか。自由競争や利潤追求の観点からすれば、刑事弁護は上記のように弁護士にとってありがたい仕事ではない。引き受ける弁護士が増えるとしても、(特に国選弁護は)理念のない単なる「やっつけ仕事」的な弁護活動に終始してしまうのではないだろうか。被疑者国選弁護の件数が増えて弁護人の引き受け手がなくなると、弁護士への受任の義務化が強行され(あるいは副検事の経験者らに弁護人となる資格が与えられ)、ますますその傾向に拍車をかけないか。 

 これからの刑事弁護の行方には不安が尽きない。 

               Birthflo08_1  

                                 

安田弁護士についてこんな報道も

 安田弁護士の弁護活動について、ようやく、こういう別の見方をする新聞報道も出てきた。

 私の刑事弁護人の役割について書いた記事にも関連しているので、ぜひお読み下さい。

http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060508/mng_____tokuho__000.shtml

 この記事で、安田弁護士は「肝心なのは遺体や現場の状況という客観的な証拠だ。」と述べている。光市母子殺人事件については、これらの証拠に基づく弁護側の主張に対する最高裁判所の判断を静かに待ちたいと思う。

 これとは別に、皆様から頂いた刑事弁護についてのご質問( 刑事弁護についてのQ)に対して、私なりに考えた回答を明日から少しずつ書いていこうと思っている。非常に回答の難しい質問だ。皆様もぜひ一緒にお考え下さい。

                   Kane

2006年5月 8日 (月)

刑事弁護人の役割ー3つの質問(回答編)・設例B

 刑事弁護人の役割ー3つの質問 (季刊刑事弁護 N022 p62~)

 「設例A 身の代金目的で少女を誘拐し殺害したと疑われ、身体を拘束されているが、まだ何も供述していない依頼者が、「警察官、検察官あるいは裁判官には、本当のことを話したほうがよいだろうか?」と、あなたに相談した場合。

設例B 強盗事件で起訴された被告人が、「本当は自分が犯人だが、重い刑を受けるのはいやだから無罪を主張したい」というが、弁護人が証拠を見ても有罪判決の可能性が高いと判断した場合。

設例C 自動車運転中に過失で人をはねて死に至らせたとして起訴された被告人が、「実は運転していたのは自分の妻であるが、自分が罪を認めたい」という場合。」

 のうち、設例Bを考える。

 設例Aと違って、被告人は「自分が犯人だ」とはっきり述べており、かつ、開示されている証拠からも有罪の可能性が高いという。これは、まず前提として、被告人が100%真犯人の設例と考える。

 弁護人には積極的な真実義務はないのであるから、被告人が自分が真犯人であると弁護人に述べていることを裁判所に教える義務はない。しかし、どのような弁護活動をしたらいいのか。

 この場合、設例Aで述べたように、無罪を主張すれば「反省していない。」として被告人にとって不利な判決が出る可能性が高い。そのことは、十分に被告人に説明すべきである。それでも、被告人が「無罪の主張をする」と言い張る場合、弁護人としてはどうしたらいいのか。これも難しい問題である。

 まず、国選弁護人である場合は、正当な理由がない限り(たとえば病気などよほどの理由がない限り)辞任が許されない。弁護方針がくい違うという理由を説明して裁判所に解任を求めることは守秘義務に反し被告人に不利にもなるから、そのようなことはできない。そこで、弁護を続けるほかない。その場合は、大変苦しい弁護となる。検察側提出の有罪の証拠に合理的な疑いを見つけるべく努力をするほかない。しかし、無罪の立証をするために、虚偽の証拠を提出したり、被告人の虚偽の供述を助けるべきではない。被告人を尋問する際にも、淡々と事務的な尋問をするほかないだろう。

 私選弁護人だった場合はどうか。この場合は「辞任」という選択肢がある。この「辞任」が依頼人に対して一種の「教育的効果」を果たすことがあることは見逃すことの出来ない事実である。

 刑事でも民事でもそうだが、依頼人が自身のためにならない不合理なことを主張する場合、弁護士が辞任してしまうことが依頼人のためになることがある。というのは、次に委任を打診された弁護士も辞任した弁護士と同じことを言って委任を断ろうとすると、依頼人が自身の主張の不合理性を認識することがあるからである(一人よりも複数の弁護士が同じことを言う方が説得力がある)。・・・但し、これは「辞任」ないしは「受任拒否」という切り札を弁護士が持っている場合でなければ出来ることではない。弁護士は委任を受ける際に依頼人から「着手金」をもらっている。辞任するとなるとこの着手金の一部ないしは全部の返還が必要になる。また、委任を断るだけの余裕がなければならない(弁護士が必要以上に増えて競争が激しくなると、このようなことが困難になってくるだろう)。

