刑事弁護人
私は、大分前から刑事弁護をやらないことにしている。それ以前、特に勤務弁護士時代と事務所開業当初には国選弁護をたくさんやっていた。そのときの膨大な記録は捨てられないまま今も事務所と自宅に一部保管している。
しかし、数年前から医療過誤事件の方にもっと時間を割きたいと思うようになって、刑事事件は一切やらないことにした。事務所が拘置所の前なので(別に刑事事件をやるためにこの場所を選んだわけではないのだが)、やめた当初は拘置所にいる被告人からよく手紙がきた。たいていは「事務所が近いから直ぐに接見に来てくれるだろうから。」とか「先生はよく接見に来てくれると聞いたから。」という理由で手紙を送ってくるのである。私は、定式の手紙を用意して、その度に丁重にお断りをしていた。
刑事弁護をやらない私だが、そんなわけで国選弁護人の辛い立場はよく分かる。
最近、光市母子殺害事件やオウム麻原控訴審で、マスコミはこぞって弁護人を叩いている。
光市母子殺害事件の方は国選弁護かどうかは知らないが、オウム事件の方は国選弁護である。
皆様は弁護士がこういう事件の国選弁護人にどうしてなるのかお分かりだろうか。誰かが弁護人にならなければならないのはお分かりだろう。憲法は全ての国民に裁判を受ける権利と刑事被告人の弁護人を付ける権利を認めているのだから。
しかし、弁護士はどこからも援助を受けることなく自らの収入で生計を立てている。事務所を経営している者は事務所経費と生活費を稼がなければならない。勤務弁護士なら雇用主の弁護士(親弁)から指示された仕事をしなければならない。
私利を考えれば、こういう刑事事件を引き受けたくないに決まっている。収入にはならない(むしろマイナス)、世間からは攻撃されるだけで誰もほめてはくれない。
弁護士に自由競争原理を適用するなら、こういう刑事弁護は引き受けない方が競争に勝てるに決まっている。
こういう事件の国選弁護人を買って出る弁護士は少ない。たいてい弁護士会のえらい人やお世話になった先輩弁護士に泣きつかれて、仕方なく(といっては語弊があろうが、少なくとも積極的にではなく)引き受けているのだ。一旦引き受ければ、現実には他の仕事や家庭生活を犠牲にしなければやり遂げることができない。そして、他の仕事にもそれぞれ依頼人がおり、その依頼に対して弁護士は責任があるのだ。家庭にだって父親の存在を必要とする子がいるかもしれず、子に対する責任もあるのだ。
被害者の方々が被告人や弁護人を攻撃する気持ちはよく分かる。しかし、マスコミや世間が一緒になってやみくもに攻撃するのはどうか。まるで集団リンチを見ているようで、西部劇の縛り首シーンを彷彿とさせる。
私は、上記2つの事件の刑事弁護人の弁護活動を具体的に知らないので、これらの弁護人を擁護も非難もしないが、昨今の報道を見て感じたことである。
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ところで、以前にも書いたが、私のホームページの「ごあいさつ」の頁に名古屋市市政資料館の写真がある。階段の上と天井にはステンドグラスがある荘厳な建物で国の重要文化財に指定されている。
この資料館の中に明治憲法下の刑事法廷が再現されている部屋がある(スライドショーの写真参照)。
正面の上段には赤い刺繍のある法服を着た裁判官と書記官、青い刺繍のある法服を着た検察官が座っている。白い刺繍のある法服を着て右側に立っているのが弁護人、手前に座っているのが被告人である。
これら法服の赤、青、白は、裁判官、検察官、弁護士を象徴する色として今も司法修習生のバッジの色になっている。
この写真を見ると、弁護人が被告人と同じ下壇にいるのに対し、裁判官と検察官は壇上に座っているのがお分かりだろう。
今、この壇上には裁判官と検察官だけでなくマスコミも座っているように思えてならない。
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コメント
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西部劇の縛り首・・・結構じゃないですか。こうやって全体で盛り上がって死刑になれば、良い抑止力になると思いますよ。もちろん冤罪はいけませんよ。でもこの事件の場合殺したのはもはや明らかだからね。己の性欲のために罪のない2人の命を奪った。この事実の重さに比べれば生育歴とか反省(のふり)とか軽いもの。情状酌量されても死刑執行3日延長くらいが関の山でしょう。
投稿: 西部劇の縛り首 | 2007年12月20日 (木) 20時21分