 話がまた横道に反れてしまったが、とにかく「辞任」することも依頼人のためになることもあるのである。しかし、そのタイミングが依頼人に不利にならないように注意すべきである。期日がせまっているときにいきなり辞任してしまうと、次の弁護人も困ってしまう。タイミングの関係で、辞任が依頼人に不利になるようであれば、国選弁護のときと同様の弁護活動をするほかないと考える。

 刑事弁護人は「雇われガンマン」か?「聖職者」か? の記事で書いた刑事弁護人の「雇われガンマン」的性格を重視する立場では、おそらく国選弁護であろうと私選弁護であろうと、前記国選弁護の場合で述べたような弁護活動をすることになるのだろう。被告人が決定した弁護方針に対して弁護人は武器に徹しなければならないという立場だからである。

 ただ、私は、前記のように「辞任」も依頼人のためになる場合があると考えているので、タイミングがよければ辞任すると思う。次の弁護士には気の毒ではあるが、最初の弁護士よりも次に依頼される弁護士の方がより説得しやすいというのが通常だからである。しかし、次の(あるいはその次の)弁護士が説得しても被告人が依然として無罪を主張するというのであれば、(タイミングとの関係で)もはや被告人を説得することは無理だと諦めて前記国選弁護のときのような弁護活動をするほかないこともあるだろう。審理の早い刑事事件では、たらい回しは被告人に不利になりかねないからである。また、私選弁護人が見つからなければ、結局は国選弁護人になって同じ結果となってしまう。

 以上は、あくまでも一弁護士である私の見解にすぎない。これについては、やはり、見解の分かれるところなので、「季刊刑事弁護N022 特集刑事弁護の論理と倫理」の、当番弁護士100人へのアンケート結果(p63~)やベテラン弁護士の回答(p69~)、海外の弁護士の回答(p75~)を、ぜひお読み下さい。 

                  Xxx_1

2006年5月 7日 (日)

刑事弁護人の役割ー3つの質問(回答編)・設例A

 刑事弁護人は「雇われガンマン」か?「聖職者」か?はお読み頂いただろうか。ちょっと難解だが、刑事弁護人の役割を考える上では、避けて通れない問題である。

 その上で、刑事弁護人の役割ー3つの質問 (季刊刑事弁護 N022 p62~)を考えて頂けただろうか。

 「設例A 身の代金目的で少女を誘拐し殺害したと疑われ、身体を拘束されているが、まだ何も供述していない依頼者が、「警察官、検察官あるいは裁判官には、本当のことを話したほうがよいだろうか?」と、あなたに相談した場合。

設例B 強盗事件で起訴された被告人が、「本当は自分が犯人だが、重い刑を受けるのはいやだから無罪を主張したい」というが、弁護人が証拠を見ても有罪判決の可能性が高いと判断した場合。

設例C 自動車運転中に過失で人をはねて死に至らせたとして起訴された被告人が、「実は運転していたのは自分の妻であるが、自分が罪を認めたい」という場合。」

 これらの設例の場合、刑事弁護人はどうすべきか?

 これが「正解」というものがあるわけではない。刑事弁護人の役割をどう考えるか、何に重きを置くかによって、回答が違ってくるはずだ。以下は、あくまでも私の考え。

 それでは、設例Aから。

 設例A 身の代金目的で少女を誘拐し殺害したと疑われ、身体を拘束されているが、まだ何も供述していない依頼者が、「警察官、検察官あるいは裁判官には、本当のことを話したほうがよいだろうか?」と、あなたに相談した場合。

 この依頼者がいう「本当のこと」とは一体何だろうか。一番に頭に浮かぶのは「自分が真犯人だ」ということ。真犯人で身代金目的の略取誘拐により有罪となれば死刑・無期懲役となる可能性がある。

 こういうとき、正直、弁護人は依頼者の言う「本当のこと」を聞きたくないものだ。

 アメリカの刑事弁護人には、依頼者との最初の面接で、「私に真実なんて言うなよ。真実なんて聞きたくもない。真実を聞いてしまったら、たぶん弁護がやりずらくなると思うよ。聞きたいのは、あなたが陪審員にどう信じてもらいたいか、ということだ。数分間考えてくれ。それから話をしよう。」と言う人もいるそうだ(季刊刑事弁護 特集「刑事弁護の論理と倫理」 上田國廣弁護士 被疑者・被告人と弁護人との関係② p32、ダニエル・フット「日本の協的『当事者主義』の考察」法の支配115巻(1999年)92頁)。

 これは依頼者に下駄を全て預けるやり方で、一番楽な方法だろう。しかし、依頼者がその主張するところの「真実」を矛盾なく貫けるだけの力量のある人物ならいいが、そうでないときは思わぬところでボロが出て、十分な情報が与えられていない弁護人としては防御の仕様がなくなることがある。だから、このように言うことは依頼人の利益という面からも得策だとは思えない。

 やはり依頼者には、まず弁護人に全てを話すように言うべきだと思う(これは刑事でも民事でも同じ)。

 さて、その結果、依頼者が「自分が真犯人だ」と言った場合はどうするか。取り調べの際に自白するよう指示するか、黙秘するように指示するか。非常に難しい問題だ。

 まず、前提として、次の点を押さえておく必要があるだろう。

1 日本では黙秘権は被疑者・被告人の権利として認められているが、実際の刑事裁判では黙秘を貫くと有罪となった場合に「反省の情がない。」として量刑の面で不利に扱われることがあること。

2 供述調書は、必ずしも被疑者の話をしたとおりに作成されるものではないこと。

3 捜査段階で捜査側が収集している証拠は弁護人にはほとんど開示されないこと。

4 自白だけでは有罪にすることはできず、他の証拠が必要なこと、逆に自白がなくても他の証拠だけで有罪とされる場合もあること。

5 刑事裁判では、有罪の立証責任は検察側にあり、弁護側としては検察側の立証に合理的な疑いがあることを立証すれば足りること。

 また、依頼人が、「自分が真犯人だ」と言って犯行事実について具体的な供述をしていても、本当に真犯人だとは限らないことにも注意をすべきである。

 ちょっと横道に反れるが、私が最近見た映画に「殺人の追憶」という韓国映画がある。この映画でも真犯人として具体的な供述をした人物が実は真犯人ではなかった(あまり具体的なことを書くとネタバレになるので書けないが)という事件を題材にしている。また、現実にも、私の所属する愛知県弁護士会の先輩弁護士が国選弁護人として活躍された豊川の赤ちゃん誘拐殺害事件では捜査段階で自白をした被告人に対して無罪の判決が出ている。過去のえん罪事件の例でも、被疑者のパーソナリティーや取り調べの状況によっては、いかにも真実らしい自白をしてしまうこともあるのである。

 被疑者や被告人が弁護人に対して「自分が真犯人だ」と言っていること自体が本当なのかさえ、疑ってかからなければならないこともある。他に客観的な証拠があり、それとつき合わせて被疑者の言うことが本当かどうか確かめられればいいのだが、捜査段階では弁護人に対してそのような証拠はまず開示してもらえない。また、弁護人は検察官でも裁判官でもないのだから、依頼者の供述だけで真犯人であるとの判断を下す立場にはない。

 よって、簡単に依頼者に「本当のこと」を話せとは指示できない。それは被疑者の自己防御権の放棄を指示することにもなりかねないからである。

 そして、前記5つの点と有罪となれば死刑や無期懲役となる可能性があることについては、依頼者に十分に説明をしておく必要がある。その上で、依頼者が取り調べの際に「本当のこと」をしゃべるというのであれば、供述調書が作成されるときには、間違い(事実関係のみでなく情状に関する事実であっても)があれば訂正を求め、署名は十分に内容を確認してからにするようにアドバイスをする。しかし、これは拘束されている被疑者にとって非常に難しいことだ(私の前の記事塀の中の人たち(ちょっとした思い出) 参照)。これが精神的にきつい状況にならないように、弁護人としては頻繁に被疑者と接見をするように努めなければならない(これは忙しい弁護士にとっては相当きつい)。

 上記説明をした後に、被疑者が捜査段階での黙秘を選択するのであれば、その選択に従う。他に有罪とするに合理的疑いの余地のない証拠があれば依頼者に不利になる可能性があるが、それを依頼者が選択した以上は仕方がない。虚偽の供述をすることには加担できないが、黙秘自体は被疑者に認められた権利である。それに捜査段階で供述調書が取られることには前記のような危険もあるので、依頼者のパーソナリティーによっては捜査段階で黙秘を選択することが(しゃべることにより情状面で不利な供述調書が取られる可能性もあるから)必ずしも不利とはいえないこともある。

 なお、依頼者が「自分は無実である」と言う場合であっても、捜査段階であまり細かな事実についてまでしゃべらない方がいいこともある。後で、(記憶が正確でない部分を)つじつまが合わない、矛盾があるなどと追求される可能性があるからである。供述調書というのは、取調官の作文的要素がどうしても入るため、たとえば供述者が「こうだったとは思うが、はっきりとは覚えていない」と言っていることも断定的に書かれてしまう可能性がある。書き方によっては嘘っぽいものにもなりかねない。だから、無実であることをしゃべるときも、最低限の事実に留め、供述調書が作成されるときには前記のような注意が必要であることを説明しなければならない。接見を頻繁にすることも同様である。

 以上が私の考える回答である。あくまでも、一弁護士の考える回答にすぎないことをご了解頂きたい。「季刊刑事弁護N022 特集刑事弁護の論理と倫理」には、当番弁護士100人へのアンケート結果(p63~)やベテラン弁護士の回答(p69~)、それに海外の弁護士の回答(p75~)も掲載されているので、ぜひお読み下さい。 

              Kanei5

2006年5月 5日 (金)

塀の中の人たち(ちょっとした思い出)

 刑事弁護について、柄にもなく真面目な考え事をしたり、ホリエモン保釈のニュースで拘置所の紹介をしているのを見て、昔やった刑事事件のことをよく思い出すようになった。

 ホリエモンは豪勢なマンションに住んでいるので、さぞかし狭くて不自由な拘置所生活は辛かったであろう。それにしても、よく3ケ月も否認を貫いたものだ。かつての部下は次々と自白をしているというのに。なかなかこれは出来ることではない(別に褒めているわけではないのだが)。ホリエモンは弁護人とは毎日のように打ち合わせをしていたというが、弁護人がどういうアドバイスをしていたのか、ちょっと興味をそそられる。

 被告人の供述調書を読むと、しゃべらなくてもいいことまでしゃべっている(取調官の誘導によるところも多いのだろうが)のが多い。狭いところに閉じこめられている人間にとって、「黙っている」というのは相当な苦痛なのだ。警察署に接見に行くと、警察官と被疑者が結構仲良さそうに話しているのに驚いたものだ。

 ニュースでは拘置所内の食事などについても紹介されていたが、私も司法修習生のときの見学の際に拘置所内で昼食を頂いたことがある。昔のことなのであまり覚えていないが、まずいものではなかったと思う。野菜の煮物などもついていて、結構健康的でおいしかったように記憶している。

(拘置所の麦飯についてこんなニュースも  http://www.nikkansports.com/general/p-gn-tp0-20060429-25159.html

 さて、私が思い出したのは、次のような被告人たち。

 一人は、木枯らしが吹き始める頃、女性用のストッキングの入った紙袋を盗んだ初老のホームレス。この人の意図は明らかだった。寒くなる前に拘置所に入りたかったのだ。

 もう一人は、車止めの杭を引き抜いてくず鉄屋に売ったホームレス。杭はステンレス製なので高く売れるのだ。この人はまだ中年だったと思うが、栄養失調のために歯の殆どが抜け落ちていた。拘置所に接見に行くと、なんだかホッとしたような顔をしていたのを覚えている。

 いずれも常習累犯窃盗で実刑確実。情状立証をするにも、被害弁償もできず、情状証人になってくれる人もいない。彼らも情状立証で刑が短くなることを望んでもいないし、期待もしてもいない。

 拘置所の住人にはこういう人たちも多いのだ。拘置所や刑務所も、彼らにとってはありがたい場所なのだろう。

 3億の保釈金を積み、百何十億という資産を持つというホリエモンも、こういう人たちと一緒に拘置所にいたわけだ。

 日本で平等な場所は塀の中だけかもしれない。

                  Koinobori3

2006年5月 4日 (木)

刑事弁護人は「雇われガンマン」か?「聖職者」か?

 さて、刑事弁護人の役割ー3つの質問 はお考え頂けただろうか。結構、同様のシチュエーションは弁護士ドラマで見るように思うが。

 私のブログのコメント欄を掲示板がわりに使用している方々も、マスコミが押しつけてくる意見に頼るばかりでなく、一度「刑事弁護人の役割とは本来どういうものであるべきなのか」からじっくり考えてみて頂きたいと思う。マスコミが取り上げたらパーッと過剰反応するが、マスコミが取り上げなくなると何も反応しなくなる(これは多くのブログの傾向のようにも思う)というのはどうだろうか。

 今春は弁護士ドラマ(殆どが刑事事件を題材にしている)が多いのだし、光市母子殺人事件、ホリエモン事件、耐震強度偽装事件などで弁護人に対する関心も高まっている。しかも、誰もが裁判員に選任されて重大な刑事裁判に参加しなければならない可能性がある時代である。裁判員になる前に弁護人の役割を考えておいても無駄にはならないのではないだろうか(こんなニュースも見つけたhttp://sports.nifty.com/cs/headline/details/et-sp-kfuln20060502006002/1.htm)。

 だから、面倒くさがらずに、ちょっと足を止めてお考え下さい。

 連休明けに刑事弁護人の役割ー3つの質問刑事弁護についてのQ

に対して、私なりに考えた回答をさせて頂きたいと思っている。

 その前に、季刊刑事弁護のNO22の特集「刑事弁護の論理と倫理」や刑事弁護の経験豊富な諸先輩からお聞きしたお話をもとに、刑事弁護人の役割について(私が理解し得た限りで)議論を整理してみる。

Domino4

 表題の「雇われガンマンか?聖職者か?」の雇われガンマン(hired gun または用心棒)と聖職者(または唱道者 Advocate)は別に私が考えついた言葉ではなく、前記特集の村岡啓一弁護士(被疑者・被告人と弁護人の関係①)と、上田國廣弁護士(被疑者・被告人と弁護人の関係②)、小坂井久弁護士(弁護人の誠実義務)らがその論文で使われている言葉である。アメリカの弁護士の間で使われている言葉のようだ。なかなか比喩としては意味深な言葉だと思って表題に使わせて頂いた。

 まず、刑事弁護人の役割を考える上での前提として、次の2点については、殆どの弁護士が共通認識とするところであろう。
1 弁護士は、たとえ依頼者のためであっても、証拠の隠滅や偽証の教唆などの違法行為をすることができない。
 (弁護士職務基本規定75条 弁護士は、偽証若しくは虚偽の陳述をそそのかし、又は虚偽と知りながらその証拠を提出してはならない。)

2 弁護士には、事件の真相を解明する義務(積極的な真実義務)はない。
  この点は一般の方々にはなかなか理解されていないようだ。弁護士がまるで警察官か探偵のように事件を調査する弁護士ドラマが多いせいだろうか。このような積極的な真実義務がないことから、弁護人が被疑者に黙秘を勧めることも許されるのである。

  しかし、依頼者の希望にそのまま従った弁護活動が、明白に違法とまではいえないが、他の利益(たとえば真実を明らかにするという社会的な利益)と相反するような場合、弁護人はどうすべきか。
 これについては、大きく分けて次の2つの立場があるようだ(他にもいろいろな立場があるようだが、ここでは対比しやすいように2つに絞って紹介させて頂く)。

A 弁護人の「雇われガンマン」としての性格を重視する立場。
  ー弁護人の(依頼者である)被疑者や被告人に対する誠実義務を重視する立場(季刊刑事弁護N022 p23~ 村岡啓一弁護士の前記論文参照)。

1 弁護人は被疑者や被告人の武器に徹しなければならない。
  被疑者や被告人は、法律知識の面においても、自己に有利な証拠を収集するという事実上の能力の面においても、国家の刑罰権の発動に対する防御の上で、国家権力と対等ではない。そこで、法律の専門家である弁護人を利用させることで(武器を与えることで)、少なくとも法律的知識の面での平等を図る(武器対等の原則)必要が生じる。
 即ち、弁護人は、被疑者や被告人となった市民の自己防御権を補完するために「武器」として与えられるものである。

2 そもそも被疑者や被告人自身が自己防御権を持っているのだから、弁護の基本的方針を決定するのは被疑者や被告人本人であり、弁護人ではない。ただ、弁護人は法律の専門家として被疑者や被告人に最も適切と考える戦術について助言や説得をしなければならない。しかし、助言や説得の後、被疑者や被告人が一定の方針を決定したならば、弁護人としてはその決定を尊重しなければならず、その後は「武器」(gun)に徹しなければならない。これを弁護人の依頼者である被疑者や被告人に対する誠実義務・忠実義務という(守秘義務もその一つ)。
 (弁護士職務基本規定46条 弁護士は、被疑者及び被告人の防御権が保障されていることにかんがみ、その権利及び利益を擁護するため、最善の弁護活動に努める。)

3 弁護人は依頼者に対する誠実義務を果たすために依頼者の主張する「真実」を追求するが、客観的な意味での真実(真相)を積極的に解明する義務はない。

4 弁護人が被疑者や被告人の量刑を有利にするために被害者と示談をしたり、被疑者や被告人の更正のための活動をすることなどは本来の弁護人の役割ではない。「事実認定手続と量刑手続とが分化している諸外国では、これらはケースワーカーの役割と考えられている」「被疑者や被告人の自己決定とは別に、弁護人が被疑者・被告人の『悔悟』と『更正』を求める国家意思の実現に手を貸すことになるのではないかという危惧を払拭できない。」とされている(村岡弁護士の前記論文 P30)。

B 弁護人の「聖職者」としての性格も重視する立場
  ー弁護人の誠実義務とともに公的な役割も重視する立場(季刊刑事弁護N022 p31~ 上田國廣弁護士の前記論文、同p39~ 森下弘弁護士の「刑事弁護ガイドラインへの一私案」参照)。

1 弁護人は依頼者に対する誠実義務を負うだけでなく、「正義」を導く存在とし公的な役割も負う。この公的な役割の内容については、論者によって異なるようで、(私の理解したところでは)弁護人にも法の適正な実現のために司法の独立の機関としての責任があるというようだ。この公的な役割の理解に参考となるのは、弁護士職務規程の以下の条文であろう。
 2条  弁護士は職務の自由と独立を重んじる。
 4条  弁護士は、司法の独立を擁護し、司法制度の健全な発展に寄与するように努める。
 5条  弁護士は、真実を尊重し、信義に従い、誠実かつ公正に職務を行うものとする。
 20条 弁護士は、事件の受任及び処理に当たり、自由かつ独立の立場を保持するように努める。
 74条 弁護士は、裁判の公正及び適正手続の実現に努める。

2 弁護人はこの公的な役割のため、ときには依頼者である被疑者や被告人の決定と異なる弁護活動をすべき場合もある。被疑者や被告人の弁護人に対する要求を受け入れないことも可能である。証拠から明らかに虚偽とみられる事実を弁護人は主張することができない(弁護人には消極的な真実義務はある)。

3 ちなみに、この立場は、弁護人の役割を「楕円の論理」というものでとらえるようである(大野正男「楕円の論理」判例タイムズ528号7頁、村岡弁護士の前記論文p23、森下弁護士の前記論文p41参照)。
楕円には2つの中心点(焦点)があるように見える。つまり、刑事弁護人の役割の中心にはこの楕円のように、一つは被疑者や被告人に対する誠実義務(守秘義務が導かれる)、一つは公的な役割(真実義務が導かれやすい)という2つがあるというのである。
 Aの立場を取る村岡弁護士も、この楕円の論理について、「弁護士とは、二つの中心点の間で、真実に忠実であろうとすれば依頼者を裏切りかねない立場に置かれ、守秘義務と真実義務との相克に苦悩する人間像だというのである。この説明は、不思議と唱道者Advocateのイメージと重なり、『苦悩する弁護人像』に共感した覚えがある。」としている(同P23)。

4 この立場では弁護人は聖職者のように被疑者や被告人に全人格的に関与し、弁護人の情状立証(示談、更正、反省・悔悟等)についても積極的な役割を果たすことが期待される(前記上田弁護士の論文p37、前記小坂井弁護士の論文p47)。

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  Aの立場に立つ村岡弁護士は、今は楕円の論理には従わず、弁護人は被疑者や被告人に対する誠実義務を貫くべきと考えているという。その根拠として、わが国の刑事裁判が当事者主義の構造になっており、「各訴訟当事者がそれぞれの役割を誠実に実践することによりシステム全体として健全性が保持されることを目指している。」ことを掲げられる(p29)。
 ここのところは一般の方々には理解しがたいところであろう。今のマスコミ報道は、圧倒的に被害者寄りであり(但し、名張ぶどう酒事件の場合は、当初は被害者寄りであったが、今は奥西被告寄りである)、特に凶悪事件などでは国民は自らを被害者側に同化することが多い。被疑者や被告人の立場に身を置いて考えることはまずないだろう。

 しかし、我々が犯罪者に対して法律を守ることを要求する以上、彼らの保障されている権利も守ってやらなければならない。
 また、一私人である被疑者や被告人は、国家の刑罰権の発動に対しては実に非力である。現実には弁護人がついても検察側と対等になっているとはいえない。

 貴方が電車の中で痴漢と間違われて逮捕された場合のことを考えて頂きたい。私の知り合いの先輩弁護士は、被告人の無罪(痴漢をしていないこと)の立証に大変に苦労された。被害者の供述以外に何も証拠がない状況下で、どのように無罪を立証したらいいのだろう。警察や検察は税金を使って捜査をし証拠を集めることができるが、被疑者や被告人は自分の金を使って証拠を集めなければならない。金も時間もかかる。これは私選弁護人を頼まずに国選弁護人とした場合も同様である。国選弁護人に支払われる報酬と費用は微々たるものだ。そんな費用で十分な調査や弁護活動ができるはずがない。軽微な罪であっても、このように被疑者や被告人となれば大変不利な戦いを強いられるのである(余談だが、周防正行監督が痴漢のえん罪事件を題材に映画を撮影するそうだ。http://www.mainichi-msn.co.jp/entertainment/cinema/news/20060419spn00m200003000c.html。これは是非見てみたい)。

 このような状況下では、弁護人に被疑者や被告人に対する誠実義務のみならず、(その内容がはっきりしない)公的な役割まで求めるのは過大な要求である、というのもこの立場の背景にあるように思う。

 これに対してBの立場の方は、一般の方々が弁護人に対して漠然と抱いているイメージと重なるのではないだろうか。

 Bの立場に立つと思われる上田弁護士は、「刑事手続には、依頼者の利益だけでなく、他の市民の利益も関係してくる。積もりつもって、国民全体の権利に大きな影響を及ぼすことになる。その意味で、依頼者の自由な処分に委ねられる領域だけではない。」(前記論文p33)としている。また、Aの立場では弁護人に独自性がなく、弁護人に了承できない依頼者の主張に拘束されるとすれば、弁護士の刑事弁護活動に参加する情熱を削ぐことになるし、刑事弁護に対する国民の理解と支持を得られない、とする(p37、38)。
 もっとも、上田弁護士も、弁護人の誠実義務を軽視するわけではなく、「わが国では、総体としては戦闘的な弁護活動が十分ではなく、依頼者が争っていても、弁護人がそれに沿わない弁護活動をする場合も多い。誠実義務を自覚し、可能な限り依頼者の自己決定権を尊重して弁護活動を展開していくことが、現時点ではとりわけ強く求められていることである。」(p38)としている。                    

                Leaf6

 このように刑事裁判において弁護人の果たすべき役割、刑事弁護のあり方については、弁護士間でも意見が分かれるところであり、単純に割り切ることのできない難しい問題を含んでいるのだ。
 私も十分に理解できたとはいえない。文章に間違いもあるかもしれない。この問題に興味のある方は、ぜひ季刊刑事弁護NO22 特集「刑事弁護の論理と倫理」をお読み下さい。

 そして、このような刑事弁護人の役割論を念頭に置いた上で、3つの設例と刑事弁護についてのQを改めて考えてみて下さい。

                                Seesaw   

2006年5月 3日 (水)

日本人と規制緩和

 最近、外資系(正確には社長らトップが外国人の会社)のサラ金会社に対して過払金返還の裁判を起こすことが多くなっている。

 どうも外資系は示談が成立しにくいようだ。こういう会社の担当者と交渉していたとき「うちはトップが外国人で、金利の自由化の感覚が強くって、どうして借りた方が自分の意思で利息を支払っているのに過払金になるのか、どうして返還せねばならないのか、と言われる。過払金返還義務についてなかなか理解してもらえない。」などと言われたことがある。

 真偽は不明だが、あり得ることかと思う。外国人が取締役に名前を連ねているあるサラ金会社の裁判のやり方などには驚かされる(これについてはまた別の機会にしっかり書きたい)。

 利息制限法違反の利息を支払ってきた日本人の多重債務者は、自分が「違法金利」を支払っているなどとは思ってもいなかった人ばかりだ。

 私は、それほど多くはないが消費者被害事件も扱っている。被害者の方々は、(人間の醜い部分を見せられることの多い私から見ると)実に「善人」だなあと思う方が多い。時には、こんな世の中に人を疑うことを知らない「天使」のような人もいるのだなあと感じることもある。

 日本人は、昔から、それぞれが所属する場所(例えば、家庭にあっては家族、仕事においては会社、そして国や公共団体)に守られることに慣れてしまっていると思う。

 これに対して、たまに外国人の法律相談などをして感じることは、「外国人はしっかりしているなあ。」(あくまでも人によるし、あくまでも私の主観だが)ということだ。たとえば、日本人の法律相談を受けると、「本題に入るまでが長い、感情の吐露が多い、弁護士に何を聞いたらいいのか、聞いても仕方がないことかが理解されていない」ことが多いように思う(これもあくまでも人により、あくまでも私の主観による)。これに対して、外国人は、結構ストレートに費用のことや弁護士を使った場合のメリットなどを聞いてくる。そして、聞くべきことを聞いたら自分で決断をする。これは、異国で揉まれているうちにたくましくなった結果なのかもしれないが。

 しかし、日本人も、離婚の増加、少子化、年功序列制の崩壊、派遣社員・パート社員の増加、規制緩和などによって、守られることが難しくなっている。自らで自らを助けなければならない時代になってきた。

 私は、日本で規制緩和を急激に推し進めることは、「羊の群れに狼を放つようなもの」とかねがね思っている。

 過払金については裁判所は被害者に有利な判決を次々と出してくれているし、グレーゾンも廃止されそうな勢いだし、サラ金の主張する金利の自由化からは遠ざかっている。

 しかし、消費者被害事件については依然として冷たい裁判官も多いように思う。頭のよい裁判官には「どうしてこんなことで騙されるの?」という疑問が根底にあるのだと思う。世の中には騙されやすい人がいるということがなかなか分かって頂けないのである。

           Wmogur Wsuwarir Wnemurir     Sheepdog3

 弁護士業界にも自由化の波が押し寄せてきている。報酬も自由化され、広告も許されるようになった。「市民に身近な司法」をうたい文句に、司法試験合格者枠が一挙に拡大され、(都会を中心に)弁護士数が増大している。近い将来、大都市のみならず中小都市も弁護士は飽和状態になるだろう。

 サラ金のグレーゾーンが廃止され経済が上向きになれば弁護士の自己破産などの多重債務者救済の仕事も減るだろう(そのこと自体は非常に喜ばしいことだ)。私などは、一部の大企業は別として、「市民」といわれる一般の国民にとって、本当にそんなに大勢の弁護士が必要なのかと疑問に思ってしまう。日本の場合は、身近な法律家として司法書士もたくさんいるのである。

 弁護士がこのまま規制緩和の波に押し流されていていいのかと思うことが多い。

 これからは、国民は、少なくとも「弁護士なら必ず守ってくれる」という感覚をお持ちにならない方がいいと思う。 

 このままでは、

              Noinur

と思っていたら、

             Ezoookamir

だった・・・・・なんてことになりかねないと思う。

               Leaf2

 上の絵の意味がピンと来ない方、こちらのPINEさんの記事(弁護士増員を前向きに考えよう)(かなりブラックです)と私の以前の記事(本の紹介ー小説「司法占領」A弁護士とB弁護士偽メール事件からの教訓)をお読み下さい。

・・・・・この記事は全て私の独断と偏見によるものです。他の一切の団体や個人とは関係ありません。 Okojyo2bay         

2006年5月 2日 (火)

GWの谷間

 きょうは、3日ぶりに事務所に出た。普段さぼっている机まわりの整理や貯まっている記録や書類の整理をしようと思ったからだ。

 しかし、連休の谷間を口実にして、思い切って休んでしまった方がよかったかなあ、と少し後悔している。

 とにかく電話が多い。特に裁判所から。連休の谷間でも(当然のことながら)書記官はしっかり働いてみえるのだなあと感心した。期日の打ち合わせなどが多かった。

 そのほかにも、依頼者からの電話、サラ金からの電話(こちらも連休の谷間でもしっかり働いている)があり、予定していた書類の整理はちっともはかどらない。

 どうやら、連休期間中にもう一日整理のために事務所に来なければならないようだ。

 大体、私は、整理整頓が得意ではない。なかなか書類を捨てられない。次々と法律の改正があり、関連する研修の案内や出版物の宣伝が送られてくるし、弁護士会、弁護士の派閥、他の法律事務所からのニュース、委員会の配布資料など、ほおっておくと直ぐに机の上に一山も二山もできてしまう。

 これに、事件記録の整理(特に医療過誤事件の記録は膨大になることが多い)が加わわると、本当に泣けてくる。

 普段怠けていたつけなので、仕方がないといえば仕方がないのだが・・・。  

 そんなわけで、刑事弁護人の役割についての第1段の記事をなかなか完成することができない。アップはもう少しお待ち下さい。

                                            Buranko

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